「ゆきうさぎ」
ちょっと前のお話ですが、私は自宅のパソコンの前に座って、末娘が2歳の頃のビデオ映像を見ていました。当時小学校高学年だった二人の姉と遊んでいるところです。
そんな私の後ろから二人の姉たちが画面を見てこんな会話をしていました。
「この子どこいっちゃったんだろうねー?」
「いつの間にかいなくなったねー」
その後ろでは末娘がぽかんとした顔で画面を見つめています。
2歳の頃の末娘はとてもかわいらしく、姉二人は毎日かわいがって遊んでくれました。
そんな末娘も大きくなるにつれ、だんだんと生意気(?)になり、姉たちの勉強が忙しくなったこともあって徐々に3人が一緒に遊ぶ時間は少なくなっていったのです。
二人の姉にとっては今の末娘と2歳の頃の末娘は全く違った人間のように感じているのでしょう。
子供は大きくなるにつれ、人格が成長していきます。
1歳の頃と6歳の頃と15歳の頃では全く違った人格になっているわけで、それぞれ全く違う人間だと言っても過言ではありません。
子供の人格の変化がとてもゆっくりなために一緒に暮らしている親は気がつかないだけなのです。
二人の姉たちも2歳の頃と今では全く違った人間になっています。
今は私と喜んで遊んでくれる末娘も数年後には全く違った人間になっているはずで、そう考えるととても寂しい気持ちになります。
しかしそれが「子供が成長する」ということなのでしょう。
おなじ人間でも人格が変化すると違った人間になってしまう。
そんなことを思い出しながらこんなお話を書いてみました。
*****
「ゆきうさぎ」
【第一部 カリンの日記】
2011年 冬(2月) 香鈴(かりん) 小学3年生
*マリンへ*
きょうはユキがいっぱいふりました。
マリンにユキで作ったウサギをおくります。
二人でよく作ったね。
つめたくてごめんね。
耳が少しとれちゃったけどごめんね。
マリンがいなくなってもう1年になるけど
カリンは元気です。
もうすぐ4年生になります。
わたしたち、ふたごだからマリンも4年生だね。
いっしょにあそべなくてさみしいけど・・・
いっしょに学校に行けなくてさみしいけど・・・
そっちはどうですか?
天国にもユキはふりますか?
かぜひかないように気をつけてね。
*マリンへ*
今日またいつものユメを見たよ。
おうちが火事になって わたしは火の中にいるの。
気がつくと病院のベッドにねているんだ。
何でおなじユメばかり見るのかな?
マリンもユメを見るの?
どんなユメ?
マリンのユメの中にはカリンも出てくるの?
2011年春(4月) 香鈴 4年生
*マリンへ*
マリン、元気ですか?
わたしはちょっと元気がありません。
あしたは私のきらいなマラソン大会です。
マリンは走るのがとくいだったよね。
ようちえんのときからいつも一等しょうで、うらやましかったよ
マリンがわたしのかわりに走ってくれたらうれしいんだけど・・
*マリンへ*
きょうは とってもふしぎなことがありました。
きらいだったマラソン大会がいつのまにかおわっていたの。
きがついたら きょうしつに入っていて、わたし3ばんだって・・
先生もみんなもビックリしていたよ。
でもカリンは ぜんぜん おぼえていないの。
きっとマリンが わたしのかわりに 走ってくれたのかな?
もしそうなら これからも おねがいね。
2011年夏(7月) 香鈴 4年生
*マリンへ*
カリンはきょうも元気じゃありません。
だって あしたは写生の日だから わたしのきらいな 絵をかかないといけないの
マリンは 絵が上手だったよね。
またマラソンのときように天国からおりてきて わたしのかわりにかいてくれないかな?
でも そんなこと むりだよね。
ごめんね。こんなこと言って。
マリンにあいたいな・・・
天国ってどんなところ?
お友だちできた?
天国にも写生の時間あるの?
*マリンへ*
マリンありがとう!
きっとマリンだよね!
きょうも天国からおりてきてカリンのこと助けてくれたんだよね!
