猫森町すずかけ通り3丁目こぎつねよろず診療所:その3(くま:完結)
***「猫森町すずかけ通り3丁目こぎつねよろず診療所」 その3***
実はこぎつね診療所に関してここで皆さんにひとつ残念なことをお伝えしなくてはなりません。それは・・・こぎつね診療所が閉院になってしまったということです。もうあまり時間がないのですが、急いでお話ししたいと思います。
「はあ・・・久万田(くまた)さんですか?待合室へどうぞ・・・」
山中さんにのんびりと待合室に案内された中年の男性は古いソファにどっしりと腰を下ろしました。背は高くおなかは大きく膨らんでいて一見するととても病気には見えません。なんとなくのそっとした雰囲気で細い目、太い眉に顔は毛むくじゃら・・・。
個人的な感想でごめんなさい。実は私、久万田さんの顔はあんまり好きじゃないんです。ちょっと動物的で・・・そう、たとえで言うと、クマってとこでしょうか?
「こぎつね先生。なんとかならんでしょうか?」
こぎつねじゃなくて小木ですよ・・・。
久万田さんはちょっと関西弁が混じった低い声で話し始めました。小木先生はうなずきながら久万田さんの話をじっと聞いていました。
「なるほど・・・膵臓癌で肝臓に転移しているんですか。腹水も出てきている・・・それじゃあやっぱり・・・主治医の先生が言われるように2ヶ月というところでしょうか・・・」
小木先生がちょっと申し訳なさそうに答えました。久万田さんもやっぱりなおらない病気でした。膵臓癌ってなかなか見つからなくって見つかったときにはもう手遅れっていうことが多いそうです。お顔のことはどうあれ、私は久万田さんにも同情します。
「先生。私は広告関係の会社を経営していて、今大事なプロジェクトをすすめているところなんです。治してくれとは言いません。せめて半年、あと半年仕事をさせてもらえんでしょうか?」
久万田さんは拝むような顔で小木先生を見つめました。小木先生はちょっと考えて答えました。
「残念ながら・・・久万田さんの病気を治してあげることは私には無理です。でも・・・あと半年、命を延ばすことくらいならできるかもしれません」
それを聞いて久万田さんは大声を上げて吠えました・・・失礼・・・私には吠えたように聞こえたのですが・・・。
「ほんまですか?!半年あれば、半年あれば今の仕事を完成させることができます。何十億のプロジェクトなんです!どうかお願いします!もし半年命があったならば一億円払います」
「じゃあ治療費は一億円にしましょう」
あの・・・一億円・・・ですか?いくらなんでもそれはあんまり・・・。
「わかりました!一億でお願いします!来週までに耳をそろえて持参します」
あらあらあら・・・あっという間に決まっちゃいました。大丈夫なんでしょうか?小木先生・・・。
私の心配をよそに、小木先生は例によって久万田さんの太い腕から血液を20cc採血しました。
一週間後、久万田さんがやってきました。大きなトランクを持った若い男の人がついています。
「こぎつね先生。治療費を持ってきました。よろしくお願いします」
久万田さんが合図すると若い男の人がトランクを机の上において中を開けました。一億円です。私、初めて見ました。
「こんな大金、よく1週間で用意できましたね」
小木先生はびっくりした顔で聞きました。
「大変でした。自宅も売り払いました。あっちこっちから借金しましたが・・・今のプロジェクトがうまくいけばこれくらい・・・。この半年に会社のすべてが・・・私のすべてがかかっとるんです」
久万田さんはちょっと疲れた表情でしたが、その目には希望の光が浮かんでいました。
「今度のお仕事は久万田さんの一生をかけたお仕事なんですね。わかりました。治療費を確かに受け取りました」
小木先生はそう言うとトランクのふたを閉め、金庫の中へ・・・入りません。大きすぎて金庫の中には入らないのです。
「やあ・・・これは困った・・・新しい金庫を買わないといけませんね」
小木先生は笑いながら言いました。私、やっぱり・・・お金を貰うときの小木先生のことはあまり好きじゃないみたいです。
「さあ、腕を出してください。注射しましょう」
小木先生は久万田さんの太い腕に黄色い透明な液体を注射しました。
