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2013年11月

2013年11月 3日 (日)

「ゼウスの火」第3章、エピローグ

3章 終焉

 

927日(木曜日)

 

【最初でそして最後の攻撃】

 

 美里は再び帝都微生物研究所を訪れていた。

「今日で・・・すべてが終わる」

 美里は大きく深呼吸をして久留間神児を待った。

「これはこれは高梨美里先生。またお会いできましたね。ついに降参ですか?」

 久留間神児は応接室に入ってくるなり見下した態度で美里を見つめると、ゆっくりと美里の前に座った。

「あー・・降参じゃなくて・・・ちょっと違うんですけど。戦いの続きです。今日は私のほうからの攻撃です」

「ほう・・攻撃! これはこれは・・・呪いの謎が解けたとでも?」

「はい」

「伺いましょう・・・美里ちゃんの謎解きを・・・」

 久留間神児は余裕を持った顔で微笑みながら足を組んでソファにどっかりと腰を落とした。

「このDVDを調べたら、ところどころに波長600nmの赤い光がごく短時間の周期で複数回挿入されていました。これが呪いの正体です。この光が人間の網膜に吸収されるとその刺激は細胞内の核に伝わります。でも色覚異常がある人にはこの波長の光は吸収されないので呪いを受けないのです」

「DVDを細かく調べたわけですね。それはお見事。ただそれはイージスの盾の謎の解明にすぎません。パンドラウイルス感染の仕組みを説明したことにはならない。パンドラウイルスがどこから来たのか解明できたのですか?」

「はい、もちろん。パンドラウイルスに感染していない人の遺伝子を調べたところ第6番染色体の短腕にパンドラウイルスRNAと同じシークエンスのDNAが53リピート検出されました」

 久留間神児はぴくっと眉を動かし、そしてまた何事もなかったかのように美里の話を聞いていた。

「パンドラウイルスは外から感染したのではありません。もともと我々人類の体の中に潜んでいるのです。600nmの光を特殊な周期で網膜細胞に吸収させることにより網膜細胞の核の中で眠っていたパンドラウイルスのDNAが活性化されるのです。

その活性化したDNAから遺伝子情報が読み込まれるとパンドラウイルスRNAが大量に作成され、そのRNAからさらにウイルスを包むエンベロープ蛋白が合成され、完成されたウイルスとなって血液中に放出されます。

網膜細胞で起こった炎症により色覚異常が発生し、さらに眼球の充血と突出が起こります。

血液中に放出されたウイルスは全身の細胞や白血球に感染し、数日後に組織を破壊して多臓器不全を併発するのです」

「なるほどね・・・」

「これがFSISの正体です。私の推論は間違えていないはずですが・・・」

 美里は久留間神児をにらんで自信を持って言った。

「お見事。高梨先生」

 久留間神児は両手をたたいてゆっくりと拍手した。

「しかしまだ呪いがとかれる謎が解明されていないようですが・・・」

 美里はゆっくりと話を続けた。

「パンドラウイルスが血液中に放出されると白血球や全身の組織の細胞に感染します。

普通、ウイルスが白血球などの人体の細胞に感染すると、その細胞表面のHLAが変化し、Tリンパ球はその感染した細胞を異物として認識します。それにより免疫システムのスイッチが入り、抗体が産生され、ナチュラルキラー細胞が活性化されてウイルスは排除されます。

しかしパンドラウイルスは感染した細胞の表面にあるHLAを、Tリンパ球が異物として認識できない程度にしか変化させないのです。宿主のHLAを模倣する巧妙な仕組みです。その結果免疫システムが働かず、パンドラウイルスは排除されずに全身の細胞の中で徐々に増殖します」

「・・・・」

「私がパンドラウイルスに感染したとします。他の人に呪いのビデオのDVDを見せるとその人もパンドラウイルスに感染します。正確には感染ではなく、もともと持っていたパンドラウイルスのDNA遺伝子が発現して網膜細胞内でウイルスが増殖するのですが・・・。ビデオを見せられた人の体内で作られたパンドラウイルスは、感染した細胞表面にその人のHLAを模倣したHLA、すなわち私のHLAとは違うタイプのHLAを作ります。そして私のTリンパ球はそのウイルス感染細胞を異物として認識することができるのです。

その人と交わることにより口腔内や生殖器から微量のパンドラウイルスが私の身体に侵入し、私の細胞に感染します。私のTリンパ球はその感染細胞のHLAを異物と認識し、初めて私のパンドラウイルスに対する免疫システムが一気に活性化され、抗体やナチュラルキラー細胞が爆発的に増加し、パンドラウイルスを排除します」

無言で目をつむったままの久留間神児の顔をちらっと見て美里は続けた。

「ビデオの刺激を受けた網膜細胞内で増殖し、血液中に放出されたパンドラウイルスはあっという間に全身の細胞に侵入し、血液中からは24時間で消失してしまいます。その数日後にFSISが発症するまでは血液中にはウイルスは存在しないのです。ですからあとから呪いのビデオを見た人には前の人の体内からはウイルスは移行せず、免疫システムは活性化されません。ビデオを見て24時間以内の人と交わらなければ呪いはとけないのです。そしてHLAタイプの近い近親者からのウイルスではTリンパ球は感染細胞を認識できない可能性がある。これが近親相姦では呪いを解くことができない理由です。

 

これが私の仮説ですが・・・間違っていますか?」

 久留間神児は大きく深呼吸し、ソファから立ち上がった。

「あなたの仮説は科学的に証明されましたか?」

「パンドラウイルスに感染した私の友人に他人の血液から精製したパンドラウイルスをごく少量投与しました。翌日彼には抗体ができました。彼はFSISの発症を免れるはずです」

「・・・・・驚きましたね・・・」

「え?」

「完璧です。あなたのようなお嬢さんが・・・私が何年もかけて作り上げたトリックを簡単に見破ってしまうとは・・・」

「私一人の力ではありません。多くの人の力があって初めて解明できたのです」

「あなたのお友達は、あなたがきっと呪いの謎を解明してくれると信じて呪いを受け入れた。いい友人をお持ちだ。私の周りにはそのような友人は一人もいなかった」

 久留間神児はゆっくりと窓に向かい、外の景色をじっと見つめていた。

「ごらんなさい。ここから見下ろすと人間はなんと小さな存在でしょう? まるで大きな地球に寄生しているウイルスのようだと思いませんか?」

「あなたはどうやって人間のDNAの中からパンドラウイルスを見つけたのですか?」

「私がパンドラウイルスの存在に気が付いたのは5年前のこと。偶然人間の6番染色体に奇妙なDNAシークエンスのリピートを見つけました。そのDNAはメチル化されて情報が発現しないように不活性化されていました。

同じようなシークエンスはラットやマウスにはなく、サルには見つかりました。実験を繰り返すうちに私はそれが強力な殺人ウイルスであることに気が付きました。私は神の力を授かったのですよ」

「そんなのは神の力でもなんでもないわ」

「大昔、何百万年も前、パンドラウイルスは我々の祖先に感染し、爆発的に流行したはずです。感染予防の知識などない我々の祖先は、同朋の死体の血液から次々と感染し、絶滅の危機を迎えました。

しかし彼らの中にパンドラウイルスに対する強力な免疫システムを持つ個体が現れたのです。パンドラウイルスに耐性を持った我々の祖先はウイルスを駆逐し、種を反映させてきました。そして今度はパンドラウイルスが絶滅の危機に陥ったのです。彼らの子孫である我々は、もともとパンドラウイルスに対する強力な免疫システムを備えているのですよ」

「それでわかりました・・・免疫のスイッチが入った途端、あっという間にパンドラウイルスが除去されてしまうわけが・・・。パンドラウイルスに対する免疫システムを1から作り始めるのではなく、もともと備わっていたのなら一気に抗体が産生されるはず」

「いったん免疫システムが作動すると我々の体内ではパンドラウイルスに対する抗体やナチュラルキラー細胞が分単位で指数関数的に増加する。さすがのパンドラウイルスも細胞内に潜んでいることはできず、完全に駆除されてしまいます。しかし大昔のパンドラウイルスは非常に頭のいいウイルスだったのでしょう。何とか生存するために宿主の遺伝子の中に隠れることに成功したのです。

遺伝子の中に隠れるだけなら高梨先生もご存じのように、レトロウイルスと呼ばれるエイズウイルスなどと同じです。レトロウイルスはパンドラウイルスと同じように自己のRNAを逆転写して作成したDNAを宿主のDNAの中にもぐりこませ、引き続き増殖を続けます。

しかしパンドラウイルスの賢いところはDNAをメチル化して自らの活動性を停止させ、宿主に影響を及ぼさずに宿主の遺伝子の中にもぐりこんだところなのです。

そして我々の遺伝子の中で何百万年もの年月をかけて、感染した宿主のHLAを模倣して宿主の免疫の網から逃れるシステムを作るまでに進化していたのです。これを神のウイルスと呼ばずに何と呼びましょう?」

「私たちはそれを悪魔のウイルスと呼ぶわ。あなたは悪魔を眠りから覚ました悪魔使いよ」

「呼び方は人それぞれで結構。しかしあなたが現れなければ世界は私の手の中にあったはず。誰も謎を解くことができないパンドラウイルスを使って私は神になれたのです。あなたがパンドラの箱に唯一残った人類の希望だったというわけですか・・・」

「人間が作ったトリックは必ず人間が解くことができる。人間は神になどなれないのよ。これであなたの作ったDVDが殺人兵器であることが科学的に立証されたわ。あなたは殺人犯よ」

「そういうことになりますか・・・となると早々にここから立ち去らなくてはなりませんね」

「そうはさせないわ!」

 美里がドア走りよって一気にドアを開けたとたん2人の男たちが入ってきた。

「W署の神永です。署まで同行願えますか? 久留間神児さん」

 神永と名乗った男は警察手帳を久留間神児に見せた。

 久留間神児は一瞬顔をこわばらせたがすぐに不敵な笑みを浮かべた。

「クックックック・・・」

「何がおかしいの?」

「これはまた手回しのいい・・・さすがは美里ちゃん。抜かりがない」

「ここは6階よ。あなたはもう逃げられないわ!」

「それがですね・・・・・あなたたちには私を捕まえることはできないのですよ」

「なんですって?」

「なぜなら・・・私は神だから・・・そう、私は本当に神なのです。人間が神を捕まえることなんてできるわけないでしょ? 永遠にね・・・」

 そう言った直後、久留間神児は一気に窓を開け、大きく手を広げて窓の外に飛んだ。

 

【健人の夢】

 

 

 

 久留間神児の死は事故として扱われ、呪いのビデオに関しても報道されることはなかった。それは今後起こりうるテロなどを防ぐためであり、FSISの病態に関しては関係者のみが知る極秘事項とされた。

 

 

 その日の夜、健人は国立感染症研究所に血液検査を受けに来ていた。

「お待たせ、健人君。結果が出たわ。ちゃんとパンドラウイルスの抗体ができていたわよ」 

 美里は嬉しそうに健人に言った。 

「それって・・・呪いがとけたってこと?」 

「そう。あなたは助かったのよ」 

「本当っすか! やった!」 

 健人は立ち上がって両手を上げて喜んだ。

 「これでまた茜さんを守れるわね」 

「はい・・・それはそうなんですけど・・・」 

 健人は力なくうなだれて椅子に座った。 

「どうしたの?」 

「それが・・・今日の茜さん、なんかよそよそしいんですよ。顔を合わせてもすぐに目をそらしちゃうし、話をしようとしても都合悪そうにしてあっち行っちゃうし・・・・。嫌われちゃったのかな?」 

 健人は下を向いてさみしそうに言った。 

「その反対よ、健人君」 

 美里は笑顔で言った。 

「反対?」

「そう。健人君はね、茜さんの中で特別な存在になったのよ。茜さんもどう対応していいかわからなくて戸惑っているんだわ」 

「特別な存在って・・・」 

「茜さんはね、健人君のことが好きになっちゃったのよ」 

「な・・・な・・・なにを・・・」 

 健人はびっくりして大きな目を見開いて聞き返した。 

「茜さんは健人君に惚れちゃったんだなー」 

 ズデーン! 

