「ロボットDr.J」第4章
第4章 定期点検・・・だぴょーん・・・
Jの定期点検の日曜日が来た。
景子はJとともに部長室で桜井と真田が来るのを待っていた。
「定期点検を受けるってどんな気分だ?」
<決められたプログラムに従ってチェックを受けるだけですので何も変わりありません>
「人間でいえば人間ドックを受ける前の心境だろ?異常が見つかったらと不安にならないのか?」
<人間が不安になるのは病気を発見されることにより入院や死の恐怖が現実になることに由来します。私の場合は異常が見つかれば修理が行われるにすぎません>
「まあ、お前は病気で死ぬことはないからな・・」
<私の頭部にあるMPUチップが致命的に破損しない限り私には死というものはあり得ません>
「あーなんか固いんだよな、その言い方・・・。お前の言い方はどっか機械的すぎるんだよ。そんなんじゃ人間になれないぞ。もっと感情をこめて言葉を選ばないと・・。そうだな・・・たとえば・・私には死というものはあり得ません?そんなのは、僕は死にませーん!でいいんだ」
<僕は・・しにませーん・・・>
「そうそう、いいぞ。あとでマザーから武田鉄也のドラマを借りて見ておけ。俺も中学校時代に見ただけだけどな。そのあとに『あなたが好きだからー』をつけるともっといいぞ」
< ・・・・・・了解しました・・・・ケイ>
「あー・・その言い方もダメなんだよ。了解しました?いかにも機械的だろ?せめて『わかりました』とかいえないのか?場合によっちゃ『ヘイ、がってんだ!』とか『わかったぴょーん!』なんてのもいいぞ」
景子は笑いながら言った。
<・・・わかった・・ぴょー・・・ん>
「あ・・今のは冗談だから・・・本気にするな。せめて『ヘイ、がってんだ』にしておけ」
景子はあわててJの言葉を打ち消した。
<ヘイ・・がってんだ>
「そうそう。それを時と場合によって使い分けるんだぞ?お偉いさんの前では『了解しました』でいいんだ。フランクな間柄だったら『がってんだ』でいい」
その時、ドアがノックされ、桜井と真田がやってきた。
「やあ橘先生。お待たせしました。Jの点検をさせていただきます。真田君、橘先生は時間がないんだ。てっとり早く頼むよ」
桜井が真田に向かって指示した。
真田は無言でうなずくと、Jの後ろに回り、何やら操作するとJの目の灯りが消えた。
桜井が景子に聞いた。
「橘先生、どうでしょう?1週間Jを使ってみて・・」
「ああ・・・まあ、思ったより使えますかね・・・」
「それは良かった!じゃあ、引き続きテスト期間お願いできますね」
「まあ・・いいですけど・・・」
その横では真田がカートに積んで運んできた物品を使ってJの機能を点検し、不足している薬剤などを補充していた。
30分後点検が終了し、真田がJを再起動させた。
<おはようございます。ケイ>
「ああ。どうだ?腹ふくれたか?」
<バッテリーはフル充電したものに取り換えてもらいましたが私のおなかの容積が増えたわけではありませんのでその言い方は妥当ではありません>
「こんな調子ですよ・・・」
景子は苦笑して桜井に言った。
「まあ・・徐々に人間的な言い回しも理解するようになると思いますが・・・」
「そうでしょうかね?じゃあ、交通外傷の患者が来るらしいので救急外来に行ってきますので・・・、J、行くぞ!」
景子が立ち上がると同時に・・・
<へい・・・がって・・・>
その瞬間景子があわててJを抱きかかえて耳元でささやいた。
「ば・・・ばか!違うだろ!教えたとおりに答えろ!お・し・え・た・とおりにだ・・・。偉い人の前では?」
しばらく沈黙してからJが答えた。
<・・・了解しました・・・ケイ>
「そうそう・・それでいいんだよ」
景子は額の汗をぬぐいながらひきつった笑顔で桜井にかるく会釈するとあわてて救急外来に向かった。
後ろから真田がにやっと笑みを浮かべてJの後ろ姿を見送っていた。
「18歳男性!バイクを運転していて対向車線にはみ出してトラックと正面衝突!到着時心肺停止状態で蘇生処置をしながら搬送しました!」
