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2010年12月21日 (火)

メディカルゲーム(第2章:第1ステージ後半)(1/8)

《昼休み》

時計は1時を回り、昼休みに入り、残った医師たちには弁当が支給された。

上原千夏はぐったりしてテーブルにもたれかかっていた。

95敗・・・・5人の先生が消えちゃいましたよね・・・」

「思ったより厳しそうだな」

伊達龍二は腕組みをして目をつむったまま答えた。

「そんなひとごとみたいに・・・午後からはもっと難しくなるんですよ・・・。あーあ・・・・私大丈夫かなー・・・。あんな刑務所みたいな研修、絶対無理ですって・・・」

「実際に患者を診るつもりになって対応すればいいんだ」

「それはそうなんですけどー・・・・・」

「弁当食わないのか?」

「食べますけど・・・なんか食欲ないなー」

千夏は浮かない顔をして弁当を開いた。

それを見て龍二も弁当を開いた。

千夏はお茶を一口飲むと龍二に聞いた。

「伊達先生と小田切先生ってどんな関係なんですか?」

「元上司だ」

「それは聞きましたけど・・・伊達先生、妙に敵対しているし・・尊敬していないんですか?小田切先生のこと」

「尊敬?なんで?」

 龍二が意外そうな顔で聞き返した。

「だって・・・すごく有名な先生じゃないですか。私だってテレビで見たことあるし、本だって何冊も出してますよ」

「あいつは目立ちたがり屋なんだ。かっこつけたいだけだ」

「でも実力は本物でしょ?だって城北共済病院の救急部長ってすごいですよ」

「確かに診断力は認めるが、人間的には失格だ」

「失格って?」

「ギャンブル好きで最近は株にも手を出して借金を抱えているらしい。金持ちの患者からは莫大な謝礼をもらっていた。それでいて仕事は全部部下にまるなげだ。結果が悪いと全部俺たちの責任にされる」

