「幸福バンク」
先日車の中でラジオを聴いていたらこんなコマーシャルが流れていました。
ある銀行で・・・
「あのー・・・家内の誕生日なので『ありがとう』をおろしたいんですけど・・・」
「かしこまりました。あなた様の奥様に対する『ありがとう』は10年間預けっぱなしになっています。そのほか『味噌汁おいしかったよ』は15年間、『いつも苦労を掛けてすまない』は18年間そのままになっていますが一緒におろされますか?」
言葉を銀行に預けるなんて発想が面白いですよね。
でももし、『幸福』が銀行に預けられ、好きなときに引き出すことが出来たら、もっと面白いんじゃないでしょうか?
そんなことを考えて、こんなお話を書いてみました。
「幸福バンク」
俺の名前は香川真治。20歳。
家族構成は父親だけ・・・だったが、先日その父親もぽっくり死んじまったので現在は全く天涯孤独の一人暮らし。
高校を卒業してすぐに小さい町工場に就職。
安い給料だが自分ひとりの生活はまあ何とかやっていけている。
体格は中肉中背。
特技なし、趣味なし、性格根暗。
ルックスは人並み・・・と言いたいが、この年になって彼女の一人も出来たことがないってことは女から見ると「中の下」か「下の上」ってとこか?
父親はそこそこ大きな印刷関係の会社を経営して、俺が小さいときはかなり羽振りがよかったようだ。
それが急につまずいたかと思うと、あれよあれよと言う間に、じり貧の生活に落ち込んだ。
でっかい家屋は人手に渡り、それからは親子三人のアパート暮らし。
母親はその後の苦労がたたって俺が中学のときに死んじまった。
父親もその後、病弱になって入院を繰り返し、3年の闘病生活の末に逝っちまった。
父親の後半の人生は何をやっても本当についてない人生だったようだ。
遺産?
そんなものあるわけないだろう?
借金ならあったけど、そんなものは相続しないから俺はゼロから再出発ってとこか。
ただ何のとりえもない俺にとっちゃマイナスからの再出発だけどな。
初七日を終え、そんなことを考えながら俺はぼろアパートの部屋でぼんやりと寝転んでいた。
そこに部屋のドアをたたく音が聞こえた。
「誰?」
この部屋に俺と親父以外の人間が来るなんてことはいまだかつてなかったことだ。
ぼさぼさの頭をかきながらドアを開けた俺はしばらく声が出ないほど驚いた。
「あんた誰?」
そこにはスーツ姿に髪をきちんと後ろにとめた笑顔の若い女が立っていた。
「はじめまして。香川真治さんですね」
女は愛くるしい笑顔でちょっと首をかしげて聞いた。
「ああ・・・」
俺は面倒くさそうに答えた。
「お父様の遺産の件でお伺いいたしました」
「遺産?何言ってんの?あの親父が残したのは借金だけで遺産なんかあるわけないじゃん」
「いいえ。お父様は真治様のために当銀行に口座を作っておられました。申し遅れました。私こういうものです」
女はかばんから名刺を取り出して両手で丁寧に俺に渡した。
『幸福バンク 営業主任 蝶野楓』
俺はその女を部屋に入れてゆっくりと話しを聞くことにした。
「それで?親父の遺産ってどのくらい?」
「残念ながらお父様の遺産は現金ではありません」
「現金じゃないって・・・あんた、銀行の人じゃないの?」
俺は怪訝そうな声で聞き返した。
「私どもの銀行は現金をお預かりしているわけではありません。私どもが扱っているのは『幸福因子』なのです。お父様は真治様のために『幸福因子』を私どもの銀行にお預けされていたのです」
「『幸福因子』?何それ」
「幸福因子は人間が幸福を感じるために必要なものなのです。幸福因子を使うことによって人間は幸せな気持ちを感じることができるのです。」
「じゃあ・・親父はその幸福因子ってのを溜め込んでいて俺がそれを使えばしあわせになれるってこと?」
「はい」
蝶野楓は明るい笑顔で答えた。
