「虹の彼方のオズ」第4章(1/2)
第4章:新しい世界
【戦後】
無条件降伏ではないが日本は敗戦国となった。極端に物資が少ない中、外地から民間人や軍人など数百万人が復員し、状況はさらに悪化していた。
空襲はなくなり安心した夜を迎えることはできたが、人々は衣食住に困窮し、配給品だけでは空腹を満たすことができず闇市は史実通りに開かれていた。アメリカを中心とした占領軍は大々的には上陸していなかったが、武装解除の監視目的の占領軍は戦勝国として我が物顔で振る舞い、また、それまで虐げられていた在日の中国人や朝鮮人も戦勝国民として横暴の限りを尽くしたことも史実通りであった。
雅人たちは少なくとも食物を自給することができたので比較的恵まれた生活ができていたといえる。夕食を終えて雅人はいつものように愛子に勉強を教えていた。恭子は食事の後かたずけをしながら言った。
「本当に戦争が終わったんだねー。もう誰も死ななくてもいいかと思うと気が休まるよ」
「恭子おばさんのおかげで俺も愛子ちゃんも毎日の食事ができています。本当に感謝してます」
雅人が笑顔で言った。
「私のほうこそ雅ちゃんが来てくれて本当に助かったよ。愛子ちゃんの勉強も見てくれるし・・・」
「いやー愛子ちゃんは本当に賢いから・・・教え甲斐がありますよ。大きくなったらきっと偉い学者さんになりますよ」
愛子は鉛筆を走らせながら得意顔でうなずいた。
「それにしてももう半年早く戦争が終わってたらねー。今更こんなこと言っても仕方ないんだけどね」
恭子は悔しそうに言った。
「まあ日本が占領されなかっただけでも儲けものですよ。これからは愛子ちゃんたちががんばって日本を立ち直らせていかないと」
「私頑張る。うんと勉強して二度と戦争のない世界を作る」
「頼んだよ愛子ちゃん」
恭子が笑顔で言った。
【サファイア】
1950年10月・・・
5年の歳月が流れた。
戦後の混乱も少しずつ改善し、行き倒れや浮浪者はほとんどいなくなっていた。世界では米ソの対立による朝鮮戦争が勃発していたが日本国内は平和を維持していた。
17歳になった愛子は美しい女性に成長し、女学校に通っていた。
「いってきまーす」
自転車に乗って出ていく愛子を見送りながら恭子が言った。
「夕方には雨になるから早く帰るんだよ」
「わかった! 恭子おばさん!」
雅人の農作業はすっかり板につき、畑も新しく開墾し、人を頼んで手広く仕事をしていた。そんなある日の夜、恭子が雅人に向かって言った。
「ねえ雅ちゃん」
「え?」
「あのさ、こんな事いまさら言うのも変なんだけど・・・雅ちゃんはどこにもいかないよね?」
「え?どこにもって・・・」
雅人はちょっと口ごもって言った。
「雅ちゃんって・・・こう言っちゃなんだけど、どこかつかみどころがないようなところがあるんだよ。あたしたちにはわからない何かを隠しているような・・時々一人で山のほうへ出かけて行って帰ってこなかったり・・・」
「ああ・・・あれは・・・何か山のほうで新しい仕事ができないかと思って・・・」
「まあそんなことはいいんだけどさ、あたしゃね、旦那も息子もなくしちまってあんたたちが本当の家族のように思えるんだよ。愛子ちゃんが学校を卒業したらいずれはあんたたちが一緒になってこの家を継いでくれないかなと思っているんだ」
「お・・俺と愛子ちゃんが・・」
恭子は引き出しから先日3人で撮った写真を取り出した。愛子の17歳の誕生日の記念に3人で写真館に行き、並んで撮った写真である。
真ん中に愛子が座り、右に恭子が、左に雅人が立っているモノクロの画像を雅人はじっと見つめていた。
「愛子ちゃんだって雅ちゃんのことを慕っているみたいだし・・・。愛子ちゃんの誕生日に雅ちゃんが青いサファイアのついたネックレスを贈ってやっただろ? あれ、愛子ちゃん、ものすごく気に入っていつも引き出しから出して眺めているんだよ」
「え?本当ですか・・・。確かにあれで・・・俺の財布が空になっちゃいましたけど・・・それなら贈った甲斐がありましたよ」
雅人は愛子の誕生日のことを思い出していた。
「本当にこれを愛子がもらっていいの?」
愛子は目を輝かせて箱の中のネックレスを見つめていた。
「愛子ちゃんの誕生日は9月だから9月の誕生石のサファイアだよ」
「誕生石?」
雅人の言葉に愛子は首を傾げた。
