小説タイトル

最近のトラックバック

« 2014年4月 | トップページ | 2020年8月 »

2014年9月

2014年9月20日 (土)

「虹の彼方のオズ」第5章(2/2)

【岡田の回顧】

 岡田に促されて雅人は備え付けられたソファーに座った。そこからは前面のガラスを通して中庭が全貌できる。中庭は激しい横殴りの雨でまるで霧がかかったように見えた。

「愛子先生は・・・生涯独身だったのですか?」

「ええ。浮いたお話も何もなかったようです。私は高齢になられてからの愛子先生しか存じ上げませんが、若いころのお写真を拝見するとあれほどの美貌で、たぐいまれな才能を備えた方ですので言い寄る男性があってもおかしくないと思いますが・・・お付き合いされた方もなかったようです」

「そうですか・・・」

「ただ、一つだけ・・・」

「え?」

「愛子先生はいつもブルーのサファイアの入ったネックレスを大切そうにつけておられました」

「サファイアのネックレス!」

「はい。多分、昔想いを寄せておられた男性に贈られたものではないかと思うのですが・・・」

「そうですか・・・」

 雅人は感慨深げにうなずくと頭を垂れた。しばらくの静寂の後、雅人が顔を上げて聞いた。

「愛子先生の経済状態はどうだったのでしょうか?」

「それは菅原さん・・・愛子先生はいくつも特許を取っていましたし、全世界からの講演依頼もあり、たいそうな富を築かれていたと思いますが・・・」

 岡田はちょっと口ごもって答えた。

「では、裕福な生活を?」

「それが・・・経済的なことに関してはちょっと・・・」

「何か問題があるのですか?」

 岡田は躊躇しながら、そしてゆっくりと話し始めた。

「私は愛子先生を大変尊敬しています。あれほど周りのことを思いやり、聡明で、上品な女性を知りません。しかし・・・」

「しかし?」

「お金に関しては・・・愛子先生の態度は私の期待とちょっと違うのです」

「といいますと?」

「愛子先生はお金に関してはあまり世間からの評価が得られるような対応ではなかったといいますか・・・」

「具体的にはどういうことでしょうか?」

 雅人は怪訝そうな顔で聞いた。そして岡田は意を決したように答えた。

「はい・・・あれほどの富を得られた方はふつう寄付の依頼などがあればいくらかの対応をされ、社会的地位を確立されるのですが、愛子先生は決して寄付をなさいませんでした。そして講演料なども決して妥協することはありませんでした」

「というとお金に対してはかなり貪欲だったと・・」

「はい。でも不思議なのは稼いだお金を使うことがほとんどなかったのです」

「使わない?」

「愛子先生のお宅はごく普通のこじんまりとした2階建ての住居でした。食事なども贅沢なものは一切取らず、野菜や安物の肉や魚が日常でした。家の中にも贅沢品は何もなく、ブランド品なども一つもお持ちではありませんでした」

「すると稼いだお金をほとんど使わず貯蓄していたと・・・」

「はい。しかし我々従業員に対しては十分すぎるくらいの手当てを出されるのです。私には愛子先生の金銭感覚がいまだによくわかりません」

 雅人は無言でうなずいた。愛子はなぜお金に固執したのか・・・。配偶者も子供のおらずだれに託すわけでもないのになぜ金が必要だったのだろうか?それはこの時点の雅人にとっては、まだ理解できないことなのであった。

 雅人はふと目の前の芝生が植えられた広い中庭に目をやった。雨は少し小降りになってきているようだ。

「岡田さん。この中庭はかなり広いスペースになっていますが、これも愛子先生の設計ですか?」

「はい。実は菅原さん、この中庭には数日前まで小型ロケットが展示されていたのです」

「小型ロケット!」

 雅人はびっくりして岡田の顔を見つめた。

「はい。ロケットといっても外見はまるで戦闘機のようでした。真っ赤なボディーで・・・。でもちゃんと宇宙に飛び出せる構造だったのですよ」

「そ・・・そのロケットはどこに・・・」

「それがですね・・・非常に不思議なことなのですが・・・。3日前に忽然となくなったのです」

「なくなった!」

「はい。最初に気が付いたのは私なのですが・・・。朝ここに来たら消えていたのです。ええ、まるで手品を見るように跡形もなく消えていたのです。私はもうびっくりしてしまって・・・。セキュリティシステムはしっかりしていますので夜中にここに入ることなど誰にもできませんし・・・。夜中にロケットが飛び立つのを見たという人もいるのですが・・・私にはどうにも信じられないことで、はい」

 岡田は額の汗をぬぐいながら言った。

「それが飛び立ったのは3月10日で・・・」

「ええ、3月10日の夜中のうちにどこかへ飛んでいったようです。先ほど申し上げたある事件とはこのことなのです」

―ドロシー・・・君はこんなところから・・・

 雅人はガラス越しに空を見上げた。雨はだいぶ小降りになり、どんよりとした雲の向こうには明るい日差しが見え隠れしていた。

「ドロ・・・いや、そのロケットはどうしてここに・・・?」

「実はそのロケットを設計したのは愛子先生なのです」

「なんですって!愛子ちゃ・・・いや・・・愛子先生がロケットの設計を!」

2025年頃でしたからもう愛子先生も90歳をすぎておられましたでしょうか?突然小型ロケットを設計するといわれまして・・・」

「90歳を過ぎてから・・・」

「はい。私はもうびっくりしてしまって・・・。ジェット機にしたって1機作るのに何十億という資金が必要なのにましてや宇宙に向かうロケットを作るなんで正気の沙汰じゃないと思ったのです。とても民間でできることではありません。それを愛子先生は自分で設計して自分で費用を負担して作らせるとおっしゃるものですから・・・。正直、金持ちの道楽と思ってしましました。こう言っては何ですがあれほどお金に執着していた愛子先生の考えとは思えなかったのです」

「そうでしょうね・・・・それにしてもなんて無謀な・・・」

「しかし愛子先生は真剣そのものでした。道楽どころか、その日から本気でロケットの制作に取り込み、毎日毎日パソコンに向かっておられました。もう体はかなり弱っておられましたが、かくしゃくとしおられ、頭は聡明なままでした。そして1年後、ついに設計図が完成したのです」

 岡田は太陽の光が照らし始めた中庭を見つめながら懐かしそうな表情で話を続けた。

「あの時は・・・技術者やメーカーの人間が来る日も来る日も何人も訪れてきました。しかしロケットの制作はあまりスムースには進まなかったのです」

「といいますと?」

「愛子先生と技術者の間に意見の食い違いがあったようです。愛子先生はどうしても原子力ロケットエンジンの搭載にこだわられたようです」

「原子力ロケットエンジン!」

「はい。近年はようやく原子力エンジンも小型化され、搭載されたロケットもちらほらと出てきましたが、当時はまだようやく実用化が始まったばかりで、とても小型ロケットに搭載できるだけのサイズダウンは無理だったのです。技術者は化学ロケットエンジンしか搭載できないと繰り返し説得したのですが愛子先生はがんとして納得されず『原子力エンジンが使えないのだったら今まで待った意味がない!』とまくしたてられました。私にはどうして愛子先生がそこまで原子力エンジンにこだわるのか全く分かりませんでした。いや、そもそもロケット製作の意図そのものが理解できなかったのですが・・・」

「そうですか・・・・」

 雅人は力なく顔を下に向けた。

「それからの愛子先生の落ち込み方は、はたで見ていてもかわいそうなくらいでした。『私は何のために今まで生きてきたの?』と言って泣き崩れておられました。食事も減り、外出する機会も減り、我々お世話をする人間も困惑していました。しかしそれから2-3か月が経過した頃、愛子先生はまた研究を始めるようになられたのです」

「今度は何の研究を?」

「私にはよくわからないのですが、電磁力でプラズマを制御する研究と言っておられました」

「電磁力でプラズマを!」

「はい。そのために家の隣に専用の実験棟まで作られ、高額な超電導システムやMRIの機器を導入して専門の技師も雇用されました」

「・・・あの技術は彼女が自分で・・・なんて無茶なことを・・・」

 雅人は小声でそうつぶやくと思わず上を向いた。彼はやっとのことで涙をこらえていたのである。

「私には新しい研究がどのようなものかは理解できませんでしたが愛子先生が元気を取り戻してくれたことは私たちにとっても喜びでした。そして約1年後、その研究は終了し、何と愛子先生はまた小型ロケットの設計に取り掛かったのです」

「・・・」

 雅人は瞳を潤ませながら無言でうなずいていた。

「今度は愛子先生も化学ロケットエンジンの搭載に納得されたらしく、話はスムースに進みました。そしてそれから2年後、ついに愛子先生念願の小型ロケットが完成したのです。愛子先生はもう96歳になっておられ足腰はだいぶ弱くなり、その日は私が車椅子を押してここにお連れしたことを覚えています」

「その小型ロケットがここに搬送されたのですか?」

「そうです。あの時の愛子先生の嬉しそうなお顔はいまだに忘れられません。それはロケットというより外見は戦闘機のようでした。もちろん武器は装備されていませんでしたがね。今では同様の型の宇宙探査用航空機もちらほら開発されているようですが当時としては画期的で、愛子先生の未来を覗く眼は確かなものだったのでしょう。ほんの少しえんじ色のかかった鮮やかな赤い色の輝く機体でした。愛子先生はそのロケットを見て満足げに微笑みながら『素敵よ。ドロシー』と言っておられました」

「ドロシーと・・・」

「ええ。ドロシーというのは愛子先生の昔からの親しいお友達の名前です。たぶんアメリカにいるときに知り合ったのだと思いますが私はお会いしたことはありません。不思議なことに愛子先生の周りにいる誰もドロシーに会ったことも声を聞いたこともないのです。愛子先生はいつもドロシーとはメールで会話していたようです。多分その時にはすでにお亡くなりになっていて、その名前をロケットにつけたのだと思います。赤が彼女の好みのカラーだったと聞いています」

「そうなのでしょうね。きっと・・・昔から赤い色が・・・好きだったのだと・・・」

 雅人は右手で胸ポケットに触れるとほんの少し苦笑して答えた。

「しかし愛子先生のお仕事はそれだけでは終わらなかったのです」

「というと?」

「それから愛子先生は毎日のようにドロシーのコックピットに座って作業をされていました。ええ、私がここまで車いすを押してお送りし、作業が終わるとまたご自宅にお連れしていました。菅原さんは戦闘機のような機体というと上からコックピットに搭乗するものと思われるでしょうが、ドロシーはリモコンで座席が下に降りてくるのです。ですから足腰の弱った愛子先生も容易にコックピットに搭乗できたのですよ」

 雅人は得意げに話す岡田の顔を見ながら、わざと「なるほど」というように笑顔でうなずいた。

「作業は数か月続きました。狭いコックピットには愛子先生一人しか入れませんから私には何をされているのかよくわからなかったのですが、ノートパソコンを持って行って何か細かい設定をされていたようです。しかし・・・愛子先生の身体は日々少しずつ弱っていきました。

ある日、私が迎えに行くと愛子先生がドロシーの下で倒れていたのです。私はもうびっくりして愛子先生を抱き起しました。愛子先生は荒い息遣いでとても苦しそうでした。もう97歳になっておられるのです。毎日毎日根を詰めて仕事をすることがもう無理だったのです。

そしてそれからも時々そんな状況に出くわしました。私は愛子先生の身体がもう心配で心配で、『お願いですからしばらく休んでください』と必死で頼みました。しかし愛子先生は『もう少し・・・もう少しでドロシーがつながるの・・・』と言っておられました」

「ドロシーがつながる・・・と」

「はい。そしてついにその日が・・・私にとって忘れることができない日がやってきたのです」

 岡田は大きく深呼吸し、ゆっくりと話し始めた。

「その日の愛子先生はいつにまして体調が悪く、車いすに乗るのもやっとでした。私がとめるのも聞き入れず、コックピットに乗り込んで作業している愛子先生を私は下からじっと見つめていました。もう私は心配で片時もその場を離れることはできなかったのです。

