「日本の医療は今」風の軌跡あとがき(1/3)
私のライフワークの作品「風の軌跡」はすでにブログに掲載しました。
この作品は医療崩壊をテーマとして一般の方々に医療の現状を少しでも知っていただきたいとの思いで書き上げたものです。
2007年に出版された原作には私の医療崩壊に対する考えをあとがきとして記載しました。その部分をブログに追加して掲載しておきます。
第1章日本の医療崩壊
1)日本の医療崩壊の現状
「医療崩壊」という言葉を最近よく耳にするようになりました。
これは、「日本の医療が崩壊する前に何とか対策を立てましょう」ということではなく、2007年1月現在、日本の医療はすでに崩壊が始まっているということです。
そして数年後、日本の医療情勢はさらに悪い状態になっているはずです。それは崩壊速度が加速度的で、対策がたてられる速度よりもはるかに早いからです。
たとえば現在でも地方の産科医療は崩壊しています。
2006年の初め頃、離島のお産が問題にされていました。1年後、状況はさらに悪化し、離島でなくともお産ができない地域が増えてきています。小児科専門医がいない地域も増えています。
行政の方は医師の偏在が問題と言いますが、日本のどこに産科医や小児科医、しいては医者があまっている地域があるというのでしょうか?
しかし一般社会ではまだ医療崩壊に対する危機感がそれほどありません。それは国民の90%が都市とその周辺に住んでいるからです。日本の国民のほとんどは自分の住んでいる地域でお産ができなくなったり、まともな救急医療が受けられなくなったりする状態になるとは考えていないのです。
しかし数年後にはこれがほとんどの地方都市にまで拡大するはずです。人口数万の都市に住んでいる人たちもお産をするためには大都市まで移り住む必要が出てきます。
車中出産の件数も増えるはずです。そして救急患者も夜中に近くの病院に運ばれても対応できず、さらに1時間かかって転送されるようになります。受け入れ病院も満床で、断られることも多くなります。
先日奈良の病院で妊婦さんが脳出血を起こし、19の病院に転院を断られ、不幸な結果となりました。こういうことが全国に広がっていくはずです。その結果、医療事故も多発し、ますます医療崩壊が加速していくでしょう。
その時に始めて日本の医療がすでに崩壊しているということが社会に認識されるのかもしれません。そして我々はその時に速やかに立て直せるように今から準備をしなくてはならないと思うのです。
2)なぜ日本の医療が崩壊するのか
ではなぜ日本の医療は崩壊していくのでしょうか?
それは日本の病院では根本的に医師をはじめとした医療従事者が足りず、そしてここ数年、病院勤務医がさらに減少し続けているからです。
その大きな理由は病院医療の中核を担っている医師が勤務医を辞めていくこと、そして若い医師が労働条件の厳しい職場を選ばないようになってきたからです。
いままで日本の病院医療はぎりぎりのところで持ちこたえていました。
しかしここ数年、病院勤務医はその過重労働に耐えかねて加速度的に離職しています。
ひとたびその流れができるとあとに残された医師への負担はさらに大きくなり次々と勤務医が減っていきます。
そして崩壊は労働条件の厳しい産科、小児科、救急、脳外科、内科では血液内科、呼吸器内科などから進行していきます。
A)医療レベルの上昇
なぜ病院勤務医が過重労働になるのでしょうか?