「1月から12月までそれぞれ誕生石っていうのがあるんだよ。それを持っていると幸福になれるんだ。9月の誕生石はこの青いサファイアなんだ」
「じゃあこのきれいな青い宝石をもっていれば私は幸せになれるのね」
愛子は真っ青に輝くサファイアを手に取った。
「きれいだねー。愛子ちゃん、つけてみたら? おばちゃんが手伝ってあげる」
恭子が愛子の髪をまくり上げてネックレスの金具を止めた。
「どう?」
愛子は不安そうに恭子を見つめた。
「きれいだよー。海のように青い色が愛子ちゃんにぴったりだよ」
「本当によく似合うよ、愛子ちゃん」
雅人も嬉しそうに言った。愛子はそれから長い時間ずっと鏡を見つめていた。
「わたしこれからずっとつけてていい?」
「だめだめ。そんなのつけてたら知らないうちにサファイアの石がなくなっちゃうから・・・。ちゃんと机の中にしまっときな」
恭子に諭されて愛子はしぶしぶネックレスを外した。
昭和25年にはようやく日本にも食料や物資が少し出回るようになり、活気が戻りつつあった。朝鮮戦争が勃発し、産業の需要が増えたことも一因であった。人々には娯楽や余暇を少しずつ楽しむ余裕が出てきたのである。
雅人は誕生日の嬉しそうな愛子の顔を思い出していた。そんな雅人を見て恭子は少し寂しそうな声で言った。
「でもね、あたしは雅ちゃんがいつかふっといなくなっちゃうような気がするんだよ」
「愛子ちゃんと一緒になるかどうかは別として、俺には身寄りもいないし、どこにも行くところないから・・・・どこにも行きませんから。心配しないでくださいよ。おばさん」
雅人は笑顔で答えた。
「そうかい・・・それならいいんだけどね・・・」
恭子はちょっと笑みを浮かべて答えた。
愛子は女学校でもトップクラスの成績であった。特に理科に興味を持ち、疑問に思ったことは何でも雅人に聞いた。雅人は100年後の進んだ知識を丁寧に愛子に教え、そして愛子の自然科学の能力は飛躍的に伸びていった。
ある日の夕方、雅人が帰ると愛子は縁側に座ってぼんやりと外を眺めていた。
「どうした?愛子ちゃん。何を考えているの?」
愛子は雅人のほうを振り返ると意を決したように聞いた。
「ねえ、雅人にいちゃん。特攻っていけないことなの?」
「え?」
「学校の先生が言うの。特攻みたいなバカなことは二度としてはいけないって。お兄ちゃんはバカだったのかな?」
愛子は目に涙を浮かべて雅人に聞いた。
「愛子ちゃん・・・」
雅人は愛子の隣に座ると肩を抱いていった。
「戦争の作戦はどんなものでも馬鹿げたものなんだ。それは人を殺すための作戦だからだ。特攻もその意味では自分の命を犠牲にして敵の命を奪うバカな作戦だよ。でもね、特攻で命を亡くした人たちは決してバカじゃない。彼らは日本や大切な人たちを守るために自分の命を犠牲にしたんだ。自分の愛する人を守るために自分を犠牲にするのは一番尊い行為だと俺は思う」
「じゃあ兄ちゃんはバカじゃなかったの?」
「当たり前だ。靖彦は立派な軍人だった。バカなのは戦争を始めた奴らだ」
「戦争がいけないのね?」
「ああ。その通りだよ」
雅人はうなずき、愛子と一緒に空を見上げた。
【核攻撃】
ドロシーはほとんど池の中に隠れたままであったが雅人は時折ドロシーを呼び出し、日本や世界の状況を確認していた。
<マサト。国民警備隊の一部に不審な動きがあります。アメリカにも極秘の情報です>
日本軍は解体されたが自衛のための組織として国民警備隊の名称で最小限の武力を所有することは認められていた。しかしその活動はアメリカに詳しく報告することを義務付けられていた。
「軍の生き残りの連中か?」
<そうです>
帝国陸軍、帝国海軍は完全に解体されたが、一部の将校や兵士は引き続き国民警備隊のメンバーとして日本の治安維持にかかわることとなった。その中にはほんの一部であるが日本の降伏に納得しない軍国主義者も依然として存在していたのである。
<国民警備隊の研究施設で核兵器を開発している形跡があります>
「核兵器!」
<大陸間弾道ミサイルに核弾頭を搭載したものです>
「大陸間弾道ミサイルだって!そんなものが戦後の日本で開発できるのか!」
<史実ではアメリカとソ連が核弾頭を搭載した弾道ミサイルを装備したのは1959年です。10年近く早いことになります。戦争中のドイツではすでに弾道ミサイルであるV2ロケットが開発されていました。戦争中にその技術は日本にも持ち込まれており、一部の科学者がその技術を発展させたようです>