そして2時間後、愛子先生が乗った操縦席が上から降りてきました。私が駆け寄ると愛子先生はばったりとそこに倒れこんでしまいました」

 雅人は岡田のうるんだ瞳をじっと見つめて何回も何回もうなずきながら無言で聞いていた。

「私が抱き上げると愛子先生は荒い息遣いの中でこう言ったのです。『あとは・・・あとはお願いね・・・ドロシー・・・』。そしてドロシーの機体を見上げて涙を流しながら『・・・・ごめんね・・・・』と」

 目を潤ませて話しを続ける岡田を見つめている雅人の瞳からも一筋の涙が零れ落ちた。

「そして愛子先生は私の腕をしっかりと握ってこう言いました。『今までありがとう・・・総司くん・・・。最後に一つだけ・・・お願い・・・。2045年までは・・・ここを壊さないで・・・残してちょうだい・・・あなたに・・・守ってほしいの・・・おねがい・・・おねがいね・・・』」

 雅人の瞳は大粒の涙であふれていた。それは話を続ける岡田も同様であった。

「そして愛子先生は・・・それから私が何度呼んでも二度と目を開けることはなかったのです・・・・」

―愛子ちゃんは・・・。俺を救うために・・・2045年におこるはずのタイムスリップにほんのわずかな希望を持って、一生をかけた・・・。

結婚もせずにストイックな生活を続けて資産を増やし、ドロシーが宇宙へ飛び出して無事に帰ってこられるように原子力エンジンを搭載した小型ロケットを設計し、その制作が無理だとわかると電磁気による再突入減速システムを搭載したロケットを完成させた。

そしてドロシーのMPUチップをロケットに装着して再びドロシーに体を与えた。ドロシーの好みの赤で・・・。

ドロシーは愛子ちゃんの命令通り2045年3月10日に宇宙に飛び出し、発生した磁気嵐に飛び込んで1945年に再びタイムスリップした。そして5年間、地球の周回軌道を回りながら俺を待ち、俺が弾道ミサイルに突っ込む直前に救い出してくれたのだ。

 愛子ちゃんは、強い電磁気と熱によりドロシーは二度と機能しなくなることを知っていた。だから「ごめんね」と・・・。

そしてドロシーも・・・ドロシーもそのことを知っていた。知っていながら俺を助けるために・・・。

 雅人は次から次へとあふれてくる涙を止めることもなく右手で胸ポケットをしっかりと握りしめた。

 

【再会】

しばらくの沈黙の後、雅人は腕で涙を拭きながら岡田に聞いた。

「雨が上がったようですね。中庭に出ることができますか?」

「ええ。こちらから出られます」

 岡田もハンカチを取り出すと目頭を覆いながら雅人を中庭への出口に案内した。

 さわやかな風が流れ、雲の切れ間から覗く透き通った青空の下に丁寧に手入れされた芝生が広がっていた。

「ここにドロシーが・・・」

「ええ・・・そして愛子先生もここに眠っています」

「え?ここにですか?」

「愛子先生の以前からの遺言で遺骨はドロシーの下に埋めてほしいと・・・あのあたりです。芝生の色がほんの少し違っているでしょう? 不思議です。冬になってもそこだけは決して芝が枯れないのです」

 雅人はゆっくりと岡田が指をさしたところに向かって歩いていくと、膝をつき右手を濡れた芝生の上に置いた。

「愛子ちゃん・・・」

そのとき雅人は愛子の声をはっきりと聞いた。

<雅人兄ちゃん・・・>

「愛子ちゃん!」

 雅人ははっとしてあたりを見回した。そしてゆっくりと空を見上げた。すると雅人の目の前に17歳の愛子の顔が浮かび上がった。

<ごめんね。愛子、こんなことしかできなかったの>

「何を言うんだ、愛子ちゃん」

 雅人は首を横に振り、愛子の目を見ながら言った。

「君は核戦争から世界を救った。そして俺もこうやって生きている。すべて君のおかげだ。謝るのは俺のほうだ。君は楽しいことも女の子らしいことも何もできずに・・・地球と俺を救うために君の人生は台無しになってしまったのかもしれない」

<そんなことない。雅人兄ちゃんは・・・『愛する人を守るために自分を犠牲にすることは尊いことだ』って教えてくれた。私もその通りだと思う。私は素晴らしい人生を送ることができた。きっとドロシーもそう思っているわ>

「愛子ちゃん・・・」

<雅人兄ちゃん。新しい地球で・・・生きてね・・・>

「ありがとう・・・愛子ちゃん。君とドロシーの事は一生忘れないよ・・・」

 愛子は雅人の目の前からゆっくりと遠ざかり、青い空に消えていった。雅人は愛子が吸い込まれていった空をじっと見つめていた。

「でも・・・・・愛子ちゃんもドロシーも、俺がもう一度タイムスリップしてこの世界に戻ってくるなんてことは想像していなかっただろうな・・・」

 その瞬間雅人は、はっとして立ち上がった。

「俺は今はっきりとわかった!俺をタイムスリップさせたのはこの地球だ!

核戦争で瀕死の重傷を負った地球が俺とドロシーを100年前にタイムスリップさせ、核兵器を廃絶させる力を持った愛子ちゃんを助けさせた。そして彼女にドロシーを託させた。

愛子ちゃんはドロシーの力を使って核兵器を廃絶させた。傷が癒えた地球は役目を終えた俺をもう一度タイムスリップさせて新しい世界の、もとの時代に戻してくれたんだ・・・」

 空を見上げている雅人のそばに岡田が近づいてきて言った。

「私は・・・ドロシーは愛子先生の魂を乗せて飛んでいったのだと思います。だから愛子先生はドロシーの下で眠りたいと言っていたのでしょう。2045年の3月10日はきっと彼女にとって特別な日だったのでしょう。だから私にそれまでここを守ってほしいと・・・。きっと今頃空の上から私たちや地球を見守ってくれているのではないでしょうか?」

「そうかもしれませんね」

「先ほどお話したサファイアのネックレスも愛子先生と一緒にそこに眠っています」

「そうなのですか・・・」

 芝生を見ながら笑顔でうなずく雅人を見て岡田がほんの少し時間をおいて言った。

「失礼ですが・・・菅原さんは愛子先生の御親戚ですか?」

「え?い・・いや・・・」

「そうですか?写真の愛子先生のお兄さんとよく似ていると思ったものですから・・・」

「あ・・私は・・・あの・・・愛子先生のお兄さんじゃありません。赤の・・他人です」

 雅人はしどろもどろに答えた。岡田はそれを聞いてちょっと怪訝そうな顔をして、そして笑顔で言った。

「そうですか・・・。でも、愛子先生は多分幸せな一生を送られたのではないかと思います。最後のお顔は本当に安らかで少し笑っておられたような・・・」

「私も・・・そう思います」

 雅人は笑顔でうなずいて答え、そして続けた。

「あの・・岡田さん」

「え?」

「今度は岡田さんに私の話をゆっくり聞いていただかなくてはなりません。多分信じていただけないかもしれませんが・・・」

「はい。ゆっくりうかがいたいと思います」

 岡田は笑顔で答えた。

 雅人が空を見上げると大きな虹が青い空に輝いていた。

 

(終わり)

2014年9月19日 (金)

「虹の彼方のオズ」第5章(1/2)

第5章:平和

【地球へ】

 雅人はコックピット内で目を覚ました。

「ここは・・・そうだ・・・ドロシーは大気圏に突入して・・・。俺は・・・生きているのか」

 非常灯が点灯し、うす暗いコックピット内では計器類はすべて消灯し一部は破損していた。雅人は手を上に伸ばしてキャノピーのロックを外し、手動で後ろにスライドさせた。

 雅人の目にまぶしい太陽の光が注ぎ込み、波の音が聞こえてきた。雅人が周りを見回すとそこは誰もいない海岸であった。雅人はヘルメットをはずしてスペーススーツを脱いだ。

「海に落ちて流れ着いたようだな・・・俺は生きている。ドロシー、無事か?」

 しかしドロシーの返事はなかった。

 雅人は体を起こして砂浜にゆっくりと飛び降りた。振り返ってドロシーの機体を目にした雅人は息をのんだ。赤いボディーは真黒に焼けこげ、主翼も尾翼も形を成していなかった。機体の前方は大きく破損してそのほとんどが失われ、中がむき出しになっていた。

「よくこれで沈まずに海岸に打ち上げられたものだ・・・」

 雅人は破損した機体の奥にキラッと光る物体を見つけた。手を突っ込んでそれを取り出すとそれは真っ黒に焼け焦げたチップだった。その破片に刻まれていた銀色の文字は・・・

Dorothy・・・」

 雅人はドロシーと書かれたMPUチップを大切そうに両手で握りしめ、胸に押し当てた。

「ドロシー・・・君は・・・こんなにぼろぼろになってまで俺を守ってくれたのか・・・」

 雅人の目からはとめどなく涙が溢れてきた。

「ドロシー・・・ドロシー・・・ありがとう」

 雅人は砂浜に膝をついてドロシーのぼろぼろになった機体を見つめていた。

 

 雅人はドロシーを大切そうに胸のポケットにしまうと周りを見回した。

「ここは・・・日本なのか?待てよ・・・この海岸線は見覚えがある。そうだ。ついさっき愛子ちゃんと別れた海岸だ!ひょっとしてまだ愛子ちゃんが・・・」

 雅人は再び周りを見回した。

「いや、ドロシーが落ちたのは海の上だ。何日もかかってここに漂流してきたのだ。なんと言う偶然だろう?俺はどのくらい気を失っていたのだろうか?」

 雅人は時計を確認したが、大きく破損し、すでに機能を停止していた。

「とにかく人のいるところに出て水を貰おう」

 雅人は海を背にしてゆっくりと歩き始めた。

 砂浜を歩き終わり、道にたどりついた雅人は奇妙なことに気が付いた。道路が舗装してあるのである。

「おかしい・・・昭和25年の日本にこんな舗装道路はないはずだ。ここはどこなんだ?伊豆半島の海岸ではないのか?」

 雅人は道路に沿ってとぼとぼと歩き始めた。周りの樹木の様子は間違いなく日本のように思えるのだが・・・・。

しばらく歩くと前方から車が来るのが見えた。

「助かった。人がいるんだ」

 車に向かって手を振っていた雅人は突然はっと手を止めた。

「なんだ!あの車は!」

 その車の外見は雅人がいた時代、2040年代のデザインなのであった。

「どうしましたか?」

 車は雅人の前で止まると中から60代くらいの紳士が声をかけた。

「この服装は・・・」

 彼が身にまとっているものも昭和25年代のものではない。

「事故でもあったのですか?」

「いや・・・え?・・はい、事故で・・・」

「それは大変でしょう。どうぞ乗ってください。けがはないのですか?」

 紳士は助手席のドアを開けると雅人を手招きした。

「すみません、助かります。あの・・水が飲みたいのですが・・・」

「じゃあこれを・・・」

 紳士は車の中においてあった350mlのペットボトルの水を差し出した。雅人は一気に飲み干してはっとした。

「これも・・・昭和じゃない・・・」

 雅人は隣の紳士の顔を見て問いかけた。

「すみません!今は西暦何年何月ですか?」

「え?西暦・・・2045年3月13日だと思いますが・・・なにか?」

「2045年!」

 雅人が弾道ミサイルの迎撃に向かったのは1950年だ。それから95年の歳月が経過していることにある。

「どうして・・・どうしてこんなことに・・・」

「大丈夫ですか?頭を打ったのでしょうか?病院に行きましょう」

 紳士は心配そうに雅人の顔を覗き込むと車を走らせた。

「ここは・・日本ですか?」

 雅人の質問に紳士は微笑みながら答えた。

「ええ、そうですよ。日本の静岡県、伊豆半島です。あなたのお名前は?」

「菅原・・・雅人・・・」

「菅原さんですか。私は岡田総司といいます。30分くらいで病院がありますから・・・もう少し辛抱してください」

「すみません・・・」

 雅人は混乱した頭で考えた。また自分はタイムスリップしたのだ。しかしいつ?