 健人は思わず丸椅子から転げ落ちてしまった。 

「せ・・・先生! 何言ってんの? そんなことあるわけないじゃん!」 

「あら? どうして?」 

「だって茜さんはうちの工場だけじゃなくってあの辺の若い男みんなのアイドルっすよ!」 

「へーえ・・茜さんってそんなにもてるの?」 

「あたりまえじゃないっすか!」 

 健人は体を起こして丸椅子に座りなおした。 

「あれだけきれいでスタイルも抜群で、仕事もできるし、なんにでも一生懸命で、後輩の面倒見もいいし、誰にでもエコヒイキしないし、親孝行だし、料理もうまいし、バイクの運転も抜群だし、歌もスゲーうまいし、もう完璧なんっすから!」 

 健人は興奮して一気にまくしたてた。 

「ふーん・・健人君って本当に茜さんのことが好きなんだー・・・」

―この子すごい。茜さんのいいところをこんなにすらすらと続けて言えるなんて・・全然頭悪くないじゃないの。 

 美里は感心しながら笑顔でうなずいて言った。 

「あたりまえっしょ? 茜さんに言い寄ってくる男なんて掃いて捨てるほどいるんですから。俺なんかよりずっとかっこよくて仕事もできる男が言い寄ってきても相手にしないんですから、俺なんかのことを好きになるはずないじゃないですか!」 

「ふーん・・でも、健人君も結構かわいいわよ。私が10歳若かったら手を出しちゃいたいくらい」 

 美里はいたずらっぽい目で健人に微笑みかけた。 

「かっ・・かっ・・かっ・・・・かわいい? 先生! ふざけないでくださいよ」  

 健人は顔を赤くして憤慨して言った。 

「俺なんかのことを好きになるはずないか・・・・でもね、そうじゃないんだなーこれが・・・。健人君、茜さんを助けたいと思ってビデオ見たでしょ?」 

「はい」 

「しかも自分が死んでもいいから茜さんを助けたいって」 

「そのとおりっす!」 

 健人は胸を張って答えた。 

「女の子はね、いつだって自分のことを本気で守ってくれる人と一緒にいたいって思うものなのよ」 

「・・・・」 

「しかもあなた、茜さん以外の女の人は抱きたくないって言ったでしょ?」 

「あー・・・そんなこと・・・言ったような・・・。俺、茜さん抱いた後、すっごく幸せな気分で、もうこのまま世界が終わってもいいって思いました。そんな時に他の女抱いて来いって言われても・・・そのまま消えてなくなったほうがましっす」 

「茜さんも健人君のそんなところにまいっちゃったんだなー」 

「そ・・そんなところって・・・」 

 健人は下を向いてもじもじして言葉をすぼませた。 

「茜さんはね、どうやって健人君に自分の気持ちを伝えようか迷っているのよ。だからそんなつれない態度になってしまうのよ」 

「ま・・まじっすか?」 

 美里は笑顔でうなずきそして続けた。 

「でも健人君」 

「はい?」 

「あなた、一生茜さんを守っていきたいと思っているわね?」 

「もちろんです!」 

「でも女の子をずっと守るためにはね、命をかけるだけじゃだめなのよ」 

「命をかけるだけじゃダメ?」 

「そう。これから先も生きている限り、茜さんはいろいろな苦難にぶつかるわ。工場がうまく経営できなくなるかもしれない、お父さんが病気で倒れるかもしれない、茜さんだって病気やけがをするかもしれない、そんな時にあなたが茜さんを守るためにはあなたに力が必要なの」 

「力?」 

「力と言っても腕力や喧嘩の力じゃないわ。あなたの男として、人間としての力よ。工場の機械が壊れれば直さないといけない。そのためには機械の説明書やマニュアルを理解する能力が必要ね。お得先とうまくやっていくためには会話や営業の能力が必要だわ。銀行と交渉するためには経済や経営の能力も必要。あなたが茜さんを守っていくためにはあなたがそんな能力を身に着けて茜さんを守れる力を持った男になる必要があるのよ」 

「・・・」 

「そのためにはあなたはこれから嫌いな勉強や嫌な人との付き合いやいろいろな努力をしなくてはいけない。それが茜さんを守るってことなの。あなたにはその覚悟があるかしら?」 

 健人は美里の言葉を、下を向いて黙って聞いていた。 

 そしておもむろに顔を上げて美里の目をまっすぐ見つめて言った。 

「俺、やります! これからもずっと茜さんを守るためにいろいろな勉強をして、ちゃんとした男になります」 

―この子は勉強が嫌いなわけじゃないわ。今まで勉強する意味を教えられてこられなかっただけ。真面目で、意志が強く、誠実でそして思いやりのある優しい子なのね。この子ならきっと茜さんを守っていける。 

「そう・・。あなたにその気持ちがあれば茜さんは必ずあなたについてきてくれるわ」 

「茜さんが・・俺に・・・。本当に? どうしよう・・・そんなことになったら・・・俺・・・」 

 健人は急にそわそわしだした。 

「今晩帰ったらまず茜さんにあなたの気持ちを素直に伝えなさい。飾る言葉なんていらないわ。あなたの茜さんに対する気持ちをそのまま伝えればいいだけ」 

「俺の気持ちを・・・。なんか勇気が出てきました。俺、やります!」 

「私も応援しているわ」 

 美里は右手を差しだし、健人は両手でその手を握った。

 

 

 

【茜と健人】

 

 

 茜は自宅の横の路地で健人を待っていた。 

「茜さん!こんなとこで待っててくれたんっすか!」 

 茜を見つけた健人が走り寄ってきた。 

「健人! どうだった? 呪いとけたのか?」 

 茜は心配そうに健人に聞いた。 

「ばっちりです! 抗体とか言うのができて呪いはとけたって先生言ってました」 

「本当か! 健人、本当に呪いとけたのか!」 

「はい」 

「よかった! よかったなー健人!」 

 茜は健人の両肩をつかんで涙を流した。 

「茜さんのおかげです」 

「いいんだよ、そんなこと」 

 茜は涙を拭きながら答えた。 

「茜さん」 

「なんだ?」 

「俺、茜さんに大事な話が・・・」 

「大事な話? なんだ?」 

 健人は襟を正して直立した。 

「茜さん! 俺、これからも一生茜さんのことを守ります!」 

「な・・・なんだ、いきなり・・・照れるじゃねーか」 

 茜は困惑して健人から顔をそらした。 

「俺、今は何もできない情けない男ですけど、これからいろんな勉強して、いろんなこと覚えて、いろんな人と会って茜さんのことを守れる男になります」 

「勉強って・・・お前、勉強嫌いだから高校中退して働き始めたんじゃなかったのか?」 

「茜さんを守るためならどんなことだって我慢できます。工場の機械のこととか、世の中の仕組みとか、お金のこととか、俺、最初から全部勉強し直して茜さんの役に立てるような立派な男になって見せます。だから・・・茜さん・・・俺に・・・俺についてきてください!」 

 健人は茜の目をまっすぐ見つめて言った。 

 茜は今までとは違う健人の態度にびっくりして、そしてほんの少しドキドキしながら言った。 

「健人・・・お前・・・本気か? 本気であたしのこと、一生守ってくれるのか?」 

「はい!」 

「けんと・・・」 

 茜は目を潤ませて健人の胸に飛び込んで抱きついた。 

「茜さん・・・」 

 健人は茜の背中に手を回して茜を抱き寄せた。 

 健人の胸に茜のぬくもりが伝わった。 

「俺、今からうんと頑張って10年後に茜さんにふさわしい男になります。そしてその時、茜さんにプロポーズさせてください」 

10年かー・・・なげーなー。あたし36だよ」 

 茜は健人の胸の中でつぶやいた。 

「茜さんは30になろうが40になろうが今と同じくらいきれいっす! でも・・・ちょっと長いかな? じゃあ・・・8年くらいで・・・」 

「馬鹿! 10年くらい待ってやるよ! でも10年後も頼りなかったらプロポーズしてもOKしないからな!」 

 茜は抱きついたまま顔を上げて健人をにらんで言った。 

「お・・・おっす・・・・」 

 そして茜はもう一度健人の胸に顔をうずめた。

 

 

エピローグ

 

928日(金曜日)

 

【新しい絆】

 

 夜8時過ぎ、美里は若菜の待つアパートに帰った。

「ただいま。若菜」

「あ、お帰り!お姉ちゃん」

 若菜が台所から顔を出した。

「お姉さんお帰りなさい!」

 その後ろから宇都宮誠が顔を出した。

「誠君? なんでまたここに・・・」

「お姉ちゃん! 今日は私たち二人でごちそう作るからそこに座ってて!」

 若菜は美里の肩を押してテーブルに座らせた。

 そしてまた台所に戻り、誠と二人で楽しそうに料理を作っていた。

「へーえ・・そうなんだ・・・・」

 美里は笑みを浮かべてうなずきながら二人の様子を見ていた。

「なるほど・・・そういうことか・・・」

 美里は誠からのメールの内容を思い出してもう一度うなずいた。

 

 15分後、テーブルに皿が並べられた。

「なんだ。ごちそうってクリームシチューなの?」

「ごめんねー。たいしたものできなくって。あ、誠、サラダ持ってきて、冷蔵庫に入れてあるやつ」

「ほい」

「あんた相変わらず誠君使ってるのね」

 若菜はペロッと舌を出した。

「いいんですよ。お姉さん」

 誠はサラダの大皿を真ん中に置いた。

「じゃあいただきまーす!」

 3人は一斉に声を上げてシチューを食べ始めた。

「あ・・ところでお姉ちゃん。明日の土曜日はお兄ちゃんのところに泊まってくるでしょ?」

「え? 多分・・そうなると思うけど・・」

「そう!」

 若菜が嬉しそうに微笑んだ。

「なによ若菜」

「なんでもないよー。でも・・・なんかいいことあるかもよ。ねー誠!」

「そうそう」

「何よ、いいことって・・・」

 美里は不満そうに聞いた。

「さあ? なんでしょう?」

「変なの」

 

【もう一つの絆】

 

 茜の部屋では茜と健人がひそひそと話をしていた。

「あたしはこそこそするのは嫌だから。明日社長に話すよ」

「えー! 勘弁してくださいよ茜さん。俺と茜さんが付き合ってるなんて社長が知ったら俺、社長にどんだけどつかれるか」

「おまえ、1回死んだんだろ? だったらどつかれるくらいがまんしろ」

「だって・・・社長のびんたより呪いのほうが、なんぼかましっすよ」

「情けない奴だなー。一生あたしを守るんじゃなかったのか? 昨日の勢いはどこ行ったんだよ」

「そりゃあ・・・そうですけど・・・。わかりましたよ・・・あーどうしよ。でも社長許してくれますかね?」

「さあな」

「そうだ、俺、社長が許してくれるまで毎日玄関で正座してますよ」

「馬鹿。仕事どうすんだよ」

「あ・・そうか」

「お前・・・やっぱり頭悪いのかもしれないな。こんなんであたしを守れるのか?」

 

9月29日(土曜日)

 

【そしてもう一つの絆】

 

 美里は和馬の帰りを待っていた。

 9時を回ったころドアが開いた。

「お帰り和馬」

「ああ、ただいま」

「食事食べてきたんでしょ?」

「6時ころ病院で軽く済ましてきた」

「じゃあ、ワインでも開けようか。事件が一段落したお祝いにね。ちょっとしたものならすぐ作れるから」

「そうだな」

 和馬は笑顔で答えた。

 