「本当ですかー?」

千夏は信じられないと言う顔で箸を止めて龍二を見つめた。

「毎年たくさんの医局員が入ってくるが、自分に従わない奴、気に入らない奴にはとことん嫌がらせをする。新入医局員の半分は半年でやめちまうよ」

「新入医局員が半分辞めるって・・・私も聞いたことありますけど・・・研修が厳しくてやめるんじゃなかったんですか?」

「あからさまな個人攻撃だよ。あいつは俺たちが苦しむのを見て喜んでいるんだ。今日5人が失格になった瞬間のあいつの顔を見たか?本当にうれしそうだぜ」

 千夏は午前中の小田切の顔を思い出しながらうなずいてゆっくりと箸を進めた。

「どうして小田切先生が検査官になったんでしょうか?」

「金だろ?あいつは金のためなら何でもするさ。」

「伊達先生も・・・小田切先生となんかあったんですか?」

「・・・・・」

龍二はその質問には答えず、黙って弁当を食べ続けた。

千夏はそれを見てあきらめて弁当を食べたが3分の1くらい食べたところでふたを閉じた。

時計は2時を指し、午後の部が始まった。

「では次は症例「O」。岡田将太先生」

小田切の声にやや痩せ型で目鼻立ちのくっきりした男が立ち上がり、ステージに向かった。

《症例「O」》

―――――

18歳女性』

若い女性が辛そうに座っていた。

「風邪を引いて熱が出てのどが痛いんです・・・」

「いつから具合が悪いんですか?」

1週間くらい前から・・・うちにあった薬を飲んでいたんですけど、だんだんひどくなって胸もつらくなってきました」

女性は胸を押さえながら辛そうに言った。

「他に何か症状がありますか?咳とか鼻水とか頭痛とか関節が痛いとか・・・」

「咳は出ないですけど・・・息がつらいんです。痛いのはのどだけ。あと・・熱がでると手が震えて字がうまく書けません」

「熱はどのくらいありますか?」

375分から38度くらい・・・」

「周りにインフルエンザとか、熱が出ている人はいませんか?」

「いません」

「今まで何か大きな病気とか怪我をしたことは?」

「ありません」

「妊娠の可能性は?それと授乳はありますか?」

「どちらもないです」

「薬を飲んで何かアレルギーが出たことはないですか?」

「ありません」

「わかりました。じゃあ診察させてください」

「はい」

患者の目が映し出された。

―――――

―黄疸なし。貧血なし―

岡田将太はメモを取りながら映像を見つめていた。

次に患者の口腔内が写った。

―のどが痛いといっていたな。おかしいな・・扁桃腺は腫れていないし咽頭も赤くない。これは単純な上気道炎じゃなさそうだ―

―――――

「首をさわりますね。ここ痛いですか?」

医師は患者の顎の下をさわりながら聞いた。

「いえ・・そこじゃなくって・・・もっと下が・・・」

「このあたりですか?」

医師は首の横から後のほうを触診した。

「いえ・・・もっと前のほうが・・・いた・・そこ痛いです」

医師の手が前頚部に移ると患者は少し身を引いた。

「このあたりですね。左側が痛いですか?」

「はい・・・」

―――――

次に胸部の聴診に移ると心音と呼吸音が聞こえてきた。

―脈が速いぞ。100は超えている。呼吸音と心音は異常なさそうだ。皮疹はないな―

腹部の触診と下肢の診察は簡単に終わった。

―――――

「手を見せてください」

患者が両手を挙げるとその手は小刻みに震えていた。

血圧102・56 脈拍118。 体温37.5度。sPO2 98%と表示されて映像は終わった。

―――――

「さあ、ここまで。どうだろう?岡田先生」

小田切が聞いた。

「はい・・・・」

岡田将太はあわてずにメモをとりながら返事をした。

医師が一つの疾患を考えて、その疾患を示唆する典型的な症状と所見があれば診断はほぼ確定するので、医師はあまり考えることはない。

あとは診断を確定する簡単な検査をするか、そのまま治療に移ることができる。

たとえばインフルエンザが流行しているシーズンに発熱、咳、咽頭痛、倦怠感、筋肉痛があればインフルエンザの可能性がかなり高いわけで、迅速キットで陽性を確認すれば後は何も考える必要はなく診断が確定する。

ところが、診断が確定できない場合は、考えうる疾患を予測し、それに対する検査を計画しなくてはならない。

疾患を予測するために医師は患者から得られた情報をまとめ、問題点として箇条書きにする。

それをプロブレムリストという。

岡田将太は手元の紙にプロブレムリストをまとめていた。

*****

#1 発熱

#2 前頚部痛(やや左)

#3 頻脈

#4 振戦           注)振戦:ふるえること

#5 胸部不快感(動悸、呼吸困難)

*****

医師はこのプロブレムリストに従って考えうる疾患を挙げていくことになる。

上原千夏もプロブレムリストを作りながら考えていた。

「症状が多いですね・・・熱があってのどが痛くて胸がつらくて手が震えて・・・でも熱は37.5度ですからそのわりに脈が速いですよね。これが全て説明できる疾患を考えないと・・・」

一人の患者にいくつかの疾患が同時に存在していることはもちろんありうる。その場合にはその疾患に応じていくつものプロブレムがあがってくることになる。

しかし通常は全てのプロブレムを「一元的に」説明できるような一つの疾患を探し出すことが診断の基本である。

千夏はこの患者の症状を説明できる疾患を考えていた。

そして突然ハッとしてメモ用紙を手にとると龍二に向かってうれしそうに言った。

「あっ・・・わかりました!わたし、わかっちゃいました!」

「早いな」

「はい!一つの疾患がぱっと浮かんじゃいました。間違いないですよ!」

「多分それだろうな。でも落とし穴にはまらないように鑑別診断をきちんとやっておくことだ」

「そうですよね。あと考えられる疾患は・・・」

しばらく考えていた岡田将太はペンを置いて小田切のほうを向いてゆっくりと答えた。

「疼痛の部位は甲状腺の左葉にあります。発熱と頻脈があるので、最も考えられる疾患は・・『亜急性甲状腺炎』です。鑑別すべき疾患は急性化膿性甲状腺炎、甲状腺のう胞感染。可能性は低いですが見逃してはいけない疾患として急性喉頭蓋炎(こうとうがいえん)、咽後膿瘍(いんごのうよう)などを考えます」

亜急性甲状腺炎は甲状腺に炎症を起こす原因不明の疾患で、細菌などの病原体感染が原因ではない。首の前にある甲状腺に疼痛がある。

甲状腺細胞が破壊されるので一時的に甲状腺ホルモンが大量に放出される。

甲状腺ホルモンは体に活力を与える働きをするので、大量に放出されると「発熱」「頻脈」「手の振戦」などがおこる。

甲状腺ホルモンが大量に放出される疾患としてバセドウ病が有名であるが、バセドウ病と違って亜急性甲状腺炎は甲状腺ホルモン過剰状態となるのは2-3週間と一時的である。

亜急性甲状腺炎はあまり頻度が高くない疾患なので風邪、咽頭炎などと誤診されることも多い。

甲状腺に限局して圧痛があること、発熱の程度のわりに脈が早くて動悸が強いことに気がつくことなどが診断のきっかけになる。

また、医師は診断を行うときは疾患を一つに限定しない。次のようにいくつかの疾患を挙げる。これを鑑別診断と言う。

岡田将太は次のように鑑別診断を挙げた

*****

最も考えられる疾患一つ(most likely):