 ―寝ている間に95年の年月が過ぎ去った?そんな馬鹿な。俺の体は年を取っていない。きっと大気圏に突入した時だ。あの時プラズマがドロシーの機体を覆い、ドロシーが強い電磁場を発生させた。その時に時間の割れ目ができてまたこの世界に・・・そうだ!

「か・・核戦争は!起こったのですか?」

 雅人は突然体を起こすと岡田と名乗る紳士の顔を見つめて真剣な表情で聞いた。

「核戦争?ああ・・・そんなものはありませんよ」

 岡田は、この人は相当頭を打っているな、と思いながら丁寧に答えた。

「核戦争って私が子供のころのSF小説でよく読みましたね。でも今は核兵器そのものが廃絶されてしまいましたから、もう起りようがありませんね」

「核兵器が廃絶!」

「ええ。ノーベル平和賞を取った長瀬愛子博士のご尽力で地球から核兵器がなくなって、もう55年になります」

「長瀬愛子博士!?ノーベル平和賞!?」

「ええ。あなたも日本人なら長瀬愛子博士の名前はご存知でしょう?」

「長瀬愛子というのは・・・あの・・・1933年東京生まれで東京大空襲で母を亡くして戦争で父と兄を亡くした・・・あの長瀬愛子・・・ですか?」

 岡田は、ほう・・という顔でちらっと雅人を見た。

「よくご存じですね。その長瀬愛子博士ですよ」

―愛子ちゃんが・・核兵器を廃絶させた・・・ドロシーの言ったことは本当だったんだ。この世界は核戦争がない新しい世界なのだ。

「お願いです!長瀬愛子のことをもっと教えてください!」

 岡田は真剣な表情で懇願する雅人にちょっと体を後退させて言った。

「わ・・わかりました。じゃあまず病院に行ってから・・・」

「いえ!私は大丈夫です。長瀬愛子のことを教えてください!」

 雅人の真剣な表情を見て岡田は言った。

「わかりました。でも私が話をするより長瀬愛子記念館にいかれたほうがよいでしょう」

「長瀬愛子記念館!」

「はい。ここからすぐですからご案内しましょう」

 岡田は車を右折させて山道を登って行った。

 

【長瀬愛子記念館】

 約10分後、雅人を乗せた車は森の中にポツンと建っているこじんまりした建物の前に到着した。

「さあ、ここです」

 雅人は車を降りて周りを見回した。周りの木々からは暖かい木漏れ日が差し込み、頭の上からは小鳥のさえずりが聞こえてきた。

「ここからはさっきの海岸がよく見えるでしょう?」

 岡田の指さす方向をみると青い海と白い砂浜が遠くに見えた。

「どうしてこんなところに記念館を・・・」

「さあ・・でもこれは長瀬博士のたっての希望だったのです。あの海岸が見えるところに作ってほしいと・・・。何か彼女の思い出の場所だったのでしょうなー」

 雅人と別れ、ドロシーを託された海岸。そこは何十年の年月が過ぎても愛子にとっては忘れられない場所となっていたのだ。

「愛子ちゃん・・・」

 海岸線を見ながら雅人は思わずつぶやいた。

 二人は記念館の入り口に差し掛かった。

「扉がしまっていますね」

「ええ。今日は休館日ですから」

 岡田はなにごともないかのように笑顔で答えた。

「休館日・・じゃあ・・・」

「今開けますからちょっと待っていてください。実は3日前にちょっとした事件がありましてね」

「え?」

 岡田は戸惑う雅人に背を向けるとポケットから鍵を取り出した。

「あなたは・・・」

「私は長瀬愛子記念館の館長なのですよ。あなたには何か事情がありそうだ。今日は誰も来ませんからゆっくりと見学していってください」

 岡田は扉を開けながら雅人に微笑みかけた。

「さあ、どうぞ、今灯りをつけますから」

 雅人がゆっくりと中に入ると正面には胸像が置かれていた。

「長瀬愛子 1933-2030 享年97歳 東京都生まれ・・・・」

 雅人は愛子の胸像をじっと見上げた。多分かなり高齢になってからの彼女をモデルにして作られたのだろう。顔面にはしわがあり初老の女性として作成されていたが、目元や口元には愛子の面影があった。

「愛子ちゃん・・・」

 雅人は思わず小声でつぶやいた。

 

 長瀬愛子記念館はドーナッツ型の建物であった。入り口の胸像を起点として回廊型に展示されており、中央部は全面がガラス張りで、芝生のある広い中庭を見渡せた。中庭のガラスの反対側の壁に展示物が並べられていた。雅人は左に進むとゆっくりと写真や小物を観察していった。

 展示は東京大空襲の焼け跡を撮影した白黒写真から始まっていた。

≪1945年3月10日 母 泰子 東京大空襲にて死去・・・愛子は兄とともに叔母、坂崎恭子のもとに世話になることになった≫

「兄とともに・・・靖彦も一応恭子おばさんの世話になっているから・・・まあ、そうだな」

≪愛子は空襲のショックで一時記憶をなくしていたという。その後回復したが一部の記憶は終生もどらなかった≫

 その隣には軍服を着た靖彦の写真があった。

≪愛子の兄 靖彦。海軍小尉(戦死後、大尉に昇進)。特攻隊員として人間ロケット桜花に乗り込み、敵空母に壊滅的打撃を与え死亡。享年23歳。愛子はアメリカ文学を研究していた靖彦が歌うover the rainbowを特に好んだという≫

「靖彦・・・・」

 雅人はほんの少し目頭をうるませながら、ガラス越しの靖彦の写真の前に手を置いた。そしてその隣の写真を見てはっとした。それは愛子の17歳の誕生日に雅人と恭子の3人で記念館で撮った写真であった。雅人にとってそれはつい先日撮ったばかりの写真であるが、展示されている写真は一部が破損し、セピア色に変色してかなり年季の入ったものであった。

≪愛子17歳。隣は叔母の坂崎恭子ともう一人の兄、雅人≫

「もう一人の兄・・・俺も愛子ちゃんの兄になってるのか・・・」

 雅人はちょっと苦笑した。

≪雅人は「俺は100年後の未来からやってきた」が口癖だったという。彼は1950年富士山麓で原因不明の爆発事故に巻き込まれて死亡している。享年28歳≫

「・・・口癖じゃねーし・・・それに死んでねーし」

 雅人はちょっと下を向いて不満そうにつぶやいた。その時、隣にいた岡田は雅人の顔をちらっと見た。

 そこからは愛子が電気物理学を専攻し、アメリカに留学したことや若くして多くの論文を発表したことなどがいくつも記載されていた。

≪1965年 愛子32歳 この年を境として愛子の生活が大きく変化する。画期的な発明を多く生み出し、また、核兵器廃絶運動に強く傾倒することとなる。愛子が永遠の友と呼ぶドロシーに出会ったのはこの頃だといわれる。ドロシーの写真はなぜか1枚も残されていない≫

「愛子ちゃんは32歳でドロシーのチップの解析に成功したんだ。1965年・・・真空管からようやくトランジスタに置き換わってきたころだ。この10数年の間どれほど苦労したのだろうか?」

 雅人は胸ポケットのドロシーのMPUチップを右手で握りしめた。

 その次のコーナーでは何点かの絵画が展示されていた。

「これは・・・広島だ・・・」

 それは原爆投下後の広島を描いた絵画であった。人々が全身にやけどを負い、両手から皮膚を垂らして夢遊病者のように歩く姿。

「きっとドロシーのメモリーからの映像を描写したのだろう。何とか核兵器の恐ろしさを世界に伝えようとしたのだ」

 隣にいた岡田が絵画を見ながら言った。

「これを発表した当時は誰も注目しませんでした。あまりにおどろおどろしすぎて猟奇的にさえ見えたのです。物理学者の長瀬愛子はどうしてしまったのかとみんなが心配していたそうです」

「・・・・そうかもしれませんね」

「しかし1970年アメリカの小さな都市であの事故が起こったのです」

「核実験の事故・・・」

「そうです。1万人が原子爆弾の犠牲になりました。それまでの人々は原子爆弾のことをただ『破壊力の大きな爆弾』程度にしか認識していませんでした。原爆が落ちた都市の様子はまさしく愛子先生が発表した絵画の通り地獄絵のようだったのです。世界中が衝撃を受けました。そして世界は愛子先生に注目するようになったのです」

「彼女はほかにも核兵器を根絶する運動を?」

「はい。短編の映画、小説、マスコミへの取材、講演、世界中を飛び回りあらゆる方法で核兵器反対の運動を広げました。そしてその運動はアメリカから始まり、徐々に全世界に拡大していったのです。そして1990年核兵器禁止条約が国連参加国で締結され、全世界から核兵器が根絶されました」

「核兵器が根絶・・・本当にそんなことが・・・」

「はい。その功績が認められ、愛子先生には2003年ノーベル平和賞が授与されました」

 展示にはノーベル平和賞の賞状が展示されていた。そしてその下には愛子の自筆でこんな言葉が記されていた。

≪この栄誉を、私を支えてくれた叔母、二人の兄、そして永遠の友ドロシーにささげる≫

「私が愛子先生のところにお世話になったのもこのころです。私は1980年生まれですが、初めは運転手として雇っていただきました。それから先生の秘書のような仕事をさせていただき、2020年にこの記念館が建てられてからは館長として働かせてもらっているのです」

 雅人は最後の展示の前に立っていた。

≪2030年 長瀬愛子 急性心不全により死去。享年97歳≫

 雅人はその前でじっと立ち止まっていた。その時急に激しい雨音が窓ガラスをたたき始めた。すると岡田が雅人に向かって言った。

「やあ・・・降ってきましたね。これはしばらく出れそうにないですね。菅原さん、そこに掛けて休みませんか?」

第5章(2/2)最終回に続く

2014年9月18日 (木)

「虹の彼方のオズ」第4章(2/2)

【弾道ミサイル発射】

 ドロシーが減速しながら言った。

<マサト。ミサイル基地の上空に到着しました。現在高度1万メートルです>

「発射口は開いているか?」

<雲が厚く、ここからは確認できません>

「よし、降りてみよう」

<敵の迎撃システムが不明です。私の機体はレーダーには感知されていないはずですが視界に入れば高射砲の砲撃や迎撃戦闘機が上がってくるかもしれません>

「発射口が開いていることが確認できれば急降下してミサイルを撃ち込んでやる。そのあと一気に上昇して離脱だ」

<マサト、あまり急激なGは好ましくありません>

「あ・・・・そうか・・・・」

 雅人は後ろの愛子をちらっと見やった。

「できるだけGをかけないように旋回するよ。愛子ちゃん、しばらくの辛抱だ。ちょっと揺れるけど我慢してくれ。戦争を避けるためなんだ」

「わかった。愛子は大丈夫。雅人兄ちゃんは愛子のことは気にしないで」

「よし、ドロシー。降下だ。周囲のチェックを頼む」

<了解しました>

 ドロシーは雲の中をゆっくりと降下していった。

 富士山のふもとに近づくと樹海の一部が切り開かれており、四角い緑色の建物が雅人の目に入った。そしてその横には土色の変わった平地があった。

<マサト、あそこがサイロの発射口です。まだ解放されていません>

「よし、ドロシーがぎりぎり発射口を確認できる高度まで上昇する」

 その時、建物からサイレン音が響き渡った。

<マサト。気づかれたようです。高射砲が3機稼働準備中です。迎撃戦闘機のスクランブル命令を傍受しました>

「戦闘機!機種はなんだ?」

<ミグをベースとしたジェット戦闘機のようです>

「ジェット戦闘機か。そんなものまで開発しているのか・・・・まずいな」

<マサト、3Km東から2機の戦闘機が発進しました。こちらに向かっています>

「こちらには攻撃オプションがない。逃げるだけだ」

<敵機の無線を確認しました。所属を聞いています>

「何も答えるな。上昇して離脱する」

 雅人は操縦かんを引いて機体を上昇させた。

<ミサイルが2基発射されました>

「なんだって!」

<大丈夫です。この時代のミサイルは精度が高くありません。十分逃げきれます。そのまま上昇してください>

「くそ 厄介なことになった」

<マサト。サイロのミサイル発射口が解放されます。ごく短時間で弾道ミサイルが発射されるものと思います>

「なに!でも今はこっちのミサイル回避が先だ!」

 雅人は極力Gがかからないような加速度で上昇していった。高度2万メートル付近に達したときドロシーが言った。

<敵ミサイルは・・・目標を失いました。追撃コースから離脱します。現在高度2万メートルです。敵の視界からは外れています。レーダーにも感知されていないと思います>

「敵機はまだ基地の上空を飛んでいるな」

<旋回して偵察しているようです。追っては来ません。ここまでの高度には上昇できないでしょう>

「ぐずぐずしていると弾道ミサイルが発射されてしまう。ドロシー。敵機の後ろに降下して高速で発射口にロックオンして一気に決めよう。タイミングを誘導してくれ」

<了解しました>

 ドロシーは大きく旋回すると再び基地に向かって降下していった。

<発射口を確認。噴煙が上がっています。ごく短時間で弾道ミサイルが発射されます>

「チャンスは1回だ。行くぞドロシー!」

<了解。敵機は左下方を旋回中です。まだ気が付いていません>

 雅人は一気に急降下し、ミサイル発射口をとらえた。

「ロックオン!発射!」

 ドロシーのウエポンベイが開きミサイルが発射され、吸い込まれるように弾道ミサイル発射口に向かっていった。その時、ミサイル発射口の噴煙が炎に代わり、弾道ミサイルが姿を現した。