その原因の一つは要求される医療レベルが年々上昇しているからです。
病院で行われる医療は年々高度化し、医師が診療にかける時間が昔と比べ物にならないくらい増えています。
患者さんの意識も向上し、説明時間も長くなりました。その結果病院に勤務する医師の仕事は加速度的に増えていったのです。
しかしこれらは自然の流れで、医療レベルが高度になったことが決して悪いわけではありません。高度になった医療に従事する医師が足りないことが問題なのです。
B)新研修医制度
2004年の春から研修医制度が大きく変わりました。
それまでは医学部を卒業した医師はほとんどが大学の医局に入局しました。内科、外科などそれぞれの医師が入局した医局の専門の医療を指導されてきたわけです。
しかし医局制度は専門医志向を生み出し、基本的なことができない医師が多くなりました。給料も保証されず研修医はほとんど無給で過酷な勤務を強いられ、生活費を稼ぐために当直などのアルバイトを余儀なくされ、医療事故の温床と批判されました。
その対策として新人医師に2年間の多科のローテートを行う臨床研修が義務付けられました。そして研修医(前期研修医)は研修病院を自由に選べ、給料など身分も保証され、他の病院へ出向いて当直を行わなくてもよくなりました。
それはそれでとてもいいシステムなのですが思わぬ弊害が出ました。研修医が徒弟制度の強い大学の医局に入局せず都市部の一般病院での研修を選ぶようになり、その結果、今まで一般病院へ医師を供給していた大学(特に地方の)が極端な人手不足となり、一般病院の医師を引き上げざるおえなくなったのです。
そして地方の一般病院は医師不足に拍車がかかり一気に壊滅的になりました。
C)女性医師の増加
日本では毎年引退する医師の数よりも医師免許を獲得する医師の数のほうが多く、医師免許を持っている人間の数は年々増加しているはずです。
しかしそれがそのまま医師数に加算されるわけではありません。
その原因のひとつは女性医師の増加です。
ここ数年で医学部に入学する女性の割合は50%近くになりました。
女性医師はまじめで勤勉な方が多く、大きな戦力となっています。しかしほとんどの女性は出産、育児という大きな問題を抱えているのです。
すなわち医師の数を論じるときには最初から女性医師が出産育児にかかわる期間を差し引いて考えなくてはなりません。
医師は現状では交代要員がほとんどいません。そのため妊娠した女性医師は大変な苦労とリスクを背負います。つわりでも休むことができず、吐きながら外来診察を続けなくてはならないこともあります。流産のリスクも高くなります。そして出産してからも子育てをしながら勤務できる職場は多くありません。
このような理由から妊娠出産を契機に退職してしまう女性医師もたくさんいるのです。
今後も女性医師の数はどんどん増えていくはずです。
行政の方は「医師の数は毎年増えている」と説明しますが、女性医師が安心して妊娠、出産、育児を行える体制を整えなくては働ける医師の数は決して増えません。
D)医療訴訟
勤務医が病院をやめるもう一つの大きな原因が医療訴訟です。
レベルの高い医療を行えば必然的に医療事故の確率が高くなります(一般の方は医療事故はすべて医療側に過失があると考えがちですが、医療事故には医療側に過失のある場合と過失がない場合があり、前者を特に「医療過誤」「医療ミス」と呼びます)。
もちろん医療過誤(医療ミス)が発生した場合は医療側は謝罪し、賠償を行うのは当然のことです。
しかし医療側が予期できない医療事故(避けようがない事故)も多数あります。そのような場合も患者側は医療側の責任を追及する傾向が高くなりました。
医療側と司法側の認識の違いもそれに拍車をかけています。近年では民事訴訟だけではなく刑事訴訟が多発しています。
医療側が病死だと考えるケースでも司法側は医療事故死と判断し、さらには「業務上過失致死の疑いあり」として医師を追及しています。
刑事訴訟は個人が犯罪を犯したかどうかを判断するのが目的です。消毒剤を点滴に混入したというような明らかな注意ミスや、故意に筋弛緩剤を注射したなどの犯罪行為と、結果が不確定な医療事故を同じ次元で論じることに根本的な問題があります。
私は医師に「刑事訴追を受けない特権」が必要だと言っているわけでは決してありません。
医師も故意に患者さんを傷つけたり、いい加減な診療をして悪い結果を起こせば当然刑事訴追を受けるべきです。しかし最近行われている医師に対する刑事訴追の一部は明らかにおかしいと思います。
2006年3月に福島県の産科医師が帝王切開時の出血による母体死亡に対して届出義務違反および業務上過失致死の疑いで逮捕され、起訴されました。患者さんや御家族の方には大変不幸な結果だと思いますが、この医療行為に関しては多くの産科専門医が過失ではないと判断しています(注:2008年無罪の判決が確定しています)。
これは決して「医者の間のかばいあい」と判断されるようなレベルではありません。ほとんどの専門医が過失ではないと認めている医療行為を行っても、結果が悪ければ必死にがんばってきた医師が逮捕されて犯罪者にされるならば誰が苦しい思いをしてそんな仕事を続けようと思うでしょうか?
「取締りを厳しくすれば事故は減るはずだから、医療事故に対しても厳しく取り締まるべきだ」そう考える人たちもいるかもしれません。
飲酒運転の取締りを厳しくすることによって飲酒運転事故が減りました。それはドライバーが飲酒運転により厳しい処罰を受けることを自覚して飲酒運転を自制するようになってきたからです。
では医療事故に対して警察が厳しく医師を取り締まることによって医療事故が減るでしょうか?