マリンがかいてくれた みどりの山ときれいな川の絵、みんなほめてくれたよ。
わたしは いやな気持ちでバスに乗ったところまで覚えているけど、あとは ぜんぜん おぼえていないの。
学校に帰ったら教室でカリンが前に出てほめられたよ。
マリンがかいてくれた絵、本当にすてき・・・
<カリンへ>
絵、あれでよかったかな?
わたし、カリンのために一生けんめい書いたよ。
マリンはやっとカリンの世界に出てこられるようになったの。
今までも ときどき出てきていたんだけど、すぐにもどされちゃって・・・。
でも やっとカリンに手紙かけるようになったから・・・。
おそくなったけど、3年生のときに作ってくれたユキのうさぎありがとうね。
とってもつめたくていい気持ちだった・・・。
耳がちょっと取れているのなんて ぜんぜん きにならなかったよ。
これからもよろしくね。
*マリンへ*
マリン!マリン!本当にマリンなの?
カリンの日記帳に書いてある字、マリンの字だよね?
カリンがねている間に天国からおりてきて、カリンに手紙かいてくれたの?
マラソンのときも写生のときもやっぱりマリンが助けてくれたんだ!
会いたい!
会いたいよ!マリン!
どうやったら会える?
こんど、いつこっちにこれるの?
<カリンへ>
ごめんね、カリン。
私はカリンに会うことはできないの。
でもカリンのことはいつも見守っているから・・・
つらいことがあったらマリンが助けてあげるよ。
2011年秋(10月) 香鈴 4年生
*マリンへ*
マリン助けて・・・
高沢さんたちがカリンをいじめるの。
私がうそつきだって・・・
約束したことも守らないし かりた絵の具も返さないって・・・
カリンは約束なんてしてないし、絵の具をかりたことだってないのに・・・
もう学校に行きたくないよ・・・
<カリンへ>
大丈夫だよカリン。
高沢さんたちはもうカリンのこといじめないよ。
絵の具のこともちゃんとわかってくれたから・・・
安心して学校に行っていいよ
*マリンへ*
ありがとうマリン。
高沢さんたち 今日は何も言わなかったよ。
私を見るとにげていくんだ。どうしてかな?
高沢さんのほっぺにキズがあったけど どうしたのかな?
ころんだのかな?
マリンはわたしのこと いつでも見まもってくれているんだね。
あいたいな・・・マリン・・・
2012年春(4月) 香鈴 5年生
*マリンへ*
マリン、元気ですか?
私は元気です。
5年生になって毎日6時間目まであるんだけど・・・
最近、学校が終わるのがすごく早いんだ・・・
月よう日になったかと思うとあっという間に金よう日が終わってるの。
でも体育とかいやな授業のことはほとんどおぼえてないから楽しいよ。
マリンにあいたいな・・・
*マリンへ*
今日お母さんと病院へ行ってきたよ。
カリンは病気なの?
こんなに元気なのに・・・
竜崎って言う先生にマリンのことも聞かれたよ。
マラソンのこととか、写生の絵のこととか言っちゃったけどよかったかな?
でも竜崎先生ってちょっとかっこよかったよ。
マリンも天国から見られる?
マリンもきっと好きになるんじゃないかな?