「かんぱーい!」

 二人がワイングラスを合わせると、透き通ったグラスの音色が部屋に響き渡った。

「お疲れでござった、美里姫。呪いのビデオの謎解き、お見事であった」

「なになに、あれしきのこと。たいしたことではござらぬ・・・。そんなことより和馬、本当にありがとうね」

「なんだ?」

「呪いのビデオを見てくれたこと。私、あの時もう時間がないと思っていたから本当に助かったし、そして本当にうれしかったの。私が今こうしていられるのも和馬のおかげよ」

「そうか・・・。でも実は俺、一度だけ美里を裏切ったよ」

「え?」

「パンドラウイルスを注射した時、もしこれが効かなかったらってことを考えたんだ。そうしたら、親のこととか仕事のこととか一気に浮かんできて死ぬのがとても怖くなった。誰かにビデオを見せようかって、本気で考えてしまった」

「それが普通よ。人はみんな自分だけじゃなくて家族や友人や社会的責任の中で生きているわ。自分の命は自分だけのものじゃない。それがわかっているから大人なのよ。自分の理想に命をかけられるのは若者だけの特権だわ。そんな時代が懐かしい」

 美里は誠や健人に思いをはせた。

「そうかもしれないな。あ・・・そうだ・・・・美里に渡すものが・・・」

 和馬がポケットから小さな箱を取り出した。

「これを・・・」

「和馬・・・これって・・・」

 美里は箱を手に取ってゆっくり開いた。

「和馬・・・本気?」

 美里は和馬の顔を真剣なまなざしで見つめた。

「今度のことで改めて自分の気持ちがわかったよ。美里がいなくなると思ったら、いてもたってもいられなくなった。気が付いたら呪いのビデオを見ていたんだ。その時はっきりわかった。俺には美里がどうしても必要なんだ。これからもずっとそばにいてほしい」

「かずまー・・・」

 美里は瞳を潤ませて和馬の顔を見つめた。

「ずっと一緒にいてくれるな?」

 その言葉に美里は小さく2回うなずいた。

「本当はな、この前、若菜ちゃんに怒られたんだ」

「若菜に?」

「いつまでお姉ちゃんを一人にしておくのよって」

「若菜がそんなことを・・・・・・・ああ・・なるほど・・・・いいことって・・・これか」

 美里は笑顔でゆっくりとうなずいた。

「ずいぶん美里のこと、心配していたぞ」

「あの子はね、私が和馬と一緒にいれば自分は一人になれるのよ。だから一刻も早く私を嫁がせたいの」

「なるほど・・・・・そういうことだったのか。でも、そうなると若菜ちゃんをもうしばらく一人にしないほうがいいかな? またいろいろ心配事が増えそうだし・・・」

「ううん、もういいの。私の代わりに若菜を本気で守ってくれる人が現れたから」

「本当か!」

「うん。あの子なら命に代えても若菜を守ってくれるわ」

「そうか・・・若菜ちゃんいい人見つけたんだな」

「わたしもよ」

 美里は笑顔でワイングラスを持ってもう一度和馬と乾杯した。

「でも和馬ー」

「え?」

「死にたくないと思った時、あのビデオを誰に見せるつもりだったの? 看護婦さんかなー? きれいな人いっぱいいるし・・・」

 美里はほおづえをつきながら首をかしげて和馬の目を見つめ、皮肉な笑みを浮かべて聞いた。

「ば・・・馬鹿言うな! 具体的な相手なんて考えてるわけないだろ!」

 和馬は気まずそうに美里から目をそらした。

 

 

 この1か月間で多くの絆が壊れ、多くの新しい絆が生まれた。そしていくつかの絆はより強く深いものになった。

 強くなった新しい絆はこれからもきっと強い愛をはぐくんでいくことだろう。

 

 「ゼウスの火」 終わり

この作品はフィクションです。登場する人物や団体や疾患は架空のものです。

 

解説

 

 

 ブログにアップした後も修正に修正を重ね、ようやく「ゼウスの火」が完成しました。

 

 終盤の茜と健人のストーリーは最後に追加したものです。村木修一郎という接着剤で美里と茜をくっつけたということになりますが、この一連のストーリーがなくても物語としては完成しています。

 ただ、茜と健人を登場させることで作品に彩りができ、全体のテーマも分かりやすくなったように思います。

 「他人に呪いのビデオを見せて交わることにより呪いがとける」という設定にしたことにより必然的に「男女の絆」がこの物語のテーマになりました。

 物語の中ではパンドラウイルスの感染に伴って3組の男女の絆が深まっていく様子を描きました。

 私は女性の気持ちはよくわかりませんが、女性は「命を投げ出してでも自分のことを守ってくれる人」と一緒にいたいと思うものではないでしょうか? そしてその覚悟を男性の中に見たときに「この人について行こう」と決心するのでしょう。

「僕が全力でお守りしますから・・・」

 皇太子殿下が雅子妃にプロポーズしたときの言葉です。

 皇室に入ることを躊躇していた雅子妃もこの言葉を聞いて決心されたのではないでしょうか?

 周囲からどんなに避難されても、時には親族からの非難を受けても、かたくなに雅子妃をずっとかばい続ける皇太子殿下は男性の鏡だと思っています。

 私の娘たちもそんな男性を見つけてくるでしょうか?

 

 さて、今回の作品は「呪いのビデオに科学的なこじつけをする」というところから出発しているのでどうしても表現が難解になってしまいました。なるべく読者の皆さんにわかりやすくという点を心がけましたが、科学論文などを書いてきた性でしょうか?「正確に記載する」という癖が残ってしまい、わかりにくい文章になってしまったことをお詫びいたします。

 それでもこの「ゼウスの火」では読者の方にできるだけわかりやすくするために「呪いの謎」をかなり簡略化して記載しました(それでもかなり難解になってしまいましたが)。本来の私が設定した「呪いの謎」をもう少し詳しく記載しますと以下のようになります。興味のある方だけどうぞ。 

 

 RNAウイルスであるパンドラウイルスは白血球など人間の細胞に感染すると細胞内の核酸やアミノ酸やリボゾームなどを利用し、自己のRNAを設計図として(メッセンジャーRNAとして)、ウイルスを構成するエンベロープやカプシドなどの蛋白質を合成して、さらに自己のRNA複製を作成します。これにより大量のパンドラウイルスが作成されます。

 

増殖したパンドラウイルスは次々と白血球や全身の細胞に感染し、増殖を繰り返します。感染した白血球から放出された大量のサイトカインは全身により強い炎症を引き起こし、高熱、血球貪食による汎血球減少(赤血球、白血球、血小板が減ること)、多臓器不全を引き起こして宿主を死に至らしめます。何百万年前の我々の祖先、まだサルと分化していなかった時代ですが・・・彼らはパンドラウイルスにより絶滅の危機に瀕しました。

 

 ところが我々の祖先の中にパンドラウイルスの抗体を持つものが突如出現し、感染したパンドラウイルスは次々と駆逐されていきました。そして抗体を持つ宿主のみが種を維持するようになると今度はパンドラウイルスが絶滅の危機に瀕しました。しかしRNAウイルスはDNAウイルスに比べて不安定で変異しやすいのが特徴です。抗体を持った宿主に対抗するためパンドラウイルスの中にも自己のRNAから相補的DNAを複製する「逆転写酵素」のゲノムを獲得するものが現れました(レトロウイルス機能の獲得)。

 

 逆転写酵素を持った新しいパンドラウイルスは自己のRNADNAに複製し二本鎖として、宿主である我々の祖先のDNA遺伝子の中に自己の遺伝子を組み込みました。もちろんHIVウイルスのように宿主のゲノムの中で機能を発現して自己のRNAやウイルス蛋白を作成することも可能なのですが、それらはパンドラウイルスの抗体を持った宿主の中では駆逐されてしまい、最終的にはやっとのことで組み込んだパンドラウイルスのDNAゲノムまでも駆逐されてしまう可能性がありました。

 

 そこでパンドラウイルスは自己の遺伝子の発現をストップさせ、宿主に自分を攻撃させないような仕組みを作ったのです。それがDNAのメチル化です。DNAにメチル基を組み込むとRNAポリメラーゼはその部分の遺伝子情報を読み込むことができません。パンドラウイルスはDNAをメチル化する「DNAメチラーゼ」の遺伝子情報も獲得し、あえて自分のDNA遺伝子を宿主の中で発現させないように仕組みました。

 

 パンドラウイルスは人間の性染色体にも感染し、白血球と同様に染色体の中に自分のDNAを忍び込ませました。こうしてパンドラウイルスのDNAゲノムは何百万年もの間、人間に知られることなく、我々の遺伝子の中で眠り続けたのです。

 

 偶然人間とサルの遺伝子の中に奇妙なDNAシークエンスのリピートを見つけた久留間神児は、それを発現させることにより宿主が数日で死に至るような強毒性の新種のウイルスであることを知ります。神児は、やがてパンドラウイルスと命名されるRNAウイルスを人間の生体内で発現させる方法の研究に打ち込みます。そしてついに600nmの光を網膜の赤を感知する錐体細胞(色を感知する細胞:赤、緑、青の3種類がある)に特殊な周期で照射することにより、錐体細胞内のホスホ・ジ・エステラーゼが活性化され、サイクリックGMP濃度が低下し、細胞膜チャネルの変化により、細胞内電解質濃度が変化し、特殊なDNAデメチラーゼ(パンドラウイルスDNAゲノムに結合したメチル基を脱メチル化して遺伝子情報を発現させる)の活性を亢進させることを発見したというわけです。

 

 さて、網膜の錐体細胞内でメチル基が外れて活性化したパンドラウイルスDNAからRNAポリメラーゼの働きによりパンドラウイルスRNAが作られます。そのRNAをメッセンジャーRNAとして錐体細胞内でエンベロープやカプシドなどが合成され、完成されたパンドラウイルスは血液中に放出されます。

 

 放出されたパンドラウイルスは白血球や全身の細胞に次々と感染します。24時間が経過し、錐体細胞で作られたすべてのパンドラウイルスが全身の細胞に感染してしまうと血液中からはウイルスは検出されなくなります。しかし、ウイルスは全身の組織の中でゆっくりと増殖を繰り返し、数日後に一気に組織を破壊して白血球からはサイトカインが大量に放出され、宿主はFSISを発症して多臓器不全により死亡します。

 

 通常のウイルスが細胞に感染すると、ウイルス由来の蛋白が感染した細胞の表面に運搬され、その細胞の表面マーカーであるHLAを変化させます。それによって宿主のTリンパ球は感染細胞を非自己すなわち「異物」と認識して免疫システムのスイッチが入り、Bリンパ球から抗体が産生され、ナチュラルキラー細胞などが活動をはじめ、感染細胞やウイルスを排除します。パンドラウイルスに対しても我々はこの免疫システムを太古の祖先から受け継いでいました。

 

 しかし人間の遺伝子の中に潜んでいたパンドラウイルスDNAは、何百万年もの歳月をかけて、宿主のHLA遺伝子の一部を自分の遺伝子の中に取り込むことに成功しました(HLA遺伝子は人の6番染色体の短腕にあり、パンドラウイルスDNAの感染部位と同じです)。すなわち網膜の錐体細胞から放出されたパンドラウイルスは自分の細胞に感染してもそのHLAをほとんど変化させず、Tリンパ球の監視から逃れるシステムを作り出していたのです。すなわち免疫寛容となり、宿主の免疫システムの網にかからず体内で増殖を続けることができるのです。

 

 しかし、他人の体内で作られたパンドラウイルスが自分の細胞に感染するとそのパンドラウイルスは感染細胞のHLAを自分のHLAとは違う形に変化させてしまいます。すると自分のTリンパ球は感染細胞を認識し、そこで初めて免疫システムのスイッチが入り、パンドラウイルスに対する大量の抗体やナチュラルキラー細胞の活性化が起こります。それによって体内に潜んでいたパンドラウイルスは駆逐されてしまうのです。

 

 パンドラウイルスが血液中に存在するのは網膜に光刺激を受けてから24時間です。その間に性行為を行うと口腔粘膜や生殖器から微量の他人由来のパンドラウイルスが侵入します。それが自分の細胞に感染することによりTリンパ球がそれを認識して、免疫システムが活性化され、パンドラウイルスを駆逐し、呪いがとけるというわけです。

 

