スーパーDr.うるとら万太郎:第4話(2/3)
*そして日曜日 朝*
今日は万太郎を連れてくる約束の日曜日だ。想太郎は昼すぎに受け持ち入院患者の腹痛が強くなり病棟から呼ばれて仕事をしていた。
―日曜日なんて医者には関係ないようなもんだぜ。受け持ち患者が悪くなったら診(み)に来なきゃいけないんだよ。まあ、当直医に任せてもいいってことになってるけど自分より年上の先生に頼むのも気がひけるしな・・・でもただの胃腸炎でよかったよ。点滴して薬だしとけばいいからな。えっと・・・ああ・・・もう1時じゃないの。綾乃との約束は2時だからまだちょっと時間あるよ。でも帰ってまた来るのも面倒だし、このまま医局にいようかな―
想太郎が医局のソファにもたれかかってくつろいでいると諸星があわてふためいてやってきた。
「なんだ?諸星。早いじゃないの。お前も呼ばれたのか?」
「いや。そうじゃないんだけど・・・聴診器が昨日壊れちまったんだ。家にもう1本あったと思ったんだけど見つからないんでひょっとしてここにおいてあったかなと思ったんだけどな・・・やっぱりないよ。よわったな・・・修理に出しても1週間くらいかかるぜ。買うのももったいないしな」
「俺、家に1本持ってるぜ。貸してやろうか?」
「本当か?頼むよ。修理が終わるまで貸してくれ」
「明日でいいか?持ってくるの」
「ああ」
「じゃあ・・・忘れそうだから手に書いておくよ」
そう言いながら想太郎はボールペンで左手の手の甲に聴診器の『聴』の一文字を書いた。
「ところで・・・万太郎っていうやつ、もう来てるのか?」
諸星が想太郎の横に座りながら聞いた。
「万太郎?いや、まだだけど・・・2時には来ると思うよ」
「綾乃も今日は病院に来てないよな。いつもは日曜日だってほとんど顔を出すんだけどな」
「本当か?日曜日に病院で何をしてるんだ?」
想太郎はびっくりして聞いた。
「患者の回診をしたり検査データを調べたり、文献を調べたりしているぜ。何だお前、知らなかったのか?研修医のときからずっとだぜ」
「全然知らなかったよ。本当か?えらいよな・・・綾乃は・・・」
―そうだよな・・・受け持ち患者全員にあれだけのことを調べたり勉強したりするんだから日曜日にやらないととても追いつかないんだよ。俺が休日の午前中ずっと寝てるときにも綾乃は病院に来て仕事をしてるって訳だ。綾乃と俺じゃあ内科医としての実力は全然違うけど考えてみれば当たり前だよ。俺が遊んでる時間に綾乃は必死に努力してるんだからな―
「でも今日は朝から来てないみたいだぜ。なんかあったのかな?」
諸星は綾乃の机の上を見ながら言った。
「そりゃあ綾乃だってたまには自分のやりたいこともあるんじゃないの?買い物とかさ」
「そうだよな・・・あ・・・俺、飯食ってくるよ。想太郎は?もう食ったのか?」
「え?いや・・・まだだけど俺、朝が遅かったからいいや」
「そうか。じゃあな・・・聴診器頼んだぜ」
そう言いながら諸星は医局を出て行った。
*難しい患者*
「想太郎・・・」
―ん・・・?なんだ?綾乃!―
想太郎は綾乃に起こされてはっとして医局のソファから飛び起きた。
「何時?今!」
「1時45分よ。万太郎さんはまだみたいね」
「ああ・・・そうだな・・・え?綾乃?」
想太郎はもう一度びっくりして綾乃の顔を見た。
「綾乃・・・なんだ?その頭・・・髪・・・切ったのか?それにメガネは?」
美しい黒髪をちょっとだけ茶色に染めた綾乃は、あごのラインですっきりとカットされた髪を片手でさわりながら答えた。
「長かったから切っちゃった。それにコンタクトはもともと持ってたんだけどね。メガネのほうが楽だから使わなかったんだけど、髪を切ったついでにちょっとイメージチェンジしようかなって・・・どう?似合うかしら?」
―いい!すごくいいよ綾乃。まるで女優さんじゃないの!―
