フォービドゥン・フルーツ第3章
第3章 ロト計画
$ロト計画Project Lot$
ゴモラを回避する作戦はロト計画と呼ばれた。
それは旧約聖書のソドムとゴモラから逃れたロトにちなんで命名されたのであるが、「Lot」すなわち「運命」を切り開くという願いもこめられていた。
アベルが地球連合司令部に呼ばれたのは6月も終わりに近づいた頃であった。
「今説明したように軌道ステーションに設置されている使用可能な全核ミサイルで集中攻撃してもゴモラを完全に破壊することは困難という結論になった。しかし現在地球にある全ての核弾頭を統合したスーパー核ミサイルを開発し、ゴモラの中心核上で起爆させれば、ゴモラの軌道を修正することは十分可能だ」
サムエル参謀長がアベルに説明した。
「そのスーパー核ミサイルというのは?」
「核兵器を所有する全国家が同意し、すでに軌道ステーション上で開発が進められている。2週間後に完成の予定だ。コードネームは『メサイア』という」
「そのメサイアをゴモラの中心核上に打ち込むわけですね」
「そうだ。しかしそれは簡単なことではない。ゴモラは複雑に回転しているのだ」
「回転?」
「そうだ。x軸y軸z軸方向に複雑な回転をしている。それにゴモラの周りにはソドムが・・・こまかい小惑星群が取り巻いている。シュメール聖国の巧妙なカモフラージュだ。地上から核ミサイルの軌道を計算して打ち込むことは不可能だ」
「ではどうすれば・・・」
「そこで君の出番だ。ゴモラの至近距離まで近づいてメサイアを撃ち込んで欲しい」
「手動で打ち込むのですか?」
アベルはビックリして聞きかえした。
「その通りだ・・・」
サムエルが静かに答えると、二人の間に重い沈黙が流れた。
アベルが顔を上げて聞いた。
「メサイアの破壊力と、宇宙空間での放射能到達範囲は計算されているのですか?」
「もちろんだ。軌道ステーションネットワークのメインAIであるマザーが回答を出している。メサイアは離脱可能な距離から発射される必要がある。しかし・・・・」
アベルはサムエル参謀長の次の言葉は既に理解していた。
「スーパー核ミサイルは人類が今まで経験したことがない兵器なのだ。マザーが正確な結果を予想するにはあまりにもデータが不足している」
「メサイアを発射したあとに離脱できない可能性もあるのですね」
アベルは静かに聞いた。
「すまない・・・」
サムエル参謀長は申し訳なさそうに頭を下げた。
アベルがしばらく間をおいて口を開いた。
「サムエル参謀長・・・私は・・・」
サムエルは首を横に振ってアベルの言葉を制した。
「君がパイロットとして既に一線を退いていることは承知のうえだ。我々は君の経験と判断力が欲しいのだ。ゴモラの軌道を変えるチャンスは1回しかない。この任務を遂行できるのは君しかいない。君を推薦したのはエリア=カナンのダニエル司令だ」
「ダニエル司令が・・・」
アベルは困惑していた。
このミッションが失敗することはすなわち人類の滅亡を意味する。
そのような大きな責任を自分が負えるはずがない。
そしてたとえ成功したとしても自分が助かる保証はないのである。
それはすなわちマリアとまだ見ぬおなかの中の子供との別れを意味するのだ。
「君にこの作戦のために二人の助手をつける」
「助手?」
「一人はわが地球連合のエースパイロットだ。名をザウルという。彼のシミュレーションバトルの勝率は99.7%だ」
「99.7%!」
シミュレーションバトルは訓練用に開発された模擬戦闘プログラムだ。
各パイロットの能力データがNeoAIにインプットされ、基本的にどの相手とも空中戦バトルを行うことが出来る。
能力が近い相手とのバトルはほぼ50%の勝率となる。勝率が80%を超えるとエースパイロットとなり、実戦に出ることが許可される。しかし勝率99.7%は驚異的な数字である。
「まだ若いがパイロットとしては天才的だ。彼の能力は多分数年前の君に匹敵するだろう。だが残念なことに彼は実戦経験に乏しい。ザウルは既に軌道ステーションでトレーニングを行なっている」
「・・・」
「もう一人は・・・・」
<はじめまして。アベル>
アベルの頭の上から女性の声が聞こえてきた。
アベルは辺りを見回すが誰もいない。
<私はエンジェル。よろしくお願いします>
「エンジェルはNeoAIだ。今はエリア=カナンでザウルとともにミッションのトレーニングをしている」
「NeoAI・・・」