 先にビデオを見ていた人の血液中からはすでにパンドラウイルスは消失しているので、あとから見た人の体内には先にビデオを見た人由来のパンドラウイルスが侵入することはありません。そのためあとから呪いのビデオを見た人はまた新しい誰かに呪いのビデオを見せて感染させ(錐体細胞内でパンドラウイルスDNAを活性化させ)、その人由来のウイルスを体内にもらわない限り自分の中のパンドラウイルスは駆逐できないのです。

 

  終わり

 

 

2013年11月 2日 (土)

「ゼウスの火」第2章(3/3)

924日(月曜日)

 

【治療の糸口】

 

 次の朝、美里は和馬の血液を採取し、検査を行っていた。

「やっぱり・・・ウイルスRNAが検出されている。このままだと和馬は4日後にFSISを発症する。それまでに・・・」

 美里は入院している患者から採取した血清を使って人間に投与できるようなレベルの微量のウイルス製剤を精製していた。

 

 その日の夜も美里は和馬とともに過ごした。

 ベッドの中で美里は和馬の胸に抱かれながら言った。

「ありがとう・・・和馬」

「ああ・・これでお前の呪いはとけたはずだ。そして俺は4日後にはFSISを発症することになるな」

「そんなことはさせない!」

 美里は和馬の目を見てきっぱりと言った。

「何か糸口をつかんだのか?」

「パンドラウイルスは・・・特殊な光を当てることによって網膜細胞から発生する。自分の身体から発生したパンドラウイルスはきっと感染した自分の細胞のHLAを変化させないのよ」 

 それを聞いて和馬が答えた。
「ウイルスが人間の細胞に感染すればウイルス蛋白が細胞表面に移動してHLAを変化させる。それを免疫細胞が認識して異物と判断して免疫機構が活性化され抗体が産生される」

 HLAとは人間のすべての細胞の表面にある小さなタンパク質である。一人一人が違った形をしており、Tリンパ球などの免疫担当細胞は自分と同じタイプのHLAを持つものは自己と認識して攻撃しない。

 臓器移植を行うと他人の臓器の細胞表面のHLAを免疫担当細胞が非自己と認識するので免疫システムはそれを異物と判断して拒絶反応を起こす。それを抑えるためにできるだけHLAタイプの近いドナーからの移植が必要なわけで、さらに免疫抑制剤が使用されるのである。

 ウイルスに感染した細胞内ではウイルスの蛋白が細胞表面に運びこまれ、その細胞のHLAタイプを変化させる。それによって免疫細胞はその細胞を異物と認識し、免疫システムにより排除するのである。

 美里は和馬に話を続けた。

「そう。自分の身体で作られたパンドラウイルスはきっと自分の細胞のHLAを変化させないことで免疫寛容(免疫システムから逃れること)になっているのよ。でもそこに他の人間から発生したパンドラウイルスが入るとそれに感染した細胞はHLAを変化させてそこで初めて免疫細胞はパンドラウイルスを異物と判断する」

「そうか・・それが引き金になって免疫機構が活性化し、大量の抗体が作られ、ナチュラルキラー細胞が活性化して、巧妙に隠れているパンドラウイルスを急速に排除するということか・・・」

「ほかの人間にDVDを見せてパンドラウイルスを感染させてその人とセックスすればその人の身体で作られたウイルスが微量だけど口腔内や生殖器の粘膜から侵入する。それが自分の免疫活性化のスイッチになってウイルスが排除されるのよ。これがきっと呪いをとくからくりだわ」

「なるほど・・・」

「明日あなたに他の患者から精製したパンドラウイルスを注射するわ」

「え?俺に?」

「あなたの身体に他の人間の体内で作られたパンドラウイルスが侵入すればあなたの免疫システムが活性化されてあなたの中で作られたパンドラウイルスを排除してくれるはず」

「それが成功すれば俺は助かるってことか・・・もし失敗したら・・・」

「その時はまた別の方法を考えるわ。でも・・・もし間に合わないようだったら・・・誰か他の人にビデオを見せて・・・・」

 美里は和馬に背を向けて小声で言った。

「馬鹿なことを言うな!」

 和馬は声を荒げて言った。

 美里は振り返り、和馬の胸に顔をうずめて泣いた。

「あなたを・・・あなたを失いたくないの・・・」

 

【茜と健人】

 

 健人は茜の部屋に入った。

「これが茜さんの部屋っすか・・・なんかいい匂いしますね」

「あのDVD見たか?」

「はい見ました! もう繰り返し繰り返し10回くらい見ちゃいました」

「馬鹿。1回でいいんだよ」

「でも俺って頭わりーから何言ってんのかわからなくて・・・今でもわかんねーけど・・・。茜さんから呪いがうつらなかったら大変だし」

「変な奴だな。呪い受けるのがそんなにうれしいのか?」

「はい! 茜さんの役に立つってことがむちゃくちゃうれしいです!」

「健人。お前って・・・いいやつだな」

「あざーっす。茜さんにそう言ってもらえるなんて俺もう死んでもいいです!」

「馬鹿・・照れるじゃねーか・・・。じゃあ・・・そろそろ・・・始めるか?」

「お・・お願いします!」

「キ・・キスだけだからな!」

「は・・・はい・・・」

 二人はがちがちに固くなった体を寄せ合った。

「あの・・・手はどうしますか?」

「そりゃあお前、口だけつけるわけにもいかないだろ? 自然にだな・・・」

「じゃあ抱き合うってことで・・・」

「おう・・」

 健人は茜の身体を抱き寄せ、腰に手を回した。

 茜は反射的に健人の肩に手を回した。

「健人、お前、意外にがっしりして・・・」

「じゃあ・・・失礼します!」

 健人はいきなり茜の唇を奪った。

「う・・・・・・」

 茜は健人の突然の行動に驚き一瞬大きく目を開いたが、その後静かに目を閉じて健人に体をあずけた。

 何一つ音がしない狭い部屋の中で二人の時間がとまった・・・・。

 

 しばらくの静寂の後、健人が息をついて茜の身体をほんの少し離した。

 茜は目をつむったまま少しだけ荒い呼吸をしていた。

「茜さんの呪い、俺に移ったでしょうか?」

「さ・・さあな・・・・・」

「俺に呪いがうつらなかったら茜さん・・・」

 健人が心配そうに茜の顔を覗き込んだ。

「じゃあ・・・念のため・・・もう一回・・・やるか?」

 茜は恥ずかしそうに、健人からほんの少し顔をそらして言った。
 

「はい!」

 健人は勢いよく茜の唇を奪い、その反動で茜はそのままベッドに倒れてしまった。

「茜さん! 俺・・・」

「ま・・待て・・・キスだけって・・・あ・・・」

 

 真っ暗な静かな部屋の中で二人はベッドにあおむけになって横たわっていた。

「すみません、茜さん。俺・・我慢できなくて・・」

「・・・いいんだ・・・」

「これで呪い、ばっちりうつりましたよね」

「ありがとうな・・・健人」

「役に立ててよかったっす・・・でも・・俺びっくりしました」

「何が・・・?」

「だって・・・茜さんの声、でかくて・・・社長がいなくてよかったっす」

「・・・ばか・・・」

 茜は恥ずかしそうに健人の胸に顔をうずめた。

 

 帰り支度をする健人を茜が呼びとめた。

「健人。これ・・・」

「なんすか?」

「小切手だ。500万が二枚で一千万ある。お前にやるよ」

「い・・一千万!!」

「心配するな。あたしがちゃんとしたところからもらったもんだ。ヤバイ金じゃないから・・・。それからこれ・・」

「これは俺がさっき持ってきた呪いのビデオじゃ・・」

「これもお前にやるから誰かに見せてお前の呪いをといてこい」

 健人は2枚の小切手とDVDをしばらく見つめていたが、顔を上げてきっぱりと言った。

「これはどちらも受け取れないっす」

「な・・なんで!」

「俺、こんなもんもらうためにビデオ見たんじゃないです。茜さんの呪いをときたくて・・茜さんが助かったんならそれだけでいいです」

「でもこれだけの金があればビデオ見てくれる女は必ずいるから・・。あと3日以内に誰かに見せないとお前が死ぬんだぞ」

「このDVDもいらないです」

「お前、何言ってんだ! これはまやかしじゃないんだぞ、これを見て何人もの人間が死んでるの知ってるだろ?」

「わかってます」

「だったらどうして?」

「俺・・・茜さんを抱いた後に他の女抱きたくないです」

 健人はきっぱりと言った。

「健人・・・お前・・・」

「最後に茜さんを抱いて死ねるんなら俺本望です」

「ばかやろう! 命を無駄にするな! あたしくらいの女、これからいくらでも抱けるだろ? 死んだら何にもなんないぞ!」

「茜さん、俺頭わりーからよくわかんねーけど、このDVD誰かに見せたら今度はそいつに呪いがうつりますよね」

「そりゃまあ、そうだ」

「そしたらそいつはまた誰かに呪いをうつさないといけない。そしたらまたそいつが・・・。そんなことしてたら誰か最後の一人が死ぬことになるじゃないですか?」

「そんな誰かわからねー奴はどうだっていいんだよ! あたしはお前が助かってくれればそれでいいんだ!」

「俺、小さい時に両親が死んでばあちゃんに育てられたでしょ? そのばあちゃんも2年前に死んで社長のところにお世話になることになったんですけど・・そのばあちゃんがいつも俺に言ってました。人の役に立つ人間になれって・・。俺、茜さんの役に立てたし、俺が誰にもDVDを見せなければもう一人死ぬはずだった人間も助けられるじゃないですか。2人の人間を助けたらばあちゃんもきっとほめてくれると思うんですよ」

「ばかばか・・・そんなことはどうだっていいんだ。頼むからこれ持ってってくれ」

 茜は強引にDVDを健人に渡した。

 すると健人はケースから中身のディスクを取り出した。

「なにを・・・」

 パキン!!

「馬鹿!お前なんてことするんだ!」

「これでいいんす。茜さん! ありがとうございました! 俺、今日のこと一生忘れません!」

 健人はそう言い残して階段を走り降りて外に飛び出していった。

「健人!」

 茜は呆然として健人が降りて行った階段を見つめていた。

「けんとのばかー・・・」

 部屋に戻った茜は泣きながら、バラバラになったディスクの破片を必死に寄せ合わせ、テープでつなぎとめていた。

 

925日(火曜日)

 

【美里の贈り物】

 

 翌日美里は自分の血液を確認した。

「私の身体に抗体ができている・・・色覚異常も目の障害もない。私・・・助かったんだ。ありがとう和馬・・・。あとであなたに私の贈り物を持っていくわ」

 

【茜の想い】

 

その日の夜、茜は村木家を訪ねていた。

「ごめんなさい・・・力を貸してほしいの」

 茜は村木修一郎を訪ね、瞳を潤ませながら事情を話した。

「その健人君の呪いをとく方法か・・・新しいディスクは探せば何とかなるかもしれないが・・・彼が拒否しているならむつかしいな」

「自分で自分の尻を拭けないことはするんじゃないって偉そうに言った私が・・・」

「君が悪いんじゃない」

 村木修一郎はしばらく考え込んだあと、名刺入れから1枚の名刺を探し、茜に渡した。

「役に立つかどうかわからないが・・・国立感染症研究所の高梨美里っていう先生がこの呪いのことを調べている。彼女なら何かできるかもしれない」

「ありがとう村木さん・・・明日さっそく行ってくるから・・・」

 茜は涙を拭きながら村木に頭を下げた。

 

926日(水曜日)

 

【治療の確立】

 

 美里は祈るような気持ちで和馬から採取した血液の検査を行っていた。

「お願い・・・抗体ができていて・・・」

「陽性だ! 和馬の身体にパンドラウイルスの抗体ができている! これで和馬は助かるわ! そしてFSISの治療ができる! 私は勝ったのね・・・」

 その時管内電話が鳴った。

<高梨先生。柏木茜さんという人が先生の名刺を持ってお見えになっていますが・・・>

「柏木茜? 知らない人だわ・・・誰かしら?」

<お断りしますか? 汚れた作業着を着ておられて・・・あまり身なりの良い方とは・・・>

「いえ、私の名刺を持っているのなら会ってみます。応接室に案内してください」

 