救急隊が心臓マッサージをしながら運んできた若い男性の頭部はべっとりと血でぬれていた。
「こりゃひどいな・・・頭が変形してるじゃないか」
「ベッドに移します!1,2,3!」
看護師がモニターを装着し、点滴ラインを確保していった。景子は救急隊に代わって心臓マッサージを始めた。
Jは患者を観察して言った。
<自発呼吸なし。モニター上、自己心拍感知できず。右前頭部に陥没あり。ケイ、残念ですがこの患者は助かりません。心肺停止状態で頭部も強く変形しており脳にもかなりの障害があることがわかります。多分ヘルメットをせずにバイクを運転していたと思われます。万が一命を取り留めても意識が戻ることはないでしょう>
「そんなことはわかってる!わかっててもやらなきゃいけないことがあるんだ!」
景子は心マッサージを続けながら言った。
<ケイの言葉の意味が理解できません。助からない患者は早めに死亡宣告をして次の患者を受け入れたほうがはるかに効率的です>
「つべこべ言うな!俺に代わって心臓マッサージを続けろ!」
<了解しました、ケイ。体格から速度毎秒12cm、深度8cm、頻度毎分60回で心臓マッサージを施行します>
Jはケイに代わって心臓マッサージを始めた。
<心臓マッサージによる体動を補正して心電図モニター解析します>
Jの胸部に心電図モニター画面が開いた。Jの手掌で感知された患者の電位がモニター画面に表示された。心臓マッサージ中はマッサージのタイミングに従ってモニター画面には大きな波形が記録される。Jの体動補正プログラムが起動すると波形はフラットになった。
<・・・自己心拍はやはり確認できず>
「家族は?」
景子が看護師に聞いた。
「今連絡が付きました。お母さんがこっちに向かっています!」
「母親か・・父親はどうした?」
「それが・・離婚されて・・・母一人子一人のようです」
「まずいな・・・」
景子はつぶやいた。
<ケイ、何がまずいのでしょうか?>
Jが心臓マッサージを続けながら聞いた。
「一人息子のこんな姿を母親が見て大丈夫だと思うか?」
<それは・・母親が受けるショックのことでしょうか?>
「ああ」
<この患者は助かりません。遅かれ早かれ同じショックを受けるのでは?>
「人間の気持ちはそんな単純なもんじゃない!いきなり受けたショックは何倍も強いんだ!」
Jはそのまま心臓マッサージを続けた。
「家族の方が見えました!」
「よし、隣の処置室に案内してください」
景子は手袋をはずして処置室に向かった。
焦燥し切った表情の母親は景子を見ると立ち上がりそばに寄ってきた。
「救急医の橘景子です」
「先生!祐樹は?祐樹はどうなんですか!」
母親が景子の白衣をつかんで詰め寄った。
しばらく間をおいて景子が答えた。
「非常に厳しい状態です。ここに運ばれてきたときには心肺停止状態で脳にもかなりのダメージがあるようです。いま蘇生処置を行っています。」
「心肺停止・・!心臓が止まっているんですか!」
「はい・・・今心臓マッサージと強心剤投与、人工呼吸を行っています。」
「見込みは・・・助かる見込みはあるんですか?」
母親は涙を流しながら聞いた。
「できるだけのことはやっています。しばらく待合室でお待ちください」
「祐樹には・・あえないんですか?祐樹に会わせてください!」
「今心肺蘇生処置中です。すみませんがもうしばらくお待ちください」
母親は看護師に支えられて処置室をでた。
「どうだ?J」
<状況は変化ありません。自己心拍は全く戻りません>
「そうか、そのまま続けろ」
<了解しました。ケイ>
「ボスミンをもう1A静注してください!」
「はい。ボスミン準備します」
看護師が薬剤トレイに向かった。
<ケイ>
「なんだ?」
<どうして母親にだめだと断言しなかったのですか?可能性があるようなことを言うのはかえって逆効果だと思いますが>