*マリンへ*
カリンは病気なんだって・・・
お母さんがむつかしい病名を教えてくれたよ。
「解離性 同一性 障害」
っていうんだって・・
別の名前でいうと
「多重人格」
っていうんだって・・・
漢字難しいよね。
竜崎先生は
「マリンはもういない」
って言うんだ・・。
カリンの中にもう一つ別の人格がいて、それがマリンなんだって・・・
そんなこと嘘だよね。
マリンは天国にいて 時々こっちにおりてきてカリンのことを助けてくれるんだよね。
お願い・・マリン・・・・
手紙ちょうだい・・
【第2部 診断】
2012年春(5月) 香鈴 5年生
「先生・・・香鈴(かりん)は・・・」
綾瀬佳子は竜崎真吾に不安そうな顔で聞いた。
「やはり解離性同一性障害だと思います」
竜崎真吾はメガネをほんの少し右手の中指で持ち上げて冷静な声で答えた。
「じゃあ・・・やっぱり・・・多重人格・・・」
佳子は暗い表情でつぶやいた。
「娘さんの心の中には麻鈴(まりん)というもう一人の人格がいます。娘さんが環境に適応できないときに麻鈴が現れて対応しているものと思います」
「麻鈴・・・やはり死んだ双子の姉が・・・」
「いえ、ちょっと違うのですが・・・亡くなられたもう一人の娘さんとは別の人格です。今、現れる麻鈴は香鈴が作り上げた新しい人格なのです」
「でも行動やしゃべり方は死んだ麻鈴にそっくりなんです。わたしは最初に見たときは麻鈴が生き返ったのかと・・・」
「今、我々の目の前に現れる麻鈴は香鈴の心の中から生まれました。一卵性双生児だった麻鈴の行動や性格は全て香鈴の記憶の中にあります。香鈴の記憶を受け継いで新しい麻鈴が生まれたのです。死んだ麻鈴にそっくりなのは当然のことです」
「香鈴は学校の勉強は得意なのですが、おとなしい性格で体育や絵は苦手なんです。それに対して麻鈴は運動が得意で、独創的な絵を描いていました。そしていつも妹の香鈴のことを気遣って、何かあると、かばってやっていました。あの子が描いた絵は、まさしく麻鈴が描いたものにそっくりです」
「運動や絵の素質は一卵性双生児の香鈴も持っているのでしょう。ただ、いままではそれが発現されていなかっただけなのです。麻鈴という別の人格が現れたことによって隠された素質が表面に現れたのでしょう」
佳子はほんの少しうなずいて、大きく息をつくとゆっくりと話し始めた。
「あの日・・・私は火事で夫を亡くしました・・・。そして香鈴も・・・逃げ送れてしまったのです。私は麻鈴をつれて外に出てから香鈴がいないことに気がつきました。麻鈴も・・・それに気がついて・・・燃え盛る炎の中に1人で飛び込んでいったのです」
佳子は目頭をほんの少しぬぐって続けた。
「麻鈴は、足を怪我して動けなくなっている香鈴を見つけて助け出しました。遅れて飛び込んだ私は麻鈴から受け取った香鈴を抱きかかえました。その瞬間、炎につつまれた柱が倒れて麻鈴を押し倒して・・・・・私と香鈴の目に映ったのは・・・苦しみながら燃えていく麻鈴の姿だったのです」
佳子の左手に涙がこぼれた。
竜崎はゆっくりうなずいて答えた。
「香鈴にとっては、自分を助けに来てくれた麻鈴が炎につつまれる光景は耐え難い苦痛だったのでしょう。香鈴の心の中ではそれが処理できずに、新しい人格が分離した。それが新しい麻鈴です。香鈴は思い出したくない記憶を麻鈴と言う新しい人格に背負わせることによって精神の均衡を何とか保ってきたのです」
「その新しい麻鈴は・・・」
「新しい麻鈴は香鈴の心の苦しみを請け負うために誕生しました。香鈴も最初は火事の記憶のみを麻鈴に渡しました。しかし、香鈴の中で麻鈴という人格は徐々に大きくなり、香鈴は日常生活でつらいことがあると自分は隠れてしまって、つらい現実を麻鈴に渡すようになったのです」
「じゃあ新しい麻鈴は香鈴のつらい部分だけを背負って・・」
「そのほうが香鈴にとっては都合がよかったのでしょう」
「これからどうしたら・・・」