「はい。これで終わりです」
「え?もうおわり?これで私は半年間仕事ができるようになるんですか?」
久万田さんも他の患者さんと同じように不安そうな顔で聞きました。
「大丈夫だと思いますよ」
「でも・・・いくらなんでも一回注射しただけで終わりっていうのは・・・一億円も払ったんですよ。もう少しその注射を続けてくださいよ」
まあ・・・久万田さんの気持ちもわからないではないんですが・・・
「いえ。これで終わりです。2回目の注射はないんです」
小木先生は笑いながらあっけらかんと答えました。
「しかしそれじゃああんまり・・・」
不満そうな久万田さん。
「もし治療結果にご不満でしたら治療費は全額お返ししますから・・・」
そういわれて久万田さんもしぶしぶ引き下がりました。
一ヵ月後、久万田さんがまたやってきました。でも久万田さんは他の患者さんとはちがって、いきなり診察室に飛び込むなんてことはしませんでした。誰もいない待合室で名前を呼ばれるのをじっと待っています。なんか前よりおなかがへこんでちょっと元気そうです。
名前を呼ばれて診察室にそそくさと入った久万田さんは小木先生の顔を見るや否や足早に歩み寄り右手を差し出しました。小木先生はちょっと微笑んでその大きな手を軽く握りました。
「こぎつね先生!ありがとうございました!昨日病院で検査したんです。そしたら、膵臓の腫瘍も肝臓の転移も腹水もきれいさっぱり消えているって言うじゃありませんか!身体のほうもすこぶる快調です。主治医の先生はこんなに抗がん剤が効いたのは初めてだって言ってました・・・あ・・・抗がん剤の治療も、併用していたんですが・・・。主治医の先生にはこぎつね先生のことは話してないんです」
久万田さんはちょっと申し訳なさそうに言いました。でも・・・こぎつねじゃなくって小木なんです。念のため・・・。
「それはよかった・・・それなら半年、大丈夫そうですね」
小木先生はうれしそうに笑顔で答えました。
「半年どころか・・・私もう治ったような気分ですよ。だって腫瘍が跡形もなくきれいに消えちゃったんですから・・・」
小木先生はそんな久万田さんを微笑みながら、でもちょっと困惑した顔で見つめていました。
「それでこぎつね先生・・・こんな事をいまさら言うのもなんなんですが・・・」
久万田さんが申し訳なさそうに大きなからだを小さくして小声で話し始めました。
「一億円の治療費、まけてもらえんでしょうか?半分くらいに・・・」
「半分・・・ですか?」
小木先生はちょっとびっくりした顔で久万田さんを見つめました。
「いや、これほどよくなったのは先生のおかげです。それは十分わかっておるんです。でもここでやってもらった治療っていうのは注射を一回打ってもらっただけじゃないですか。私はそのほかに色々な抗がん剤や放射線治療を受けているんです。治療効果はそれらが全部合わさって出るものでしょう?他の治療費は全部合わせても数十万円ですよ。先生のところで1回注射しただけで1億円ていうのは・・・ちょっと高すぎるような気がするんですが・・・」
だって久万田さん半年命があれば1億円払うって・・・
「いいですよ」
え?小木先生、どういうことですか?
「久万田さんは当院で行った治療に満足しておられないわけですね?」
小木先生は笑顔で言いました。
「いや・・・いや、決して満足していないわけじゃないんです!大満足なんです。でも・・・他の治療に比べたらちょっと高すぎるんじゃないかな・・・と・・・。すみません。実は会社の資金繰りがちょっと難しくなっておりまして・・・どうしても来週までに5千万円が必要なんです。先生の所の治療費をちょっとまけて貰えたらと・・・・」
久万田さんは大きなからだをますます小さくして上目遣いに小さな小木先生を見上げました。
「いいですよ。久万田さん。患者さんが治療結果に100%満足しない限り当院では治療費は一切いただきません。さあ・・・この前お預かりしたトランクをそのままお返ししましょう」
小木先生は新しく買った大きな金庫からトランクを取り出して久万田さんに差し出しました。小木先生・・・一億円ですよ・・・。せっかく治療したんだから半分くらい貰っておいたらどうでしょうか?皆さんはどう思われますか?