「すごく似合うよ!でも・・・綾乃って学生時代からずっと同じ髪形だったじゃないの。何で急に?」
「私だって女の子なんだからちょっとくらいおしゃれしようかなって思って、今日は時間があったから美容院へ行ってきちゃった」
綾乃は明るく笑いながら答えた。
―こりゃあ明日から大変だよ。きっと病院中の男たちがほっとかないよ。滝本のあんちゃん、妻子捨てちゃうんじゃないの?―
「それにしても・・・遅いわね。万太郎さん」
綾乃は腕時計に目をやりながらつぶやいた。
「あ・・・そうだった!ごめん!今すぐ万太郎に・・・いや・・・万太郎を・・・連れてくるから・・・」
そう言いながら想太郎はあわてて医局を飛び出した。
―どこで変身する?ちょっとはなれたところがいいよな。じゃあ・・・動物実験棟のトイレにするか―
*またまた変身!*
トイレの個室に入った想太郎は息を切らしながらポケットのウルトラアイを取り出した。
―さあ!変身だ!―
想太郎は左手を腰に当てて右手に持ったウルトラアイを目の前にかざした。
「万太郎!」
掛け声とともに想太郎の身体は青白い光に包まれた。
―来た来たー!万太郎登場だぜー!―
あふれ出る力を全身に感じながら万太郎(想太郎)は鏡の前に歩み寄った。
―かっこいいぜ!万太郎!これなら・・・綾乃とだって充分つりあうよな・・・綾乃だって仕事ができる万太郎のことを尊敬しているみたいだし・・・俺がずっと万太郎でいられたらな・・・―
そんなことを考えながら万太郎(想太郎)は医局へ小走りに向った。
「待たせたな・・・」
万太郎は医局に入るとソファに座っていた綾乃と諸星に向って言った。ふりかえった二人は同時にすっと立ち上がり万太郎のほうを向いた。
「今日はどうもありがとう。忙しいところを来てもらって・・・私、綾小路綾乃」
綾乃はさっと右手を万太郎のほうに差し出した。万太郎は何も言わず綾乃の手を握った。
―綾乃の手を握っちゃったよ。なんて繊細な手なんだ?強く握ったら壊れてしまいそうだよ―
「お・・・俺は・・・諸星渡」
諸星もその右手を差し出した。
―あー・・・お前はいいんだって・・・もう少し綾乃の手を握らせてくれよ―
想太郎の考えとは裏腹に万太郎は綾乃の手を離して諸星の手を握った。
―なんてごっつい手だよ・・・いてー・・・いてーよ諸星!ちょっと加減しろ!お前、万太郎に恨みでもあんのか?それに何じろじろにらんでんだよ?やっぱりお前ちょっとおかしいぞ―
「私、変な名前でしょ?アヤノって呼んで。それから・・・私たち同い年でしょ?あなたのこと万太郎って呼んでいい?」
綾乃は悪びれない笑顔で万太郎の顔を見ながら言った。
―これなんだよな・・・綾乃って美人だけど全然つんとしたところがないんだよ。すぐに誰とでも仲良くなっちゃうんだよ―
「ああ・・・」
万太郎は無愛想(ぶあいそう)に答えた。
「それから・・・この前はどうもありがとう。おかげでPTCDはうまくいってあの患者さん黄疸(おうだん)も引いて元気になったわ」
「俺は何もしちゃいない。やったのは全部あんただろ?」
万太郎はニヤッと笑いながら言った。
「いいの。あなたのおかげで私、PTCDにちょっと自信ができたわ。他人がやってるのを見てるだけだったら何もわかっていなかったと思うの。あなたが的確な指示をしてくれたおかげよ」
―あー素直だよな、綾乃は・・・。あんなに嫌っていた万太郎にこんなに素直に感謝の気持ちを表現できるなんて・・・。それに・・・今日の綾乃は本当に輝いてるぜ―
「それで?今日は何だ?」
万太郎はぶっきらぼうに言った。
―そうだったよ。時間はあんまりないんだよ。綾乃が悩んでる症例らしいぜ。あんた1時間で診断つけれるのか?―
「じゃあ・・・さっそく見てもらっていい?病棟の症例検討室へ行きましょう」