「今のところ大きな問題は起こっていないようです。しばらくはこのまま様子をみましょう」
【第3部 香鈴】
1ヶ月前・・・
2012年春(4月) 香鈴 5年生
静かな診察室の中で竜崎と香鈴が向き合って座っていた。
「君は麻鈴のことを覚えている?」
竜崎真吾がちょっと微笑んで香鈴の顔を見て聞いた。
「もちろんです。私たちはとっても仲のいい双子の姉妹でしたから」
香鈴はきちんと椅子に座って両手を膝の上に置き、竜崎を見つめて答えた。
「あの火事の日のことも?」
「麻鈴が死んでしまった日?ええ・・・火事があってお父さんと麻鈴は逃げ遅れて死んでしまったの・・・」
香鈴は竜崎から顔をそむけ、ちょっと下を向いて答えた。
「そのときのことを覚えている?」
「足を怪我した私は・・・お母さんに助けられて、すぐ病院に連れて行かれたからよく覚えていないんですけど・・・麻鈴のことはあとから聞きました」
「そう・・・ところで・・・最近、麻鈴が時々君に話しかけるんだって?」
香鈴は顔を上げた。
「話は出来ないんですけど・・・日記に手紙を書いてくれるんです」
「日記に?」
「はい。私が朝、目が覚めてから日記を見ると麻鈴の字で書いてあるんです」
「それは間違いなく麻鈴の字なんだね?」
「ええ」
「それに時々学校でも麻鈴が助けてくれると・・・」
「私が苦手なマラソンや写生の時間になると私の変わりに・・・麻鈴が天国から降りてきて・・・私の代わりにいろいろやってくれるんです。変ですか?でも、本当なんです」
香鈴は竜崎の顔を不安げに覗き込みながら言った。
「その時、君はどうしているんだい?」
「覚えていないんです。気がつくと麻鈴はいなくて、私が先生からほめられているんです」
香鈴が首を横に振りながら答えた。
【第4部 麻鈴】
その1週間後・・・
2012年春(4月)
「君は誰だい?」
竜崎真吾が目の前に座っている少女に聞いた。
「わからない?麻鈴よ」
麻鈴はちょっとふてくされた笑みを浮かべて答えた。
「ごめんごめん。二人ともそっくりだからわからなかったよ」
「私たち双子だからね」
麻鈴は腕組みをしながら片足を組んで、ふふんと鼻をならすと横目で竜崎を見ながら言った。
「ところで、今日は麻鈴にいくつか質問していいかな?」
「いいよ」
「君はいつ生まれたのかな?」
「えっと・・・火事のときかな?覚えているのは目の前で女の子が火につつまれて死んでいくとこ」
「その前のことは?」
「うーん・・・わかんない」
「そのときから、時々出てくるようになった?」
「うん。最初は香鈴のこと、ただじっと見ているだけだったけど、香鈴が隠れたいって思うときにちょっと出れるようになって・・・」
「それまでは・・・香鈴のことを『ただじっと見ていただけ』なんだね?」
「うん。だって『そうするもの』だと思っていたから・・・」
「そうするもの?」
「私は香鈴のつらいことを引き受ける役目なの。だから香鈴が代わってほしいって思ったときには私が出て行くようにしているのよ」
「香鈴が君に頼むの?」
「頼むわけじゃないけど、わかるよ。双子だもん」
「じゃあ香鈴がイヤだって思ったときは君が出てきていやなことを代わりにやってあげるんだ」
「うん。最初はあまり出てこられなかったんだけど、最近はすぐに出てこられるよ」
「反対に君が香鈴に交代するのはどんなとき?」
「自分の役目が終わったら香鈴を呼びに行くんだ。もう出てきていいよって」
「そしたら香鈴がまた出てくる?」
「そう」
竜崎はちょっと息をついて窓に目をやり、そしてまたマリンのほうに向き直って聞いた。
「君はいつも香鈴の事を見ているって言ったよね。じゃあ香鈴も君の事を見ているのかな?」
「私はいつも香鈴を見ている。でも香鈴には私のことは見えない。だから日記に書いてあげるの」
「じゃあ香鈴が君の事を認識できるのは日記の中だけなんだね?」
「そうよ」
「ところで、香鈴は今どうしているの?」
「香鈴の部屋に入って1人でじっとしている。そこには誰も入れないの。私も入ることは出来ないけど外から呼ぶと香鈴は出てくるよ」
