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2010年12月17日 (金)

メディカルゲーム(第1章第一ステージ前半)(1/4)

【第1章 第一ステージ前半】

《検査官:小田切雅也》

10分の時間はあっという間に過ぎ、冴野涼と黒服たちが再び入場すると会場は再びシーンと静まり返った。

「ただいまより第一ステージを開始します。教官を紹介いたします」

するとステージに向かって左側の床が開き、下からテーブルがゆっくりと上がってきた。

そこには紺色のスーツにネクタイ姿の40代後半と思われる一人の男が座っていた。

「小田切!」

その男の顔を見た瞬間、龍二は思わず小声で叫んだ。

「ご存知なんですか?」

千夏が怪訝そうな顔で聞いた。

龍二はその問いかけには答えず、小田切と呼んだ男を鋭い目つきでじっと見つめていた。

「おはようございます」

その男は脂ぎった顔でマイクに向かって少々しゃがれた低い声で挨拶をしたが、誰も挨拶を返すものはいない。

「私は第一ステージの検査官を勤める小田切雅也です」

男が小田切と名乗った瞬間、会場がざわめきだした。

「小田切雅也って・・・城北共済病院の総合診療部の部長の・・・あ・・・伊達先生の上司じゃないですか・・」

「元上司だ。あいつも今は退職しちまったがな・・」

「え?小田切先生もやめられたんですか?どうして・・・」

「・・・・」

小田切雅也は日本の救急医療の最先端を担う城北共済病院総合診療部に長年勤め、多くの講演を行い、数々の著書やテレビ出演歴があり、総合診療に携わった医師の中では知らぬものはない。

「第一ステージは口頭試問です。提示された症例に対して私が質問をし、先生方に答えていただきます。お断りしておきますが、正しい診断に到達したかどうかはさほど重要なことではありません。その患者に対してどう考え、どのようにアプローチするかを評価します」

「診断が間違えていてもいいのですか?」

会場の一人が手を挙げて聞いた。

「間違えてもいいわけではありません。『正しい診断に到達できなくてもいい』と申し上げたのです」

小田切は不敵な微笑みを浮かべながら答えた。

「皆さんもご存知のように、我々が実際に経験するほとんどの症例では初診時には正しい診断に到達できません。考えられるいくつかの疾患を鑑別診断にあげ、それに対してどのようにアプローチしていくか・・・その技術を評価します。最初から間違った診断に従った治療行為を選択すれば負の評価は避けられません」

 龍二は腕組みをしながらつぶやいた。

「まさしく臨床能力そのものを評価されるってことだな」

「そのようですよね・・・」

千夏は不安そうに答えた。

医師国家試験や専門医試験など医師の試験はほとんど『正解』が用意されている。

提示された症例に対して診断をつけ、それに対する治療方針を答えるというのが一般的な医師の資格試験のやり方である。

しかし今から行われるのは正解を見つけることよりも、どのような考え方をしてどのように患者の検査や治療を選択するかが評価されるということだ。

すなわち医師が患者を目の前にしたときにどのように行動するかを試されるということなのだ。

「判断の基準を簡単に説明しておきます。一度しか説明しませんからよく覚えておいていただきたい」

小田切の言葉にほぼ全員がペンを手にとってメモを取る用意をした。

ただ伊達龍二だけはじっと腕を組んだまま目をつむって小田切の言葉を聞いていた。

「評価は減点法で行います。100点から不適切な回答をするごとに、定められた点数を減点し、基準点を下回った時点で不合格となります。第一ステージで不合格となればその場で医師免許剥奪の行政処分が確定しますので今後この会場に残っていただく必要はありません」

「それは・・・退場ということでしょうか?」

「そうです。退場してそのまま医師再教育センターの宿舎に移動していただきます。そして明日から研修がはじまるわけです」

会場からは悲鳴に近い声が上がった。

「もうこのまま帰れないってことですか?」

「準備も何もしてきてないですよ!」

小田切はその言葉を聞いてニヤッと笑みを浮かべながら言った。

「準備?そんなものいりません。衣類や洗面用具は供給されますからご心配なく。それに研修に必要なものは医学関係の書籍だけです・・・全て再教育センターに準備してありますから・・・」