「弾道ミサイルが発射された!間に合うか・・・」

 ドロシーから発射されたミサイルは弾道ミサイルの脇をかすめ、発射口に吸い込まれていった。そして弾道ミサイルは炎を上げながら高速で上昇していった。

「しまった!遅かった!」

<敵戦闘機に気づかれました。急速上昇します>

 その時、弾道ミサイル発射口で大きな爆発が起こった。そしてその爆発は次々と周りに広がっていった。

<ミサイル格納庫内で弾薬が誘爆したようです。大爆発が起こります。南方向へ離脱します>

 そしてドロシーの後方では大きな爆発音が起こり富士山のふもとの一角に炎と煙が上がった。

<ミサイル基地は消滅したようです>

「しかし弾道ミサイルを止められなかった・・・」

 雅人は悔しそうにつぶやいた。

「雅人にいちゃん・・・だめだったの?」

「ああ・・残念だがミサイルは発射されてしまった。ドロシー。飛行経路と着弾時間を計算してくれ」

<このまま大気圏を抜ければ約32分後にアメリカ西海岸に着弾します>

「だめだ・・もう止める方法がない・・・20万人の人間が死ぬ。そしてまた日本は戦争に・・・俺がやったことはすべて無意味だったんだ」

 雅人は絶望して頭を抱えた。

「雅人にいちゃん・・・」

<マサト・・・私が行きます>

「え?」

<私の小型原子炉を核弾頭の近くで誘爆させれば成層圏上空で破壊することが可能だと思います。弾道ミサイルは成層圏を出た後は放物線を描いて宇宙空間を慣性で飛行します。私が成層圏を抜け、加速し続ければ成層圏再突入前に追いつくことができます>

「しかしドロシー・・・」

<ほかに方法がありません。そこの伊豆半島の海岸に二人をおろします>

 雅人は無言でじっと考え込んでいた。そしてドロシーは人気のない海岸に着陸した。

<マサト、降りてください。あまり時間がありません>

「ドロシー・・・・」

 雅人は大きく息を吸い込むと、決心したように目の前のボードに向かって暗証番号をすばやく入力した。すると5cm四方のMPUチップが排出された。そのチップには銀色の文字で「Dorothy」と刻印されていた。雅人はチップをつかみ取ると座席降下スイッチを押して愛子とともにドロシーから離脱した。

「愛子ちゃん!これを!」

 雅人は愛子の手の中にMPUチップを握らせた。

「これは・・・」

「これはドロシーの心だ」

「ドロシーの心・・・」

「いつか・・・いつの日か科学が発達すればこの中からドロシーの記憶を読み出すことができる。ドロシーの記憶の中には二つの世界の歴史のすべてが記憶されている。核兵器の悲惨さ愚かさを伝えて君がこの世界の核戦争を止めるんだ!」

「雅人にいちゃんは・・・どうするの?」

 愛子は泣きながら雅人を見上げて聞いた。

「ドロシーの代わりに俺が弾道ミサイルを破壊する。これからの世界を平和にするために必要なのは俺ではなくドロシーなんだ。だからドロシーを頼む!」

「いや!愛子も行く!」

「わからないことを言うな。愛子ちゃん。戦争のない世界を作るって約束したじゃないか。ドロシーと一緒に平和な世界を作ってくれ」

「雅人にいちゃん・・・」

 雅人は愛子を抱きしめるとおでこに軽くキスをした。そして愛子の体を放すとすばやくコックピットに乗り込んだ。

「愛子ちゃん。ドロシー。頼んだぞ!核兵器のない平和な世界をつくってくれ」

 雅人は垂直上昇すると一気に天空に向かっていった。

「雅人にいちゃーん!」

愛子は両手でドロシーを握り締め、泣きながら空を見上げた。雅人はあっという間に虹のかなたに消えて行った。

 

【宇宙へ】

「ドロシーの計算した経路から最短距離を算出。全速で加速だ。一気に宇宙空間にでるぞ」

 雅人は備え付けてあったスペーススーツをすばやく着用し、ヘルメットを装着した。

 5分後、宇宙空間に飛び出した雅人は眼下の地球を見つめた。

「美しい・・・。最後に見ることができたのが美しい地球でよかった。この地球を破壊するものは誰であろうと許さん」

 雅人はレーダーで弾道ミサイルの弾頭(再突入体)を探した。

「小さい再突入体でも飛行経路がわかっているからすぐ見つかるさ・・・。レーダーの機能をその方向にだけ集中させればいい。あった・・・。よし。遭遇時間を計算・・・7分20秒後だ。目標ロックオン。自動誘導装置オン。原子炉自動誘爆セット」

 雅人は暗証番号を入力し、小型原子炉の自爆スイッチを押し、自動誘導に切り替えた。

「これですべてが終わる。あと5分足らずで俺も一巻の終わりってことか・・・。思えば短い人生だったよな・・・。愛子ちゃん、君にあえて楽しかったよ。靖彦、俺もすぐに行くよ。また君の歌を聞かせてくれ」

 雅人は大きく深呼吸し、青い地球を見つめていた。

 その時、聞こえてきた声に雅人は耳を疑った。

<マサト。すぐそこから脱出してください>

「ドロシー!」

 雅人はコックピットで飛び起きた。

<マサト、時間がありません。核爆発に巻き込まれます>

「ドロシー!どうして?チップは外したはずなのに」

 雅人は目の前のモニターを見ながら叫んだ。

<私はこの機体の中にいるわけではありません。マサトの後方についています。すぐ脱出してください。私が拾います>

「なんだって?後ろ?」

 雅人は後ろを振り返った。するとそこにはドロシーと同じタイプの赤い航空機の機体があった。

<はやく!>

「わ・・わかった」

 現状を飲み込めていない雅人はドロシーの声に従って脱出スイッチを押した。そして雅人は座席ごと宇宙空間に放出された。

<マサト、その座席を切り離してください。私が寄ります。誘導ロープを発射しますからこちらの座席に移動してください>

「了解」

 そして雅人は発射された誘導ロープを手繰り寄せながらゆっくりと新しい機体に搭乗した。

<全速で離脱します。核爆発まであと1分>

 新しいドロシーは急加速していった。

 1分後、無音の中で強いせん光とともに大きな振動が雅人を襲った。

<機体を立て直します>

 30秒後、周りには再び静寂と闇が戻ってきた。

「ドロシー・・・本当にドロシーなのか?」

<はい>

「どういうことだ?俺は頭が混乱して訳が分からない。ドロシーのMPUチップは間違いなく取り出して愛子ちゃんに渡したはずなのに・・それにこの戦闘機は?」

<マサトが長瀬愛子に託した私のMPUチップは2030年にこの機体に組み込まれました>

「2030年だって!?」

<はい。そして2045年3月10日、私は宇宙空間に飛び出し、磁気嵐に向かったのです>

「俺たちがタイムスリップした磁気嵐か?」

<そうです。そして私はそこで再び1945年3月10日にタイムスリップしました。そしてマサトが弾道ミサイルを破壊するために宇宙にやってくるまでの5年間、地球の周回軌道をずっと回っていたのです>

「俺がドロシーと別れたのはほんの30分前だが君は100年かけて俺を助けに来てくれたということか・・」

<そうなります>

「ドロシー・・・お前ってやつはなんて無茶なことを・・・」

 雅人は大きく深呼吸して聞いた。

「100年後の世界はどうなっている?やはり核戦争で人間は地下に住んでいるのか?」

<いいえ。新しい世界の100年後には核兵器は廃絶されています>

「核兵器が廃絶!」

<マサトに私のMPUを託された長瀬愛子は電気物理学を専攻し、何とか私とコンタクトを取ろうとしました。彼女は大変な努力の末、10数年後に私のメモリーを解析することに成功し、核戦争に関するデータを取り出しました。彼女は絵や映像などあらゆるメディアを作成して核兵器の恐ろしさを世界中に発信してきました。最初のうちは反響があまりありませんでしたが、ある時、アメリカで核実験の失敗による事故が起こりました>

「事故?」

<アメリカの小さな町で核爆弾が誤爆し、1万人が犠牲となったのです。そしてその様子はまさしく長瀬愛子が作成した絵や映像そのままだったのです。彼女は一躍注目され、時の人となりました。それから彼女は全世界に核兵器の恐ろしさを伝え、多くの人々の支援を受け、1990年ついに核兵器は廃絶されたのです>

「愛子ちゃんがそんなことを・・・俺がしたことは無駄じゃなかったのか」

<私はマサトにこのことを伝えるためにこの世界に戻りました>

「そうか・・・お前は本当にたいした奴だぜ。それに・・・・ドロシーの新しい赤いボディーもなかなか素敵だ。赤がお前の好きな色だったな?」

<ありがとう。このボディーを設計したのは・・・>

 その時、アラームが鳴った。

「ドロシー!燃料が・・・燃料がゼロだ」

<・・・>

「どういうことだ!」

<すみませんマサト。実は今の私に搭載されているのは原子力ロケットエンジンではなく、化学燃料ロケットエンジンなのです>

「化学燃料ロケットエンジン・・・じゃあ大気圏脱出で・・・」

<大気圏からの脱出と軌道の修正でほとんどの燃料を使い果たしてしまいました。それに・・・タイムスリップの影響で耐熱パネルはやはり損傷しています>

「俺たちは今マッハ20以上の速度で地球の周回軌道を回っている。この速度を減速せずに大気圏に再突入することは到底無理だ。逆噴射による減速ができなければ耐熱パネルが破損している機体では温度が上がりすぎて燃え尽きてしまう」

<マサト・・・せっかく助けに来たのに・・・申し訳ありません。でも、私の機体には大気圏再突入時に使用できる、電磁力による減速システムが装備されています>

「電磁力?」

<はい。再突入の熱によって機体の周りに発生したプラズマに強い磁場をかけると電流が流れ、電磁力が発生します。この電磁力が衝撃波を前方に押し出し、いわば翼の役割をして機体を減速させます>

