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2012年8月20日 (月)

「崩れた顔」

小学校の頃に読んだ漫画のストーリーをモチーフにして書いてみました。

「崩れた顔」

 

まあ、私の話をしばらく聞いてもらえますか。

この年になると若い人に昔の話を聞いていただくのが唯一の楽しみで・・・。

ああ・・これですか?ちょっと訳があってこんな恰好をしていますが・・・勘弁してください。

***

昭和24-5年と言えばようやく戦後の混乱も落ち着いてきたころでしたが、まだみんな食うのにやっとで四苦八苦でした。

二十歳そこそこだった私は、親から譲り受けた反物の行商で何とか生計を立てていましたがね、その日は運よく持って行った商品が全部売れて、私は意気揚々として帰途についていたところでした。

と言っても母親が待つ家に帰るまでは3日も歩かなくてはならない、かといって今のようなホテルや旅館なんてほとんどない。

私は野宿をしたり、親切なお宅にお邪魔したりして一夜一夜を過ごしてきたわけですよ。

 

山越えをしたその日は夕方からひどい雨になりました。

山の中でその洋館の灯りを見つけた時は砂漠のオアシスを見つけたような気分でした。

私は古びた門を開けて玄関下に走りこむと必死で大きな戸をたたきました。

「すみませーん!旅のものです!途中で雨にあってしまって、しばらく休ませてもらえないでしょうか!」

しばらくするとドアがゆっくりと開きました。

「まあ、それはお困りでしょう・・・」

私はそこから出てきた女性をぽかんと口を開けたまま黙って見つめてしまいました。

年のころは当時の私と同じ二十歳そこそこでしょうか・・

日本人離れした堀の深い顔立ちに大きな瞳、きゅっとしまったウエストが引き立つような華やかな洋装。

当時の日本の女性の服装は、それはそれはみすぼらしいものでしたから、その女性はまるで外国映画から飛び出してきたような錯覚を覚えました。

「さあ、お入りください」

その女性は明るい笑顔で私を屋敷の中に迎え入れてくれました。

 

リビングに招かれた私はまたびっくり・・・

もう一人、やはり外国映画のヒロインのような美しい女性が私の目の前に現れたのです。

「お姉さま、旅のお方だそうです。山を越えようとして急にこのどしゃ降りに会われたそうですの」

先ほどの女性が話します。

「まあ・・・それはお困りでしょう。どうぞ・・・おかけください。何もございませんが・・・雨をしのぐことくらいはできますでしょう」

姉と言われた女性が物静かな声で私を招き入れ、テーブルの椅子に座らせてくれました。

私は洋風の館というものは初めてでしたので周りにあるものすべてが珍しく、きょろきょろ見回してしまいました。

 

「こんなご時世ですのであまりおもてなしもできませんが・・・」

テーブルの上に並べられたごちそうを見て私はまたまたびっくりしてしまいました。

ソーセージや卵焼き、パン、それに果物などとてもその当時は食べられないようなものばかりでした。

「い・・いや・・・こんなつもりでは・・・雨がやむまでの雨宿りさえできれば・・・」

私は恐縮してしまって言葉も出ませんでした。

「よろしいじゃありませんか・・・。ここにいると私も妹もほかの方と接する機会がほとんどなくて・・・・。ゆっくりと旅のお話を聞かせていただけませんか?雨が止んでも夜の山道は危のうございます。今晩はゆっくりお泊りいただいて、あすお立ちになればよろしいかと・・・」

「え?泊まる??いや・・・いや・・・そんなわけには・・・」

「よろしいのですよ・・。京子ちゃん、二階の空いている寝室を一つ用意してくださいな」

「はい、お姉さま」

京子と呼ばれた女性はうれしそうに立ち上がるとらせんの階段を駆け足で上っていきました。

 私は半ば呆然としてその美しい後姿を見つめていました。

 

さて、最初は遠慮していた私も食事が進み、ワインという西洋のお酒を口にしてだんだん気分が紅潮し、旅の話や失敗話など上機嫌でまくし立てていました。

美しい姉妹は上品に笑いながら私の話を真剣に聞いてくれました。

そして自分たちの話も少しずつしてくれるようになったのです。

姉の名前は雅子、24歳。妹は京子、先日20歳になったばかりとのこと。

父親はドイツ人の外交官で、日本人である彼女たちの母親と結婚したが終戦後間もなく病気で他界。

母親も昨年から体を壊し、病の床に就いているとのこと。

 

「お母様もお悪いのですか・・・」

私の言葉に姉妹は暗い表情で顔を見合わせました。

「本当はここに降りてこさせて、あいさつさせるべきなのですが・・」

「いえ!いえ!とんでもない!どうか、そのまま養生なさってください!」

私はあわてて首を横に振りました。

「2階の一番奥の部屋には母親が休んでおります。あの・・・どうかその部屋にはお近づきにならないように・・・」

「近づかないように・・?というと・・・伝染病か何か・・?」

私の言葉に姉妹はそろって顔を伏せてしまいました。

「あ・・・すみません!余計なことを・・・」

 

食事を終えた私は二階の寝室に案内されたのです。

当時の山の中には電気なんて通っていませんよ。

ランプの灯りだけです。

まあ、晴れた日なら月明りで少しは見えるのでしょうが、あいにく当日は雨でしたからランプの灯りを消すと何にも見えなくなってしまいました。

 

目をつむっても私はなかなか眠れませんでした。

そりゃそうでしょう?