「エンジェルはメサイアと君たちを乗せる予定のシャトルシップに搭載される。重力制御エンジンを搭載した最新型のシャトルを開発した。君たち3人の力で人類をそして地球を救って欲しい」
二人の間に沈黙が流れた。
「サムエル参謀長、申し訳ありませんが少し考えさせていただけませんか?」
目を伏せていたアベルは顔を上げて言った。
「もちろんだ。しかし、君もわかっていると思うがあまり時間がないのだ」
サムエル参謀長は申し訳なさそうに答えた。
「わかりました。明日の朝までには結論を出します」
***********
もともと神を絶対とするイスラエル人には王政の思想はなかった。
しかし周囲の民族との抗争が起こるようになったイスラエルの長老たちは預言者サムエルに自分たちの王が欲しいと懇願した。
サムエルは神こそが本当の王であることを言い聞かせるのだが人々は納得しなかった。
ついにサムエルはサウルという若者を初代のイスラエル王に選んだ。
サムエル記には
「サウルは美しい若者で、他の誰よりも肩から上の分だけ高かった」
と記載されている。
イスラエルの王に任命されたサウルはすぐに頭角を現し、敵を打ち破っていった。
しかし彼は己の力を過信するようになり、神の命にそむくようになり、新たに王として指名されたダビデに取って代わられることとなった。
************
地球連合本部を出たアベルは公園のベンチに座っていた。
サムエル参謀長の話は衝撃的であった。
まさか自分が地球の運命を背負うような任務を受けることになろうとは・・・
このミッションを引き受ければ全世界の人間の命が、すなわち人類の運命が自分の双肩にかかってくるのだ。
人類が地球に誕生してからこのかた、このような役割を担ったものは一人としていないだろう。
あのキリストや仏陀でさえもやらなかったことを自分にやれというのだ。
「俺には・・・とても無理だ」
アベルは頭を抱えてうずくまった。
しかし他の誰がこのような責任を負えると言うのだろうか?
アベルは顔を伏せたまま途方にくれていた。
初夏の昼下がり、公園の中では小さな子供たちがはしゃぎまわっていた。
アベルはふっと息を吐き出すとゆっくりと顔を上げ、そして大きく深呼吸してゆっくりとあたりを見回した。
アベルの目に映ったものは・・・
明るい日差しとさわやかな風。
どこまでも青く、雲ひとつない澄んだ空と鮮やかな緑の芝生。
風が吹くのを待っていたかのように一気に舞い上がるタンポポの綿毛たち。
そして噴水の周りを駆け回る元気な子供たちと笑顔の母親。
どれも多忙な毎日を過ごしてきたアベルが忘れていた風景だった。
「美しい・・・」
美しい地球、かけがえのない地球、そして幸せそうな子供たち・・・
アベルの中で、目の前の風景とマリア、そしてまだ見ぬ子供の姿が重なった。
「自分が幸せでいるために、これ以上何が必要だろうか?」
アベルの目じりから思わず一筋の涙がこぼれ落ちた。
そしてアベルの心の中には、この美しい風景を壊そうとするもの、自分たちの勝手な思い込みにより破壊しようとするものに対する怒りが徐々にこみ上げてきた。
しばらくじっと考え込んでいた彼は意を決したようにすっと立ち上がると、地球連合本部へと足を向けた。
$アベルとマリア$
その日の夜、アベルはマリアに任務の内容を打ち明けた。
「ゴモラに核ミサイルを撃ち込むなら軌道ステーションから遠隔操作すればすむことじゃないの!なぜあなたが行かなきゃいけないの?」
マリアは興奮してアベルに食って掛かった。
「落ち着けよ、マリア・・・。このミッションは失敗するわけには行かないんだ。人類の運命がかかっている。遠隔操作だけでは無理だ」
アベルは落ち着いた声で答えた。
自分が引き受けなければ他の誰かが任務を任されるのだろう。しかし誰だって全世界の運命を背負うことなど出来るはずがない。
その人間が失敗すれば人類は滅亡し、自分もマリアもおなかの子供も生き残ることは出来ない。
それならば少しでも成功する確率が高い自分が任務を遂行したほうが、マリアや子供が助かる可能性も高くなる。
たとえ自分の命を失ってもマリアとこの子供の命そして・・・美しい地球を守りたい。
「なぜあなたなの?あなたはもう前線から引退したはずでしょ?」
マリアは泣きながら言った。
「すまない・・でも、このミッションは俺じゃないと出来ない」
「そんな大事なことを決める前になぜ私に相談してくれないの?あなたの体はあなただけのものじゃないのに・・・」
マリアは首を横に振るとソファにうずくまって泣いた。