「その原理は聞いたことがある。新しい世界ではもう実用化されているのか?」

<いいえ、実用化はされていません>

「じゃあ・・・」

<これが最初の試みです。運が良ければ・・・地上に戻れます>

「バカ!そんないい加減なシステムに運命をかけるな!」

<これしか方法がないのです>

「だめだ!再突入はだめだ!このまま周回軌道を維持していればいい。そうすれば君はいつか回収される可能性がある」

<もうおそいのです・・・すでに私は再突入の軌道に入っています>

 ドロシーは地球に向かっていた。

「だめだ!だめだー!ドロシー!君まで死ぬことはない!君は俺に世界が救われたことを伝えてくれた。俺はそれだけで十分満足だ。君の使命は終わったんだ。命を無駄にするな!」

<マサト。あなたを一人で死なせはしない>

「だめだ・・ドロシー・・・無駄に死んじゃだめだぁ・・・・」

 強いGがかかり、薄れゆく意識のなかで雅人が叫んだ。

<機体表面温度上昇。プラズマが発生します。磁気減速システム作動します>

「ドロシー・・・・・・もしも地上へ落ちるなら・・・誰も・・・誰も傷つけないところへ・・・」

<マサト、あなたにはまだ伝えなくてはならないことが・・・>

「・・・・・・」

 雅人の意識は遠のいていった。

<マサト・・・・・・・・>

「・・・・・・」

<マサト、あなたは私が最後まで守ります。磁場強度最大で私の性能の限界まで維持します>

 ドロシーは真っ赤に燃えながら大気圏に突入していった。

 そしてドロシーは突然姿を消した。燃え尽きたのではなく突然空中で消えてしまったのである。

第5章(1/2)に続く

 

 

2014年9月17日 (水)

「虹の彼方のオズ」第4章(1/2)

第4章:新しい世界

 

【戦後】

 無条件降伏ではないが日本は敗戦国となった。極端に物資が少ない中、外地から民間人や軍人など数百万人が復員し、状況はさらに悪化していた。

 空襲はなくなり安心した夜を迎えることはできたが、人々は衣食住に困窮し、配給品だけでは空腹を満たすことができず闇市は史実通りに開かれていた。アメリカを中心とした占領軍は大々的には上陸していなかったが、武装解除の監視目的の占領軍は戦勝国として我が物顔で振る舞い、また、それまで虐げられていた在日の中国人や朝鮮人も戦勝国民として横暴の限りを尽くしたことも史実通りであった。

 雅人たちは少なくとも食物を自給することができたので比較的恵まれた生活ができていたといえる。夕食を終えて雅人はいつものように愛子に勉強を教えていた。恭子は食事の後かたずけをしながら言った。

「本当に戦争が終わったんだねー。もう誰も死ななくてもいいかと思うと気が休まるよ」

「恭子おばさんのおかげで俺も愛子ちゃんも毎日の食事ができています。本当に感謝してます」

 雅人が笑顔で言った。

「私のほうこそ雅ちゃんが来てくれて本当に助かったよ。愛子ちゃんの勉強も見てくれるし・・・」

「いやー愛子ちゃんは本当に賢いから・・・教え甲斐がありますよ。大きくなったらきっと偉い学者さんになりますよ」

 愛子は鉛筆を走らせながら得意顔でうなずいた。 

「それにしてももう半年早く戦争が終わってたらねー。今更こんなこと言っても仕方ないんだけどね」

 恭子は悔しそうに言った。

「まあ日本が占領されなかっただけでも儲けものですよ。これからは愛子ちゃんたちががんばって日本を立ち直らせていかないと」

「私頑張る。うんと勉強して二度と戦争のない世界を作る」

「頼んだよ愛子ちゃん」

 恭子が笑顔で言った。

 

【サファイア】

 195010月・・・

5年の歳月が流れた。

 戦後の混乱も少しずつ改善し、行き倒れや浮浪者はほとんどいなくなっていた。世界では米ソの対立による朝鮮戦争が勃発していたが日本国内は平和を維持していた。

 17歳になった愛子は美しい女性に成長し、女学校に通っていた。

「いってきまーす」

 自転車に乗って出ていく愛子を見送りながら恭子が言った。

「夕方には雨になるから早く帰るんだよ」

「わかった! 恭子おばさん!」

 雅人の農作業はすっかり板につき、畑も新しく開墾し、人を頼んで手広く仕事をしていた。そんなある日の夜、恭子が雅人に向かって言った。

「ねえ雅ちゃん」

「え?」

「あのさ、こんな事いまさら言うのも変なんだけど・・・雅ちゃんはどこにもいかないよね?」

「え?どこにもって・・・」

 雅人はちょっと口ごもって言った。

「雅ちゃんって・・・こう言っちゃなんだけど、どこかつかみどころがないようなところがあるんだよ。あたしたちにはわからない何かを隠しているような・・時々一人で山のほうへ出かけて行って帰ってこなかったり・・・」

「ああ・・・あれは・・・何か山のほうで新しい仕事ができないかと思って・・・」

「まあそんなことはいいんだけどさ、あたしゃね、旦那も息子もなくしちまってあんたたちが本当の家族のように思えるんだよ。愛子ちゃんが学校を卒業したらいずれはあんたたちが一緒になってこの家を継いでくれないかなと思っているんだ」

「お・・俺と愛子ちゃんが・・」

 恭子は引き出しから先日3人で撮った写真を取り出した。愛子の17歳の誕生日の記念に3人で写真館に行き、並んで撮った写真である。

 真ん中に愛子が座り、右に恭子が、左に雅人が立っているモノクロの画像を雅人はじっと見つめていた。

「愛子ちゃんだって雅ちゃんのことを慕っているみたいだし・・・。愛子ちゃんの誕生日に雅ちゃんが青いサファイアのついたネックレスを贈ってやっただろ? あれ、愛子ちゃん、ものすごく気に入っていつも引き出しから出して眺めているんだよ」

「え?本当ですか・・・。確かにあれで・・・俺の財布が空になっちゃいましたけど・・・それなら贈った甲斐がありましたよ」

 雅人は愛子の誕生日のことを思い出していた。

 

「本当にこれを愛子がもらっていいの?」

 愛子は目を輝かせて箱の中のネックレスを見つめていた。

「愛子ちゃんの誕生日は9月だから9月の誕生石のサファイアだよ」

「誕生石?」

 雅人の言葉に愛子は首を傾げた。

「1月から12月までそれぞれ誕生石っていうのがあるんだよ。それを持っていると幸福になれるんだ。9月の誕生石はこの青いサファイアなんだ」

「じゃあこのきれいな青い宝石をもっていれば私は幸せになれるのね」

 愛子は真っ青に輝くサファイアを手に取った。

「きれいだねー。愛子ちゃん、つけてみたら? おばちゃんが手伝ってあげる」

 恭子が愛子の髪をまくり上げてネックレスの金具を止めた。

「どう?」

 愛子は不安そうに恭子を見つめた。

「きれいだよー。海のように青い色が愛子ちゃんにぴったりだよ」

「本当によく似合うよ、愛子ちゃん」

 雅人も嬉しそうに言った。愛子はそれから長い時間ずっと鏡を見つめていた。

「わたしこれからずっとつけてていい?」

「だめだめ。そんなのつけてたら知らないうちにサファイアの石がなくなっちゃうから・・・。ちゃんと机の中にしまっときな」

 恭子に諭されて愛子はしぶしぶネックレスを外した。

 

昭和25年にはようやく日本にも食料や物資が少し出回るようになり、活気が戻りつつあった。朝鮮戦争が勃発し、産業の需要が増えたことも一因であった。人々には娯楽や余暇を少しずつ楽しむ余裕が出てきたのである。

雅人は誕生日の嬉しそうな愛子の顔を思い出していた。そんな雅人を見て恭子は少し寂しそうな声で言った。

「でもね、あたしは雅ちゃんがいつかふっといなくなっちゃうような気がするんだよ」

「愛子ちゃんと一緒になるかどうかは別として、俺には身寄りもいないし、どこにも行くところないから・・・・どこにも行きませんから。心配しないでくださいよ。おばさん」

 雅人は笑顔で答えた。

「そうかい・・・それならいいんだけどね・・・」

 恭子はちょっと笑みを浮かべて答えた。

 

 愛子は女学校でもトップクラスの成績であった。特に理科に興味を持ち、疑問に思ったことは何でも雅人に聞いた。雅人は100年後の進んだ知識を丁寧に愛子に教え、そして愛子の自然科学の能力は飛躍的に伸びていった。

 ある日の夕方、雅人が帰ると愛子は縁側に座ってぼんやりと外を眺めていた。

「どうした?愛子ちゃん。何を考えているの?」

 愛子は雅人のほうを振り返ると意を決したように聞いた。

「ねえ、雅人にいちゃん。特攻っていけないことなの?」

「え?」

「学校の先生が言うの。特攻みたいなバカなことは二度としてはいけないって。お兄ちゃんはバカだったのかな?」

 愛子は目に涙を浮かべて雅人に聞いた。

「愛子ちゃん・・・」

 雅人は愛子の隣に座ると肩を抱いていった。

「戦争の作戦はどんなものでも馬鹿げたものなんだ。それは人を殺すための作戦だからだ。特攻もその意味では自分の命を犠牲にして敵の命を奪うバカな作戦だよ。でもね、特攻で命を亡くした人たちは決してバカじゃない。彼らは日本や大切な人たちを守るために自分の命を犠牲にしたんだ。自分の愛する人を守るために自分を犠牲にするのは一番尊い行為だと俺は思う」

「じゃあ兄ちゃんはバカじゃなかったの?」

「当たり前だ。靖彦は立派な軍人だった。バカなのは戦争を始めた奴らだ」

「戦争がいけないのね?」

「ああ。その通りだよ」

 雅人はうなずき、愛子と一緒に空を見上げた。

 

【核攻撃】

 ドロシーはほとんど池の中に隠れたままであったが雅人は時折ドロシーを呼び出し、日本や世界の状況を確認していた。

<マサト。国民警備隊の一部に不審な動きがあります。アメリカにも極秘の情報です>

 日本軍は解体されたが自衛のための組織として国民警備隊の名称で最小限の武力を所有することは認められていた。しかしその活動はアメリカに詳しく報告することを義務付けられていた。

「軍の生き残りの連中か?」

<そうです>

 帝国陸軍、帝国海軍は完全に解体されたが、一部の将校や兵士は引き続き国民警備隊のメンバーとして日本の治安維持にかかわることとなった。その中にはほんの一部であるが日本の降伏に納得しない軍国主義者も依然として存在していたのである。

<国民警備隊の研究施設で核兵器を開発している形跡があります>

「核兵器!」

<大陸間弾道ミサイルに核弾頭を搭載したものです>

「大陸間弾道ミサイルだって!そんなものが戦後の日本で開発できるのか!」

<史実ではアメリカとソ連が核弾頭を搭載した弾道ミサイルを装備したのは1959年です。10年近く早いことになります。戦争中のドイツではすでに弾道ミサイルであるV2ロケットが開発されていました。戦争中にその技術は日本にも持ち込まれており、一部の科学者がその技術を発展させたようです>

「まさか・・・またアメリカと戦争を始めるつもりか・・・」

<日本には航空機や軍艦はほとんどありませんが、核弾頭を搭載した弾道ミサイルがあれば他国に対する十分な脅威となります。国民警備隊の中にはアメリカの西海岸に核ミサイルを撃ち込み、朝鮮戦争の混乱に乗じて国際的に日本の優位性を示したいと考えるものがいるようです>

「ばかな・・・核兵器を使ったらどんなことになるのかわかっていないのか」

<彼らの頭の中には超強力な爆弾程度のイメージしかないものと思います>

「ドロシー。具体的な進展具合や施設の場所を特定してくれ!核兵器だけは絶対にゆるさん!施設の場所がわかったら教えてくれ。叩き潰してやる!」

<了解しました>

 

 ドロシーから連絡があったのはそれから2週間後のことであった。

<山梨県の富士山山麓に日本政府やアメリカに極秘で作られた施設があります。その地下サイロには核ミサイルを搭載した弾道ミサイルが装備されているようです>

「わかった。今から叩き潰す!」

<しかしマサト、残っている攻撃オプションは空対空ミサイルが1基のみです>

「そうか・・・弾道ミサイル基地を破壊するのは到底無理か・・・」

<一つだけ方法があります。ミサイルサイロの発射口がひらいて弾道ミサイルが確認できたときに空対空ミサイルを打ち込めば核爆発を誘発できます。サイロに残っている通常爆弾や核爆弾ともにすべてを一気に破壊できるでしょう>