答えは多分Yesです。しかしそれは医師が医療事故を起こさないように気をつけて診療するようになるからではなく、医師が医療事故のリスクが高い医療を行わなくなるからです。
飲酒運転の取締りを厳しくすればドライバーは飲酒運転をしない傾向が高くなるのは、飲酒という行為と運転という行為を自分で切り離す意識が上がるからです。
しかし医師は医療行為を行うときに決して事故が起こってもいいと気楽な気持ちで行っているわけではありません。どんな悪徳な医師も思いやりのない医師も程度の差はあれ、医療事故は決して起こしたくないと思いながら診療しています。
ですから医療事故を起こした医師を片っ端から逮捕していっても行われた医療行為に対する事故の確率は減らないのです。
むしろ「過失が明らかではない医療事故」を起こした医師を逮捕していけば、ほとんどの医師はリスクの高い医療行為は行わなくなります。当然、分娩や手術や高度医療を行う医師は激減していきますからそれらの医療を受けるべき患者さんには大きなデメリットが生じます。
3)医療の崩壊に我々はどう対処すべきか
こんなわけで今後も病院勤務医は減り、日本の医療は崩壊していきます。それではどうしたらいいのでしょうか?
我々はこの医療崩壊を黙ってみているしかないのでしょうか?
残念ながら日本の医療崩壊はすでに止めることはできません。
しかし崩壊を最小限度に食い止め、医療を立て直していくことはできます。
我々の世代で医療崩壊を食い止めることは無理でも、我々の子供達がきちんとした医療を受けられるようにしていくことはできると思います。そしてそのためにはなるべく早く対応をしなくてはなりません。その対応は日本の国民が一人一人考えていかなくてはならないことなのです。
A)医療訴訟に対する対応
先にも書きましたが産科医や勤務医が仕事をやめる大きな原因が医療訴訟、特に最近の刑事訴訟の増加です。
一般の方は「警察が医師を起訴しても、公判で鑑定医や専門家の意見を聞いて有罪か無罪が決定されるわけだから、医師に自信があるならば問題はないだろう」と考えるかもしれません。しかし今の医療事故に対する刑事訴訟にはいくつかの問題があります。
(1)司法が医療行為を判断することの可否
普通の善良な医師は、犯罪行為や明らかなミスをした医師が逮捕されても気にしません。それは「自分ならばそんなばかなことはしない」と確信しているからです。「そんな悪徳な医師や能力の低い医師ははどんどん逮捕してくれ」と思っています。
しかし、自分もその場にいればその医師と同じ判断をしたかもしれない状況でその医師が刑事訴訟を受ければ愕然とします。明日は自分も刑事訴追を受けるかもしれないと思ったとき、今まで苦しいことをがんばってきた医師のモチベーションは一気に低下します。
「なぜ犯罪者にされるリスクを背負ってまで、つらい思いをして今の仕事を続けていかなくてはならないのか」と考えて産科医は廃業し、勤務医も病院勤務から離脱します。
犯罪を見つけ出そうという警察の行動に問題があるわけではありません。
警察は告発や告訴があれば捜査を開始する義務があります。それにより患者を故意に死亡させような犯罪行為や重大な過失を起こした医師に罪を償わせることは社会的にも理にかなったことです。
しかし医療行為そのものに対して今の日本の警察や検察が判断することには無理があると思います。
医療行為を判断するためには犯罪の専門知識ではなく、医療の専門知識を持った機関が必要なのです。
先にも書きましたが私は医療従事者に刑事訴訟を免責する特権が必要だと思っているわけではありません。
しかし医療行為に対する刑事訴訟は他のケースに比べて慎重に行うべきだと思います。なぜならば医療行為はその目的を達成するために多かれ少なかれ人の身体を故意に傷つけなくてはならないからです。
手術や出産はもちろん投薬や採血も人の身体を傷つける行為です。すなわち医師をはじめとした医療従事者はその職業を行う限り常に業務上過失傷害罪や業務上過失致死罪に問われる可能性があるわけで、この意味で交通事故の業務上過失とは明らかな違いがあります(ドライバーは目的を達成するために人の身体を傷つける必要はありません)。
ですから司法に従事する方々は医療事故に対してはその特殊性を十分考慮に入れて対応していただきたいと思うのです。
警察や検察、裁判官という職業もその目的を達成するためには人の財産を差し押さえたり身柄を拘束するなど人間の権利を侵害しなくてはなりません。もしも一審で有罪と判断された被告が控訴審で無罪と判断されたら一審の検察官や裁判官のかたは誤審をしていたことになります。そんな時に彼らの過失を追及して刑事罰を与えることが許されたら、もう検察官や裁判官を続けていくことはできないと思うのではないでしょうか?