              亜急性甲状腺炎

そのほかに考えうる疾患2-3個(likely):

              急性化膿性甲状腺炎、

甲状腺のう胞感染

可能性は低いが見逃してはいけない疾患2-3個(nescesaly):

急性喉頭蓋炎、

咽後膿瘍

*****

 医師はこれらの鑑別診断にしたがって最もスムースで合理的な検査計画をたて、的確な診断をつける。

 決して最初から一つの疾患だけを考えて検査をして、外れれば次を考える、また外れれば次を考えるというような思考はしないのである。

「ふむ。それで?どうするかね?」

 小田切がゆっくりと聞いた。

「血液検査で血算とCRP、血沈、血液像、それに甲状腺機能が必須です。それに甲状腺エコー検査をすればだいたい診断できると思います」

「検査はそれでいいかね?」

「多分これで大丈夫だと思いますが・・・・頻脈と動悸と呼吸困難感があるので念のためレントゲンと心電図もしておきたいと思います・・・」

 岡田将太はちょっと戸惑いながら答えた。

「じゃあまずレントゲンと心電図から・・・」

小田切はマウスをクリックし、スクリーンに胸部レントゲン写真が提示された。

―特に問題ないな。やっぱり不要だったか・・・―

岡田将太はちょっと悔しそうにつぶやいた。

次に心電図が提示された。

―洞性頻脈。脈拍120。甲状腺機能亢進による頻脈でよさそうだ―

次に血液検査が映し出された。

―――――

白血球9200↑(<8500)

CRP 5.3↑(<0.3)

血沈(1時間値) 89↑(<20)

fT3 10.5↑(<3.5)

fT4 6.6↑(<2.2)

TSH <0.01↓(>0・5)

―――――

―白血球軽度上昇、炎症反応陽性。甲状腺機能亢進。思ったとおりだ―

 岡田将太はうなずきながらメモを取った。

 fT3(フリーT3)、fT4(フリーT4)は甲状腺ホルモンで、この値が高いということは甲状腺機能亢進症ということになる。そしてTSHは脳下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモンで、甲状腺ホルモンが過剰なときはTSHは低下し、甲状腺ホルモンが欠乏しているときはTSHは高値となる。

 そして奇妙な話であるが、fT3やfT4が異常値となる前にTSHのほうが先に異常値となる。

 すなわち甲状腺機能の診断に関してはTSHのほうが鋭敏なわけである。

そして最後に岡田将太の前に甲状腺エコー検査が提示された。

―甲状腺左葉に低エコー領域あり。圧痛部位に一致している。間違いない―

岡田将太は満足げにうなずいた。

「診断は?」

 小田切の問いかけに岡田将太はゆっくりと答えた。

「亜急性甲状腺炎による一過性の甲状腺機能亢進症です」

「治療は?」

「ステロイドを投与します。プレドニゾロンで20mg程度。痛みと発熱には消炎鎮痛剤を・・」

「甲状腺機能が亢進して動悸や頻脈が出ているが抗甲状腺剤は投与しないのか?」

 小田切はニヤッと笑みを浮かべながら聞いた。

「亜急性甲状腺炎の場合は一時的な機能亢進症なので抗甲状腺剤は投与しません。動悸が強ければβブロッカーを投与して脈を低下させたいと思いますが・・・」

 岡田将太は自信を持って答えた。

 βブロッカーは心臓に作用して脈を遅くする作用がある薬剤である。

「ふむ・・・君にはこの症例は少々簡単すぎたようだ。いいだろう、岡田先生」

 小田切の言葉に彼はほんの少し笑みを浮かべながらうなずいて席を立った。

「岡田先生すごいです。診断は私も当たりましたけど、あんなにすらすらと鑑別診断や必要な検査はなかなか答えられないですよね」

千夏は感心して言った。

「あいつはかなり慣れているな。検査の進め方も無駄がない」

「でもレントゲンと心電図は結局所見なかったですけど・・・」

 千夏はメモを見返しながら龍二に聞いた。

「結果として不要だっただけだ。頻脈と呼吸困難があるのでレントゲンと心電図をパスするととんでもない見逃しをする可能性がある。甲状腺機能亢進で心不全になっていることもあるし、心房粗動などの不整脈発作が起こっていることもありうる」

「そうですよね。減点を恐れていると見逃しちゃいますよね」

メディカルゲーム(第2章)(2/8)に続く

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