「あの・・・俺、仕事もあるし・・・今日はこれくらいで・・・」
―まあまあきれいな女なんだけど・・・ちょっとこれじゃあな・・・おしいよな―
「申し訳ありません。こんな突拍子もないお話をいきなりしても信じていただけないかもしれませんが・・・ためしにほんの少し幸福因子を使って見られてはいかがでしょうか?」
「どうやって?」
「真治様が本日幸福因子をお引き出しいただければすぐに御使用になれます。多分今日はすばらしい1日になるはずです」
「よくわかんねーけど。親父が預けた幸福因子ってどのくらいあるの?」
俺はちょっと面倒になってつっけんどんに聞いた。
「お利息込みで101万3千200ハピネスになります」
「なに?101万・・・ハピネスって・・・」
「人間がちょっと微笑むくらいの幸福感が1ハピネスです。30ハピネスもあればその1日は快適にすごせるとおもいますよ」
「そんなもんなの?じゃあとりあえず50ハピネスくらいおろしておいてよ。俺もう仕事だから・・・」
「かしこまりました。ではまた明日まいりますので・・・」
蝶野楓はそそくさと手持ちのパソコンに入力すると明るい笑顔で挨拶して帰って行った。
―50ハピネスね。今日俺は幸福な1日を過ごせるってことだ。ありがとうよ。親父よ―
俺は苦笑しながらため息をついて部屋を出ると仕事に向かった。
「チワーッス!」
「おお真治!ご苦労さん。でも今日はいいわ」
「え?ナンッすか?」
「今日休む予定の大野がこれることになったんで人は足りてるんだ。今日の日当分はちゃんと払うから今日は休んでデートでもしてこいや」
―なんだなんだ?仕事しなくっていいってこと?給料はもらえるって?そりゃあ・・・幸せじゃないの。本当にハピネスの効果?―
デートでもしてこいって言われたって相手がいなければ何もすることがない。
俺はぼんやりと公園のブランコに座っていた。
天気がよくていい気持ちだ。
―これもハピネス効果?3ハピネスくらいかな?―
「あのーすみません。お願いがあるんですけど・・・」
俺の前で若い女が申し訳なさそうに頭を下げた。
「2時間ほどお時間ありましたら付き合っていただけないでしょうか?」
「は?」
「実はルームメイトと映画に行く予定だったんですが彼女が熱を出したので私独りで来たんですけど、ホラー映画なのでなんか怖くって・・・私ホラー好きなんですけど一人じゃ見れないんです。2時間ほど付き合っていただけませんか?」
―なになになに?こんなことってある?まあ、そんなにかわいい子じゃないけど、素直そうで、なかなかいいじゃないの。こりゃあ2時間で30ハピネスくらい?―
その日の俺はすごく幸せな気分で家に帰った。
―あー失敗したなー。50じゃなくて100ハピネスくらいにしてたら今頃彼女と一緒に食事して・・・いや、200ハピネスにしてたらそれから・・・いやいや500ハピネスだったらものすごくかわいい女の子がやってきたりして―
俺はうきうきしながら仰向けになって寝転んでいた。
―ひょっとして本物なのか?幸福バンクって・・・。あいつ明日も来るって言ってたなー―
「50ハピネスの効果はいかがでしたか?」
翌日、約束どおり蝶野楓がやってきた。
「よかったよかった!すごく幸せだったよ。本当なの?幸福因子って?」
「はい。お父様は15年かけて100万ハピネスを貯蓄されました。お父様がなくなった今、それは全て真治様がお使いになれるのです」
「100万ハピネスって・・・1日100ハピネス使ったら1年で36500ハピネス。じゃあえっと・・・27年も使えるのか・・・」
「いえ、相続には税金がかかりますし、当銀行への手数料などを差し引きいたしますと真治様が相続できるのは70万ハピネスくらいになります」
