「虹の彼方のオズ」第3章(1/3)
第3章:戦闘
【一式陸攻】
昭和20年5月25日。
出撃命令が下った靖彦は桜花を搭載した一式陸攻に乗り込んでいた。同日に出撃したのは桜花を積んだ一式陸攻が合計3機。護衛の零戦が10機である。目標は沖縄近海で偵察機が発見した、空母を含む敵機動艦隊である。
一式陸攻は両翼にプロペラエンジンを備えた双発の中型航空機である。その開発時には4発エンジンの能力を双発で要求されたため軽量化が徹底され、その結果、防御は極めて貧弱なものとなっていた。銃弾が撃ち込まれれば機体を容易に貫通し、搭乗員を守るすべはなにもない。その代り時速430Kmの最高速度と4000Kmの航続距離を獲得している。攻撃装備として前方と両側方、上方に計4門の7.7mm機銃、後方に20mm機銃を1門装備している。
搭乗員は正副操縦士、正副偵察、正副電信、整備士の計7名であり、それに桜花操縦士の1名が加わり、8名が搭乗していることになる。
特攻用のロケット爆弾「桜花」は一式陸攻の腹側につりさげられ、目標から30Kmに近づいた時点で切り離し、ロケットエンジンに点火して時速1000Kmの高速で目標に向かう。桜花には通常の5倍の1.2トンの爆弾が搭載され、桜花の直撃を受けた艦船は一発で沈没する運命となる。
発進された高速の桜花を撃ち落とすことは事実上不可能であり、アメリカ軍にとっては一式陸攻から切り離される前に母機ごと撃ち落すことが至上命令となり、アメリカ軍は桜花のことを、皮肉を込めてBAKA BOMB(馬鹿爆弾)と呼んだ。
桜花操縦士はいったん母機から切り離されれば二度と帰還することはできず、その1分後には成功不成功にかかわらず命を落とす運命である。一式陸攻は桜花を切り離してしまえば目的を達成し、帰路に就くことができるわけだが、総重量2.3トンの桜花を抱いた一式陸攻は動きが鈍く、容易に敵戦闘機の餌食となり桜花分離前に撃ち落されることがほとんどであった。したがって桜花作戦には特攻隊員の1名のみならず、一式陸攻搭乗員の7名の命も犠牲となっているのである。
靖彦が搭乗した一式陸攻の右側の操縦席にはひげ面で一見熊を思わせる井上中尉が、左側の操縦席にはやんちゃな風貌の、副操縦士である宇佐美上飛曹がそれぞれ操縦かんを握っていた。
一式陸攻は機体の最先端部がドーム型のアクリルガラスで覆われており、そこに一番視力のよい偵察の足立一飛曹が敵機の来襲に備えて周囲に目を光らせていた。すなわち操縦席の前下方にもう一人搭乗員がいるわけである。本来ここは地上への爆撃の照準を合わせる目的の場所であるが、今回の目的は桜花の輸送であるので爆撃照準は不要である。その先端には7.7mm機銃が装備されている。
靖彦は機長の井上中尉の後ろの席で、立てた軍刀を両手で握り、背筋を伸ばしてまっすぐに前を向いて腰かけていた。彼は今から2時間後にはこの世を去る運命にあるが、その表情には困惑は一切なく、澄み切った瞳を輝かせていた。
靖彦の左には大きな机に航空図面を広げた小柄な江崎二飛曹が真剣な表情で進路の確認を行っていた。一式陸攻の風防ガラスは操縦席からこの二人の位置まで伸びており、長瀬と江崎は目視で周囲の様子を確認できる。
その後ろには電信担当の一番若い岡崎一飛兵が無線で基地との連絡を取り合っていた。その後ろ、機体の真ん中付近では屈強そうな片山二飛曹が計器の確認を行い、側方に装備された7.7mm機銃の点検を行っていた。そして機体の最後尾では木村上飛曹が20mm機銃の点検を行っていた。
副操縦士の宇佐美が右に座る井上機長に向かって言った。
「小隊長。この機だけ軽い桜花を積んでいるせいか、あとの2機が遅れますね」
「1トン近くも違うんだからしょうがないさ。少しゆっくり行くとしよう。何も死に急ぐことはないさ。なあ長瀬少尉殿」
井上は少し後ろを振り向いて靖彦に声をかけた。
「井上中尉殿。私に対して殿はやめてください」
「まあいいじゃないか。この作戦が終われば大尉殿に昇進するわけだからな。それにしても少尉殿、爆弾の重量を3分の1にすることをよく司令部が納得したな」
「司令部の許可は得ていない」
「きょ・・・許可を得ていないのでありますか?」
靖彦の声を聞いた宇佐美が思わず後ろを振り返った。すると隣の井上が高らかな笑い声をあげた。
「がっはっはっは・・・。少尉殿らしいな」
「どんなに強力な爆弾でも敵にあたる前に撃ち落されたのでは意味がない」
靖彦は冷静な声で答えた。
「ちげーねー」
井上は苦笑しながら操縦かんを握りなおした。宇佐美が言った。