応接室に美里が入るとソファに座っていた茜が振り返って頭を下げた。

美里は茜の前に座った。

「高梨です。どういうご用件でしょうか?」

「先生! お願い! 健人を助けて!」

 茜は泣きながらもう一度美里に頭を下げた。

「事情を話してちょうだい」

 美里はやさしく微笑みながら、そして冷静な声で聞いた。

「うん・・・」

 茜は涙を拭きながら、今までの経緯を一つ一つ説明していった。

「私が悪いの! 健人が素直で融通の利かない性格だってことわかっていながら、健人を選んじゃったから!」

「悪いのは茜さんじゃないわ。本当に悪いのはこんな呪いを作ったやつよ」

「先生、もう時間がないの! 明日までに健人の呪いをとかないと、健人死んじゃう!」

 和馬に呪いをといてもらった美里には茜の気持ちが痛いほどよくわかった。

 この純粋な気持ちに何とか答えてあげたい。

「わかったわ、茜さん。すぐ健人君をここに連れてきてちょうだい」

「じゃあ先生・・・」

「絶対助けるって約束はできないけど、できるだけのことはやってみる。私に任せて」

「ありがとう先生! すぐ連れてくるから!」

 美里はドアに向かって駆け出すと、あっという間に外に飛び出して行った。

 

 2時間後、茜は健人を連れて戻ってきた。

 二人は美里の研究室に案内されていた。

「さあ、健人、ここに座って!」

「まじーっすよ・・茜さん・・。社長に内緒で仕事抜け出したら・・・。俺、後でぶんなぐられちゃいますよ」

 健人は不満そうにつぶやきながら茜に言われるまま、しぶしぶ美里の前に座った。

「何言ってんだよ! お前、助かるかもしれないんだぞ!」

「茜さんのために死ぬのはもう覚悟したから何ともないっすけど・・・社長に殴られるのは勘弁してくださいよ」

 美里は健人を見てくすっと笑った。

「あなたが健人君ね。確かに変わってるわね」

「お願い、先生! 健人を助けてやって!」

「わかった、私に任せて。じゃあ健人君、まず簡単なテストをするわね」

 それを聞いた健人は首を横に振り、体を引いた。

「て・・テスト・・・。ダメっす! おれ、テストと聞いただけで蕁麻疹が・・・なんか体中かゆくなってきた」

「テストと言っても見えているひらがなを答えるだけの簡単なものよ。これは大切な検査なの。詳しくは説明できないけど、これで問題があればあなたじゃなくて茜さんの治療をしなくてはいけなくなるの」

「茜さんの・・・じゃあ、わかりました・・・」

 美里は石原式色覚検査表を開いて健人に見せた。

「ページをめくっていくから順番に見える文字を答えていって」

「えっと・・・や、ろ、あ、ま、き、ほ、ふ、い、よ・・・」

「はい合格! 問題なしね。じゃあ腕を出して」

「簡単っすね。次は腕ですか?」

 健人は右腕を出した。

「じゃあ注射するわね」

「ちゅ・・注射! ダメっす! おれ注射はダメっす!」

 健人はあわてて手を引っ込めた。

「馬鹿野郎! 死ぬ覚悟ができているやつが、注射が怖いってなんだよ!」

 茜は健人の頭をかるくこづいた。

「茜さんのためなら、どんなつらいことも我慢しますけど、この注射は自分のためじゃないですか。注射だけは勘弁してください」

「先生。何とか言ってやってよ」

 茜は呆れ顔で美里に頼んだ。

 美里は微笑みながら健人に向かって言った。

「健人君。この注射はね、茜さんのためでもあるのよ」

「茜さんのため?」

「そう。あなた、茜さんを守るために呪いのビデオを見たんでしょ?」

「はい」

「それで自分が死んでも構わないと」

「そのとおりっす!」

 健人は真剣な顔で美里の目を見つめ、胸を張って言った。

 ―ああ・・・ここにも若くて純粋な想いが・・・この二人は私が必ず助ける!

 美里はゆっくりうなずき、そして言った。

「でも、あなたの命が助かったら・・・またこれからも茜さんを守れるじゃない。何回でも・・・」

 健人は考え込み、しばらく間をおいてうなずいた。

「あ・・・そうか・・・じゃあ、茜さんを守るための注射か・・・そんなら・・・我慢するか・・・」

 健人はしぶしぶ右手を出した。

「先生、健人の気が変わらないうちにお願い」

 茜は両手を合わせて頭を下げた。

「わかったわ」

 美里は手早く駆血帯を巻くとあっという間に健人の腕に針を刺した。

「いて・・・あれ? そんなに痛くねーな」

「はい、いいわよ。これでおしまい!」

「やったー。痛くなかったよ先生」

「先生・・・これで本当に健人、助かるの?」

 茜が心配そうに聞いた。

「この注射が効けば健人君の体の中にパンドラウイルスの抗体ができてウイルスが消えるはず」

 美里は健人の腕に絆創膏を貼りながら言った。

「もし効かなかったら・・・」

「それは何とも言えないけど・・・私の彼は昨日この注射をして今日は抗体ができてウイルスが消えていたわ」

「本当! 先生本当に? じゃあ健人助かる?」

「多分ね」

 美里は笑顔で答えた。

「ありがとう・・・ありがとう・・先生・・・ありがとう」

 茜は涙を流して美里の白衣にしがみついてひざまずいた。

 それを見た健人が不思議そうに首をかしげて聞いた。

「茜さん・・・おかしいっすよ。なんでそんなに泣くほどうれしいんですか? 助かるのは茜さんじゃなくて俺でしょ?」

「健人君。なぜ茜さんがこんなに喜んでいるのか本当にわからないの?」

「えー・・・俺頭わりーからなー・・・。あ・・ひょっとして、俺が助かればまた頼みごと聞いてもらえるから・・・かな?」

「馬鹿野郎!」

 茜は思いっきり健人の頭をたたいた。

「いてー! いてーよ茜さん。何よいきなり!」

「お前は頭悪いんじゃなくて鈍感なんだよ! このうすら馬鹿! もういいから先に行ってろ!」

「わかりましたよ・・・」

 健人は右手の袖を下すとすごすごとドアを開けて外に出た。

 

「あんな野郎なの・・・」

「かわいいわね。健人君って・・・」

「あ・・そうだ。先生、これとっといて」

 茜はバックから2枚の小切手を取り出し、美里の前に置いた。

「これは・・」

「心配しないで。ちゃんと村木さんからもらったものだから。本物だよ」

「これは受け取れないわ 茜さん」

 美里は首を横に振りながら小切手を茜に戻した。

「どうして? 私にできることってこれくらいしかないんだ」

「我々公務員はこんなものはもらっちゃいけないことになってるの。クビになっちゃうわ」

「そんなの黙ってればわかんないから」

「だめだめ。これはあなたたちのために使って・・・」

 美里は小切手を茜のバッグに押し込んだ。

「でも先生・・・」

 不満そうな茜に美里が微笑んだ。

「いい人見つけたわね。茜さん」

「へへ・・・」

 茜は照れながらバッグのふたを閉じた。

 

 帰り際、茜は振り返って美里に聞いた。

「ねえ美里先生。先生の彼氏も先生を助けるためにビデオ見たの?」

「そうよ」

「へえー・・そうなんだー」

 茜は嬉しそうにうなずいた。

「絶対ダメだって言ったのに・・しかも3回も」

「あ・・健人の勝ちだ。健人10回見たって」

「やるなー・・健人君」

 美里は腕組みをして首をちょっとかしげて微笑んだ。

「先生、その彼氏と結婚するの?」

「えっ・・そうね・・・もし彼がプロポーズしてくれたら・・しちゃおかな?」

「美里先生なら絶対大丈夫だよ。だって先生すごくきれいだし・・・」

「ありがと。でも茜さんもちゃんとお化粧して着飾ったらきっと女優さんみたいになると思うわよ」

「へへ・・・そうかな・・・」

 茜は嬉しそうに微笑んだ。

「そうそう。明日の夜、健人君にここに来るように言っておいて。抗体検査をして呪いが解けたことを確認するから」

「わかった。私は明日の夜はこれないから健人から結果を聞くよ。ありがとう、美里先生」

「ゼウスの火」第3章、エピローグに続く

2013年11月 1日 (金)

「ゼウスの火」第2章(2/3)

920日(木曜日)

 

【誠 やはり感染せず】

 

 都立聖礼病院をはじめとした複数の病院には連日のようにFSISの患者が運ばれていた。

 そしてあらゆる治療にもかかわらずそのすべての患者が入院して2-3日で命を引き取っていたのである。

 呪いのビデオのうわさは日本中に広がり、ビデオはおろか、テレビを一切見ないというものまで現れた。しかし幸いにして患者は関東周辺に限局していた。

 

 宇都宮誠の血液からは相変わらずパンドラウイルスのRNAは検出されなかった。

「やっぱり・・・色覚異常がある人には呪いがかからないんだわ」

「じゃあ・・僕、助かるんですか?」

「誠君がDVDを見てからもう4日目になるわ。今日明日の間に目の異常がなければ大丈夫だと思う」

「本当ですか!」

 誠は嬉しそうに微笑んだ。

「昨日、最初にFSISを発症した3人が泊まった温泉旅館に行ってきたの。彼らが宿泊する前にそこに泊まっていたのは久留間神児だった」

「え? じゃあやっぱり彼が・・呪いのビデオを・・・」

「昨日の夜、ネットで調べたら彼は帝都微生物研究所というところで研究をしているらしいわ。今から彼に会いに行ってくる」

 その時美里の前の電話が鳴った。

「はい高梨です」

<高梨先生に村木コーポレーションの村木修一郎さんという方がお会いしたいそうです。なんでも呪いのビデオの件で聞きたいことがあると・・>

「呪いのビデオの件で? 村木修一郎? 誰だろう? 今いきます」

 

【帝都微生物研究所】

 

村木修一郎と名乗る人物との面会が終わり、美里はまっすぐ帝都微生物研究所に向かっていた。

「このDVDを作ったのは間違いなく久留間神児。悔しいけど私にはその謎を解くことができない。直接彼に会って話を聞くしかない」

 

「国立感染症研究所の・・・高梨美里先生・・・ですか・・」

 ラフなシャツに白衣を羽織った久留間神児は応接室のソファに座り、美里が渡した名刺をちらっと見ながら美里に目を向けた。

 どこか憂いを含んだ堀の深い顔立ちは一見するとハーフを思わせる。年齢は美里と同じくらいで30そこそこのはずであるが、やや長めの髪はまるで染めたようにほとんどが白くなっており、神秘的な雰囲気をかもし出している。

 美里がその右腕に目をやると2本の傷が白衣の袖口から垣間見えた。

「その研究所の先生が私にどのような御用件で・・・?」

「単刀直入に伺います」

 美里はバックからDVDケースを取り出した。

「これを作ったのはあなたですね?」

「これはまた手の込んだ・・・ゼウスの火・・呪いのビデオ・・ですか・・。いやーこんなものは覚えがないですね」

 神児は興味なさそうにDVDを机の上に戻した。

「もちろんこれはコピーして装飾を加えたものです。あなたが作ったのはこれのオリジナルです。最初にあなたと思われる人物が出てきて『これは呪いのビデオです。これを見ると1週間後に死にます』というフレーズから始まります。あなたはこの呪いのビデオを作成し、A市の旅館の1室に故意に置いた。そしてそれをみた若者が3人、パンドラウイルスに感染してFSISを発症して死んだ」

 神児はほんの少し眉をぴくっと動かし、そしてまた何事もなかったように笑いながら言った。

「私はあなたのことを研究者だと思っていましたがちょっと違ったようだ。刑事さんか探偵さんのようですね」

「探偵・・そうかもしれません。久留間さん! 私はあなたが作った呪いのビデオの謎が知りたいんです! すでにこのDVDは多数コピーされて出回っています。これを見た人間が何人も死んでいるのです。お願いします! なぜこれを見ただけでパンドラウイルスに感染するのか教えてください!」