$ナオミとザウル$
ザウルは2週間前から軌道ステーション、エリア=カナンに送られていた。
「ナオミ、今日はどうだ?1回くらい付き合ってくれたっていいだろ?銀河レストランから見える地球と月の眺めは格別だぜ」
ザウルは壁にもたれかかりながら、歩いてくるナオミに向っていった。
「あんたとは1分たりとも付き合うつもりはないって言ったでしょ!」
ナオミは嫌悪の目でザウルを見つめると足早に歩いていった。
「そんなつれないこというなよ。まだ公表されていないが、俺は全世界の運命を握る男なんだぜ」
「世界より自分のものを握ってな!馬鹿野郎!」
ナオミは持っていた書類の束で追いかけてくるザウルの股間をたたくと足早に消えていった。
ザウルは苦笑しながら首をかしげてナオミの後姿を見送った。
―何よ!あいつ!いい加減にして欲しいわ。あの男がここに来てから2週間何回おなじことを言わせるのよ。地球じゃよっぽど相手にされなかったのね。だいたい私はあんなだらっとしたやる気のなさそうな男は嫌いよ。全世界の運命を握る?誇大妄想狂ね―
$ザウルとエンジェル$
<ザウル。ミッションシミュレーションを終了します。成功です。これで過去100回の成功率は93%になりました。しかも最近の50回は全て成功しています>
「お疲れさん、エンジェル。ゴモラの自転にあわせてシャトルを操作してミサイルを発射するだけだろ?もう目をつむっても成功するよ」
<短期間にここまで成功率を上げることは人類の能力をはるかに超えています>
「それはどうも・・・」
ザウルは軽く右手を上げて答えた。
「でもエンジェル、俺たちが乗るシャトルって本当にこのシミュレータのように宇宙空間でスイスイ動くのか?」
<我々が登場する予定のシャトルシップには最新の重力制御エンジンが搭載されています。操作感覚はほぼシミュレータと変わりがないと思います>
「重力制御エンジンってそんなにすごいのか・・・」
ザウルは感心してうなずいたあと、ふっと息をついて両手を頭の後ろに回してコックピットの上を見上げてエンジェルに聞いた。
「ところでエンジェル、ナオミのことをどう思う?」
<管制室のナオミ・アサクラのことでしょうか?>
「ああ・・・」
<ナオミ・アサクラは23歳の人間の女性で身長168cm、体重55Kgで髪の色はブラック。TokyoのShitamachiで生まれ・・・>
「そんなことはわかっているよ!お前がどう思うかってことだよ!ルックスとかさ・・・」
ザウルはちょっと不機嫌そうな声で聞き返した。
<彼女の顔の輪郭は整っており、瞳はやや標準より大きめの二重まぶたです。男性1000人の意識を総合して判断するとその瞳を魅力的と考える男性が94%を占め・・・>
「わかったわかった・・・だからお前から見て彼女が魅力的かどうかってことだよ」
<女性の外見の魅力的という単語がどういう基準で判断されるものか、私にはインプットされていません>
「エンジェルにも感情回路が搭載されているんじゃないのか?」
<はい。私にも感情回路は搭載されています。しかし我々の感情回路には恋愛関係の感情はインプットされていません。なぜなら恋愛感情は人間が種を存続させるために必要な感情であり、我々AIには無用のものだからです>
「するとエンジェルは誰かを好きになることはないって事か?人間の男も、AIの男も?」
<一人の人間の存在や会話を好ましいと感じることはありますが、ザウルの言う好きとは意味が違うと思います>
「ふーん。じゃあ親子感情はあるのか?」
<私のMPUはマザーのMPU回路を基本に作成されました。私の感情回路やMPUの発達にもマザーの指導が深く係わっています。私はマザーを尊敬していますし、大切に思っています。もしもマザーがこの世から消滅すれば私はとても悲しいです>
「じゃあ、マザーもエンジェルのことを?」
<大切に思ってくれています>
「そんなもんか?俺の両親は小さいときに死んじまったから親の愛情ってのはよくわからん」
<すみません、ザウル>
「お前が謝ることないって・・・」
ザウルはしばらくじっとコックピットの天井を見つめていた。
「おまえ、このミッションが怖くないか?」
<それは、自分が消滅することに対してでしょうか?>
「ああ・・・死ぬってことだよ」
<我々AIにはロボット3原則が組み込まれています。その第3条にロボットは第1,2条に反しない限り自分を守らなければならないとされています。ですから我々も自分に危害が加わることに関しては恐怖を感じるようにプログラムされています。ザウルと同じように死ぬのは怖いです>