「しかし、そのためには施設にいる多くの人々を犠牲にしなくては・・・」

<核兵器を搭載した弾道ミサイルがアメリカ西海岸に撃ち込まれれば20万人以上の犠牲者が出ます。さらに報復としてアメリカから日本の数か所に核爆弾が投下され、再び戦争が勃発します>

「少しの犠牲はやむを得ないか・・・。しかしいつ発射口が開くか予想できるのか?」

<無線を傍受し続ければミサイル発射命令を事前に確認できると思います>

「弾道ミサイル発射命令を傍受して富士山山麓に向かい、サイロの発射口が開いたときにミサイルを撃ち込む。しかも弾道ミサイルが発射されるまでの短時間に破壊しなくてはいけない」

<その通りですマサト>

「しかしやるしかない!一部の狂った軍国主義者のために平和を壊されてたまるものか」

 

 ドロシーからの連絡は1か月後の1115日朝突然に入った。

 朝5時10分。雅人は腕に装着した端末の振動信号をオフにすると布団から飛び起きた。

 そして隠してあった飛行服を取り出すと大急ぎで着替え、音をたてないように外に飛び出して山に向かった。誰にも見つからないように・・・十分気をつけたはずであった。しかし・・・・・急ぎ足で山に向かう雅人には、後を追う人影に気が付かなかったのである。

 愛子も恭子と同様に雅人に不安を感じていた。雅人の、未来からやってきた人間としてのやや異質な雰囲気、時々何も言わずにいなくなる不審な行動は、愛子にも「雅人がいつかいなくなってしまうのではないか」という強い不安感を抱かせていた。

 愛子は雅人に気づかれないように静かに足音をひそめながら、しかし見失わないようにどんよりと曇った空を見上げながら小走りに雅人を追った。

 

 今にも泣き出しそうな空の下で、池に近づいた雅人はドロシーを呼び出した。

「ドロシー!」

 すると池が明るく光り輝き、水面が盛り上がり、ドロシーの黒い機体が浮かび上がった。

 愛子は木の陰に隠れたまま、驚愕した表情で口を開いたまま、目の前の光景を見つめていた。

 雅人はすばやくドロシーに搭乗した。

「ドロシー、弾道ミサイルの発射命令が出たのか!」

<本日7時00分サンフランシスコに向かって発射される予定です>

 雅人は時計を確認した。

「あと1時間半か。発射口はもう開いているだろうか?」

<その可能性は高いと思います>

「よし、今から行くぞ!」

 雅人は操縦かんを手にとった。外は小さな雨粒が少しずつ風防ガラスをたたき始めていた。

<マサト!正面左に愛子ちゃんがいます>

「なんだって!」

 雅人は慌ててヘルメットを外すと外を見た。

「愛子ちゃん・・・どうして・・・」

<発進しますか?マサト>

「いや・・・降ろしてくれ」

 ドロシーから降りた雅人はゆっくりと愛子に向かって歩いて行った。

「愛子ちゃん・・・」

「雅人兄ちゃん・・・」 

 愛子はうるんだ瞳で雅人を見つめていた。

「雅人にいちゃん・・・どこへ行くの?雅人兄ちゃんもいなくなっちゃうの?そんなの嫌・・・」

 愛子は泣きながら雅人に抱きついた。愛子には今目の前に見えている現実は理解できなかった。しかし雅人が自分たちとは違った特別な人間で、何かただならぬことをしようとしていることは容易に理解できた。

「愛子ちゃん・・違うんだ。俺の話を聞いてくれ」

 雅人は愛子の体を両手で放すと潤んだ愛子の瞳をじっと見つめながら言った。その時、雷が鳴り、急に雨足が強くなった。そして、ドロシーが声を上げた。

<マサト。緊急事態です。発射時間が繰り上げられました>

「なんだって!何時だ!」

<わかりません。すでに発射準備が始まっているようです>

―愛子ちゃんをここにおいていくわけにはいかない・・・

 雅人はあわてて愛子の方にふりむくと意を決したように愛子の肩をつかんで言った。

「愛子ちゃん!時間がないんだ・・・!一緒に来てくれ!」

 そしてドロシーに向かって叫んだ。

「ドロシー!頼む」

 雅人は困惑する愛子を後部座席に座らせベルトを締めた。

「よし、ドロシー発進だ!富士山麓までは君が連れて行ってくれ。ただし急加速や旋回はなるべく避けてくれ」

<了解>

 ドロシーは垂直に上昇し、西に向かって飛び立っていった。地上は雷雨であったが雲の上は明るい日差しが差し込み別世界のようであった。

「愛子ちゃん。びっくりしただろう?」

 雅人は正面を向いたまま後ろの愛子に向かって言った。

「あなたは誰なの?」

「俺は・・・この時代の人間じゃない。このドロシーと一緒に100年先の未来から偶

然この時代にやってきた、といっても信じられないだろうね」

「・・・」

「ドロシーとともに宇宙空間に調査に出た俺は磁気嵐に巻き込まれて時間の流れを逆行して1945年3月10日の夜に放り出された。東京大空襲の夜だ。空襲が終わって焼け野原の地上に降りた俺は気絶している君を見つけてこのドロシーの中に運んで介抱したんだ」

「私がここに?」

「そうだ。君はお母さんをなくした衝撃で正気を失っていたから覚えていないだろうけども・・・」

「雅人にいちゃんは元の世界に帰っちゃうの?」

「いや、俺はもう帰れない。この世界でこれからも愛子ちゃんたちと一緒に暮らすつもりだ」

「本当?」

「ああ、本当だ」

 雅人は後ろを向いて笑顔で愛子を見つめ、右手で愛子の髪をなでた。雅人の笑顔を見て愛子もようやく笑顔を取り戻した。

 そして雅人は愛子に雅人の世界の歴史のこと、原爆投下のこと、自分とドロシーが原爆投下を阻止したこと、今新しい核ミサイルが一部の軍国主義者によってアメリカに発射されようとしていること、そして、最も親しい友人であるドロシーのことなどを話した。

「その弾道ミサイルが発射されたらどうなるの?」

「アメリカのサンフランシスコが壊滅し、20万人の死者が出る。それだけじゃない。その報復としてアメリカが日本に原爆を落とし、また戦争が始まり、何百万人もの人間がまた死ぬことになる」

「そんな・・・また戦争になるの?」

「そんなことはさせない。俺とドロシーは今から弾道ミサイルとその基地を破壊しにいくんだ」

 ドロシーは雲の上空を富士山に向かって飛んでいた。愛子がふと雅人に聞いた。

「靖彦兄ちゃんは・・・日本が戦争に負けることを知っていたの?」

「ああ・・・知っていた」

「それなのにどうして特攻に?」

「君の兄さんは沖縄の人たちや日本や君を守るために特攻にいった。沖縄の敵艦隊に打撃を与えればそれだけ沖縄の人たちを敵の攻撃から守ることができる。同じ負けるにしてもいい条件で終戦を迎えることができる。それが日本や愛子ちゃんを守ることになるんだって言ってたよ」

「私は沖縄や日本のことよりも兄ちゃんに生きていてほしかった」

「そうだよね。俺もそうだよ。靖彦には生きていてほしかった」

 そして雅人は大きく深呼吸をしてゆっくりと言った。

「戦争はいったん始まればとことん相手と殺しあうまで終わらない。まともな理屈なんて通らない。相手を殺すことが最も正しいことになってしまう。何度も言うけれど、戦争は絶対に起こしてはいけないんだ」

 

第4章(2/2)に続く

2014年9月16日 (火)

「虹の彼方のオズ」第3章(3/3)

【帰還】

 東京に向かって海の上を無言で飛び続ける雅人にドロシーが聞いた。

<マサト・・・・。どうして長瀬少尉を援護しようと思ったのですか?>

「・・・わからん。俺にはどうすれば世界が良くなるかなんてわからない。でも・・・靖彦の・・・靖彦の思いを遂げさせてやりたかった。この時代では、あいつには特攻に行くしか選択肢がなかった。あいつも本心ではどんなに愛子ちゃんのことが心配だっただろうか? 愛子ちゃんと一緒に暮らしたいとどんなに葛藤しただろうか? でも戦争がそれを許さなかった。だったら少しでもあいつに・・・生きていたという充実感を味あわせてやりたかった」

<長瀬少尉の表情からは恐怖や困惑は読み取れませんでした。きっと雅人に感謝していると思います>

「米軍のパイロットたちは無事に脱出できただろうか?」

<マサトの機銃はすべて敵機の尾翼を狙っていますし、ミサイルの火力も最小に設定してあるのでグラマンF6Fの装甲を考えるとパラシュートで脱出する余裕はあったと思います>

 

 実は日本軍の戦闘機と米軍の戦闘機の性能には根本的な違いがある。最高速度や航続可能距離はほとんど差がない。むしろ日本機のほうがすぐれているともいえる。しかしその装甲は全く違う。

日本機は軽量化の目的のためコックピットや燃料タンクの装甲が極めて薄く、被弾するとパイロットは助からず、機体も一気に火を噴く。米軍機は最高速度や航続距離を犠牲にしても座席や燃料タンクの装甲が厚く設計され、パイロットの生命は最大限守られているのである。

また、米軍のパイロットはパラシュートを装着しており、被弾しても脱出して海上に浮いていれば巡回する潜水艦などにより救助され、再び戦線に復帰することができる。日本のパイロットは一度落とされればそれでおしまいである。

その結果日本軍はどんどん不慣れな若いパイロットが前線に出ていくのに対して、米軍はどんどん経験を積んだベテランが増えていくのである。

 人間より飛行機を大切にする日本軍と人間を大切にする米軍の違いが太平洋戦争の結果につながったといっても過言ではない。

 

「空母の乗組員はどうだろうか?」

<長瀬少尉の桜花は敵空母の飛行甲板の真ん中を破壊していますが、爆弾重量は通常の桜花よりかなり減量されているので人的被害は少ないでしょう>

「日本軍の被害は?」

<3機の一式陸攻、10機の護衛の零戦もすべて撃墜されています。乗員もすべて死亡しています。史実の通りです>

「すると俺は歴史には大きな変化は及ぼさなかったということか」

<それは違います。日本軍は我々のことは認識していませんが、米軍は日本軍の新しい戦闘機により大打撃を受けたと認識しています。今頃米軍の司令部は大変なことになっているでしょう。今後の戦局に大きな影響を及ぼすはずです>

「俺は歴史を変えてしまったのか。これでよかったのだろうか?」

<歴史がどう変わろうがそれに対してマサトが責任を負う必要はないと思います。マサトは新しい世界で自分の思ったように生きればいいのではないでしょうか。たとえ歴史が修復しようとしてもそれもマサトの責任ではありません>

「歴史はどうかわっていくのだろうか?」

<米軍は戦争を早めに終結させようとするはずです>

「するとやはり原爆は落とすつもりか」

<はい。しかも時期が早まる可能性もあります>

「俺には原爆投下を止める力がある」

<そのとおりです>

「原爆を止めたほうがいいと思うか?」

<それはわかりません。確かに20万人の犠牲は防ぐことができます。しかし戦争の終結を遅らせる可能性があり、本土決戦に突入する可能性もあります。そうなれば犠牲者は日本、アメリカとも原爆犠牲者の数をはるかにしのぐことになるでしょう。また、人類は核兵器を使用した経験がなくなるのでその悲惨さを知ることができず抑止力が低下します>