会場は静まり返った。

「説明を続けてよろしいかな?」

小田切はほんの少し笑みを浮かべて続けた。

「今から提示する症例は総合外来もしくは救急外来の初診の患者に対するアプローチを問うわけですから、まず処置をして、検査を選択しなくてはなりません。どのような検査を選択しても自由ですが・・・その日のうちに結果が出ない検査は選択しても結果は提示されません」

「じゃあ結果が出るのに数日かかる細菌培養検査などは・・・」

「結果はお教えできません。ただし、必要な検査はオーダーしていただかなければ減点の対象になります。たとえば初診時に細菌培養検査を行わなくてはならない場合にそれを指示しなければ減点です」

「じゃあ血液検査などは?」

「一般的な血算、肝機能、血糖など1時間くらいで結果が出る検査結果はお教えします。レントゲンやエコー、CT、内視鏡検査もしかりです。ただし・・・合併症のリスクの高い検査、苦痛を与える検査、時間がかかる検査の場合はオーダーするごとに減点になります」

「採血しただけでも減点になるのですか?」

「そうです。リスクの高い検査、苦痛の大きい検査、時間がかかる検査ほど大きい減点になりますから検査を選ぶときは注意していただきたい」

「どの検査がどれくらいの減点になるかは教えてもらえないのですか?」

「それは症例が進むとともにだんだんわかってくるでしょう。ただ、各症例に対して3つまで質問を許可します。問診と診察が終わった時点で確認したいことを質問してください」

 千夏は小田切の言葉を聞きながら必死にメモを取っていたが不安そうにつぶやいた。

「厳しいですね・・・」

龍二は相変わらず腕組みをしたまま目をつむっていた。

 