3人は病棟の廊下を歩いて症例検討室に向った。すると前から60歳くらいの中年女性が手すりを握りながらゆっくりと歩いてくるのが見えた。それを見て諸星がつかつかと歩み寄って声をかけた。
「歩行練習ですか?」
その女性は足を止めて諸星に向って笑顔を見せながら答えた。
「はい・・・ベッドの上にばかりいて歩かないでいるとだんだん力が落ちるような気がするんですよ。少しでも練習して寝たきりにならないようにと思って・・・」
微笑みながら答える患者に向って諸星がやさしく言った。
「がんばってください。でも無理しないでくださいよ」
想太郎もその患者を見つめた。顔がちょっとむくんで目がはれているようだ。
―諸星の患者?顔がちょっと腫(は)れてるじゃないの。ネフローゼかな?―
その瞬間想太郎の目の前にメッセージが浮かんだ。
<・・・ヘリオトロープ疹(しん)・・・>
―なんだ???―
想太郎の目は無意識に患者の両手に向った。すると・・・また・・・
<・・・ゴットロン兆候(ちょうこう)・・・>
―何のこと???―
想太郎は訳がわからないままに患者を見つめながらその横を通過して症例検討室に向った。 綾乃と諸星は症例検討室のデスクに万太郎と向き合って座った。
「今日来てもらったのはね、診断がつかない患者さんのことをちょっと教えてほしいと思ったの」
綾乃はカルテをひろげながら言った。
―あー大丈夫か?万太郎・・・綾乃がいくら調べてもわからないっていう患者だよ。あんた手つきは器用だし救急にもしっかり対応するけど、じっくり考えることってできるのか?コンピューターって総括的に考えることが苦手なんじゃないの?しかも時間は限られてるんだぜ。俺は綾乃の前であのでっかい屁をこくのだけはごめんだぜ―
「患者さんは82歳女性。4ヶ月前に急性心不全で入院しているけど2週間で退院して外来通院中だったの。でも腎臓の機能が少しずつ悪くなって、貧血もすすんできたので精密検査のために入院になったのよ」
綾乃は手際よく患者の病歴を万太郎に説明していった。
「まず問題点をあげて私なりの診断を提示するわね。問題点の1番として腎機能低下。クレアチニンがこの4ヶ月で1.5から2.6に上昇しているわ(正常値1.4以下)。そして蛋白尿は1+。2番として貧血。ヘモグロビンが10.3から8.2に低下しているわ(正常値12.0以上)。3番として炎症反応。CRPが持続して1から2くらいなの(正常値0.3以下)。でも赤沈(せきちん)は1時間値で6と正常。4番として心機能の低下。左室駆出率(くしゅつりつ)は48%と低下(正常値60%以上)。冠動脈(かんどうみゃく:心臓を栄養する血管)には異常なし」
―だめ・・・俺、もうだめ・・・全くわかんない。82歳ならそんなもんじゃないの?歳のせいじゃないの?―
「最初は私、膠原病(こうげんびょう)だと思ったの。炎症反応があって心機能障害、腎機能障害でしょ?SLEとかその類縁(るいえん)疾患を疑って検査したのよ。でも、抗核抗体(こうかくこうたい)もリウマチ反応も陰性でそのほかにも何一つ膠原病を示唆(しさ)するデータはなかったわ。膠原病に関する文献(ぶんけん)もいっぱい調べたのよ」
綾乃はカバンの中から文献のたばを取り出してひろげた。
―げげっ・・・これ全部この患者のために調べたのか?そりゃあ・・・日曜日なんて・・・ないよな・・・―
「次に慢性糸球体(しきゅうたい)腎炎と甲状腺機能低下症の合併を考えたわ。でも甲状腺ホルモンは正常だった。貧血に対しては消化管出血を疑って便潜血の検査もしたけど陰性だった。それでね・・・心不全や腎不全で色々とインターネットで検索したらある病気が出てきたの」
綾乃はそう言いながらまた文献のたばを机の上においた。