 美里は頭を下げて必死に神児に頼み込んだ。

「困りましたね・・」

 それを聞いて美里は強い語調で言った。

「久留間さん! 何人もの人間があなたの作ったDVDのために死んでいるんですよ! あなたには自分が殺人犯だという自覚がないのですか?」

 神児は大きく息をつくとしばらく間をおいて答えた。

「殺人犯・・ですか? わたしが・・・・? いいでしょう、仮に私がこれを作ったとしましょう。そしてこのDVDを見た人間はパンドラウイルスに感染してFSISを発症して死に至る。いいでしょう・・・。でも私は何をしました? その人たちに強制的に見せて殺しましたか? 私は旅館に泊まって、たまたまそのDVDをおき忘れてしまった。それを誰かが見て命を落としてもそれはその人のせいではないでしょうか?」

「そんな勝手な!あなたは故意に呪いのビデオを置いたのです! 誰かが興味を持って見るように・・・そしてパンドラウイルスを世の中に広めるために」

「ああ・・・わかりました。そうだとしましょう。じゃあピストルを旅館に忘れて、誰かがそれを使って人を殺した。ピストルを忘れた人は殺人罪ですか?」

「そんな勝手な理屈・・・」

 美里は嫌悪のまなざしで神児を見つめた。

「殺したのはあくまでもピストルを使った人だ。ピストルを置き忘れた人はせいぜい銃刀法違反でしょう? ビデオを見たのもその人の責任じゃないのですか。だってこれを見ると『1週間後に死にますよ』ってちゃんと警告しているのでしょう? それをあえて見て死んだのなら自己責任じゃないですか」

 久留間神児は平然として、そして時に笑みを浮かべながら自分の正当性を主張した。

「私はあなたのことを優秀な頭脳を持つ科学者だと思っていました。悔しいけど私には呪いのビデオの謎は解けなかった・・。私はあなたの才能に感服していた。でもそうじゃなかった。あなたはのらりくらりと言い訳をするだけのただの卑怯者よ!」

 美里は語気を荒げて神児の顔をにらんだ。

「卑怯者ときましたか・・・私も若い男性です。あなたのような美しい若い女性から卑怯者呼ばわりされるのは本意ではありません。じゃあ腹を割って話しましょうか・・・」

 神児は大きく深呼吸してから続けた。

「確かにこのDVDは私が作ったものをコピーしたもののようです。でも私を殺人犯にするためにはこのDVDとパンドラウイルス感染の因果関係を科学的に証明する必要があるのではないですか? いくらなんでもビデオを見せたから人が死んだなどと言っても警察は動けないでしょう?」

「それは・・・」

「私が殺人犯の証拠になるような『呪いの謎』をぺらぺらと話をすると思いますか? あなたはFSISの患者が最初に発症した時から調査を進めていた。そしてその原因がパンドラウイルスという新しいウイルスであることを突き止めた。そしてその感染にこのDVDが関与しているらしいことも突き止めた。そしてこれを作ったのが私だというところまでたどりついた。でも・・・本番はこれからなのですよ」

「本番?」

「そう。この1枚のDVDに隠された謎。これはあなたが自分で解かなくてはなりません。これは私の『社会に対する挑戦』で、いわば私と社会の、言い換えれば私のあなたの『戦い』なのですよ」

「戦い・・・」

「まあ、全くお手上げだと言って自分の無能さを認めて頭を下げる、その謙虚な態度には協調できますがね・・」

「無能・・・その言い方は同じ科学を専攻しているものに対して失礼すぎませんか?」

 美里は憤慨して強い口調で言った。

「違いますか? あなたは2週間もかかって呪いの謎を何一つ解明できていない」

「そんなことはありません!」

 美里は思わず否定した。

「ほう・・じゃあ何がわかりました?」

「それは・・・このDVDでは・・・色覚異常者にパンドラウイルスを感染させることはできません。イージスの盾とは・・・色覚異常者のことです」

「ほう・・・」

 神児は感心したという表情でうなずいた。

「これはこれは・・・先ほどの『無能』を取り消さなくてはなりません。ちょっとは骨のあるお嬢さんのようだ。しかしこのDVDには23重のからくりが施してあります。私の武器は強力ですよ。それで? あなたの武器は・・・? そのイージスの盾だけですかな?」

「そ・・・そんなことはないわ!」

「まだ武器があると・・・」

「私の武器は・・・・あとは・・・」

美里は口ごもって下を向きそして顔を上げた

「あとは・・勇気だけよ!」

 憤慨した顔で自分をにらむ美里に神児が苦笑して言った。

「それは・・・どこかで聞いたようなセリフ・・。まあいいでしょう。でもお分かりだと思いますがあまり時間はないのですよ。このシステムは人間が正しい行いをするのならばたちまちのうちに終息するのです。呪いにかかっても誰にもその呪いをうつさずに自分だけ死んでいけばパンドラウイルスは広がらない。しかし悲しいかな人間はそうではないようだ。次から次へと呪いをうつし、時には複数の人間を巻き込み、パンドラウイルスを蔓延させている。人間の本性が醜ければ醜いほどあなたに残された時間はわずかなのですよ。あなたが唯一解明したように色覚異常者には呪いをかけることができない。すると呪いのビデオを見せたにもかかわらず呪いがとけない人間が出てくる。それがうわさになれば今度は呪いのビデオを2人以上に見せなければならない。そんな都市伝説もすぐに生まれるでしょう。そうやって呪いはますます広がっていくのですよ」

 美里は憎しみのまなざしで神児をにらんで言った。

「あなたには・・・絶対に負けないわ!」

 そして美里はDVDを手に取ると足早にドアに向かった。

「ああ期待してますよ・・・あなたの勇気に・・・美里ちゃん」

 

【美里の覚悟】

 

 研究所に帰った美里は悔しさでいっぱいだった。

 目の前にいるのがパンドラウイルスを広めFSISを蔓延させ、多くの人を殺し、また、多くの人を困惑させた諜報人だ。しかもそいつはそれを平気な顔でしゃあしゃあと認めている。

 しかし自分には彼を犯罪者として立証することができない。呪いのビデオの謎を解かない限り久留間神児に罪を認めさせることができないのだ。

 そしてそんな相手に対して頭を下げ、無能呼ばわりされた自分のことが言いようのないほどに悔しかった。

「負けないわ! 久留間神児! あなたのトリックは必ずあばいて見せる!」

 美里は今までの資料をまとめ、もう一度最初から考えた。

 

 時計の針は21時を回っていた。

 美里は相変わらず一人で机に向かって考えていた。

「このDVDには特殊な光が仕組まれているはず。それがDVDを見た人間の網膜を障害しているのは間違いない。色覚異常者はその光を感知することができないので網膜が障害されない。網膜に障害が起これば色覚異常が発生し、眼球に炎症を起こして眼球が突出することも説明できるわ。問題はそこからどうやってパンドラウイルスを感染させるか・・・。網膜に障害をおこし感染しやすくするということ? そもそもパンドラウイルスはどこにいるの?」

 美里は机の上に置いてあったDVDを手に取った。

「この中にウイルスが潜んでいるとでも言うの? 電磁波として記録されたものがどうやってRNAという有機体に変化するのよ・・・。そんなことありえない・・・」

 美里の頭の中に皮肉な笑いを浮かべる久留間神児の顔が浮かんできた。

「わからない・・・私にはこれ以上どうすることもできない。悔しいけど私の負けだわ・・・だれか・・・力を貸してちょうだい・・・」

 美里は涙を流し、首を横に振った。美里の涙がDVDの上にこぼれ落ちた。

「このDVDには、いったい何が・・・」

 美里は自分の言葉を思い出した。

「私の武器は・・・あとは・・・勇気だけ・・・」

 美里はDVDを握りしめると顔を上げた。

「そう! 私にはまだ武器が・・勇気があるわ!」

 美里はノートパソコンのふたを開くと手に持っていたDVDを装着した。

 パソコンの読み込みが開始され、画面にはビデオソフトが立ち上がった。

 美里は震える手でマウスを握り、再生ボタンの上にカーソルを移動した。

「私には・・・勇気が・・・」

 美里は震える右手を左手で押さえ、再生ボタンをクリックした。そして真剣な表情で画面に見入った。

 

<このビデオは呪いのビデオです・・・>

「久留間神児!」

 美里は画面に映った、ぼかしが入った男の顔の輪郭を憎しみを込めて見つめた。

 そして彼女は繰り返し繰り返しDVDを再生してその映像を頭に刻み込んだ。

 

 DVDを見終わった美里は虚脱感に襲われていた。

「これで・・・私も感染した。4日後に色覚異常が出現し、5日後に発熱、多臓器不全で7日後に死ぬ・・・。私に残された時間はあと4日」

 美里はDVDの再生ボタンをもう一度押し、早送り、スロー再生、コマ送り再生を繰り返した。

「赤い光がところどころのコマに挿入されている。普通に再生しただけではわからないけど、この光はサブリミナル効果として人間の網膜に取り込まれているはず。やはりこの光が網膜に障害を与えるんだわ」

 そして美里はいつしか睡魔に襲われ、そのまま眠り込んでしまった。

 

【村木コーポレーション応接室】

 

 その日、夜の8時を少し回ったころ、柏木茜は村木コーポレーションの社長、村木修一郎の自宅の応接室に招かれていた。

 村木コーポレーションは柏木茜の父親、柏木忠が経営する町工場の親会社である。

 柏木茜と村木修一郎とは普段は交流がないのだが、今回は村木のたっての願いとのことで茜は村木家を訪れていたのである。

「それで・・私に用ってなんですか?」

「こんなところまでわざわざおいでいただいて申し訳ない。実はあなたに是非お願いしたいことがあるんです」

 茜の正面には村木修一郎、向かって右に妻の村木冴子、向かって左には修一郎の息子の村木修斗が座っていた。

 茜は今こそ父親の町工場を手伝っているが数年前までは族のレディースで頭をはっていたこともあり、いわゆる「あねご肌」で竹を割ったような性格である。

 ナチュラルショートの髪を軽く茶色に染めており、ほぼすっぴんであるが、意志の強そうな美しい瞳と整った顔立ち、作業着姿であっても男性の目を奪う抜群のプロポーションは、きちんと着飾れば女優顔負けのルックスである。

「茜君は呪いのビデオというのを知っているだろうか?」

「呪いのビデオ? ああ・・・最近話題になってる、見たら1週間後に死ぬっていうあれ?」

「そう。その呪いのビデオなんだが・・・2日前にこの修斗が見てしまったらしいんだよ」

 修一郎は黙って下を向いて座っている息子をちらっと見ながら言った。

 茜はそんな修斗を無言で見つめていた。

「私もこんなものは信じちゃいなかったんだが、今日、国立感染症研究所の先生に会って直接聞いたところ、どうやら本物らしい。呪いを解くためには3日以内に他の人間にそのビデオを見せる必要があるということだ。・・・これなんだが・・・」