「かえって世界が不幸になるかもしれないってことか」

<はい>

「なあ、ドロシー。お前のメモリーの中には広島や長崎の記録や最終核戦争の記録が残されているだろ?それをこの時代の人間に見せて核兵器の恐ろしさを伝えたらどうだ?」

<マサト。それはあまり賢明な手段とは思いません。私の存在がこの世界で知られれば必ず軍事利用しようとする人間が現れます。この時代にそれが行われればある意味で核兵器以上の脅威になりえます。私の存在を知らせるのは、平和を愛する純粋な心を持ち、しかも強い意志を持った人間に限るべきです」

「俺はどうしたらいいんだ?」

<私にもわかりません。しかし日本軍とアメリカ軍の動きは私がモニターし、マサトに連絡します>

 

【愛子覚醒】

 1時間後、家にもどった雅人は愛子の叫び声を聞いて慌てて中に入った。

「雅ちゃん!愛子ちゃんがさっきから大変なんだよ!」

 奇声を上げながら震える愛子を両手で支えながら恭子が雅人に向かって叫んだ。

「愛子ちゃん!どうした!」

「あー!あー!」

 雅人は愛子の肩を支えながら声をかけた。

「30分くらい前からずっとこんな調子で・・・愛子ちゃん!どうしたんだい?」

 愛子は体を震わせながら上を見つめて大きく息を吸い込むと突然口を開けた。

「・・・にいちゃん!」

 その瞬間愛子の震えは止まりまっすぐに目を見開いた。

「愛子ちゃん!しゃべれるのかい!」

 恭子が驚いて愛子の顔を見つめた。

「愛子ちゃん!わかるか?」

 雅人は愛子の肩を両手で揺さぶりながら聞いた。

「にいちゃん・・・いかないで・・・愛子を置いていかないで」

 愛子は涙を流しながら焦点の合わない瞳で正面を見つめていた。

「愛子ちゃん。靖彦が見えるのか?」

「にいちゃん・・・」

 愛子はそうつぶやきながら左の恭子を見つめた。

「恭子おばちゃん・・・?」

「愛子ちゃん!わかるのかい!おばちゃんがわかるのかい!」

 恭子は愛子をじっと見つめた。

 愛子は恭子を見ながら小さくうなずいた。

「愛子ちゃん!」

 恭子は思わず愛子を抱きしめた。

「あなたは・・・だあれ?」

 愛子は怪訝そうな目で雅人を見つめた。

「俺は・・・雅人。お兄さんの友達だ」

「まさと・・・兄ちゃんの友達・・・」

「愛子ちゃん。この人はね、空襲の中からあんたを助け出してここまで連れてきてくれたんだよ」

 恭子が諭すように言った。

「くうしゅう・・・」

 すると突然愛子は目を見開き大声で叫び、再び震えだした。

「かあちゃん!かあちゃん!」

 恭子はそんな愛子をしっかりと抱きしめた。

「かわいそうに・・思い出したんだね。きっと母ちゃんが火の中で死んでいくのを見たんだね」

 愛子は大声をあげて泣き出した。

 

 こうして愛子の解離性障害は突然改善したのである。

「きっと靖彦が来てくれたんだ・・・。世の中には科学で説明のつかないことなんてたくさんあるのだから・・・」

 雅人はうなずきながらそうつぶやいた

 

【昭和の生活】

 雅人は解離性障害から回復した愛子の教育係となった。この時期の学校は空襲による校舎の損傷や集団疎開などで機能していなかったのである。

愛子は聡明な少女であった。雅人が教えたことは全部記憶し、常に新しい知識へと発展させた。しかも論理的な思考力を持ち、科学の分野に強い興味を抱いていた。

「雅人にいちゃん。戦争はいつまで続くの?」

「もうしばらくだ。夏には戦争が終わって平和な生活が帰ってくるよ」

「日本は負けるの?」

「ああ。負けるよ」

 雅人は周囲を見回しながら答えた。

「日本人はアメリカの捕虜になって奴隷にになるの?」

「いや、そんなことはない。日本人はちゃんと自分たちの権利を主張して生きていけるんだ」

 奴隷・・・そんなことはさせない。雅人は心の中で決意した。

「また学校に行って友達と遊べるようになる?」

「もちろん」

 雅人は笑顔で答えた。

「でも・・どうして戦争なんてあるのかな?戦争がなかったら父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんもみんな死ななくてもよかったのに・・・」

 愛子は寂しそうな顔で下を向いた。

「戦争は・・・みんなが他人より自分だけ得をしたいと思うから起こるんだよ」

「自分だけ得?」

「そう。人のことはどうだっていい、とにかく自分だけはあれも欲しい、これも欲しいと思って欲張るから戦争になるんだ。あるものをみんなで仲良く分けていれば戦争なんて起こらないんだ。もしも・・・愛子ちゃんに3人の友達がいたとして、ぼた餅が一つしかなかったらどうする?」

「うーん。みんなで分ける」

「そうだよね。誰かが自分だけで全部食べたいと思うと戦争が起こる。みんなが相手の気持ちを考え自分が我慢するようにすれば戦争なんて起こらないんだ」

「じゃあ日本はほかの国の人たちのことを考えなかったから戦争になったの?」

「そうだ。でもそれは日本だけじゃない。アメリカも、イギリスも、ドイツもみんなが自分の国のことしか考えなかったから戦争になったんだ。だからこの戦争が終わったら今度こそ二度と戦争が起こらないように俺や愛子ちゃんのように生き残った人たちががんばらなきゃいけないんだよ」

「愛子たちが・・・」

「そう。一生懸命勉強してどうしたら戦争をしなくても済むかを考えて、世界中の国の人たちのことを思いやって、限りのあるお金や資源を分け合いながら暮らしていくことが必要なんだ」

「わかった。愛子、戦争がない世界にするように頑張る!」

 

 ポツダム宣言は史実と同じ日程で行われた。内容もほとんど同じで、当然のごとく日本はそれを拒否した。アメリカではすでにマンハッタン計画により原爆が開発され、日本に投下する準備が着々と進められていたのである。

 

「ドロシー。マンハッタン計画は進行しているのか?」

<傍受したアメリカ軍の無線から総合的に勘案するとすでにリトルボーイ(広島に投下された原子爆弾)とファットマン(長崎に投下された原子爆弾)は完成しています。実験も順調でそれを運搬するためのB29の改造もほぼ終了しています。8月の初旬には投下されるものと思います>

「目標は?」

<予定どおりリトルボーイが広島、ファットマンが小倉です>

「そうか」

 実は二発目の原爆が落とされた長崎は本来の目的地ではなく、もともとは小倉に投下される予定であった。小倉上空の天候不良により急きょ長崎に変更されたのである。

<マサト。原爆投下を阻止しますか?>

「・・・」

<リトルボーイはテニアンの基地に装備されています。エノラゲイの発進命令は私が

傍受することができます>

「俺にはどうしたらいいのかわからん」

 

【原爆阻止】

 昭和20年8月6日。午前1時45分。史実では広島に原爆が投下された当日となった。

 雅人は夜間からずっとドロシーのコックピットで待機していた。

<マサト。米軍の無線を傍受しました。エノラゲイがリトルボーイを積んでテニアン島から広島に飛び立ちました。広島上空まで7時間です>

「ついに来たか・・・」

<今なら太平洋上で迎撃可能です>

「わかってる・・・。ドロシー。もう一度広島の原爆記念館に展示されていた写真とビデオをみせてくれ」

<了解しました>

 雅人の目の前のモニターには広島原爆記念館に展示されている写真や絵が次々と映し出されていった。雅人は意を決したように体を起こした。

「ドロシー行くぞ!」

<了解しました>

「やはり原爆投下は許せない。後のことはわからないがエノラゲイは俺が落ち落とす」

<しかしマサト。私に残された攻撃オプションはミサイルが1基とわずかな20ミリ機銃の弾丸だけです>

<わかってるよ。それだけあれば十分だ>

 

 雅人とドロシーは全速でテニアン島を発進したエノラゲイに向かった。

<マサト。エノラゲイまで30Kmです。我々より3000m下方を飛行しています>

 雅人は真っ暗な夜空を見回した。レーダーとドロシーの情報がなければどこを飛んでいるのか全く見当がつかない。

<空対空ミサイルを使用しますか?>

「いや、機銃で十分だ。尾翼を撃ち落として海面に不時着させれば搭乗員も助かるだろう。上空から一気に降下して一連射で撃ち落とす。ドロシー、誘導してくれ」

<了解しました。きっと彼らは真っ暗な中で何が起こったか理解できないでしょう>

 

 ドロシーはエノラゲイに向かって一直線に急降下していった。雅人は操縦かんを握りしめ、エノラゲイの尾翼に向けて機銃をほんの短時間掃射した。

 バリバリバリ・・

 そして大きな爆発音とともにエノラゲイは安定を失い左側を下にして降下していった。エノラゲイの機内は混乱していた。

「どうした!何が起こった!」

「わかりません!突然後ろから衝撃が・・・」

「立て直せ!」

「方向舵が効きません!」

「テニアンの基地に連絡しろ!機銃の音が聞こえた!日本軍の戦闘機だ!」

「しかしこのあたりの制空権はすでにわが軍が握っているはずでは・・・」

 エノラゲイは海面に不時着した。搭乗員は全員が周回中の潜水艦により救助されたが、リトルボーイはエノラゲイごと海中深くに沈んでしまったのである。

 雅人は夜中の3時の広島上空を飛んでいた。

「これでこの町はいつも通りの生活を送ることができる」

 雅人は月明かりの中、真っ暗な広島の街を見ながらつぶやいた。今この町には数万人の子供たちが父親や母親の腕の中ですやすやと眠っているのだ。雅人がエノラゲイを落とさなければ数時間後には彼らには地獄の運命が待ち受けていたはずである。

雅人はついに原爆投下を阻止することにより歴史を大きく変えてしまった。これからの歴史は雅人が学んだものとは全く違ったものになるはずだ。それが日本を幸福に導くか否かは別として少なくとも広島の10万人の命は雅人によって守られたのである。

 

 アメリカ軍の司令部は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。航空機の異常による失敗ならば事はそれほど複雑ではない。しかしエノラゲイの搭乗員は確かに機銃の掃射音を聞いたという。それはすなわち日本軍の攻撃に他ならないのであり、日本軍がテニアン島付近の制空権を握っているということなのである。

「沖縄近海で桜花を援護した新型機かもしれない」

「日本軍があのようなロケット推進の戦闘機を開発しているとすれば、これはうかうかしていられない。大量生産されれば形成は一気に逆転してしまう」

「マンハッタン計画はどうする?」

「ファットマンは予定通り小倉に落とす」

 

 その3日後8月9日にファットマンを積んだ爆撃機はテニアン基地を飛び立った。しかし再びドロシーにより撃墜され、ファットマンも海中に沈んでしまったのである。

 そんなことは何も知らない大本営は終戦への道筋をあれこれ考慮していた。ポツダム宣言は拒否したがすでに日本に勝機がないことは自明の理であり、あとはどのような形で少しでも有利に敗戦を迎えるかということなのであった。

 ソ連は宣戦布告のタイミングを見計らっていた。史実では原爆投下後に慌てて参戦したが、原爆投下が行われなかった今、まだ参戦に至っていなかったのである。

8月11日。日本軍の新兵器に脅威を感じ、慌てたアメリカ軍はワシントンにおいて緊急会議を開催した。ポツダム宣言の修正である。そしてなんと修正されたポツダム宣言は日本の主権維持が認められたのである。

 終戦の条件は日本軍の解散と完全な武装解除、開戦後に獲得した植民地の返還、賠償金の請求の3点のみで天皇を含めた日本軍上層部や政治家の責任は追及せず、占領軍もおかず、日本の主権を維持するという内容であった。これは何としても日本にポツダム宣言を受諾させ、早期に戦争を終結させたいというアメリカ軍の苦肉の案であった。

 A級戦犯として責任を追及されることが必死であった軍の上層部や政治家たちは驚きつつもこの修正案を、もろ手を挙げて受け入れた。彼らにとって戦後自分たちの生命が確保されるということは何物にも代えがたい魅力的な条件だったのである。