「なんだって?税金?それに手数料もかかるの?じゃあ100ハピネス使ったら20年くらい。それじゃあ俺が40になったらなくなっちゃうじゃないの。でも50ハピネスずつ使えば60までか・・・」
「無駄遣いせず有効にお使いください」
「でも親父はどうやって100万ハピネスもためたんだ?そもそも幸福因子ってどうやってためるんだ?」
「幸福因子は我慢をすることによって得られるのです」
「我慢?」
「はい。苦しいことを我慢することによって幸福因子は増えていきます。しかし通常は、幸福因子はすぐに消費されて、人間は短時間後に幸福を感じることになります」
「じゃあ・・・痛いのを我慢したり、熱いのを我慢していれば幸福因子がたまってくるの?」
「いいえ、ただ我慢するだけではいけません。目的を持ってそれを達成するために我慢をすることによって幸福因子が増えるのです。お父様は真治様に遺産を残すためにあらゆることを我慢してこられました。家庭を犠牲にして、体を壊すくらい一生懸命に仕事をして、普通はその代償として大きな収入が得られ、事業も順調に伸びていくはずなのですが、お父様はその幸福を受容せずに全て当銀行に預けられたのです」
「じゃあ・・・親父が晩年病気をしたり、事業に失敗したりしたのは・・・」
「全て幸福因子を当銀行に貯蓄されたためです。真治様に遺産を残すために」
俺は絶句した。
家庭を顧みず、自分勝手で仕事人間の親父が不幸な晩年を迎えたのは当然だと思っていた。
しかしそれは全て俺に幸福因子を残すためだったと言うのか・・・。
「お父様も最初はひたすらお金をためてこられました。しかしあるときに気がついたのです。人生の幸福は富では得られないのだということを。そんなときに私どもの『幸福バンク』の存在を知ったのです。それからのお父様は現金の貯蓄を全てやめてひたすらに幸福因子を貯蓄されたのです。自分の幸福を一切すてて、真治様を幸福にするために」
「親父は俺を幸福にするために幸福因子を・・・」
「人間は幸福になるために生きています。でも富では幸福になれないのです。でも幸福因子があれば間違いなく幸福になれます」
それから俺は毎日30ハピネスずつ幸福因子をおろして使っていった。
たった30ハピネスだが俺の人生は180度変わったものになっていった。
仕事も順調で、宝くじも小額だが当たるし、体も調子がいい。
しかしおなじ額をおろしてもその日によって感じる幸福感は違いがあるようだ。
これは日によって自分の幸福レベルが一定しないからだろう。
ベースが0ハピネスの日もあれば100ハピネスの日もある。逆にマイナス50ハピネスの日もあるってことだ。
ある日俺は思い切って100ハピネスをおろした。
俺はどんな幸せなことが起こるのかたのしみにしていた。
しかし、その日の夜、俺は蝶野楓に詰め寄っていた。
「どういうことだ!俺は今日命が危なかったんだぞ!これを見ろ。左手の脱臼だ!全治1週間の怪我だぜ。なぜ100ハピネスも使ったのにこんな目にあわなくてはならないんだ!あんたがハピネスの額を間違えたんじゃないのか?」
「お待ちください香川様。今調査いたします」
蝶野楓はパソコンをたたくと、さっと顔を上げて答えた。
「香川様の口座から確かに100ハピネスが引き出されております」
「じゃあなぜこんな目にあわなくちゃならないんだ?」
蝶野楓はまたパソコンをたたいた。
「香川様は本日、交通事故にあって左手の骨折、肋骨骨折となり、入院されることになっていました。しかし100ハピネスを使用されたために軽症ですんだようです」
俺はまたまた絶句してしまった。
100ハピネスを使ったおかげでこれくらいの怪我ですんだと言うことか・・・
俺は改めて幸福因子の効果を実感した。
ある日、飲み屋からの帰りに俺は一人の女に出くわした。
「おいおい!何やってるんだ!」
電車が来る踏切に飛び込もうとするその女をやっとのことで引き止めた。