―げげっ・・・さっきの倍くらいあるじゃないの!綾乃・・・あんた・・・本当にえらいよ・・・一人の患者のためにこんなに勉強して・・・そこへいくと俺なんて・・・わからなかったらすぐあきらめちゃうもんな・・・―
「アミロイドーシス・・・これが私が考えた最終診断よ。でも・・・私アミロイドーシスの患者さんって診たことがないの。だから自信がなくって・・・あなたの意見を聞きたいと思ったのよ」
『アミロイドーシス』・・・まれな病気である。アミロイドという特殊な蛋白が体のいたるところに沈着して臓器障害を引き起こす。心不全、腎不全、神経障害、消化管障害などほとんど全身の臓器が障害される。いまだ有効な治療法は見つかっていない。診断には組織に沈着したアミロイドを検出することが必要で臓器に針を刺して組織を採取する生検(せいけん)という検査が行われる。
―アミロイドーシス?あー国家試験の勉強で聞いたことがあるよ。でも俺は自慢じゃないけど全然覚えてないよ。でもきっとそれだよ、綾乃!あんたがこんなに一生懸命調べて診断つけたんだもん。間違いないって―
「本当は確定診断のために腎生検(じんせいけん)をしなきゃいけないかなって思ったけど今の腎機能や年齢を考えるとリスクが高すぎるでしょ?それに診断がついても治療法がない疾患だからそんな負担を患者さんにかけたくないの」
―そうだよ、綾乃。あんたの考え方、俺も賛成なんだ。真田先生は診断つけるためにちゃんと検査しろって言うけど、診断がついても治療法がないんだったらいっしょだよな。検査って治療方針を決めるためにするんだろ?治療法がなかったら患者さんにつらい思いをさせたり合併症の危険を冒してまで検査する必要なんかないよな。綾乃のそんなとこ、俺すごく好きなんだ。だって俺達がやってる医療ってみんな患者さんの幸せのためにやってるんだからな―
「ふーん・・・アミロイドーシスね。じゃあ・・・血液データを見せてもらおうか」
―なんだよ!万太郎!あんたホントにわかってんの?綾乃がせっかく調べたんだからよくやったとか言ってやったらどう?―
しかし万太郎は想太郎の思いとは裏腹にじっとカルテのページを見つめながらめくっていった。
―よくやったって言わないのか?万太郎。違うの?アミロイドーシス・・・―
想太郎の目の前には患者の検査データが次々と流れていった。
―万太郎が検査データを分析してるな。ああ・・・ウルトラアイを通してみると検査データが色分けされて表示されてるよ。異常値は赤で、特に大事なところは黄色枠で見えてるじゃないの。これなら俺でも見落とさないぜ。ん?ちょっとちょっと万太郎、間違ってるよ・・・。赤沈は一時間値で6だろ?正常じゃないの。それにガンマグロブリンは10.6%?これも正常だよ。何で黄色枠になってんの?、親父のCUPID(キューピット)おかしいんじゃないの?―
「50点だな」
カルテを見終わって万太郎が綾乃を見ながらつぶやいた。
「え?」
綾乃がちょっとびっくりして聞き返した。
「まあ、あんたの診断はいいとこいってるけどな。確かにアミロイドーシスだろうよ。でもな、あんたひとつ見落としてるよ」
「なによ?私が何を見落としてるっていうの?」
綾乃はちょっとむきになって聞き返した。
「この患者はミエローマ(多発性骨髄腫:たはつせいこつずいしゅ)だ」
万太郎は自信を持って答えた。
「ミエローマ?」
―ミエローマ?―
ミエローマ=多発性骨髄腫は白血病と同じ血液の癌だ。骨髄の中の形質(けいしつ)細胞が癌化して異常な免疫蛋白(免疫グロブリン=ガンマグロブリン)を大量に作る。その異常蛋白が時に全身に沈着してアミロイドーシスを引き起こすのだ。
「そんなはずはないわ。私も最初はミエローマを疑ったわよ。でも、赤沈(せきちん)が正常で骨のレントゲンでも異常所見はなかったわ。第一ミエローマならM蛋白(モノクロナール蛋白)が出現してガンマグロブリンが増加するはずでしょ?この患者さんはガンマグロブリンが正常なのよ」