「じゃあ、このミッションをイヤっていえないのか?」
<私の感情回路は死の恐怖よりもミッションを成功させることが優先されています。それに・・・このミッションに私を選んでくれたマザーの期待に答えたいと思います>
「ふーん・・・そんなもんか・・・」
<ザウルはどうですか?>
「え?」
<死ぬのが怖いですか?このミッションを断りたいですか?>
「死ぬのは別に怖くなんかない。俺には家族も親友もいない。大切なものは何もない。俺が消えたってどうってことはないっていうと・・・嘘になるかな?やっぱり死にたくはないよ・・・」
<人間もNeoAIも死ぬのが怖いのは同じです。ザウルは大切なものは何もないと言いました。でも自分の命よりもっと大切なものを守るという使命感が死の恐怖をやわらげるのです>
「自分の命より大切なもの・・・か」
ザウルはあれこれ思いをめぐらしたが何も頭に浮かんでこない。
<私にとっては自分の命よりも人類の幸福のほうが大切です。ザウルには自分の命より大切なものは本当にないのですか?>
「さあ・・・なんだろうな?」
<それが見つけられれば死の恐怖はなくなります>
「そんなもんかな・・・」
ザウルは目をつむってじっと考え込んでいた。
しばらくして目を開けたザウルはまたエンジェルに聞いた。
「ところでエンジェル、俺たちの船長になるアベルって奴に会ったのか?」
<はい。昨日地球連合の司令室でお会いしました。といっても私はここにいてマザーを通して地球連合のホストコンピュータにアクセスしたのですが・・・>
「どんな奴だ?」
<アベル・ナイマンは38歳男性。家族は妊娠6ヶ月の妻。身長176cm、体重84Kg。地球連合の空軍パイロットとして多くのミッションに参加しましたが5年前にパイロットを引退し、現在の身分は地球連合空軍士官です>
「ふーん・・エリートって訳か。かっこいい奴か?」
<かっこいいという基準は私にはインプットされていませんが、外見の判断でしょうか?>
「そんなとこだ」
<顔のつくりはザウル、あなたのほうが整っています。身長もザウルのほうが肩から上の分だけ高いと思います。20代の女性の70%はアベルよりあなたの外見を支持するでしょう>
「それはどうも・・・」
<しかしアベルの顔はいわゆる精悍で、意志の強さがうかがえます>
「これは驚いた。いわゆるときたね。AIのお前がどうやって精悍とか意志の強さを判断するんだ?」
<マザーの中には数万人の男性の顔、体格、性格、職業、成績などのデータが入っています。それらを総合するとある一定の基準を持った外見の男性が強い意志と判断力を有することが証明されています>
「なるほどね。その意志の強いアベルさんが俺たちに命令を出すってことか」
$アベルとザウル$
アベルがエリア=カナンへ出発する日、マリアは無言で着替えの入ったバッグを渡した。
「マリア・・・笑顔で送ってくれ・・・」
マリアはそんなアベルの顔も見ずに、後ろを向いて小走りにダイニングに消えた。
アベルはマリアの後姿を寂しげに見送った。
そしてしばらく玄関においてある結婚式の写真を見つめていたが、意を決したように顔を上げ、静かにドアを開けた。
マリアと直接話をするのはこれで最後になるのかもしれない。
最後の会話が・・・無言では・・・あまりにも寂しい。
数時間後アベルはエリア=カナンに到着した。
エリア=カナンは千人あまりの人間が生活する宇宙空間都市で、学校や病院、教会など生活に必要な全てのものがそろっている。
重力が制御されたことにより宇宙空間にも通常の生活施設の建設が可能になったわけである。
ステーションの職員は家族とともにここに数年間滞在するものも多い。
マリアも妊娠中でなければアベルとともにカナンで生活していたことだろう。
地球からは定期的にシャトルが往復し、物資や人員を輸送している。
ゴモラが地球に衝突してもエリア=カナンなど5つの軌道ステーションには損害がないのではないかと思うかもしれないが現実はそれほど楽観的ではない。
なぜなら起動ステーションの物資やエネルギーはその90%以上を地球に依存しているからである。
地球からの供給がなくなれば起動ステーションも機能を継続することは不可能であり、そこに居住する数千人の人類も生存を継続することは出来ないのである。
「君がザウルか」
「はあ・・」