「俺の話から母親は息子がかなり危ないことは理解した。しかしわずかな望みを持っている。それが今の彼女をささえているんだ。しかし時間がたつにつれて確率がだんだん悪くなることを知る。そして徐々に息子の死を受け入れる心の準備ができてくる。それまで蘇生処置を続ける」
<今やっている処置は患者のためではなく母親のためということですね>
「そうだ。悪いか?」
景子は嫌悪の目でJを見つめた。
<私のプログラムは患者の命を救うために機能しています。しかしケイの命令には従うようにプログラムされています。ケイが命令したことを私は遂行します>
「じゃあつべこべいわずに続けろ」
<了解しました。ケイ>
Jは心臓マッサージを続けた。
心臓マッサージを継続することはかなりの体力を要する。通常の医療従事者の場合、20分も連続して心臓マッサージを継続すると腕に疲労がたまり手の感覚がなくなってくる。
しかしJは全く疲労を訴えることもなく心臓マッサージを決められた速度で黙々と継続している。Jの胸部モニターは相変わらずフラットのままだ。
30分後、景子が言った。
「J、手を止めろ」
<了解しました。ケイ>
Jが心臓マッサージを中止すると救急外来の心電図モニター画面には1本の線のみが表示された。
「10時25分。死亡確認。看護師さん、頭に包帯を巻いて変形しているところを隠してもらえます?そのあとお母さんを入れてください」
母親が看護師に支えられながら入ってきた。
「残念ですが・・・心拍は戻りませんでした。10時25分、死亡を確認しました」
母親はうるんだ目で景子を見つめた後、息子の遺体に顔を向けた。
「祐樹!祐樹!」
そしてシーツを掛けられた息子の身体を抱きかかえるようにして揺さぶった。
「ばか!なんで母さんをおいていくの!あんたがいなくなったら母さんはどうやって生きて行ったらいいの?目を開けなさい!もう一度目を開けて!祐樹!」
景子は母親をじっと見つめて看護師に行った。
「メンタルサポートのチームに連絡してください。お母さんのケアをお願いしてください」
そしてだまって救急室を離れた。
その後しばらく外来患者は途切れ、景子は部長室でソファにもたれて目をつむっていた。
<ケイ、質問していいですか?>
「めんどくせーな・・ダメだって言っても聞くんだろ?」
<いいえ、私はケイの命令には従います>
「ああめんどくせー!なんだ?俺にわかることだったらなんだって教えてやるよ!」
景子は不機嫌そうな声でJに向かって言い放った。
<じゃあ質問します。ケイは幸せですか>
「幸せ?お前何言ってんだ?俺が幸せそうに見えるか?」
<幸福な人間は笑顔の時間帯が多くなります。私はケイの笑顔をほとんど見たことがありません>
「そうだろうな・・・」
<ケイはどうして不幸なのですか?>
「どうして?幸せじゃないからだよ」
<その論理は回帰するだけで先に進みません>
「進もうが戻ろうが幸せじゃないものは幸せじゃないんだよ」
<ケイが幸福でない理由を教えてください。人間が幸福を感じる条件を検討するときの参考にしたいのです>
「俺はお前のモルモットってわけか?」
<モルモットという意味は実験動物ということです。ケイは私に医療と人間の心を教えてくれるブルーフェアリーです>
「ブルーフェアリーね・・あ・・何となく弱いな、そのたとえ。まあ、いいか・・・じゃあ俺の身の上話でも聞かせてやるよ」
「俺が結婚したのは大学6年の時だ。相手は5年上の心臓外科の先輩医師。卒業して2年目の時に妊娠して初期研修が終了と同時に出産、そのまま産休と1年間の育休に入ったってわけだ。あれは子供が生まれて半年くらいだったな。旦那は隣町の病院に当直。子供は前の日から熱を出して寝込んでいたんだ」
「まだ39度あるか・・・食欲もないし・・・座薬入れて明日小児科につれていかないとね・・。それにしてもこんな時に当直なんて、子供が熱出した時くらい誰かに代わってもらえばいいのに・・・」
景子は不安な気持ちで子供に座薬を入れた。
子供の状態が悪化したのは夜中の12時を回ったころだった。