綾乃は興奮してまくし立てた。多発性骨髄腫は癌化した形質細胞が異常な免疫グロブリンを大量に産生するので血液中にその蛋白が検出される。それはM蛋白と呼ばれ、通常は電気泳動(えいどう)の蛋白分画(ぶんかく)の中のガンマグロブリン分画に検出される。その結果ガンマグロブリン分画が著明に増加し、それを反映して赤沈も著明に亢進する。この患者のガンマグロブリン分画は正常値、いやむしろ低下気味なのだ。綾乃が反発するのも無理はない。
「ガンマグロブリンや赤沈が正常ってことがおかしいと思わないのか?」
万太郎は綾乃の顔をじっと見ながら静かに言った。
「え?」
綾乃は意外そうな顔で答えた。確かに炎症が持続すれば免疫反応が亢進しガンマグロブリン分画は高値となるのが普通だ。
「4ヶ月前から炎症反応が陽性なんだろ?そんな慢性の炎症だったらガンマグロブリンはむしろ高値になってもいいんじゃないか?それが10%しかないなんておかしいと思わないのか?」
「・・・」
綾乃は何も答えられなかった。
「この患者の骨髄には癌化した形質細胞がいっぱいあって正常な免疫グロブリンが作られないんだよ。だからガンマグロブリンの値がそんなに低いんだ」
「でも・・・じゃあどうしてM蛋白が・・・異常な免疫グロブリンが検出されないの?」
「M蛋白は作られてるさ。しかし通常より小さいM蛋白が産生されているので血液中には検出されないんだ。あんた尿中の蛋白分画を調べたか?」
「あ・・・じゃあ・・・ベンスジョーンズ型ミエローマ・・・?」
ベンスジョーンズ型ミエローマは癌化した形質細胞が通常よりも小さい免疫グロブリンを産生する。そのためその異常な免疫グロブリンはすぐに尿中に排泄(はいせつ)されてしまい、血中には検出されないことがままあるのだ。
「多分な・・・尿の蛋白分画と免疫電気泳動を提出してみることだ。それから・・・骨髄穿刺(せんし)も必要なようだな。あんたが嫌いな患者に負担のかかる検査だがね」
―なんか難しそうなこと言ってるよ。ふーんミエローマなの・・・俺には全然わかんないよ―
「患者さんに負担がかかっても必要なことはやらなきゃいけないわ。ミエローマの疑いがあれば骨髄穿刺は必須でしょ?でも・・・確かにミエローマなら全部の症状を説明できるわ」
綾乃はカルテを見ながらうなずいた。そして微笑みながら万太郎に言った。
「あ・・・ありがと・・・万太郎。頭に引っかかっていたことがすっきりした感じよ。それに、ミエローマなら・・・まだ治療法がいくつかあるかもしれない。このまま見逃していたら・・・」
万太郎は返事せずに首をちょっとかしげて微笑みながら両手を少し広げて綾乃に答えた。そして諸星のほうを見て言った。
「諸星・・・とかいったな。あんたの症例は?」
―そうそう・・・万太郎。時間がないからな。次、諸星先生。どうぞ―
「あ・・・あの・・・これだ」
今の綾乃と万太郎の会話を腕組みをしてじっと聞いていた諸星はあわてて自分の前においてあったカルテを開いた。
―諸星よ。お前も理解できてないんじゃないの?今の会話・・・まあ俺と同じってことだね―
「症例は60歳女性。えっと・・・2ヶ月前から脱力感があって1週間前に入院。顔面の浮腫(ふしゅ)があって筋力の低下とCPK(筋肉の障害で上昇する酵素:こうそ)の上昇があった。俺は多分甲状腺機能低下症による筋障害だと思うんだ」
―へー・・・なるほどね・・・浮腫と筋力低下から甲状腺機能低下症か・・・言われてみればなるほど、その通りだよ。でもなかなか気がつかないぜ。えらいよ。諸星―