「離してください!私はもうこうするしかないんです」
「まあ落ち着け!そこに座れ!ほら、これを飲め」
俺は持っていた温かい缶コーヒーのふたを開けて女に飲ませた。
ちょっと落ち着いた女は少しずつ話し始めた。
「わたし・・・何をやってもうまくいかなくって・・・」
年のころは俺とおなじ20歳そこそこだろう。
ぼさぼさの髪に泥だらけのジャージにすすのついた顔、俺も酔ってなかったら「ちょっとごめんなさい」って感じだ。
「あんた名前は?」
「葛城奈緒・・」
「何で死にたいんだ?」
「小さいとき父が亡くなって・・・3年目に母も亡くなって、高校を中退して仕事始めたんですけど、最初のお給料をもらう前にそこが倒産して・・・それから色々仕事を探したんですけど、どこに行ってもうまくいかないんです。わたし、神様に見捨てられているんです」
俺は女の話をじっくりと聞いてやったが、確かに運のない奴のようだ。
「こんなことなら生きていても仕方がないんです。やっぱり死んだほうが・・・」
立ち上がって踏み切りに向かう女をやっとのことで引き止めた。
「ちょっと待てって!わかった・・・あんたが不幸なのはわかったから・・・。まあ俺の話を聞け!明日からあんたの人生はちょっと幸せになるから・・・。俺を信じろ!電車に飛び込むのはもう1週間まて!なんかあったら俺のところにこい!いいな?」
俺は蝶野楓に連絡して俺の口座から葛城奈緒に毎日50ハピネスを1週間振り込ませた。
そして1週間後、葛城奈緒が俺のところにやってきた。
ぱっとしない風体は変わらなかったが1週間前よりはずいぶん生き生きして見える。
「あの・・・ありがとうございました!」
「なんだ?」
「あれから私、もう少しがんばってみようって思いました。そしたら・・・なんだか今までよりずいぶんうまくいくようになって・・・あの時あなたが止めてくれなかったら、私死んでました。一言お礼が言いたくて・・・」
「そりゃあよかったよな・・・」
―まあ、50ハピネスも毎日使ったらうまくいくだろうよ。それにしても・・・よくみると・・・・・ちょっとはかわいいじゃないの・・・―
葛城奈緒は丁寧に頭を下げて帰って行った。
俺が次に奈緒に会ったのはそれから3週間後だった。
「おいおいおい!お前何やってんだ!」
俺は橋の上から今にも飛び込みそうな雰囲気の奈緒のところに駆け寄った。
「香川さん・・・」
よれよれのジャージ姿の奈緒は俺を見つけると泣きながら抱きついてきた。
―おいおい・・・泥だらけのジャージで抱きついて欲しくないんだけどなー・・・―
「どうしたんだ?死ぬのはやめたんじゃないのか?」
「香川さんに元気づけられて一度はがんばろうって思ったんですけど・・・それからもやっぱりだめなんです。どこのバイトをしても失敗ばかりで・・・今日も喫茶店でお客さんのパソコンの上にコーヒーをこぼしてしまって・・・その場で首になっちゃいました」
―あらあらあら・・・なんて運のない奴だ・・・・なんか変なのとかかわっちゃったなー―
「香川さん・・・私どうしたらいいんでしょう?」
奈緒は潤んだ瞳で俺を見つめた。
―俺には何も出来ないから・・・そんな目で見つめないでくれ!でも・・・よく見ると・・・ちょっと・・・かわいいかも・・・―
俺は蝶野楓に聞いてみた。
「俺の知り合いで全くついてない奴がいるんだが、持っている幸福因子が生まれつき少ないってことあるのか?」
「いいえ。幸福因子は生まれたときは誰でも同じです。そして努力していけばそれに応じて増えていくはずですが・・・」
「どんなに努力しても不幸になっていく奴がいるんだけどな」
「それは努力の仕方を間違えている・・・すなわち目的の達成に関係のない努力をしているか、負債を背負っているかのどちらかでしょう」
「負債だって?」