「それで君は自分の部屋に戻る・・・」
「そう」
竜崎はうなずいて椅子に深く腰掛け、そして話題を変えた。
「ところで・・・君が最初に見た火事の話だけど、その女の子の顔は覚えている?」
「顔かー・・・よく覚えていないなー。私と同じくらいの年の子だったと思うけど」
麻鈴が首をかしげて言った。
「その女の子が・・・麻鈴なんだよ」
「きゃははは!」
麻鈴は大声で笑い出した。
「おかしいかい?」
「おかしいよ。だって私はここにいるもん。火事で焼かれたらこうやって先生と話できないじゃないよ!」
麻鈴は笑い転げながら竜崎を見つめた。
「そりゃそうだよね」
竜崎は静かにうなずいた。
【第5部 支配】
半年後・・・
2012年秋(10月) 香鈴5年生
「お母さんの目から見て香鈴と麻鈴に何か変わったことはありますか?」
「いいえ、竜崎先生。あれからも時々麻鈴が出てきていますが、学校生活は特にトラブルなく送っているようです。でも最近は・・・麻鈴が出ていることが多くなったような・・・」
「そうですか」
竜崎は静かにうなずいた。
「先生・・・これから香鈴と麻鈴は・・・どうなっていくんでしょうか?」
綾瀬佳子は不安な表情で竜崎に聞いた。
「前にもお話しましたが、現在の綾瀬香鈴の体の中には『香鈴』と『麻鈴』という二つの人格が存在しています。二人で交互に一つの体を使っているのです」
「では・・・このままの状態で二人とも成長していくのでしょうか?」
「もちろん二つの人格が共存して社会生活を送っていける場合もあります。しかしお母さんも気がついているように、主人格である香鈴は、徐々に交代人格である麻鈴に圧倒されてきているようです。すでに綾瀬香鈴の半分以上の時間は麻鈴が使っているのだと思います。このままでは香鈴は心の隅に押しやられて出てくることは出来なくなるでしょう」
竜崎ははっきりした口調で答えた。
「すると香鈴が完全に麻鈴に変ってしまうと言うことでしょうか?」
「綾瀬さん、麻鈴は既に死んでいるのです。今我々の目の前に現れる麻鈴は香鈴が作り上げた『新しい麻鈴』であって綾瀬さんの娘の『麻鈴』ではないのです」
「では全く新しい人格が麻鈴を名乗って香鈴の体を支配すると・・・」
「そうなります」
二人の間にしばらく沈黙が流れた。
「どうすればいいのでしょうか・・・」
「このままでは香鈴の精神は消えてしまいます。私は・・・麻鈴は主人格である香鈴に統合されるべきだと思います」
「統合・・・」
「麻鈴の記憶や行動全てを香鈴に統合して新しい香鈴として成長させるということです」
「すると麻鈴は・・・」
「統合した時点で消滅します」
「そんな・・・麻鈴は・・・麻鈴は私の娘です・・・・。私は・・・うれしかった・・・麻鈴が現れたとき・・・・。最初は香鈴が麻鈴のまねをしているのだと思った。でもそのしゃべり方や行動、絵の描き方、全て麻鈴そのものでした。私は麻鈴が天国から降りてきて香鈴の体を借りて私に話しかけているのだと思いました。その麻鈴が・・・消えるなんて・・・」
「今の麻鈴は綾瀬さんの娘の麻鈴ではありません」
竜崎は静かに首を横に振って答えた。
「わかっています!わかっています!でも・・・」
綾瀬佳子はその場に泣き崩れた。
「お気持ちはわかります。しかし今大切なことは、香鈴の人格を守ることなのです」
佳子は涙を拭きながら鼻をすすって言った
「わかりました・・・でもどうやって二つの人格を・・・」
「幸い、麻鈴は香鈴を主人格と認めています。そして香鈴のために自分は生まれてきたと言う認識を持っています。麻鈴をうまく説得すれば統合が可能かもしれません。しかしその前に香鈴に前向きに生きる意識をしっかりと持たせることが重要です。つらいことがあっても逃げ出さないで自分で立ち向かう意識です」
【第6部 統合】
2ヵ月後・・・
2012年 暮れ(クリスマス)
雪がしんしんと降りしきる日曜日。診察室には竜崎と香鈴そして綾瀬佳子が座っていた。