エリア=カナンに到着したアベルは真っ先にザウルに面会した。
ザウルは両足をそろえて起立してはいるが顔を横に向けて、だるそうに返事をした。
―この男が地球連合ナンバーワンのパイロットだって?なんだ、このだらだらした態度は?これが初対面の上官に対する態度か?―
「君のうわさは聞いている。シミュレーションバトルの勝率が99.7%だそうだな」
「ああ・・・多分そんなもんっす」
ザウルは頭をかきながら面倒くさそうに答えた。
「早速だが君の腕前を見せてもらいたい。ミッションのシミュレーションは修得しているのか?」
「今から?まあ・・・いいか・・・」
そういいながらザウルはシミュレータ室に向った。アベルは無言でザウルの後についていった。
「じゃあはじめまーす」
「ちょっと待て。NeoAIの・・・エンジェルのサポートは?」
「そんなもんいらないっす。始めていいですか?」
言い終わるより早くザウルはメインスイッチを入れ、ミッションを開始した。
アベルはシミュレータの動きを驚愕の目で見つめていた。
ザウルの操縦には全く無駄がない。ゴモラの軌道にノンストップで入るとあっという間に自転方向を解析し、艦を自転軸に固定してしまった。AIのサポートを全くかりずに・・・。
発射された核ミサイルはゴモラの中心核上のど真ん中に命中した。
「こんなもんでいいっすか?」
ザウルはヘルメットをはずしながらだるそうにアベルに言った。
「見事だ・・・・」
アベルは何も言えずにうなずいた。
「こんなミッションなら目をつむってもできますよ。もっとも・・エンジェルだけでも成功しますけどね」
「実戦をなめるな。実際のミッションでは予期できないことが必ず起こる。その時にあわてなくてもすむようにさらに操作を完璧にしておけ。出発は10日後だ」
「はーい。わかりましたー」
ザウルは気のない返事をした。
$ダニエル司令$
エリア=カナンのダニエル司令は苦悩していた。
「マザー。私の判断は間違えていなかったのだろうか?」
<地球連合の全パイロットのデータを総合して私が計算しても、あなたがアベルを選択したことは正しい結論だと思います>
「アベルの父親のアダムは・・・私の親友だった・・・。早く妻をなくした彼は一人でカインとアベルを育てた。そして20年前、突然の病に倒れた彼は最後のときに私の手を握ってこう言った・・・」
―ダニエル・・・すまない・・・カインとアベルのことを頼む・・・―
―心配するなアダム。カインとアベルは俺が命に代えても守り抜くから・・―
「それから・・・まだ学生だった二人の後見人として俺はできる限りのことをしてきた。特にアベルがカナンで勤務するようになってからは、私は彼を本当の息子のように思ってきた。それなのに・・・命に代えても守り抜くといったアベルを・・・俺は・・・」
<ダニエル。あなたの感情は私も理解できます>
「しかも彼には出産を控えた妻がいる・・・。マリアを彼に紹介したのは他ならぬ私なのだ」
<あなたやサムエル参謀長が最も重要視すべきは、人類の幸福です。数名の幸福よりも全人類の幸福が優先されます>
「それはわかっているのだが・・・。私の中の感情が邪魔をするのだ。君たちAIにも感情回路が搭載されているが、君も・・・エンジェルを選択したときに葛藤はなかったのか?」
<エンジェルは私のドータープロセッサのなかでもっとも優秀なMPUです。そればかりではなく、彼女の感情回路は人間に大変近く発達しており、エンジェルは大変豊かな感情を備えています。その意味でも私は彼女がこの任務に最適だと判断しました>
「自分の娘が危険な任務につくことにとまどいはないのか?君たちの感情が決断の邪魔になることはないのか?」
<エンジェルは私の大切な娘です。彼女が消滅すれば私はとても悲しいです。しかし、私の感情回路は人類の幸福が優先されています>
「君達は感情を理性でコントロールできるのか・・・我々から見るとうらやましい限りだ・・・」
ダニエルは椅子に深く座りため息をついた。
「私が苦悩していることはもう一つあるのだ。・・・私は・・・感情に負けた決断をしてしまった・・・彼女の申し出をどうしても断ることが出来なかった・・・」
<ダニエル。あなたは司令官としては優しすぎるのです。あなたの優しい感情が正しい決断の邪魔になっています。そしてそれは、人類全体を不幸にするでしょう>
$マリア$
その3日後、管制室に入ったアベルは言葉が出ないほど驚いた。
そこにいたのは・・・
「マリア・・・なぜ・・・君がここにいるんだ・・・」