「では最初の症例から・・・症例Aを選択した青木健太先生、前に出てください」

最前列の一番右に座っていた男がおどおどしながら立ち上がり、ゆっくりとステージに向かって歩いていった。

「かなり緊張してますよね・・・」

千夏が言った。

「最初だからな」

龍二は青木健太と呼ばれた男を目で追いながら腕組みをしたまま答えた。

 《症例「A」》

「そんなに緊張しなくてもよろしい。最初の症例は誰でもわかるサービス問題だ」

小田切がマウスをクリックすると正面のスクリーンに明かりが灯った。

そして診察室の様子が映し出され、テロップで『27歳女性』と表示された。

―――――

「お願いします」

ドアを開けて若い女性が入ってきた。

身長160cm程度の痩せ型で長い髪を後で一つに束ねている。

部屋に入るとつらそうにゆっくりと椅子に座った。

「今日はどうされましたか?」

「あの・・・昨日の朝からのどが痛くて・・・そして夜から熱が出て下がらないんです」

「熱は何度くらいあったんですか?」

「寝る前にのどの痛みが強くなって体がだるくて熱を測ったら39・2度ありました。今朝になって38・8度まで下がっていましたが・・・」

「咳や痰は出ますか?」

「いいえ」

患者はだるそうに答えた。

「鼻水はどうですか?」

「あまりでないと思います」

「今まで何か特別な病気をしたことがありますか?怪我とか手術とか・・・」

「いいえ・・あ・・・小学校6年で盲腸の手術を・・・」

「薬のアレルギーは?」

「いままでは・・・ありません」

「現在妊娠の可能性は?」

「ありません」

「授乳はしていますか?」

「半年前まではしていましたが・・・いまはしていません」

「わかりました。では診察をさせてください」

患者は医師の声に体をだるそうに起こして前を向いた。

医師は両目の下まぶたを下げた。

画面には患者の目の様子が拡大して表示された。

―――――

―貧血は・・なさそうだ。黄疸もないな・・・―

青木健太は画面を見ながら必死にメモを取っていた。

―――――

「お口を開けてください」

患者が口を開けると、喉の奥が拡大された

―――――

―扁桃腺が腫れている。赤くなって膿栓(白っぽい膿の塊)がついている。炎症を起こしているようだ。右の扁桃腺が大きい―

 青木健太はメモを取りながら必死で画面を見つめていた。

―――――

医師は次に患者の首にさわった。

患者の右顎の下をさわったとき、患者は苦痛表情をした。

「痛いですか?リンパ節が腫れていますね」

「はい・・そこ、痛いです」

「反対側はどうですか?」

「こっちは少しだけ・・」

「下のほうや、首の横や後のほうはどうでしょうか?」

医師は患者のくびの周りをさわりながら聞いた。

「そこは大丈夫です」

「じゃあ次に胸の聴診をさせてください」

―――――

患者の胸に聴診器が当てられるとスピーカーを通して聴診器の音が会場に聞こえてきた。

千夏は目をつむって聴診器の音に聞き入っていた。

「心音や呼吸音は異常ないですよね・・・」

「ああ・・・しかし心拍数は早い。100くらいあるだろう」

「熱があるからでしょうか・・」

「多分な」

千夏は『心音異常なし、呼吸音異常なし、心拍数100くらい』とメモに記載した。

スクリーンでは、医師が患者をベッドに寝かせると腹部と下肢の触診を簡単に済ませた。

画面を見ている限りは特に所見はなさそうだ。

そして血圧120・60 脈拍96 体温39・1度と表示され、映像は消えた。

「さあ、ここで終わりだ。青木先生、質問は?」

小田切が青木に向かって聞いた。

「え?あ・・・はい・・・えっと・・・」

青木健太は自分のメモをめくりながら必死で考えていた。

―これは普通の扁桃腺炎だ。でも・・何か引っ掛けはないのか?質問?何を聞けばいいんだろう?―

龍二は青木健太の様子を見ながらつぶやいた。

「サービス問題だな」

「多分・・・急性扁桃腺炎ですよね・・・」

千夏が答えた。

「どうする?」

「扁桃腺炎ですからまず溶連菌(ようれんきん)のチェックをしないと・・・私ならまず迅速キットで確認します」

「鑑別診断は?」

「えっと・・アデノウイルス感染症と・・伝染性単核球症も確認したほうがいいと思いますが・・・」

「まあ・・そんなところだろうな」

急性扁桃腺炎は俗に「ヘントウセン」と呼ばれるポピュラーな疾患である。

口の奥の口蓋扁桃(こうがいへんとう)に病原体が感染して炎症を起こし、咽頭痛や発熱を起こす。特に小児では重要な疾患であるが、20から30代の成人でも発症する。

急性扁桃腺炎を起こす疾患は主に3つある。すなわち・・・

1)溶連菌感染症

2)アデノウイルス感染症

3)伝染性単核球症

である(注:実際にはその他、色々なウイルスや細菌による扁桃腺炎もありうるが、この物語では読者の混乱を避けるために鑑別診断は一部簡略化してある。以下の疾患も同様)

溶連菌(溶血連鎖球菌)はペニシリン系の抗生物質に感受性がある(効果がある)ので抗生物質により治療することが一般的だ。

ただし完全に治療するためには1週間から10日間くらいの内服が必要で、症状が改善したからといって抗生物質を途中で中止すると再発を繰り返したり、腎炎やリウマチ熱などの合併症を起こす可能性があるので、溶連菌感染の診断は重要である。

アデノウイルス感染症は1週間程度で自然治癒する疾患で、溶連菌のような合併症も少ないが、抗生物質は効果がない。したがって解熱剤などの対症療法が中心となる。

伝染性単核球症は主にEBウイルスという特殊なウイルス感染によって引き起こされる疾患である。扁桃腺炎、リンパ節腫脹、脾臓腫大、肝機能異常などを起こすがほとんどは自然に治癒する。