 修一郎はDVDをテーブルに置いた。

「これを他人に見せると呪いがとけるってこと?」

「いや単に見せただけではだめらしい。見せた人間と24時間以内に交わる必要がある」

「交わる?」

「つまり・・キスをするとかセックスをするとかいうことらしい」

「ふーん」

 茜は気のなさそうな返事をした。

「そこで君にお願いなんだが・・・・」

 修一郎は恐縮して茜の顔を見つめた。

「修斗のためにこのDVDを見てくれる女性を探してもらえないだろうか?」

「私が・・・? なんで私が?」

 茜は不満そうな顔で修一郎を見つめた。

「知り合いの話では・・・この辺りでは君が一番若い女性のことを把握していると聞いたんだが・・・」

「なるほどね・・・レディースの頭やってれば顔も広くなるってことね・・・」

「もうあまり時間がないんだ。もちろん、ただで、というわけではない。失礼だが・・・ここに500万の小切手を用意した。何とかこれでお願いできないだろうか?」

「500万!」

「これは息子の命がかかっている。これくらいは当然だと思っている」

「もし断ったら?」

「それは茜君の自由だ。だが、なるべくそのようなことはないようにお願いしたいんだが・・」

「断ったらうちとの取引を断ると?」

 修一郎はあわてて首を横に振った。

「とんでもない! このことと君のお父さんとの取引は全く別だ。君が引き受けてくれようが断ろうが君のお父さんとの取引は今まで通り継続する。それだけは約束する」

「そう・・・」

 茜はテーブルに置かれたDVDを手に取った。

「ちょっと聞いていい?」

「なんだろうか?」

「社長さんじゃなくてその子に聞きたいんだけど・・。あんた、なんでこんなもの見たんだ?」

 茜は修斗に向かって言った。

「それは・・・友達に言われて・・・最初は断ったけど、臆病者って言われたから・・・」

「臆病者って言われたくなくて見た・・・。こういうことになるってこと、わからなかったのかい?」

「・・・」

「自分で自分の尻が拭けないようなことはしないことだね」

 それを聞いた村木冴子が体を乗り出して何か言おうとしたが修一郎が手で制した。

「修斗も今回のことは十分に反省している。子供がやったことは親の責任でもある。当然私にも責任がある」

「まあ・・・そういうことだね。・・・・いいよ、引き受けてあげるよ」

「本当か! すまない」

「ただし! 息子の命、こんなに安くないだろ?」

「・・・・」

「一千万もらおうかな」

「一千万!」

 村木冴子が思わず声を上げた。

「息子の命が助かるんならそれくらい安いもんだろ?」

 修一郎は体を乗り出そうとする冴子をもう一度手で制して言った。

「いいだろう。茜君の言うとおりだ。あと500万準備しよう。修斗の大学入学の費用としていくらかの貯金はある。それで準備しよう」

「でもあなた・・あのお金は・・・」

「修斗は大学に行きたければ自分で勉強して国公立だけを受験する。そして大学での生活費はバイトでかせがせる。それが自分で責任をとるとうことだ。いいな? 修斗」

 修斗は茜の顔をみて首を縦に振った。

「そんな筋の通った話ならあたしも好きだよ。いいよ、あたしが何とかするから・・・これ見とけばいいんだろ?」

 茜はDVDケースを手に取った。

「茜君が?」

「こんなこと、若い奴らにやらせられないだろ? あたしが面倒見てやるよ」

「すまない」

「これ見て明日ここに来ればいいんだね?」

「それは・・・」

 村木冴子は不満そうな声をだした。再びそれを制して修一郎が言った。

「それで結構。本当はここで君にこのDVDを見てもらおうと思ったが茜君に任せよう。自宅に持って帰って見てくれたまえ。この小切手は持って行ってほしい。残りは明日お渡しする」

「いいの? あたし、このままトンずらしちゃうかもしれないよ」

「茜君なら大丈夫だよ」

 修一郎は笑いながら言った。

「ああ・・それから・・。この話はあたしの父親には伏せといたほうがいいよ。もしばれたら、『あんたのとことは金輪際取引中止だ』ってここに乗り込んでくるのがわかってるからね」

「ああ・・そうさせてもらう」

「村木さんとこは取引中止でも構わないかもしれないけどあたしが路頭に迷うのはごめんだからね」

 

 

 

 

 

 

921日(金曜日)

 

【パンドラウイルスはどこに?】

 

 美里が目を覚ましたのは朝7時を回ったころだった。

「しまった・・コンタクトをはずさないと・・・メガネは和馬のアパートだわ」

 美里はあわてて和馬のアパートに向かった。

 美里がコンタクトをはずし、顔洗っているところに当直明けの和馬が帰ってきた。

「美里・・来てたのか」

「和馬・・・」

 和馬の顔を見たとたん、美里の気持ちは一気に緩み、その瞳からはボロボロと大粒の涙がこぼれた。

「かずまー・・・」

 美里は和馬の名前を呼びながらその胸に飛び込んで力いっぱい抱きついた。

「ど・・どうしたんだ? 美里。何があった?」

 美里は何も言わず首を横に振るとワンワン泣き出した。

 和馬は困惑しながらも、じっとそのまま無言で優しく美里を抱きしめていた。しばらく泣き続けていた美里はゆっくりと顔を上げてじっと和馬を見つめた。そして和馬も美里を見つめ、その唇をゆっくりと近づけた。その瞬間美里はあわてて和馬を突き放した。

「だめ!」

 和馬はびっくりして美里を見つめた。

「どうしたんだ、美里!」

「わたし・・・わたし・・・パンドラウイルスに感染したかもしれない・・」

 美里は泣きながら言った。

「何だって! お前、まさか、ビデオ見たのか!」

 追及する和馬に美里が無言でうなずいた。

「なんでそんなことしたんだ! あれほど注意したのに!」

 和馬は美里の肩を持って激しく揺さぶった。

「ごめんなさい・・・仕方がなかったの・・・」

 和馬はうなだれる美里の顔をみて大きく深呼吸した。

「まあ座れ」

 二人はゆっくりとテーブルに座り、美里はこれまでの経緯を和馬に話した。

 

「お前の気持ちはわかる。その久留間神児ってやつは俺も許せない。しかし5日後にはお前はFSISを発症する。そして7日後に死ぬ。わかってるのか?」

「わかっているわ。それまでに絶対このDVDの謎を解いてみせる」

 美里は和馬の顔を見てきっぱりと言った。

 和馬はしばらく無言で考え込み、そしてゆっくりと言った。

「わかった。明日の夜、そのDVDを俺に見せろ」

「何を言うの!そんなことできるはずないじゃないの!」

「お前は5日後にFSISを発症する。もうあまり時間がない。でも俺に呪いを移せばもう少し時間ができる。俺が発症するまでの間に謎を解いてくれ」

「だめ・・だめ・・・そんなこと絶対だめ・・・」

 美里は泣きながら首を横に振った。

「俺とお前は二人で一つだ。どちらがいなくなってもいけない。二人が生き残る道を考えるんだ」

 美里の瞳からボロボロと大粒の涙がこぼれおちた。

「ありがとう・・和馬・・・でもこれは私の戦いなの」

 美里は和馬の顔を見てきっぱりと言った。

「わかったよ。でも美里、お前は一人じゃない。戦うなら俺も一緒だ」

 和馬はそういいながら美里の右手を両手で握った。

「ありがとう・・・とても・・・心強いわ」

「それにしても若菜ちゃんがあのDVDを見ていたとはな・・・」

「私もうかつだったわ。FSISの騒ぎが始まってからほとんどあの子のところへ帰らなかったから」

「外のことばかりに目がいっていると肝心の自分の中が見えなくなるもんだ」

「そうね。問題が本当は自分の中にあるってことよくあるわね」

「これからは時々若菜ちゃんのところに帰ってやれよ」

 その瞬間美里は、はっとして無言で和馬の顔を見た。

「和馬・・・問題は自分の中にあるって・・・」

 美里はあわててバックからノートを取り出した。

「パンドラは禁じられた箱を開け、パンドラの内からゼウスの火が世界に広がりし・・」

「そのゼウスの火っていうのがあらゆる災害のことでパンドラウイルスを象徴しているんだろ?」

「そうよ。でもおかしくない? あらゆる災害が飛び出したのはパンドラが開けた箱の中からであってパンドラの内からじゃないわ」

「単なる言い間違いじゃないのか?」

「違う! 久留間神児はそんなミスはしない! これは彼がパンドラウイルスの存在場所を暗示しているのよ。もしかしたら・・・」

 美里はあわててスマホを手に取った。

「あ・・今野君? 至急調べてほしいの。誰でもいい、パンドラウイルスに感染していない人のDNAからパンドラウイルスの遺伝子シークエンスが検出されるかどうか確認してほしいの。そう・・RNAじゃなくてDNAよ。遺伝子DNAの中にパンドラウイルスのRNAと同じシークエンスがないかってこと。説明はあとでするから大至急お願い!」

 美里はスマホをバックにかたつけるとあわててメガネケースを開けてメガネをかけた。

「ありがとう和馬! 糸口がつかめそうだわ! 私の仮説が正しければ呪いのビデオの謎が解明できそうよ!」

 呆然とする和馬をしり目に美里はあわてて外に飛び出していった。

 DNAもRNAも遺伝子情報を伝える核酸という物質で長い鎖のような形をしている。RNAは1本の鎖であるがDNAは2本の鎖がらせんのように絡まっており、生物細胞の核の中では2本鎖のDNAが折りたたまれて染色体となって存在している。

 遺伝情報が発現されるときは折りたたまれたDNAが引き伸ばされ、2本鎖から1本鎖にほどかれる。そのDNAの上をRNAポリメラーゼが移動することによってDNAの遺伝情報をコピーされたRNAが作成される。

 遺伝情報をコピーされたRNAは細胞内の蛋白合成工場であるリボゾームに取り込まれ、RNAの情報に対応したアミノ酸が次々とつながり、その結果蛋白質が合成されるのである。

 ウイルスは遺伝情報としてDNAを持つDNAウイルスとRNAを持つRNAウイルスに分類される。DNAウイルスのほうが安定であるがRNAウイルスは変異しやすい特徴があり、環境の変化に素早く対応することができる。どちらも自分の体内にはRNAポリメラーゼやリボゾームなどを持たず、他の生物の細胞に感染して初めて自分の遺伝子を複製し、自分を包む蛋白質であるエンベロープなどを合成することができる。すなわち、ウイルスは単独では増殖できず、生物としては半人前ということになる。

 

 
 

 

 

【隠れたウイルス】

 

 国立感染症研究所に戻った美里は自分の血液を採取し、パンドラウイルスのRNA検査を行っていた。

「やっぱり・・・陽性だわ。私はパンドラウイルスに感染した・・・・。このままだと私はあと4日後にFSISを発症し、6日後に死ぬ。でも私は負けない! 私は一人じゃない、和馬も、今野君たちも、仲間がたくさんいる。最後まで戦ってきっと久留間神児を倒して見せる!」

 そして美里は図書室にこもってHIVなどのウイルスや遺伝子関連の資料を調べ始めた。

 

 その日の夕方、今野が図書室にやってきた。

「高梨先生! ここにいたんですか!」

「ああ今野君。ごめんなさい。ちょっと調べものに手間取っちゃって」

「高梨先生のメガネ姿初めて見ました。なかなか似合ってますよ」

「ありがとう」

「そんなことより先生! 僕の血液からパンドラウイルスのDNAシークエンスが検出されたんですよ! どうしましょう・・・」

「今野君の血液から?」

「はい。誰でもいいって言われたから僕の血液から白血球を抽出して核内のDNAを調べたんです。そしたらパンドラウイルスRNAと同じシークエンスが検出されているんです。僕も感染しちゃったんでしょうか?」

 今野は不安そうな顔で資料を美里に見せた。

「心配しないで今野君。私の仮説ではパンドラウイルスはすべての人間の遺伝子から検出される」

「すべての・・人間の・・・ですか?」

「そう。パンドラウイルスは外から感染したのじゃない。自分の中で増殖したのよ」

「どういうことですか?」

「たぶん大昔から人間の遺伝子の中にはパンドラウイルスが潜んでいたのよ。ただし活動せずじっと潜んでいただけ。呪いのビデオを見ることによって特殊な光が網膜細胞を刺激して網膜細胞の核の中に潜んでいたパンドラウイルスのDNAを活性化させたのよ」

「網膜細胞の核の中のパンドラウイルス遺伝子情報が発現してパンドラウイルスRNAが増殖したと・・」

「そう。増殖したパンドラウイルスRNAが網膜細胞に炎症を引き起こして色覚異常や眼球突出をきたし、ウイルスが全身に感染してFSISを発症するんだわ」

「なるほど・・・これでDVDを見てパンドラウイルスに感染するっていう謎が解けそうですね」

「あとはなぜ他人にDVDを見せてその人と交わると抗体ができるかということを解明すれば治療の糸口が掴めるはず。今野君! パンドラウイルスのDNAが人間の遺伝子のどこに隠れているか調べてちょうだい」