そうなれば日本の治安は崩壊してしまいます。医療の世界も同じだと思います。
(2)マスコミの対応の問題点
もう一つ日本のマスコミの対応に問題があります。
先にも述べましたが医療事故には故意に行う「明らかな犯罪」と、医療側に過失のある「医療過誤(医療ミス)」、そして「誰の責任も問えない事故」があります。そして事故があれば医療側はすべて報告すべきです。
しかし医療事故を報告した時点でマスコミは非常に患者側に偏った報道をします。医療側に過失のない事故やそれが明らかになっていない段階で患者側を被害者と呼び、患者側の感情を前面に出して医療側を加害者扱いするのです。
ですから医療事故を報道された医療機関や関係者はこの時点で社会的、経済的制裁(患者が来なくなる)を受けてしまいます。
「医療側の事実隠蔽」が行われている理由の一つがここにあります。
医療側の過失が明らかになるまではマスコミの方が中立の立場で報道する、もしくは裁判の結果を待つまで報道しない体制になれば、医療側はもっともっと事故を公表できるはずなのです。
マスコミには事実を報道する自由と責任があります。しかし事故が発生した当初にマスコミが把握している事実は通常は全体の一部のはずです。それを正確に報道することは必要なことですが、事実の一部を自由に解釈して間違った全体像を伝えることは決してしてはならないことだと思います。
そして、医療事故に限らず今の日本のマスコミは小さなミスを犯した人間を徹底的に攻撃してあらゆるミスを追及して完膚なきまでに叩き潰すようなイメージがあります。中世の魔女狩りのような印象を持つのは私だけでしょうか?
マスコミには大きな力があります。著明なコメンテーターは総理大臣や大統領にも匹敵するほどの力を持っているでしょう。社会をよくすることも悪くすることもできるわけですからその表現にはきわめて慎重であるべきだと思います。
(3)司法解剖の現状
今の医療事故に対する刑事訴訟のもう一つの問題点は事故の再発予防に役立たないということです。
医療事故に巻き込まれた患者側も医療側も大きな願いは同じような事故の再発防止です。しかし刑事訴訟は個人の責任追及が目的です。警察が行った捜査や司法解剖の結果は、医療側はもちろん患者側にも公表されません。医療側はどこに問題があったのかわからず、再発防止の対策をとることもできないのです。
患者側が知りたいのは、どうしてこの事故が起こったかということですが、公判で問題にされるのは事故の原因ではなく医師をはじめとした医療側当事者の責任の有無だけなのです。
(4)医師の過剰反応
福島県の産婦人科医の逮捕と起訴に対してほとんどの医師が憤慨しています。今の時点で判決は出ていませんので詳しく議論することは避けますが、この事件に対する警察や検察の対応には学会レベルでも反論しており、私も明らかに問題があると思います(注:2008年無罪判決が確定しています)。
しかしこの事件以後、多くの医師は刑事訴訟に対して過剰に反応しているように思います。
福島の逮捕や起訴は異常だと思いますが、普通の刑事訴訟はまず警察が捜査を開始し、問題があれば検察に書類送検され、検察が有罪にできると判断すれば起訴します。それから公判が始まり最終的な判決が下るわけです。
ですから医師が法律的に有罪とされるのは有罪の判決を受けてからです。
しかし医師たちは「警察が業務上過失致死の疑いで捜査を開始した」と報道された時点で憤慨してモチベーションを下げています。業務上過失致死の疑いが少しでもあれば警察が捜査を開始するのは当然のことで、それが犯罪を見逃さないために不可欠のことです。
われわれ医師は「過失のない医師が法律的に有罪と判断される」までは過度に反応するべきではないと思います(もちろんマスコミの方が過剰な報道をしないことが条件ですが)。
B)勤務医不足と医療費削減に対する対応
もうひとつ大切なことは経済的問題です。
いい医療を受けるためにはそれなりのお金を払わなくてはなりません。みんながいい医療を受けたいと思っています。しかし今の日本国民が要求する医療を行うためには今の3倍の医療費と3倍の医療従事者が必要です。いつでも専門医の診療を受ける体制にするには医療従事者を雇う金が必要です。それだけの数の医療従事者を育てるにも費用がかかります。それを出さずに医療費を削減して、いい医療を行えというのはレストランで金を出さずに極上のステーキを食わせろということと同じです。
日本人の平均寿命は世界一で、医療レベルも群を抜いています。しかしGNP比率で見た医療費は先進諸国の中で日本が一番低いのです(アメリカの半分です)。
医療従事者である私が言うことではないのかもしれませんが、今までの日本の医療が医療従事者の献身的努力によって維持されてきたことを一般のかたがたにもっと知っていただきたいと思います。