「それで甲状腺ホルモンを検査したんだ。そしたらフリーT4(てぃふぉー)が0.7(正常値0.7-1.7 ng/dl)でフリーT3(てぃーすりー)が1.3(正常値2.5-4.5 pg/ml)だから確かに低いんだけどTSHが2.3(正常値0.5-4.0 IU/ml)で正常なんだ。これで甲状腺機能低下症って診断していいのか?普通ならTSHが上昇するはずだろ?」
―ふーん。そうだよな。甲状腺ホルモンのフリーT4やフリーT3が低下してくれば甲状腺刺激ホルモンのTSHは甲状腺にもっと頑張れって刺激を出すために上昇するはずだよ。それが正常っていうのはおかしいかな?でもそういうこともあるんじゃないの?いいんじゃないの?諸星、甲状腺機能低下症で当たってるよ。きっと―
万太郎はカルテをチラッと見て言った。
「この患者はさっき廊下ですれ違った患者だな?」
「え?そ・・・そうだけど・・・なんで・・・わかるんだ?」
―えー?さっきの患者さん?なんでわかるの?万太郎?―
「じゃあ・・・このカルテはもう診る必要はない。こいつは甲状腺機能低下症じゃない。皮膚筋炎(ひふきんえん)だ」
「皮膚筋炎?」
諸星がびっくりして答えた。
―皮膚筋炎???―
「皮膚筋炎ですって?」
綾乃も思わず聞き返した。
「どうして?どうして検査結果も見ないでそんなことがわかるの?」
綾乃が万太郎の顔を見ながら問い詰めた。
「どうして?さっき診たからだよ。あの患者は眼瞼(がんけん)に浮腫があっただろ?よく見ると少しぶよぶよしてうす紫だったはずだ。あんたは顔面の浮腫って言葉でかたづけてしまったけどな。あれはヘリオトロープ疹(しん)といって皮膚筋炎の特徴的な皮疹(ひしん)だ。それから手の指の背側に皮膚がはがれたようなかさかさした赤っぽい皮疹があった。これはゴットロン兆候といってやはり皮膚筋炎の特徴だ。それに筋肉逸脱酵素(いつだつこうそ)のCPK上昇だろ?多分間違いないと思うぜ。あとは自己抗体(じここうたい)の測定と筋生検をすれば診断は確定だ」
「そしてこの患者の甲状腺機能は残念ながら正常だ。全身の状態が悪いときにはこの患者のように甲状腺ホルモンを測定すれば低値をとることが多い。TSHが上昇しない甲状腺機能低下症はごく特殊な場合を除いて存在しない。甲状腺ホルモンを投与するよりステロイドを投与することだな」
―ヘリオトロープ疹と・・・なんだって?ゴットロン兆候?さっき俺の目の前に流れたコメントか・・・あの時点で万太郎はあの患者が皮膚筋炎だってことを診断していたんだ。ほんとにおそろしいやつだぜ・・・―
「ヘリオトロープ疹ってあんなのか?教科書では見たことあるけど・・・赤紫って書いてあったけど・・・全然違うじゃないか。それとゴットロン兆候?手背にあるのか?俺、全然きづかなかった・・・」
諸星が万太郎を見つめて聞き返した。
「後で患者のここのところをよく見てみることだ」
そう言いながら万太郎は自分の左手の甲をチラッと諸星に見せてそしてそのまま手を下ろした。その瞬間諸星ははっとして万太郎の手を見つめた。しかし万太郎はそれには気づかずに話を進めた。
「こんなもんでいいか?じゃあ俺、忙しいから行くぜ」
万太郎はそう言いながら立ち上がった。
「あ・・・ありがとう、万太郎。すごく参考になったわ。また、こうやって私たちに教えてくれる?」
綾乃も立ち上がって瞳を輝かせながら万太郎を見つめた。
―本当にきれいだな・・・今日の綾乃・・・君のためなら俺は何だってするよ。いつだって万太郎になって助けてやるって。でも3日間待ってね―
「ああ・・・また呼んでくれよ。あんたに呼ばれたらいつでも来るよ」
万太郎は綾乃を見つめてちょっと微笑みながら言った。そしてその言葉を聞いた綾乃も万太郎を見つめてちょっと顔を赤らめ、うれしそうに微笑んだ。諸星は立ち上がってじっと万太郎を見つめていた。
第4話(3/3)に続く
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