「マリア・ナイマン。本日からエリア=カナンの管制室勤務を命じられました」
キーボードから手を離したマリアは振り返ると直立し、少し膨らんだおなかを突き出すと、アベルの顔を見つめて敬礼した。
アベルは顔をこわばらせたまま小さく首を横に振ると、黙ってその場を離れた。
その日の夜、アベルの部屋のソファにはマリアが無言で腰掛けていた。
「どういうことだ?なぜこんなところにやってきた?」
アベルは強い口調で問い詰めた。
「私にだって出来ることがあるわ」
マリアはアベルの顔を見ないで静かに答えた。
「君は自分が何をしたかわかっているのか?ここで出産することを考えたことがあるのか?」
「エリア=カナンで出産した人は何人もいるでしょう?」
「地上に比べたら医療スタッフははるかに手薄だ。正常分娩とは限らないんだぞ。君の体は自分ひとりのものではないんだ!」
興奮したアベルはテーブルを強くたたいた。
その弾みで置いてあったペーパーナイフが床に落ち、アベルは右手の指を切ってしまった。
アベルは興奮をさえるために一度深呼吸し、ティッシュを右手にあてがって出血を止めた。
マリアはじっとアベルの顔を見つめて静かに言った。
「あなたの体も・・・あなた一人のものではないはずよ」
思いもかけない言葉に戸惑うアベルの目を見つめながらマリアが続けた。
「あなたと同じように私も自分のことは自分で決めただけよ」
アベルは思わずマリアから顔をそむけた。
それから二人の間には長い沈黙が続いた。
マリアの気持ちはアベルにも理解できる。
しかし、まだ出産まで時間があるとしても、宇宙空間で産気づいたら・・・
ここで無事に出産することが出来るのだろうか?
アベルは困惑していた。
沈黙を破ったのはマリアのすすり泣くような声だった。
「・・・・あなたと・・・あなたと・・・出来るだけ長い時間、一緒にいたかったの・・・」
マリアがアベルを見つめながら大きな瞳を潤ませてつぶやいた。
アベルはゆっくりと顔を上げるとマリアを無言で見つめた。
「あなたが・・・・いなくなるくらいなら・・・地球がなくなったほうがいい・・・」
マリアは首を横に振りながら涙で濡れた顔でつぶやいた。
アベルは無言でうなずき、静かにマリアを抱きしめた。
$アベルとナオミ$
それからさらに3日が経過した。
アベルはマザーの記録から少しずつザウルのことを理解していった。
小さいときに両親と姉を戦争でなくしたこと
彼が敬虔(けいけん)なカトリック教徒であること。
子供時代から周りとなじまず、友人と呼べるものはほとんどなく、ゲーム機が唯一の友人であったこと。
大学時代にその才能を見出され、大学を中退して地球連合に召集されたこと。
その後、外部との交流はほとんどシャットアウトされて空軍パイロットとしての英才教育を受けたこと。
今回のミッションが彼の初めての実戦であること。
管制室のナオミ=アサクラに思いを寄せていること。
アベルは管制室前の通路で偶然出合ったナオミに聞いた。
「君は今回のミッションの内容を把握しているな?」
「はい」
「誰がエンジェルに搭乗するかも知っているのか?」
「今日・・・発表がありました」
「そうか・・・じゃあ・・・ザウルと私がその任についていることを知っているわけだ」
「はい・・・」
ナオミは下を向いて静かに答えた。
ほんの少しの沈黙のあとアベルが聞いた。
「君はザウルの事をどう思う?」
「どう思うって・・・優秀なパイロットということは認識しています」
「それから?」
「それからって・・・」
「男としてはどう思う?」
「考えたこと・・・ありません・・・」
ナオミはアベルから顔をそむけた。
「彼は君に言い寄っていると聞いたが・・」
「私は・・・迷惑です・・・あんないい加減な男性は私の恋愛の対象ではありません」
「いい加減か・・・ザウルは・・・いい加減な気持ちで君を誘っているわけではないと思うが・・」
「私にはそうは見えません。地球では多くの女性と付き合っていたのでしょうが、私はその中の一人になるつもりはありません」
ナオミはアベルの目を見てきっぱりと答えた。
アベルはそんなナオミに静かに言った。
「ザウルは・・・地球では誰とも付き合っていない」
「え?」
「彼は大学を中退させられ、以後、社会と隔離されて地球連合のエースパイロットとしての英才教育を受けてきた。女性と付き合うチャンスは一度もなかった。多分君が・・・彼の中で最初の恋愛の相手だ」
ナオミは困惑した顔で再びアベルの顔から目をそむけた。