「はい。香川さまが莫大な幸福因子を相続したように、幸福因子の負債を相続してしまう方もまれにおられます」
「あんたのとこで調べることは出来るのか?」
「私どものバンクでは他の機関の融資の検索も可能です・・・」
俺は葛城奈緒の幸福因子を調べてもらった。
「ああ・・・葛城奈緒様・・・利息も含めて69万1200ハピネスの負債があります。40年返済になっているようです」
「69万ハピネス??!!」
「はい。1日47ハピネスの返済です」
「47ハピネス!!じゃあ、どんなに努力したって47ハピネス分はマイナスになるのか?」
「はい。かなり不幸な人生かと・・・」
「それがあと・・・」
「40年近く・・・」
俺は奈緒に心から同情した。
同じように生きていても俺のように何もせず幸せになれるものもいれば奈緒のようにどんなに努力しても不幸になる運命の奴がいるのだ。
「でもどうしてそんな負債を・・・」
「葛城奈緒様の義理のお父様が幸福因子の融資を受けられ、その保証人に奈緒様がなられているようです。返済前にお父様がなくなられ、その負債は全て奈緒様にかかっています」
「そんなばかな!何で義理の親父の借金を背負わなくちゃいけないんだ!相続しなきゃいいだろ?」
「それが・・・この業界は私どものような良心的なところばかりではないのです。どうもヤミ幸融で融資を受けられたようです」
「ヤミ幸融?それってヤミ金融みたいなもの?」
「はい。彼らは取立てできるところからなら徹底的に取り立てます。契約書に従って、本人の気がついていないうちにハピネスを奪い取っていくのです」
「それって・・・なんとかならないの?」
「私どもの力ではなんとも・・・この業界はまだ社会で認められていないので警察の力も及びません。ヤミ幸融はやりたい放題なのです」
「じゃあ彼女を助ける方法はないってこと?」
「はい。誰かが代わって幸福因子を返済していただく以外は・・・」
「それって・・・ひょっとして俺?なんか金額もみょうに一致してるみたいだし・・・」
「いえ、香川様が相続されたハピネスをどのように使われようがそれは私どもの関与するところではございません」
「そうだよな。親父が死に物狂いでためた幸福因子なんだから俺が使うのがあたりまえだよな」
俺は無理やり自分を納得させるようにつぶやいた。
俺は一人になった自分の部屋で仰向けになって天井を見つめていた。
ぼろぼろのジャージをきた葛城奈緒の泣き顔が浮かんできた。
―あと40年間、不幸な生活が続くってわけか・・・―
―ばか!俺は何を考えているんだ。あいつと俺は何の関係もないだろう?あんな赤の他人のために親父が残してくれた遺産を使う理由なんてないだろう。親父だってそんなことは望んでいないはずだ。15年間俺のためにがんばってきたんだから俺が幸福因子を使うのがあたりまえだろう?―
俺はそのまま布団をかぶって何も考えないようにした。
「本当によろしいんですか?香川さま」
翌日俺の部屋に来た蝶野楓がびっくりした声で聞き返した。
「ああ。俺の幸福因子をあいつに分けてやってくれ」
「どのくらい引き落としますか?」
「そうだな・・・10万ハピネスくらい・・・」
「10万ハピネスですね。そうすると葛城奈緒様の負債は59万ハピネスになります」
―59万ハピネス・・・たいしてかわんねーな・・・―
「いや・・・じゃあ、20万ハピネスくらいにしようかな?」
「20万ハピネスですか?香川様の残額は50万ハピネス足らずになりますが・・・」
「いいよ・・・それでやってくれ」
「すると奈緒様の負債は49万ハピネスになります。毎日の返済額が30ハピネス少々になります」
―それでも30ハピネスを40年間返さなくっちゃいけないのか・・・―
「ちょっと待って・・・じゃあ、35万ハピネスくらいで・・・」
―馬鹿馬鹿!俺何やってんの?何であいつのために俺の幸せを削らなくちゃいけないんだ!―