「竜崎先生。これからも麻鈴とふたりでいたら・・・だめなんでしょうか?」
香鈴が不安そうに聞いた。
「麻鈴は・・・君が作り出した新しい人格なんだ。君の姉の麻鈴じゃないんだよ」
竜崎は優しいまなざしで香鈴を見つめながら言った。
「わたし・・・まだ信じられないんです・・・。麻鈴は本当に天国から降りてきて私を助けてくれているんです」
「それは君がつらいことから逃げたいと思っているから・・・。君はつらいことを全部麻鈴に背負わせているだけなんだ」
竜崎はちょっと間をあけて続けた。
「つらいことから逃げちゃいけない。君はもう十分大きくなった。つらいことには立ち向かっていけるはずだ」
香鈴は竜崎の言葉をうつむいたままじっと聞いていた。
そして顔を上げた。
「私たちが統合したら麻鈴はどうなるんですか?死んでしまうの?」
竜崎は大きく息をついて答えた。
「いや、麻鈴は・・・君の心の中で永遠に生き続ける。君は麻鈴とずっと一緒なんだ」
香鈴は下を向いて小さくうなずいた。
綾瀬佳子はそんな香鈴を見つめながら目頭を指でぬぐった。
「じゃあ香鈴、始めようか。君はしばらく休んでいるといい。麻鈴が君の中に統合されればまた目が覚める。そして目が覚めたら何があっても驚いちゃいけない。冷静に自分を見つめるんだ」
「わかりました」
香鈴はそう言いながら静かに目をつむった。
その次の瞬間、香鈴はぱっと目を開けて竜崎を見つめた。
「やあ、先生。元気?」
「ああ、麻鈴だね?」
「うん」
「麻鈴。君に大事な話があるんだ」
竜崎が麻鈴に向かって言った。
「先生が言いたいこと、だいたいわかってるよ。私に消えろっていうんでしょ?」
麻鈴は皮肉をこめた笑みを浮かべて竜崎を見つめた。
竜崎はちょっと息をついてから、ゆっくりと麻鈴のほうを見て言った。
「君は香鈴を守るために生まれてきたって言ったよね。その気持ちは今も変わっていない?」
「うん」
「じゃあ、香鈴がこれからの人生で幸せになるためにはどうするのが一番いいかな?」
「私がいると・・・香鈴がつらいことから全部逃げちゃうってこと?」
「僕は・・・それは香鈴にとって決して、いいことじゃないと思うんだが・・」
麻鈴はしばらくじっと下を向いて考えていたが、おもむろに顔を上げると天井を見つめて、
「やっぱり私が消えたほうがいいのかなー?」
「消えるんじゃないよ。香鈴の中に統合されるんだ。君は香鈴の一部になるんだよ」
「私が香鈴の一部に・・・」
「そう・・・君はいつまでも香鈴の心の中に生きている」
「そう・・・わかったよ」
麻鈴は大きく深呼吸をして竜崎をじっと見つめ、そして佳子をチラッと見た。
「じゃあ・・・私は消えるから・・・・・・。香鈴のこと、よろしくね」
「まって!麻鈴」
その時、佳子が突然声を上げた。
「綾瀬さん・・・」
竜崎は困惑した顔で佳子を見つめた。
「先生、やっぱり二人で・・・二人で共存は出来ないんでしょうか?」
佳子はすがるような目で竜崎を見つめた。
「綾瀬さん・・・」
「私にとっては麻鈴も大切な娘なんです!死んだと思った麻鈴が帰ってきてくれた。私はそれだけで・・・」
佳子は潤んだ瞳で麻鈴を見つめた。
「だめだよ、おかあさん」
麻鈴はちょっとはにかんだ笑顔で佳子のほうをチラッと見て、寂しそうに下を向いた。
「麻鈴・・・・」
「私がいると香鈴がだめになっちゃうんだよ・・・。きっと私は出てこないほうがよかったんだよ」
「そんなことはない。君が香鈴のつらい部分を受け取ってくれたから幼い香鈴は精神状態を保つことが出来たんだ。でも、香鈴は、もうつらいことに立ち向かっていけるだけ十分成長している。君が支えなくても・・・大丈夫だ」
「うん・・・そうだよね・・・わかったよ・・・・」
麻鈴は大きく深呼吸した。
「香鈴に・・・・よろしくね。香鈴ね、先生のこと気に入っているみたいだよ」
麻鈴はいたずらっぽい目で竜崎を見つめて微笑んだ。
「そうだ。香鈴に伝えておいて。またユキウサギ作ってねって」