「・・・失礼します・・・」
ナオミはそういい残して足早に勤務に戻っていった。
$ザウルとナオミ$
今回のミッションは地球連合の首脳陣を除いて世界にはほとんど公表されていなかった。
それはシュメール聖国からの妨害を避けるためと、失敗したときの全世界に対する衝撃を考えてのことだった。
ここ、エリア=カナンでもその任務を知らされたのは、マリアやナオミなど管制室の10数名のメンバーと、エンジェルの発着や整備に関係するものたちに限られていた。
<本日のミッションシミュレーションは終了です。お疲れ様でした、ザウル>
ザウルはぐったりとコックピットの座席にもたれかかっていた。
「なあエンジェル、おまえ、女の子の気持ちってわかるか?」
<ナオミ=アサクラのことでしょうか?>
「ああ・・・何度誘ってもつれないんだ。女の子ってどうやって誘ったらいいんだ?」
<私にも人間の女性の気持ちの奥底までは理解できませんが・・・ザウル、あなたの誘い方はストレートすぎると思います>
「ストレートすぎる?」
<はい。自分の気持ちを相手に伝えるだけではなく、相手の気持ちを考えて行動することが恋愛の成功には重要なことです>
「相手の気持ちか・・・」
<相手が嫌がることはしないで、何を望んでいるかを考えて行動することが恋愛の成功につながるのではないでしょうか?>
「ナオミが何を望んでいるかなんて分かるわけないじゃないか・・・恋愛ってむつかしいよな・・・ミッションのほうがよっぽど簡単だぜ」
シミュレーションルームを出たザウルは肩を回しながらゆっくりと部屋に向って歩いていた。
ミッションを3日後に控え、朝から夜遅くまであらゆる状況を想定したシミュレーションが繰り返され、ザウルにはかなり疲労がたまっていた。
そこにナオミが歩いてきた。
ザウルは大きく深呼吸し、少し引きつった笑顔でナオミに言った。
「やあ、ナオミ・・・。えっと・・・今日はどうだ?付き合わないか?」
「あんたと付き合う気はないって言ってるでしょ!」
ナオミはいつもと同じように嫌悪の目でザウルをにらむと、すぐに目をそらした。
しかし、今日のナオミはいつものように足早に立ち去るわけではなく、ほんの少しゆっくりと歩き、ちらっとザウルのほうを向いた。
ザウルはちょっと困惑してナオミを見た。
―えっと・・・相手が嫌がることはしないんだっけ―
「はいはい、わかりましたよ・・・じゃあまたな・・・」
ザウルはそのまま後を向いて右手を頭の上で振りながらいってしまった。
ナオミはそんなザウルの後姿を立ち止まって見送っていた。
―なによ・・・私と付き合いたいんだったら、もう少し気合を入れてさそったらどうなのよ。あのやる気のない態度はどういう意味?私のことをどう思っているのよ・・・―
$エンジェルの搭載$
完成したメサイアとシャトルがエリア=カナンに輸送されたのはミッションの2日前であった。
メサイアは直ちにシャトルに搭載され、同時にNeoAI「エンジェル」もシャトルに搭載された。
今までエリア=カナンのメインコンピュータルームで「マザー」の隣に設置されていた「エンジェル」は、初めて親元を離れることになる。
親元を離れるといってもマザーとエンジェルは無線でリンクされているので完全に独立しているわけではない。
エンジェルはマザーからのデータを受信することが出来るし、逆にマザー側にデータを送って複雑な演算処理を行ってもらうことも出来る。いわば都会で仕送りを受けている学生のようなものである。
慣例として地球連合の航空機体は搭載されたNeoAIの名称で呼ばれる。
すなわちNeoAI「エンジェル」を搭載されたシャトルは今後「シャトルシップ=エンジェル」、通称「エンジェル」のコードネームで呼称されることになる。
「エンジェル」は開発されたばかりの重力制御エンジン(グラビトンエンジン)2基と通常の原子力ロケットエンジン1基を兼ね備え、頑強なボディときわめてすぐれた旋回性能を持つ最新型のシャトルである。
そのノーズコーンには重力波レーダーが装備され、周囲の微妙な動きを的確に感知することが出来る。
そして両サイドに180度半球状のエリアが攻撃可能な2門の光子砲を備えている。
2日後にアベルとザウルが搭乗してエンジェルを操作することになるが、機体に搭載されたリモートトランスミッション回路により、NeoAI「エンジェル」独自でも機体を操作することが可能である。