「まさか・・・またアメリカと戦争を始めるつもりか・・・」
<日本には航空機や軍艦はほとんどありませんが、核弾頭を搭載した弾道ミサイルがあれば他国に対する十分な脅威となります。国民警備隊の中にはアメリカの西海岸に核ミサイルを撃ち込み、朝鮮戦争の混乱に乗じて国際的に日本の優位性を示したいと考えるものがいるようです>
「ばかな・・・核兵器を使ったらどんなことになるのかわかっていないのか」
<彼らの頭の中には超強力な爆弾程度のイメージしかないものと思います>
「ドロシー。具体的な進展具合や施設の場所を特定してくれ!核兵器だけは絶対にゆるさん!施設の場所がわかったら教えてくれ。叩き潰してやる!」
<了解しました>
ドロシーから連絡があったのはそれから2週間後のことであった。
<山梨県の富士山山麓に日本政府やアメリカに極秘で作られた施設があります。その地下サイロには核ミサイルを搭載した弾道ミサイルが装備されているようです>
「わかった。今から叩き潰す!」
<しかしマサト、残っている攻撃オプションは空対空ミサイルが1基のみです>
「そうか・・・弾道ミサイル基地を破壊するのは到底無理か・・・」
<一つだけ方法があります。ミサイルサイロの発射口がひらいて弾道ミサイルが確認できたときに空対空ミサイルを打ち込めば核爆発を誘発できます。サイロに残っている通常爆弾や核爆弾ともにすべてを一気に破壊できるでしょう>
「しかし、そのためには施設にいる多くの人々を犠牲にしなくては・・・」
<核兵器を搭載した弾道ミサイルがアメリカ西海岸に撃ち込まれれば20万人以上の犠牲者が出ます。さらに報復としてアメリカから日本の数か所に核爆弾が投下され、再び戦争が勃発します>
「少しの犠牲はやむを得ないか・・・。しかしいつ発射口が開くか予想できるのか?」
<無線を傍受し続ければミサイル発射命令を事前に確認できると思います>
「弾道ミサイル発射命令を傍受して富士山山麓に向かい、サイロの発射口が開いたときにミサイルを撃ち込む。しかも弾道ミサイルが発射されるまでの短時間に破壊しなくてはいけない」
<その通りですマサト>
「しかしやるしかない!一部の狂った軍国主義者のために平和を壊されてたまるものか」
ドロシーからの連絡は1か月後の11月15日朝突然に入った。
朝5時10分。雅人は腕に装着した端末の振動信号をオフにすると布団から飛び起きた。
そして隠してあった飛行服を取り出すと大急ぎで着替え、音をたてないように外に飛び出して山に向かった。誰にも見つからないように・・・十分気をつけたはずであった。しかし・・・・・急ぎ足で山に向かう雅人には、後を追う人影に気が付かなかったのである。
愛子も恭子と同様に雅人に不安を感じていた。雅人の、未来からやってきた人間としてのやや異質な雰囲気、時々何も言わずにいなくなる不審な行動は、愛子にも「雅人がいつかいなくなってしまうのではないか」という強い不安感を抱かせていた。
愛子は雅人に気づかれないように静かに足音をひそめながら、しかし見失わないようにどんよりと曇った空を見上げながら小走りに雅人を追った。
今にも泣き出しそうな空の下で、池に近づいた雅人はドロシーを呼び出した。
「ドロシー!」
すると池が明るく光り輝き、水面が盛り上がり、ドロシーの黒い機体が浮かび上がった。
愛子は木の陰に隠れたまま、驚愕した表情で口を開いたまま、目の前の光景を見つめていた。
雅人はすばやくドロシーに搭乗した。
「ドロシー、弾道ミサイルの発射命令が出たのか!」
<本日7時00分サンフランシスコに向かって発射される予定です>
雅人は時計を確認した。
「あと1時間半か。発射口はもう開いているだろうか?」
<その可能性は高いと思います>
「よし、今から行くぞ!」
雅人は操縦かんを手にとった。外は小さな雨粒が少しずつ風防ガラスをたたき始めていた。
<マサト!正面左に愛子ちゃんがいます>
「なんだって!」
雅人は慌ててヘルメットを外すと外を見た。
「愛子ちゃん・・・どうして・・・」
<発進しますか?マサト>
「いや・・・降ろしてくれ」
ドロシーから降りた雅人はゆっくりと愛子に向かって歩いて行った。
「愛子ちゃん・・・」
「雅人兄ちゃん・・・」
愛子はうるんだ瞳で雅人を見つめていた。