その扉のすぐ向こうにはあの美しい姉妹が眠っているのです。

私がその部屋を出てどこかの部屋に潜り込めば姉妹のどちらかの部屋に入ることができるわけですよ。

もちろん一番奥の部屋にだけは行けませんけどね・・・。 

ただ私も受けた恩をあだで返すような悪人ではないと思っていますので自分のそんなげすな欲望は必死でこらえました。

そうしているうちに旅の疲れもあって私はうとうとしてしまったのです。

 

私が荒い息遣いに気が付いたのはそれからしばらくしてからでしょうか・・・

私が目を開けると、その呼吸の主はなんと私の布団の中に潜り込んできたのです。

私はびっくりして飛び起きようとしましたが、彼女は・・・そう・・それは女性だということは私にもすぐわかりました。

彼女は・・・私の体をきつくつかんでまた布団の中におしこんだのです。

そして彼女は私の下半身にむかって・・・

若かった私は、もうなにもできませんでした。

真っ暗な中で相手が誰なのかも分からないまま、私は行為に及んでしまったのです。

私はその最中、さっき話をしていた姉妹の顔を交互に思い浮かべました。

今ここにいるのはどちらなのだろうか?

あの物静かな姉だろうか?

それとも明るくおちゃめな妹のほうが・・・

どちらでもいい・・・

とにかくどちらかの女性と私はいま、交わっているのだと・・

 

すべてが終わった後、彼女は何も言わずにあっという間に部屋を出て行ってしまいました。

私は心も体も満足して、深い眠りに落ちて行ったのでした。

 

翌日の朝食のとき、私は姉妹の様子をそれとなく観察していました。

この日本人離れした外見の、美しい二人のうちどちらかと私は昨日交わったのだ。

それはもうまぎれもない事実で私の記憶の中にしっかりと刻まれている。

私は自然と笑みがこぼれてくるのを隠すように二人の様子を見つめていたのでした。

しかし二人とも何も変わったそぶりは見せません。

まるで昨日のことなどなかったかのようにお互い明るく話しあっています。

「まあ・・・相手に知られるのは困るんだろうな・・・」

そんなことを考えながら私も何も言わずにその洋館を後にしたのでした。

 

昨日とはうって変わった日本晴れの山道を私は意気揚々とふもとの町に向かって歩いていました。

1時間も歩くとようやく田畑や家屋が現れ、人の往来もちらほらと見えるようになりました。

喉が渇いたと思った矢先に雑貨屋が目に留まりました。

私はそそくさと店の中に入っていったのです。

その店の親父は店の中でも山高帽とマスクをつけていました。

私は買ったラムネを飲みながら一息つくと、昨日の出来事を話さずにはおられませんでした。

私は店の親父に得意げにあの洋館の美しい姉妹のことを話し始めました。

そして夜の秘め事を・・・

それを聞いていた店の親父は、ちょっと同情するような表情で私を見つめたのでした。

「旅のお方・・・あの美しい姉妹の父親の話を聞かれなすったか?」

「父親?ああ・・なんでもドイツの外交官で、終戦後すぐに病気で亡くなったと・・・」

「ああ・・・。どんな病かご存知かな?」

「いや・・・そこまでは聞けなかったのですが・・」

「顔が・・・顔が崩れる病だそうな・・・」

「顔が崩れる?」

「詳しいことはわしにもわからんが、その病にかかると髪は抜け、鼻は崩れ、唇は腫れあがり、まるで妖怪のような二目とみられん顔になってしまう。そして、その病は・・うつるそうじゃ・・」

「うつる・・?」

「そう。ただし手をつないだからうつるのではない。その患者と男と女として交わって初めてうつるらしい」

「男と・・女として交わって・・・」

私はつばを飲み込んで聞き返しました。

「当然姉妹の母親も同じ病気にかかってしまった」

「二階の奥の部屋で寝ていると・・・」

俺は震える声で言った。

「そう・・・ただ治療により命は取り留めたらしいが・・崩れた顔は、戻らない」

「・・・」

「客が来ても人前に出ることはできず、ずっと部屋の中で過ごしているという話じゃ」

そして一息ついて店の親父は話を続けた。

「実はわしも一度あの洋館に泊まったことがあってな・・・」

「え?」

「案内された部屋でわしが寝ていると誰かがわしの布団にもぐりこんできた。わしはあの姉妹のどちらかだと思って夢中で交わってしまったのだが・・・。その日は晴れた三日月の夜でほんのわずかに月明かりがあった。彼女が部屋を出るときにわしはほんの一瞬だけ顔を見てしまった」

「そ・・・それは・・・」

俺は蚊の鳴くような声でやっとのことで聞き返した。

「髪は抜け、鼻は崩れ落ち、唇が腫れあがった、まるで妖怪のような・・・女だった」

「か・・髪がぬけ・・・鼻が・・・崩れて・・・・」

「たぶん客が訪ねてくるたびにあの姉妹は、夫に先立たれ、二目とみられない顔になってしまった哀れな母親の火照った体を満たすために客を泊めていたのじゃろう・・・・。彼女の顔を見てしまったわしはびっくりして一目散に逃げ出してしまった」

「その女は・・・ど・・・どんな顔で・・」

「どんな顔?見たいのか?そうじゃな・・・こんな顔じゃ・・・」

帽子とマスクをとった店の親父の顔を見た私は腰を抜かしてしまいました。

「ば・・・化け物・・!」

そして、あわててその町を後にしたのです。

***

これで・・・私の話はおわりです。

最後まで聞いてくださってありがとうございました。

年を取ると若い人に昔話をすることだけが楽しみになりましてね・・・

え?その親父の顔は?どんな顔かって?

そうですか・・・あなたも・・・見たいのですか?

知りませんよ。腰を抜かしても・・・・

ほら・・・こんな・・・顔ですよ・・・・

 

年老いた男はサングラスと帽子とマスクをゆっくりと外した。

 

「崩れた顔」 終わり

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