「まずい・・息が荒い・・。これ・・・普通の風邪じゃない」
景子は携帯を取り出し、夫に繰り返し電話した。
「なんで出ないの・・・。当直だって携帯くらいもってるでしょ?ほとんど寝当直だっていってたじゃない・・・」
その時急に子供がけいれんを始めた。
「慎太郎!慎太郎!どうしたの!」
景子は子供を抱えて救急車を呼び、病院に運んだ。
病状はあっという間に進行し、夜通しの治療にもかかわらず子供は息を引き取った。
インフルエンザ脳症
それが最終的に下された診断だった。
ようやく連絡がついた夫が病院に到着したのは遺体を自宅に運ぼうとした時だった。
そして景子は夫がその日当直ではなく、知り合いの看護師と一晩を過ごしていたことを知るのであった。
<ご主人とはそれがきっかけで離婚したのですか?>
「あたりまえだろ?子供が死ぬときにほかの女と浮気してたんだぞ。しかも前の日から熱があることがわかっているのにだ」
<それからケイは仕事に戻ったのですか>
「ああ。この病院に内科医として勤務したけどこれがまたひどいもんだ。内科部長は日和見主義で問題が起こってものらりくらり。全部部下に押し付ける。同僚も自分のことしか考えない自分勝手なやつばかり。もうやめようと思っていたところに救急部の部長の話だ。内科よりはましだろうと思っていたらとんでもない。数人の部下は使えないやつばかり。後始末は全部こっち。挙句の果てにはこんなお荷物の世話まで・・・」
<お荷物とはこの場合、負担になる仕事の意味でつかわれる言葉だと思いますが・・・私のことでしょうか?>
「あ・・いや、気にするな。俺はなんでもストレートに言うたちだから・・。まあ、こんな境遇で幸せなんて感じられるわけないだろ?」
Jはしばらく黙っていた。
<そうでしょうか?>
「なんだ?お前に何がわかるんだ?」
ケイはむっとして答えた。
<ケイ、ケイの26歳からの人生が数々の苦痛を伴うものであったことは理解しました。しかし人間の幸福というものは周りの環境だけで規定されるものではないと思います>
「おやおや・・ロボット様が人間にお説教ってわけか?」
<ケイ、私の呼称に様をつける必要はありません。それに私はロボットではなく診療補助アンドロイドです>
「そんなことはどうだっていいんだよ!」
景子はぶすっとして横を向いた。
<人間はいろいろな環境で生活しています。どんな環境にあっても幸福を感じることはできるのではないでしょうか?>
「子供が死んでも幸せってことか!」
<子供の死は人間にとって最も悲しい出来事の一つと私のMPUも理解しています。しかし人間は悲しみを克服できると教えられました。一つの悲しみを乗り越えて別の幸福をつかむことができるのではないのですか?>
「ロボットがわかったようなことを言うな!」
<ケイのお子さんがなくなってから数年が経過しています。今、ケイが不幸なのはお子さんがなくなったからなのですか?>
「子供のことはもう仕方ないことだからあきらめてるよ。俺が不幸なのは今の環境があまりにもひどいからだよ」
<しかしケイは健康で毎日仕事ができるし、食事も食べています。救急にやってくる患者たちに比べればはるかに幸福を感じる要素が多いと思うのです。先ほどの母親も子供を急に亡くしました。ケイと同じ境遇のはずですが、今日にかぎって言えばケイはあの母親よりは幸福なのではないでしょうか。それに、ケイは患者がよくなったときには笑顔になります。そんな時は幸福なのではないのですか?人間はだれかを幸せにしたときには自分も幸福を感じるのでしょうか?>
「あー・・・わかったわかった・・もういいから・・俺はこれからの仕事に備えてちょっと横になるからお前はしばらく出てろ」
景子はそういいながらJを部屋の外に押し出した。
「俺が・・・幸福・・・・?そんなわけ・・ないだろ?」
景子は仰向けになってそうつぶやきながら天井を見上げていた。
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