「でもそのおかげで機がずいぶん軽いなー。普通の魚雷を積んでいるのと変わらないくらいだ。これならグラマンが来てもかわせるよ。俺、空母を沈めるのが夢だったから今日は空母に向かって桜花をドカーンと・・・あ・・・」
宇佐美はしまったという顔で右後ろを向いて靖彦を見つめた。
「も・・・申し訳ありません・・長瀬少尉殿・・・」
「いいんだ。この機に乗っているものの夢は皆同じだ。私が必ず空母を沈めてみせる」
「俺たちがどんなことがあっても少尉殿をぎりぎりの近くまで運んでやるよ」
井上が笑いながら答えると、宇佐美に向かって言った。
「ところで宇佐美上飛曹はなんで飛行機乗りになったんだ?」
「俺、農家の二男で・・・小さいころから出来が悪くていつも兄貴と比較されていました。悪さばっかりしてたから親父もお袋も愛想つかして相手にしてくれず、海軍に入ったらちょっとは見直してもらえると思ったので・・・」
「単純な動機だな」
「だから絶対にでっかいことをやって兄貴や親父やお袋を見返してやりたいのであります。空母を沈めたら絶対にびっくりするだろうなー」
「少尉殿。こいつはこんなこと言ってるが一式陸攻の操縦の腕前は天下一品だ。こいつのおかげで何度敵の戦闘機から逃げてこられたか・・」
井上は、得意げな顔で微笑む宇佐美を見ながら言った。そして靖彦に聞いた。
「少尉殿の家族は代々軍人だったと聞いているが・・・」
「祖父は日本海海戦の時、士官として旗艦の三笠に乗っていました。父は海軍の戦闘機乗りでしたがミッドウエーの海戦で戦死しました」
それを聞いた宇佐美は驚愕の声を上げた。
「日本海海戦!少尉殿のおじい様は東郷平八郎大将とご一緒に戦っておられたのですか!丁字戦法でバルチック艦隊を叩きのめした時の・・・」
「まあ・・そんなところだ」
井上はうなずきながらさらに聞いた。
「お袋さんは?お元気なのか?」
「母は・・・3月10日の東京空襲で他界しました」
「そうか・・・他の身内は?」
「もうすぐ12歳になる妹が一人」
「その妹さんはどこに・・・」
「叔母と・・・信頼できる友人に任せてあります」
「そうか・・・。信頼できる友人か・・・俺の友人はみんな逝っちまった。どういうわけか悪運の強い俺だけいつも助かってきたな」
「井上中尉殿のご家族は?」
「俺か?俺は去年もらったかーちゃんが一人だな」
「お子さんは?」
「チビはまだかーちゃんの腹ん中だ。秋くらいにうまれるはずだ」
「そうですか・・・」
「そいつが生まれるころには平和で明るい日本になっているといんだがな。俺はそいつが幸せになるためならこんな命なんか捨てたってかまわんよ」
「・・・中尉殿、きっと大丈夫です。その子が秋に生まれるころにはきっと平和な世界になっていますよ」
「だといいがな」
靖彦は、無言で航空図面をにらんでいる左隣の江崎を見つめて言った。
「江崎二飛曹は海軍にはいる前は何をやっていたのか?」
江崎は直立して靖彦のほうに向きなおると緊張した表情で答えた。
「じ・・自分でありますか?自分は天文学とロケット工学を勉学しておりました」
「ほう・・ロケット工学」
「私はいつか月にロケットを飛ばすことが夢なのであります」
「月か・・・」
「人間はいつか月に行くことができるでありましょうか?」
「ああ・・・きっと行けるはずだ。それも近いうちにな」
靖彦は前を向いて静かに答えた。井上が口を挟んだ。
「江崎二飛曹。月にはうさぎがいると思うか?」
「うさぎでありますか!うさぎはちょっと・・・」
「少尉殿はどう思う?」
靖彦はふっと笑みを浮かべてゆっくりと答えた。
「岩を掘り起こせば隠れているのではないかと・・・」
「はっはっは。そりゃ月に行くのが楽しみだ。少尉殿、この江崎二飛曹も超一流の航空士だ。空を見ただけで方角がわかっちまう。俺たちが迷子にならずに基地に帰ってこられるのは江崎二飛曹のおかげだ」
「日付や時間と星や月や太陽の位置を確認できればコンパスなどなくても方角や位置は正確に判断できるのであります」
江崎が得意げに言った。
「それは頼もしい」
「俺たちが必ず少尉殿を敵の機動部隊のまん前まで運んでやるから心配するな」
靖彦は笑みを浮かべながらうなずいた。
―戦争がなければこの優秀な男たちは日本を発展させる原動力となっただろう。アメリカより早く月にいけたのかもしれない。こんな戦争は始めるべきではなかった。
第3章(2/3)に続く
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