「ユキウサギ?」
「そう言えばわかるから・・・・じゃあ・・・私、消えるから・・・」
「まって!まって!行かないで!麻鈴!あなたも私の大切な娘なの!あなたを失いたくないの!行かないで麻鈴!」
佳子が麻鈴の肩をつかんで揺さぶった。
麻鈴はほんの少し微笑んで佳子を見つめた。
「ありがとう・・・おかあさん・・・・・・・・。でも・・・・・さようなら・・・・楽しかったよ・・・・」
そして麻鈴は静かに目を閉じた。
次の瞬間・・・
「きゃー!」
麻鈴は大声を出して目を見開いた。
「どうしたの!麻鈴!」
佳子は麻鈴の体を抱きかかえて叫んだ。
「麻鈴が!麻鈴が!燃える!」
「綾瀬さん!これは麻鈴じゃない!もう香鈴に戻っている!」
竜崎が叫んだ。
「きゃー!麻鈴!麻鈴!おかあさん!麻鈴を助けて!」
香鈴は体を震わせながらまっすぐ前を見つめて叫んだ。
「香鈴!しっかりして!ここは病院よ!」
佳子はおびえる香鈴の肩をつかんで揺さぶった。
「香鈴!今見えているのは現実じゃない!君の昔の記憶だ!麻鈴が死んだときの昔の記憶がよみがえったんだ」
竜崎が香鈴の目をしっかりと見つめて言った。
「昔の・・・記憶・・・?」
「そうだ!君が忘れようとして、もう一つの人格に与えた記憶が今、統合されたんだ」
「じゃあ麻鈴は・・」
「麻鈴は・・・あなたを助けようとして火の中に飛び込んで・・・柱の下になって死んでしまったのよ・・・」
佳子が泣きながら香鈴に話しかけた。
「麻鈴が・・私を助けようとして・・・そうだ・・・周り中、火の海の中で私、怪我をして動けなかった・・・。とても苦しくて・・・熱くて・・・。そしたら・・・麻鈴が・・・麻鈴が私を助けに来てくれた・・・。そして・・・私の代わりに麻鈴が火につつまれて・・・」
香鈴は両手で顔を覆った。
「麻鈴のおかげであなたは助かったのよ」
「そんな・・・いや・・・いやよ!麻鈴が私のために・・・!」
香鈴は首を横に振りながら立ち上がって佳子の腕を振り切り、部屋を飛び出そうとした。
その瞬間、香鈴の腕を竜崎が捕らえた。
「香鈴!現実を見つめるんだ!君はもう十分成長した。もう現実を受け止めることが出来るはずだ!麻鈴は君に命を託して天国に行った。君は麻鈴の分も生きる必要があるんだ!」
香鈴はその場に座り込んでうつろな目で竜崎を見つめた。
「じゃあ・・・今まで学校で私を助けてくれた麻鈴は・・・?」
「君の心が作り出した新しい麻鈴だ。そしてその麻鈴ももういない。君の中で一つになった」
「私の中に麻鈴が・・・?」
「そうだ。麻鈴は君の中で生きている」
「私の中で麻鈴が生きている・・・」
【第7部エピローグ】
1ヵ月後・・・
2013年冬(1月) 香鈴 5年生
「あれから香鈴はどうですか?」
綾瀬家のリビングで温かいコーヒーを飲みながら竜崎が佳子に聞いた。
「ようやく落ち着いて以前の香鈴に戻りました。麻鈴の死のことも受け入れているようです」
「麻鈴はもう現れませんか?」
「はい・・・でも・・・」
「でも?」
「香鈴は・・・性格がすこし変わったみたいで・・・。運動も積極的にするようになって、絵もまるで麻鈴が描いたような絵を描くんです。でも話をすると・・・香鈴なんです」
「二つの人格が統合されたためでしょう」
「でも先生・・・本当は麻鈴が天国から降りてきて香鈴の中で・・・一緒になったんじゃないんでしょうか?私にはどうしてもそう思えてしまって・・・」
「私は・・・科学で証明できないことには興味ありません。でも・・・綾瀬さんがそう感じるならばそれでいいじゃないですか。人の心も、世の中の法則も、科学ではほとんどわかっていないのですから・・・」
竜崎はカップに口をつけると、ほんの少し微笑みながら外を見やった。
窓の側には雪で作った小さなウサギが2匹、仲良く並んでおかれていた。
ゆきうさぎ 終わり
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