医療費の無駄を省くこと、他の予算を医療費に回すことも考えるべきでしょう。しかし根本的に国民が「医療費を少々払っても、いい医療を受けたい」という意識がなければこの点は改善されません。国民一人一人がレジャーや娯楽に使うお金を年間1万円医療費に回せば1兆円の医療費が算出できます。
勤務医が足りないなら勤務医の給料を上げさえすればいいと考えるかもしれません。それもひとつの方法です。しかしほとんどの勤務医はお金がほしいとは思っていないのです。
彼らは別荘を建てたりクルーザーを買ったりすることを望んでいるのではなく、ごく普通のレベルの生活ができればいいと思っています。仕事をサボりたいとも思っていません。1週間のうち6日間、6時間の睡眠が取れて、月に1-2日の休暇があって家族と一緒に過ごせればいいと思っています。犯した罪を免除してほしいとも思っていません。彼らが欲しているのは自分の仕事に対する正当な評価です。結果が悪いからといって自分が回避できないことを責められる日本の医療の現状に絶望しているのです。
すなわち多くの勤務医は人間らしい生活が維持されて「不当な」訴訟を受けなければずっと社会に貢献していけるのです。私が知っているほとんどの勤務医は責任感が人一倍強い人たちです。つらい仕事をやめたいと思っても患者のため、同僚のため必死でがんばっています。しかしそんな人たちも疲労の末に今の現状に絶望し、将来にも希望を持てず勤務医を辞めていくのです。
C)日本の国民の専門医志向に対する対応
日本国民の専門医志向が病院勤務医の仕事を増やす結果になっています。
日本ではフリーアクセスと言って誰でも好きな医療機関を受診することができます。それはとてもいい制度なのですがそれが病院勤務医の負担を明らかに増大させています。
「診療所で診察を受ければ重大な病気が隠れていることを見逃されるのではないか?」
そんな不安が専門医志向となるのです。
これに関しては日本の医師会や厚生労働省にも大きな責任があります。各医療機関が出来ることとできないことをきちんと国民にわかるように開示すれば国民はもっと安心して診療所を受診することができるでしょう。
そういう制度が達成されれば入院医療は病院で、外来医療は診療所で行えればいいと思います。すなわちフリーアクセスの一部制限です。
病院の外来診察は重症患者や特殊な病気の患者を除いて受け入れをしなければ病院勤務医の負担は大きく減るでしょう。現在の初診料は病院も診療所も2700円です(そのうち1-3割が窓口負担)。
この制度を、たとえば大病院の初診料を自費にして10000円程度にすれば多くの患者さんはまず診療所にかかるでしょう。そして必要があれば診療所から病院に紹介してもらえばいいのです。
限られた医療資源の中では「最初から大きな病院にかかってきちんと検査をしてほしい」という国民の専門医志向を改めなくては勤務医の負担はへりません。
どうしてもそう考える患者さんはお金を払って病院へ行けばいいのです。
「それではお金持ちしか自分の希望する医療をうけられないではないか。医療は平等であるべきだ」と言う反論も出るでしょう。
しかし社会が保障するべきは「すべての人に普通の水準の医療を提供すること」であり、「すべての人に希望する医療を提供すること」ではないはずです。
この制度にすれば病院勤務医は外来診察が減ることによって負担が軽減され、診療所は患者が増え、さらに医療保険基金は負担が軽くなります。診療所を受診している限り患者の窓口負担も増えません。
D)医師の意識の改善が必要
日本の医療崩壊に対応するために一番大切な役割を担っているのはもちろん医師をはじめとした医療従事者です。
結論から言うと、医師はもっと謙虚になるべきです。ミスをしたときに「すみません」と素直に頭を下げ、大きなミスがあればもちろん賠償を行うべきです。それで患者さんの心は癒されます。訴訟も減るでしょう。
私を含め多くの医師にこの感覚が欠如しています。もしくは医療現場がその感覚を持つことを許さない環境にあります。
医療には小さいものも含めれば多くのミスがあります。それらを一つ一つ明らかにしてしっかり謝罪することが医療従事者にとってもっとも大切なことだと思います。
多分、多くの医師はもっともっと患者さんに誠実に対応したいと思っています。それが多忙など色々な理由でできないのが今の医療現場です。患者に誠実に対応できるだけの環境が整っていないのです。
しかし環境の問題だけではなく医師の側にも「過度のエリート意識」があります。
私を含めた医師の方へ・・・誠実に生きるのは多分難しいことではありません。変なプライドを捨ててほんの少しの不自由を我慢すれば達成できるのではないでしょうか?
日本の医療は今(2/3)に続く
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