しかし普通のウイルス感染に比べると経過が長く、治癒するまでに1ヶ月以上かかることが多い。

血液像(血液を染色して顕微鏡などで調べること)の検査をして白血球分画を調べると「異型リンパ球」という特殊なリンパ球が増えていることが特徴である。

龍二と千夏はステージの青木健太をじっと見守っていた。

「あの・・・脾臓は腫れているんでしょうか?」

青木健太が恐る恐る小田切に質問した。

「脾臓は・・・腫れていない」

小田切の言葉にほっとした青木は次の質問をした。

「患者さんのお子さんは・・・最近熱が出たりしていないのでしょうか?」

「なかなかやるじゃないか・・青木先生」

龍二はそうつぶやきながらうなずいた。

溶連菌感染症は子供から母親に感染することも多いので子供の情報も重要である。

「患者の5歳の長男が7日前に熱を出して治療を受けているそうだが詳細は不明だ」

溶連菌感染症の潜伏期間に一致する。子供からの感染として矛盾はしない。青木健太はうなずいた。

「じゃあ・・・診断は急性扁桃腺炎だと・・・思います」

青木健太の診断を聞いた小田切はゆっくりと言った。

「それで?どうする?」

「溶連菌感染の可能性が高いので、迅速キットで確認します。それから・・・アデノウイルス感染の可能性もあるのでそれも迅速キットで・・・」

 迅速キットは患者の鼻腔や口腔粘膜から粘液を採取して病原体の有無を10分程度で確認する検査である。

「それから?」

「えっと・・・それから・・・脾臓の腫大はありませんが、伝染性単核球症も否定できないので採血をして血算とCRPと血液像、それに肝機能を・・・」

伝染性単核球症を発症するEBウイルス感染は迅速キットで判定することが出来ない。血液像(白血球分画)を検査して異型リンパ球を確認し、肝機能障害があることを確認することが診断の助けになる。

もちろん血液検査でEBウイルスの抗体を測定すれば診断は確定するが、結果は数日かかるので当日の判断には役に立たないのである。

「やりすぎだ・・・」

龍二がつぶやいた。

「減点大丈夫でしょうか?多分・・・間違えちゃ行けないと思ってかなりプレッシャーを感じているんでしょうね・・・」

千夏は同情の目で青木を見つめた。

「では君がオーダーした検査の結果を提示しよう」

小田切はそう言いながらマウスをクリックした。

―――――

溶連菌迅速キット:陽性

アデノウイルス迅速キット:陰性

―――――

―――――

白血球:15400↑(<8500)

好中球:80%↑、好酸球:1%、リンパ球13%、単球:6%、異型リンパ球:なし

赤血球:441万

血小板:15.3万

―――――

―――――

肝機能検査

AST:23

ALT:22

γGTP:34

LDH:234

―――――

―溶連菌迅速キット陽性。白血球上昇。やった!典型的な溶連菌感染症だ!―

青木雄太は安堵の表情を浮かべた。

「診断は?」

小田切が聞いた。

「溶連菌感染症による急性扁桃腺炎です!」

青木雄太は自信を持って答えた。

「それで?どうする?」

「薬剤のアレルギーは特にないとのことでしたので、ペニシリン系の抗生物質を投与します」

「注意することは何かあるかね?」

「溶連菌感染の場合は1週間から10日間抗生物質を内服する必要がありますから、症状が改善しても内服を中止しないように説明します。それから・・・熱が下がってから24時間を経過するまでは感染のリスクがあるので、子供さんや他の人たちとの接触に注意してもらって・・・1週間以内に接触した人に熱が出れば溶連菌感染を疑う必要があります」

小田切はゆっくりうなずきながら質問を続けた。

「不十分な治療になった場合の合併症は?」

「えっと・・・腎炎と・・・リウマチ熱です」

 小田切は資料を見ながらゆっくりと言った。

「ふむ・・・まあ・・・いいだろう。青木先生、君の第一ステージは合格だ」

「本当ですか!やったー!」

「戻って席に着きたまえ」

青木雄太は飛び上がって喜び、足早に自分の席に戻った。

「よかったですねー」

千夏がほっとして龍二に言った。

「採血や迅速検査はそれほど大きな減点にはならないようだな」

「でも青木先生、ちょっと緊張していましたけど、ほぼ完璧でしたよね」

「まあ、誰が診てもわかるサービス問題だからな」

「そんな・・・あそこに座ったらなかなかてきぱきと答えられないですよ」

千夏は少し不満げにつぶやいた。

「まあ、第一ステージはたいしたことはなさそうだな」

メディカルゲーム第1章(2/4)に続く

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