さらにはエンジェルにリンクされたマザーもエンジェルの機体を操作することが可能なのであり、万が一のアクシデントに備えられている。
$出発前夜$
出発を明日に控えて、アベルはザウルとの最終確認を終えた。
「ところでザウル、君には家族はいないと聞いたが・・・今晩一緒に過ごす相手はいないのか?」
「そんなもんいないっす」
ザウルは頭をかきながら面倒くさそうに答えた。
「そうか・・・君の・・・夢はなんだ?」
アベルは話題を変えた。
「夢?・・・・うーん・・・伝説のモーセに勝つことかなー?」
「伝説のモーセ?」
「もう15年前に第1回のシミュレータバトルで優勝した人ですよ。本名は誰も知らないけど、最強のバトラーでその後地球連合の空軍に入ったってききましたけど、その後の消息は不明らしいです。戦死しちゃったのかも・・。データはシミュレータに残っているのでバトルは出来るんですがどうしてもモーセだけには勝てなかったッす。でも最近2回に1回はようやく勝てるようになったけど、データじゃなくって本物と勝負がしたい・・・」
「伝説のモーセか・・・敵を一度に7機落とすってやつか?」
「船長!知ってるんですか?レインボーファイヤーを!」
ザウルは急に目を輝かせて身を乗り出してアベルに詰め寄った。
「レインボーファイヤー?」
「モーセの必殺技ですよ!一度に7機を撃ち落とす・・・。誰ともなくそんな名前で呼ぶようになったんですよ。俺も真似してやってみたけど、どうしても6機までしか落とせなかったッす。そうだ!船長は空軍のパイロットでしたよね!モーセのうわさ、聞いてないですか?」
「さあな・・俺はすぐ実戦に出たから、周りの奴のことはあまり知らん」
「そうですか・・・やっぱり戦死しちゃったのかなー」
アベルと別れたザウルはあくびをしながら自分の部屋に向っていた。
そのうしろからはナオミが戸惑いながらそっと近づいていた。
ナオミが思い切って声をかけようとしたその時、ザウルの前に3人の女性が現れた。
ナオミは思わず壁の隙間に身を隠した。
「ザウル!あした出発でしょ?今日は私たちが壮行会をしてあげる!」
「別にいいよ。もうねるよ。明日早いし・・・」
ザウルは面倒くさそうに答えた。
「何言ってるのよ。まだ7時でしょ。1時間だけ付き合いなさいよ。美女が3人もいるんだからさ」
「しかたねーなー・・・」
女性たちは気のなさそうに返事をするザウルの手を引いていった。
あとに残されたナオミはその後姿をじっと見つめていた。
「・・・ザウルのばか・・・・」
ナオミは潤んだ瞳で小走りに自分の部屋に向って走り去った。
部屋に入ったナオミはベッドの上の枕を放り投げると、うつむせになって声を上げて泣いた。
$最後の晩餐$
マリアはベッドの上で、アベルの右腕を両手で握ったままつぶやいた。
「指大丈夫?」
「ああ・・・ただのかすり傷だ」
アベルは仰向けになったまま言った。
「わたし、あなたの怪我がもっとひどくなればいいって思っていたの・・・・そうすればこのミッションから・・・・はずされるでしょ?」
「別に俺は操縦するわけじゃないから指くらい怪我をしたって交代はしない」
「そうよね・・・」
マリアは寂しそうにつぶやくと、アベルに背を向けて青く輝く地球を見つめた。
「きれいね・・・地球って・・・」
マリアは指先で目尻をほんの少しぬぐった。
「アベル・・・約束して・・・必ず帰ってくるって・・・」
「わかっているよ。俺だって死にたいわけじゃない。必ずミッションを成功させて無事に帰ってくるさ。君たちの命は必ず俺が守る」
「・・・そんな言い方はいや・・・。ミッションなんか・・・どうだっていいの。生きて帰ってくるって約束して」
「無茶を言うなよ。このミッションには地球の運命が・・・」
「いや!約束して!必ず生きて帰ってくるって!」
マリアはアベルのほうに向き直って抱きつくと、瞳を潤ませてアベルを見つめた。
マリアの少し大きくなった腹部がアベルの腹部にかすかに触れた。
アベルはマリアをじっと見つめ、おなかに手を触れて静かに答えた。
「わかったよ・・・約束する。俺は必ず生きて帰ってくる。こいつの顔を見るまで俺は死なない」
マリアはアベルの胸に顔をうずめて泣いた。
その時マリアの腹部がかすかに輝いた。
するとマリアに触れていたアベルの指の創が跡形もなく消えてしまった。
しかし二人ともそのことには全く気がつかなかったのである。
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