「わかりました!」

 

【茜の選択】

 

 その日の夜、茜は村木家の応接室で修一郎と向かい合っていた。

「これが残りの500万だ」

「サンキュー」

「それで・・・修斗は?」

「ああ・・・大丈夫だと思うよ。呪いは、ばっちりあたしに移ったと思うよ」

「すまない・・・」

 修一郎は深々と頭を下げた。

「それで・・・君はどうするんだ?」

「あたし? あたしは大丈夫だよ。こう見えてもあたしに言い寄ってくる男なんてごまんといるから。今から誰を相手にしてやろうか目移りしてるよ」

「だろうね・・・でも、それを聞いて安心したよ」

 修一郎は笑顔で右手をさしだし、茜はそれに答えて笑顔でその手を握った。

 

 自宅に帰った茜はDVDと500万の小切手二枚を机の上に並べていた。

「さてと・・・誰かとやんなきゃいけないのか・・・めんどくせーなー。こんなことなら男の一人くらい残しときゃよかったぜ。俊之とは半年前に別れちまったしなー」

「となると、ここで働いている3人の誰かってことか。春樹はガタイはいいけどなんかきたねーし口がくせーからな・・・。幸次郎はデブで生理的にあわねーし。となると・・健人か・・・」

 茜は職員旅行で撮った写真の中の柴崎健人を見ながらつぶやいた。

「健人は・・素直でルックスはジャニーズぽくってかわいいんだけど・・・頭にクソがつくくらいまじめだからなー。融通が効かないし・・・・。何考えてんのかわかんねーとこあるし・・・あたしゃちょっと苦手だよ、あのタイプ。でもまあ、あたしにもなついてるし・・・健人でいくしかないか!」

 

922日(土曜日)

 

【ウイルス消失!】

 

美里は自分の血液検査の結果を見ながらびっくりして声を上げて立ち上がった。

「パンドラウイルスのRNAが消えている! まさか・・・私治ったの?」

 しかし、ほんのわずかな時間考えて美里は首を横に振った。

「違う・・・パンドラウイルスは消えたんじゃない。私の全身の組織に潜んでいるのよ」

 美里はゆっくりと椅子に座った。

「特殊な光によって網膜細胞内で増殖したパンドラウイルスは一気に血液中に放出される。そしてそのウイルスは白血球や全身の細胞に感染して血液中から姿を消す。でも細胞の中でゆっくりと増殖し、5日後に一気に組織を破壊してFSISを発症する」

 美里はメモ用紙に縦長の山グラフを書き、1日後に低くなり、そして5日後に再び一気に高くなる山を描いた。

「宿主のDNAの中に潜んでいたパンドラウイルスはほんの一時期だけ血液中に顔をだし、そして再び全身の細胞の中に身を潜め、ゆっくりとそして確実に宿主の体をむしばんでいく。なんて巧妙な、そしてなんて恐ろしい・・・まさしく悪魔のウイルスだわ」

 その時美里ははっと顔を上げた。

「誠君は! 誠君の血液からウイルスが検出されなかったのはひょっとしてウイルスが彼の全身の細胞に隠れていたから? そんな・・だったら誠君は・・」

 美里はあわててカレンダーを見た。

「誠君が呪いのビデオを見てから今日で5日目!」

 美里はスマホを取り出し、誠にメールを打った。

「お願い・・・誠君! 何ともないって言って・・・」

 メールはすぐに返信された。それを見た美里は一瞬凍りついた。

<今日からなんだか目がおかしくて・・・なーんてね。全然元気でーす! 今日は土曜日なのに補講があってがっかり。具合が悪ければこんな退屈な講義、抜けさせてもらうんだけどな。残念ながらすこぶる元気でーす。あ、それから・・・実は昨夜とってもいいことがありました。またゆっくり話します。お姉さんもがんばってねー>

「誠君らしい・・・。よかった。やっぱり彼は最初から感染していなかった」

 美里は笑顔でスマホをバックにしまった。

「私に残された時間はあと2日。それまでに治療の糸口をつかまないと私の負け」

 美里は免疫に関する資料を読みあさっていた。

 そこへ今野がやってきた。

「高梨先生。パンドラウイルスの潜入先がわかりました。6番染色体の短腕にパンドラウイルスRNAと同じDNAシークエンスが53リピート見つかりました。数人調べましたがどの検体も同じです」

「これでパンドラウイルスが外から侵入したのではなく、自分の身体で作られるのだということが証明できたわ。少なくともこれで所長に呪いのビデオが原因だということを説明できる」

 RNAウイルスはその体内にRNAを持ち、RNAによって遺伝情報を伝達する。人間の細胞に感染するとその細胞内に存在しているリボゾームに自分のRNAの情報を読み込ませて自分の蛋白を合成する。したがって通常はその増殖にDNAは不要である。

 しかしRNAウイルスの中には自分の遺伝情報をコピーしたDNAを作成するものがいる。彼らは人間の細胞に感染すると自分の遺伝情報を持った二本鎖DNAを作成し、それを人間の遺伝子DNAの中に組み込むのである。このようなウイルスをレトロウイルスと呼ぶ。

 

【選ばれし男】

 

 その日の夜、茜は仕事が終わった健人に声をかけた

「ああ・・・健人」

「はい! 茜さん、なんでしょう?」

「お前、明日あいてるか?」

「はい?」

「ちょっと頼みたいことがあるんだけどなー」

 茜は健人から目をそらし、頭をかきながら言った。

「あ・・茜さんが俺に・・・頼みっすか! なんでしょう!」

「まあ、明日話すよ。明日は社長もいないから昼飯をなんか作ってやるから昼頃ここに来いよ」

「本当っすか! お願いしまーす」

 

923日(日曜日)

 

「私に残された時間はあと1日。その間に治療法が見つからなければ私は助からない」

 美里は大きく深呼吸をした。

「治療法のカギは抗体。呪いのビデオを他の人に見せてその人と性行為をすれば自分には抗体ができる・・・なぜなの?」

美里は呪いのビデオのメモを取り出し、もう一度読み直した。

4つ目の日を見る前にゼウスの怒りを伝え、その次の日を見る前にそのものと交わればゼウスの火は消え去らん・・・。その次の日を見る前に・・・・すなわち24時間以内に・・・・。ゼウスの怒りを伝えて24時間以内にそのものと交われば呪いがとける・・・呪いのビデオを見せて24時間以内にそのものと交われば抗体ができる・・・」

その時美里ははっとして顔を上げた。

「24時間!! ウイルスが血液中に存在している24時間の間に交わる! その間に性行為を行えば相手のウイルスが自分の体内に侵入する! 相手のウイルスを自分の体の中に入れることが呪いを解く鍵! 性行為をすれば口腔内や生殖器から他人のパンドラウイルスが侵入する。でも・・・もともと感染している人に他人のウイルスが少しばかり入って来たからといって・・・どうして抗体ができるの?」

 美里は目をつむってゆっくりと考えた。

「理由はわからないけど・・・それならば感染した人に他人からのウイルスをごく少量投与すれば・・・何らかの機序で免疫応答が活性化されて抗体ができ、パンドラウイルスを排除できるのではないかしら?」

 美里は首を横に振った。

「だめ・・・もう時間がない! 私に残されたのはあと1日。今からウイルスを精製しても間に合わない・・でもやらなきゃ! 私が解明できなくてもきっと誰かが謎をといてくれる!」

 

【和馬の決心】

 

 夜10時を過ぎたころ美里が和馬の待つアパートに帰るとリビングに灯りがついていた。

「和馬、帰ってるの?」

 リビングに入った美里はびっくりして思わず大声を上げた。

「和馬! 何見てるの!」

 美里はリモコンをつかみ取るとあわててテレビのスイッチを消した。

「お帰り美里・・・」

「和馬! どこまで見たの!」

「美里、もう遅いんだ。これで3回目だよ。DVDは患者の家族から手に入れた」

「どうして! どうしてこんなことを・・・」

 美里は泣きながら和馬の肩を揺さぶった。

「美里・・・明日も必ず帰ってこい。俺がお前の呪いをといてやる」

「かずまー・・・」

 美里は和馬に抱きついた。

「言っただろ? お前は一人じゃないんだ。俺がFSISを発症するまでにあと4日ある。それまでに謎をといてくれ」

「ありがとう・・・和馬・・・わたし・・・わたし・・・負けそうだった・・・」

 美里は涙を流しながら和馬の大きな身体に抱きついた。美里はうるんだ瞳で和馬をじっと見つめ、そしてゆっくりと自分の唇を近づけた。

「ちょっと・・ちょっと待て・・まだ早い。明日だ」

 腰を引く和馬を美里は強引に引き寄せた。

「いいの」

 そういいながら美里は和馬の唇を奪った。

 

【健人の決心】

 

 茜は健人にチャーハンを盛り付けた皿を差し出した。

「すげー! チャーハンじゃないっすか! これ茜さんが作ってくれたんっすか!」

「まあ、あたしも料理始めたのは母親亡くしてからだから、うまいかどうかわかんないよ。食えよ。いっぱい作ったから」

「いただきまーす!・・・うん・・・茜さん!・・・めっちゃクチャうめーです!」

 健人はあっという間に2人前のチャーハンを平らげてしまった。

「ご馳走様でしたー! あ・・俺、かたつけます! 皿洗いますから!」

「いいからそのままにしておけ。まあそこに座れって」

「はい。あ、そうか。茜さんの頼みって・・」

「お前、呪いのビデオって知ってるか?」

「呪いのビデオ・・・なんか今噂になってるやつですか?」

「そう。それを見ると1週間後に死ぬってやつだよ」

「1週間後に死ぬ・・・怖いですねー・・・」

「その呪いのビデオをな。あたし、2日前に見ちゃったんだよ」

「えー! 茜さんが! そんな・・・大変だ! どうしよう!」

 健人は急におろおろしだして、パニック状態になった。

「まあそんなに驚くな。ちゃんと呪いをとく方法ってのがあるんだ」

「本当ですか!」

「それでな、お前にちょっと協力してほしいんだけど・・・」

「俺にですか? 俺、なんでもやります! 茜さんが助かるんだったら・・・何でも言ってください!」

「実はな・・・その呪いのビデオを他の奴に見せなきゃいけないんだ。そうするとそいつに呪いがうつる」

「わかりました! 俺見ます! 俺に見せてください、そのビデオ! 俺が茜さんの呪いをときますから!」

「わかってんのか? お前に呪いがうつるんだぞ? お前が1週間後に死ぬんだぞ?」

「かまわないっす。茜さんが助かるんなら!」

「おまえ、馬鹿だな。お前も誰かに呪いをうつせば助かるんだよ」

「あ・・・そうか・・・誰かにそのビデオ見せればいいんだ」

「あ・・・それから・・・ちょっと言い忘れたけど・・・」

 茜はほんの少し口ごもって言った。

「呪いをとくためには単にビデオを見せただけじゃダメなんだ」

「だめって・・・どうすりゃいいんですか?」

「そのビデオを見せたやつとな・・・えっと・・・なんていうか・・交わらなきゃいけないらしいんだ」

「交わる?」

「まあ、てっとりばやくいうとだな・・・キスするとか・・・」

「キス!! じゃあ・・・じゃあ、俺と茜さんが・・・キス・・・」

「まあ・・そういうことになるかな?」

「ほ・・・本当っすか! 本当に俺が茜さんと・・キスを・・」

「まあ、呪いをとくためにはしょうがないからな」

「お・・・・俺で・・・いいんっすか?」

「いいんだよ。ほら、呪いのビデオ。これ今日中に見とけ」

 茜はDVDを健人に渡した。

「お・・おっす」

「明日の夜も社長いないから夜あたしの部屋にこい」

「わ・・・わかりました!」

 

「ゼウスの火」第2章(3/3)に続く

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