「香川様、もう一度考え直されたほうがよろしいかと・・・お父様は香川様のために15年間苦しい思いをして当バンクに幸福因子を預けられたのです」
―そうだよな。俺があいつに幸福因子を分けてやる必要なんてないんだよ!俺って馬鹿じゃないの?―
その時俺の頭の中に葛城奈緒のすがるような瞳が浮かんできた。
―あいつは何も悪いことをしていないのに不幸を背負っている。俺は何もいいことをしていないのに幸福を相続している。それっておかしくねー?おかしくねー?おかしいだろ?おかしいんじゃねーの?―
「あーわかったわかった!もういいよ!全部あいつに振り込んでくれ!」
「香川様いまなんと・・・」
「俺の口座の幸福因子を全額、葛城奈緒に振り込んでくれ!」
「よろしいのですか?一度振り込んだら修正はできませんが・・・」
蝶野楓はビックリした声で聞き返した。
「ああ!俺の気が変わらないうちに早くやってくれ!」
俺はそう言いながら後ろを向くと耳をふさいでうずくまった。
「かしこまりました・・・」
蝶野楓は静かにそう答えると、カタカタとパソコンを操作した。
「香川様の口座の幸福因子を全て葛城奈緒様に振り込みました。香川様の口座残金はゼロになりました。私どものバンクの香川様の口座は解約させていただきます。したがってこれでもうお会いすることはないと思います。失礼いたします」
蝶野楓はそう言いながらそそくさと部屋を出て行った。
それからしばらくの間俺は呆然として仰向けで寝転んでいた。
―俺って・・・とんでもない馬鹿?多分世界で一番の馬鹿野郎じゃないの?何であんなさえない女のために俺が不幸になんなきゃいけないの?親父よ・・・俺、あんたの15年間の努力を無駄にしちゃったよ―
それからの俺の生活は蝶野楓がやってくる前と全く同じにもどっていた。
毎日仕事に行ってコンビニの弁当を一人のアパートに帰って食べて、風呂に入って寝る。
社長もあれから、今日は仕事いいからデートして来い、なんてことは言わない。
特別不幸でもないし幸福でもない、普通の生活だ。
ところであいつはどうしているだろうか?
少しはまともな生活が出来るようになったのだろうか?
俺はそんなことを考えながらカップラーメンをすすっていた。
その時、ドアをたたく音が聞こえた。
ティッシュで口元を拭きながらドアを開けた俺は声が出ないほど驚いた。
「あんた・・・」
そこに立っていたのは見違えるほど明るく、きれいになった葛城奈緒だった。
「お久しぶりです香川さん!」
明るい笑顔で挨拶する奈緒に俺は一瞬見とれて、やっとのことで声を返した。
「ああ・・元気?」
「私、あれから人生が変わりました。何をやってもうまくいくんです。この前、街を歩いていたら、スカウトされて今はモデルの仕事をしているんです」
―ムチャクチャかわいい・・・これがあの泥だらけの女の子?―
「私の人生って、香川さんに出会ってから変わりました。香川さんはきっと私を幸せにしてくれる王子様なんです。できたら・・・これからも・・・ずっと私と一緒にいてもらえませんか?」
奈緒はちょっと恥ずかしそうに首をかしげて愛くるしい笑顔でそう言った。
―こんなことって・・あり?まだ俺の口座に幸福因子が残ってたの?1万ハピネスくらいじゃない?・・・―
しかし俺の口座に幸福因子が残っているはずはなかった。
俺は奈緒を幸福にするという目的のために、自分が持っている莫大な幸福因子を放棄するという大きな我慢をした。それが大きな幸福因子を生み出すことになったようだ。
今俺の目の前にある幸福は親父から与えられたものではなく、俺が目的のために我慢をしたことに対する報酬なのだ。
「幸福バンク」終わり
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