「いや・・・全額返せとは・・・半分くらいで・・・」
久万田さんは恐縮してトランクを押し返そうとしています。
「いいんですよ」
小木先生はニコニコしながら久万田さんを見つめ、そして続けました。
「でも久万田さん、一度治療費をお返ししたら今後当院での診療は二度とできませんので・・・その点だけご了承ください」
真剣な顔で見つめる小木先生を久万田さんはばつが悪そうに上目遣いで見ていましたが・・・
「わ・・・わかりました。申し訳ありません。こぎつね先生・・・このご恩は一生忘れません」
こぎつねじゃなくて小木ですよ!
久万田さんは深々と頭を下げてトランクを手にするとすごすごと診察室から出て行き、受付の山中さんの顔を見ないようにして、それでもちょっと会釈して帰って行きました。
小木先生は何もなかったかのように机の前に座ってまた本を読み出しました。でもその表情はちょっと寂しそうでした。
ここで皆さんは心配しているんじゃないかと思うんです。ひょっとしたら小木先生が返したお金っていうのは久万田さんが家へ帰ってトランクを開けたら葉っぱになってしまうんじゃないかって・・・。
そんなことないんです。だって小木先生はあのトランクをずっと金庫にしまったままで一回も開けていないんですから・・・。 このとき私はわかりました。小木先生はお金なんかどうだっていいんです。今寂しそうな顔をしているのは自分の診療が患者さんに満足してもらえなかった、患者さんから100%信頼してもらえなかった、そんな気持ちからなんです。
あの事件が起こったのはそれから半年後のことでした。なんとあの久万田さんがまたやってきたのです。
「先生・・・お願いします。どうか助けてください」
久万田さんが小木先生に頭を下げています。あれから久万田さんは元気になってプロジェクトもうまくいって会社も持ち直したそうです。でも先月病院で検査をしたところまた癌が再発していたらしいのです。
「今度はちゃんと一億円いや、二億でも三億でも払います!あの注射をもう一度打ってください」
久万田さんは拝むように両手を組んで必死の形相で小木先生に頼んでいます。小木先生は困った顔をして・・・
「すみません、久万田さん。久万田さんにはあの注射は二度とできないのです。というか、効き目がないのです。ですから・・・私には久万田さんを治すことはできないのです」
小木先生の治療で一番大切ポイントは患者さんの免疫力を最大限に安定させることです。それは医者と患者の間に信頼関係がなくては成り立たないのです。久万田さんは小木先生の治療を100%信頼することができませんでした。ですから小木先生は治療費を全額返却したのです。そして久万田さんが小木先生のことを100%信頼していないということは病気が再発した今でも同じことなのです。それがわかっている小木先生は治療効果がないと断っているわけです。
「そこをなんとか・・・」
久万田さんは食い下がります。久万田さんの気持ちも・・・わかるのですが・・・。
「半年前に治療費をお返ししたときにもうこの診療所での治療はできないことを確認しましたね・・・?」
「それはそうなんですが・・・」
「久万田さんには今の抗がん剤や放射線治療を続けるのが一番だと・・・思うのですが・・・」
久万田さんはじっと黙って下を向いていましたが意を決したように顔を上げてすっと立ち上がると・・・
「そうですか!これほど頼んでもだめですか。先生は治療拒否をされるわけですな!」
「そんなわけじゃないんですが・・・」
小木先生は困った顔をして久万田さんの顔を見上げました。
「わかりました。それならこちらにも考えがあります!」
そんな捨て台詞をはいて久万田さん出て行っちゃいました。小木先生は困った顔をしてしばらくその場にじっとしていました。ふと見ると入り口のところから山中さんが心配そうに小木先生を見つめています。私、なんだか胸騒ぎがします。皆さんも心配じゃありませんか?