「雅人にいちゃん・・・どこへ行くの?雅人兄ちゃんもいなくなっちゃうの?そんなの嫌・・・」
愛子は泣きながら雅人に抱きついた。愛子には今目の前に見えている現実は理解できなかった。しかし雅人が自分たちとは違った特別な人間で、何かただならぬことをしようとしていることは容易に理解できた。
「愛子ちゃん・・違うんだ。俺の話を聞いてくれ」
雅人は愛子の体を両手で放すと潤んだ愛子の瞳をじっと見つめながら言った。その時、雷が鳴り、急に雨足が強くなった。そして、ドロシーが声を上げた。
<マサト。緊急事態です。発射時間が繰り上げられました>
「なんだって!何時だ!」
<わかりません。すでに発射準備が始まっているようです>
―愛子ちゃんをここにおいていくわけにはいかない・・・
雅人はあわてて愛子の方にふりむくと意を決したように愛子の肩をつかんで言った。
「愛子ちゃん!時間がないんだ・・・!一緒に来てくれ!」
そしてドロシーに向かって叫んだ。
「ドロシー!頼む」
雅人は困惑する愛子を後部座席に座らせベルトを締めた。
「よし、ドロシー発進だ!富士山麓までは君が連れて行ってくれ。ただし急加速や旋回はなるべく避けてくれ」
<了解>
ドロシーは垂直に上昇し、西に向かって飛び立っていった。地上は雷雨であったが雲の上は明るい日差しが差し込み別世界のようであった。
「愛子ちゃん。びっくりしただろう?」
雅人は正面を向いたまま後ろの愛子に向かって言った。
「あなたは誰なの?」
「俺は・・・この時代の人間じゃない。このドロシーと一緒に100年先の未来から偶
然この時代にやってきた、といっても信じられないだろうね」
「・・・」
「ドロシーとともに宇宙空間に調査に出た俺は磁気嵐に巻き込まれて時間の流れを逆行して1945年3月10日の夜に放り出された。東京大空襲の夜だ。空襲が終わって焼け野原の地上に降りた俺は気絶している君を見つけてこのドロシーの中に運んで介抱したんだ」
「私がここに?」
「そうだ。君はお母さんをなくした衝撃で正気を失っていたから覚えていないだろうけども・・・」
「雅人にいちゃんは元の世界に帰っちゃうの?」
「いや、俺はもう帰れない。この世界でこれからも愛子ちゃんたちと一緒に暮らすつもりだ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
雅人は後ろを向いて笑顔で愛子を見つめ、右手で愛子の髪をなでた。雅人の笑顔を見て愛子もようやく笑顔を取り戻した。
そして雅人は愛子に雅人の世界の歴史のこと、原爆投下のこと、自分とドロシーが原爆投下を阻止したこと、今新しい核ミサイルが一部の軍国主義者によってアメリカに発射されようとしていること、そして、最も親しい友人であるドロシーのことなどを話した。
「その弾道ミサイルが発射されたらどうなるの?」
「アメリカのサンフランシスコが壊滅し、20万人の死者が出る。それだけじゃない。その報復としてアメリカが日本に原爆を落とし、また戦争が始まり、何百万人もの人間がまた死ぬことになる」
「そんな・・・また戦争になるの?」
「そんなことはさせない。俺とドロシーは今から弾道ミサイルとその基地を破壊しにいくんだ」
ドロシーは雲の上空を富士山に向かって飛んでいた。愛子がふと雅人に聞いた。
「靖彦兄ちゃんは・・・日本が戦争に負けることを知っていたの?」
「ああ・・・知っていた」
「それなのにどうして特攻に?」
「君の兄さんは沖縄の人たちや日本や君を守るために特攻にいった。沖縄の敵艦隊に打撃を与えればそれだけ沖縄の人たちを敵の攻撃から守ることができる。同じ負けるにしてもいい条件で終戦を迎えることができる。それが日本や愛子ちゃんを守ることになるんだって言ってたよ」
「私は沖縄や日本のことよりも兄ちゃんに生きていてほしかった」
「そうだよね。俺もそうだよ。靖彦には生きていてほしかった」
そして雅人は大きく深呼吸をしてゆっくりと言った。
「戦争はいったん始まればとことん相手と殺しあうまで終わらない。まともな理屈なんて通らない。相手を殺すことが最も正しいことになってしまう。何度も言うけれど、戦争は絶対に起こしてはいけないんだ」
第4章(2/2)に続く
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