それから3日後、あの人たちがやってきたのです。その二人の男の人たちはびしっと背広を着込んでネクタイを閉め、ちょっと怖い顔をしてやってきました。
「小木常男さんですね」
「はい。そうですが・・・」
「私はすずかけ署の獅子山といいます」
その人は40歳くらいで鋭い目つきに精悍な顔立ち。そしてふさふさの髪。まるで・・・ライオンのようです。
「警察の方ですか・・・」
小木先生がちょっとびっくりして答えました。
「あなたに対してちょっと困った通報がありまして・・・応召義務違反、および業務上過失傷害、それと詐欺罪の疑いがありますのでちょっとお伺いしたいのですが・・・」
獅子山と名乗る男性は、言葉は丁寧でしたが目つきは鋭く、まるで「お前はゆるさないぞ」と言っているような雰囲気で、私とっても怖くなりました。それから獅子山さんは小木先生に色々なことを根掘り葉掘り聞きました。
「今日のところはこれで失礼します。明日また来ますので、カルテと資料を整理しておいてください」
そう言って獅子山さんは帰っていきました。かわいそうなのは山中さんです。もう最初から最後まで受付の椅子に座ってぶるぶる震えながらずっと下を向いていました。私その通報した人っていうのが誰なのかだいたいわかっているんですけど・・・ここではあえて名前は言いません。
その夜、小木先生は荷物をまとめてそそくさと逃げ出しました。ええ、診療所は全くそのままにして消えてしまったのです。もちろん山中さんには今までのお給料と退職金をちゃんと渡してありますから皆さん御心配なく。小木先生は別に悪いことをしているわけではないので逃げる必要なんて全くないと思うのですが、小木先生はとにかく面倒なことが大嫌いなのです。
翌日獅子山さんが誰もいないがらんとした診療所にやってきました。診察室は開けっ放しで、隣の部屋には大きな機械もそのままぽつんと置いてありました。獅子山さんはチッと舌を打って部下に命令してあれやこれやの資料をダンボールに入れて運んでいきました。
私のこぎつね診療所のお話はこれで終わりです。小木先生はあれから行方不明です。皆さんは小木先生のこと、かわいそうだと思いませんか?だって小木先生は一生懸命にすばらしい治療をしているだけなんです。悪いことなんか何もしていないのに・・・。
私だって・・・たった17年しか生きられませんでしたけど小木先生を恨む気持ちなんてこれっぽっちもないんです。
ええ・・・私、あの時の少女です。
確かに私の治療はうまくいきませんでしたけど、危険があることは私も納得して治療を受けたんです。結果は失敗でしたが小木先生は私に希望をくれました。私は十分満足しています。
実は私が今日、地上(ここ)へ降りてきたのは皆さんに小木先生のことをわかってほしいと思ったからなんです。
今日の太陽が西の空に沈むまでの間、私は天子様にお願いして地上(ここ)へ降ろしてもらいました。
でも、もうそろそろ戻らなくてはなりません。
私の話を最後まで聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。そしてこぎつね診療所にまた明かりが灯ったら一度声をかけてあげてください。
その瞬間、少女の身体は暖かな黄色い光に包まれ、わずかにオレンジ色が残るコバルトブルーの空に静かに吸い込まれていきました。
「猫森町(ねこもりちょう)すずかけ通り3丁目 こぎつねよろず診療所」 (終わり)
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コメント
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「猫森町(ねこもりちょう)すずかけ通り3丁目 こぎつねよろず診療所」 を、3話読ませていただきました。
とても面白いですね。今後のシリーズも楽しみにしています。
追伸:一瞬、ブラックジャックとだぶりました。ひょっとして意識されているでしょうか?
投稿: あーちゃん | 2008年8月 3日 (日) 16時03分
こんにちは(o^-^o) お話は日頃の激務故の魂の吐露と思いました。 谷山浩子さんのファンで、ふと猫森町を見かけた時、うれしくなってしまいました。
もっとお話の続きがみたいとミクはわがままを言ってみたりして・・・モジモジ(。_。*)))
投稿: ミク | 2011年5月21日 (土) 20時34分