 こうして8月15日、史実通りに昭和天皇の玉音放送が流され、戦争は終結した。しかしロシアの参戦はなく、満州への侵攻は起こらず、シベリアへの抑留もなく、外地にいた軍人と一般人は順次帰国することとなった。そして日本には占領軍は上陸したものの、軍の装備解体のみを行い、日本の戦後の政治に対しては何一つ口を挟まなかったのである。

第4章(1/2) に続く

 

2014年9月15日 (月)

「虹の彼方のオズ」第3章(2/3)

【頼もしい援軍】

前方にいた足立一飛曹が突然大声を上げた。

 「敵機来襲!右上空45度!」

 「おいでなすったか・・・」

 井上中尉が右の空を見上げると20機ほどの編隊がゴマ粒のように小さく見えた。

「零戦が増槽を落としました。5機が迎撃に向かいます。残りの5機は残ります」

 宇佐美が言った。

「あの数じゃあ歯がたたんな。宇佐美上飛曹、敵さんが来たら逃げて逃げて逃げまくれ。何としても少尉殿を敵艦隊が見えるところまで運ぶんだ」

「わかっています。俺の腕前を見てください」

 靖彦は操縦席の後ろで軍刀を握りながらじっと目をつむっていた。

「左上から敵機来週!」

 足立がまた大声を上げた。

「畜生、さっきのはおとりだ。護衛の零戦を引き離してこっちをたたく作戦だ」

「残った零戦が迎撃に向かいます」

「右に旋回して高度をあげるぞ。全員戦闘準備。銃座につけ!」

 靖彦の乗った一式陸攻は大きく右に旋回して上昇していった。

「零戦、旗色悪いですね」

 宇佐美がつぶやいた。

「零戦といまのグラマンF6Fじゃあよっぽどの腕がないと太刀打ちできんだろうな。こっちの戦力はどんどん落ちるのに向こうはどんどんいい道具をつくりやがる」

 井上が吐き捨てるように言った。

 その時、右下から銃声が響いた。

 バリバリバリバリ・・・

「2番機、3番機がやられました!」

 江崎二飛曹が声を上げた。

「くそっ!また来るぞ!宇佐美、上昇しろ!」

 その時、上部の銃座にいる岡崎一飛兵が大声を出した。

「右後方から敵機!」

「撃ち落とせ! 宇佐美、左にかわせ!」

 バリバリバリバリ・・・

 機銃の音が交錯する中で長瀬の一式陸攻は大きく左に旋回して下降した。

「どうした?やられたか!」

「小隊長!敵機が二機とも落ちていきます!」

 宇佐美は操縦かんを握りながら歓喜の声を上げた。

「やったか!岡崎一飛兵」

「いえ・・・私ではありません!」

 岡崎が力なく答えた。

「じゃあ後ろの片山二飛曹か木村上飛曹が・・・」

「いえ・・違うと思います・・・なにか黒いものが上からものすごい勢いで落ちてきてそれと同時にグラマンも落ちて行ったのです」

 岡崎が困惑しながら答えた。

 その時、目をつむっていた靖彦がカッと目を見開いた。そしてその黒い物体は靖彦の右横に突然現れた。靖彦は、はっとして右を振りむいた。そこには・・・

「ドロシー・・・」

 靖彦がつぶやくとドロシーの操縦席で雅人がフェイスマスクをあげ、笑顔で長瀬に向かって敬礼をした。

「雅人・・・」

「前方から3機接近します!」

 足立の声が操縦席に響くと同時に雅人はフェイスマスクを装着するとドーン!という加速音とともにあっという間に前方のグラマンに向かっていった。そして左右に機体を揺らしながら一気に3機を撃ち落とすと急上昇していった。

機内の全員が呆気にとられた表情で無言のままその様子を見つめていた。

「す・・・すごい・・・なんて速さだ」

 宇佐美が呆然としてつぶやいた。

「なんだありゃあ・・」

 井上は操縦かんを握ったまま落ちていくグラマンを見つめていた。江崎は乗り出すようにドロシーの残した飛行機雲の彼方を見つめていた。

「あれは味方です」

 長瀬が静かに言った。

「味方?じゃあ帝国海軍の新兵器!」

 宇佐美が振り返って長瀬に問いかけた。

「まあ、そんなところです」

「あのスピードは尋常じゃないぞ。それにプロペラがない。ジェットエンジンをつんでいるのか」

 井上がつぶやくと、後ろから江崎が首を横に振って答えた。

「いいえ、ジェットエンジンではありません、たぶん・・・。あの機には空気を取り入れるエアインテークがありませんでした。あれは多分ロケットエンジンで飛んでいるのだと思います」

「ロケットエンジン!」

 宇佐美が叫び声をあげた。靖彦はほんのすこし笑みを浮かべ、感心した表情で左の江崎を見つめた。

「大本営は極秘にあんなものを開発していたのか」

 井上が感嘆の声をあげた。

「まだ試作品のようですが・・・」

「あれが量産できれば・・・日本は・・・勝てますよね・・・」

 宇佐美が寂しそうにつぶやいた。

「もっと早くできていれば・・・こんな作戦なんて・・・」

 そう言いかけて宇佐美はちらっと靖彦に目をやった。

「いずれにせよあいつが守ってくれるんなら百人力だ!敵の艦隊さえ見つければ必ずこの作戦は成功する!」

 井上は力を込めて言い放った。その横の宇佐美が言った。

「あいつグラマンの編隊に突っ込んでいきますよ・・・はやいなー・・・あいつから見たらグラマンなんて止まったハエみたいなもんだろうな」

 ドロシーは急上昇、急降下、旋回などアクロバチックな飛行を繰り返し、次々と敵機を撃ち落としていった。機内ではそのたびに歓声が上がった。

「また落とした!今度は2機いっぺんに落としたぞ!」

「でもあいつ・・・グラマンの尾翼だけを狙っているんじゃ・・・」

 宇佐美がつぶやくと井上が答えた

「人間を殺さなくても戦争はできるってことだな・・・」

 その時足立の金切り声が機内に響いた。

「左上から2機接近します!」

「宇佐美、振り切れ!」

「だめです!間に合いません!やられる!」

 

 雅人はグラマンの編隊を次々と落としていた。その時、ドロシーが警告を出した。

<マサト!一式陸攻の左上方から敵機が接近します>

「しまった!間にあわん!仕方がない・・・ミサイルを使おう」

 雅人はグラマンをロックオンし、ミサイル発射ボタンを押した。

 

「宇佐美、急降下して右に回れ!」

 その時、一式陸攻の前方で何かが光った。その2つの光は煙の尾を引きながら一直線に進んだかと思うと弧を描いて2機のグラマンを直撃した。そして大きな爆発音が機内に響いて1式陸攻は爆風により大きく揺れた。

「助かった・・・」

 宇佐美は機を立て直しながらつぶやいた。

「なんだありゃあ!火が飛んできたぞ」

 井上が大声を上げた。

「あれは・・・ミサイル・・・ロケット弾です」

 靖彦が答えた。

「ロケット弾!」

 江崎が靖彦を見ながら叫んだ。

「桜花のように爆弾にロケットエンジンを搭載したものです。ただしあれには人は搭乗する必要はない。自動で敵機を感知して追跡して確実に命中する」

「そんな兵器があるのなら・・・」

 江崎は言葉を詰まらせた。その時、足立が大声を出した。

「左前方敵艦隊発見!!」

 それを聞いた瞬間、靖彦はぴくっと体を震わせた。

「いたぞいたぞ!」

「井上中尉殿。私は桜花に乗り込みます。後をよろしくお願いします」

 靖彦はそう言いながら静かに席を立った。

「頼むぞ!少尉殿! 江崎二飛曹。少尉殿が桜花に乗るのを補助しろ」

「はい!」

江崎は機体の中ほどの桜花に通じるハッチを開けた。外気に開かれたハッチからは強い風が長瀬の体に吹き付けた。長瀬は大きく深呼吸し、これから自分が搭乗する予定の吊り下げられた桜花のコックピットをじっと見つめた。そしてふと江崎のほうに顔を近づけた。

「江崎二飛曹、耳を貸せ」

「はっ!何でありましょう!」

「あの航空機は実は未来からやってきたのだ」

「み・・未来でありますか!」

「そうだ。貴様の言うとおり、あれはロケットエンジンを積んでおり宇宙に行くことができる」

「宇宙に!少尉殿は宇宙に行かれたのですか!」

「ああ、行ってきたぞ」

 靖彦は笑顔で答えた。

「宇宙はどんな・・・」

「宇宙から見た地球は青いのだ」

「青い・・」

「そして宝石のように美しい」

「宝石のように・・・」

「これを貴様にやる」

 長瀬は手に持っていた軍刀を江崎に差し出した。

「こ・・これを自分にでありますか!」

 江崎は恐縮して丁寧に両手で受け取った。

「あれの操縦士は俺の叔母の家にいるはずだ。これを見せて俺の部下だと言えば、お前も宇宙に連れていってもらえる」

「ほ・・本当でありますか!」

「本当だ。だから・・・死ぬな!必ず生きて・・・生きて帰るんだぞ」

 靖彦は小柄な江崎の肩に右手を置いて諭すように言った。

「はい!」

 江崎は軍刀を両手で握り締めて目を輝かせながら靖彦を見つめた。

 そして靖彦は江崎の介助で吊り下げられている桜花に乗り込んだ。

 

 江崎は操縦席の後の航法席に戻ってきた。

「長瀬少尉殿、桜花に搭乗されました!」

「よし・・・なんだ?お前それもらったのか?」

 井上は後ろを振り返りながら聞いた。

「はい!いただいたであります!」

 江崎は靖彦にもらった軍刀を大切そうに抱えた。それを見た宇佐美が残念そうにつぶやいた。

「いーなー・・・俺もほしかったよ」

「これは自分の宝物であります!」

「さあ、目標まで一直線だぞ!しめてかかれよ!」

 

 雅人はグラマンの編隊の中で急降下、急上昇を繰り返していた。

<マサト。右後方から敵機が2機接近しています>

「了解。これだけ多いともう機銃だけでは無理だな。悪いけどミサイルを使わせてもらうよ。何とかパラシュートで脱出してくれよ」

 雅人は急旋回すると2機をロックオンし、ミサイル発射ボタンを押した。

<今度は上方から2機急降下してきます>

「了解」

 雅人は急上昇すると旋回し、2機の後ろにつくと機銃を照射した。

<右横下方から1機>

「はい」

 雅人は右に旋回すると急降下し、機銃照射した。

<マサト!1式陸攻の後方から3機接近しています>

「なんだって!しまった。また離れすぎたぜ!間に合うか・・・」

 雅人はあわてて3機をロックオンするとミサイルを立て続けに発射した。

 3本の光は1式陸攻に向かってまっすぐに伸びていった。

 

「小隊長、後ろから3機接近します!」

 岡崎の声が機内に響いた。

「宇佐美!急降下!」

 その時3本の光が前方から接近した。光が1式陸攻の頭の上を通り過ぎるとほぼ同時に2つの爆発音がした。

<マサト。一つ外れました>

「しまった!」

 雅人は慌てて方向を変えると一式陸攻に向かって突っ込んでいった。

 雅人が撃ち漏らした1機のグラマンは1式陸攻に向かって急降下すると機銃掃射を浴びせた。

 バリバリバリバリ・・・

 機内は大きな衝撃で左に大きく傾き、宇佐美は必死に操縦かんを握って機を立て直した。

「小隊長!江崎二飛曹がやられました!」

 岡崎一飛兵が後から大声を上げた。

「なに!どんな具合だ!」

 井上は操縦席から体を反転させて聞いた。

「頭に・・頭に穴が・・・江崎二飛曹の頭に大きな穴が・・・」

 経験が浅く、まだ僚友の死にほとんど立ち会ったことがない岡崎は動揺して震えた声で答えた。

「そうか・・江崎がやられたか・・・」

 井上はがっくりと頭をたれた。

「小隊長!江崎二飛曹の頭から・・・頭から血が流れて止まらないのであります!抑えても抑えても止まらないであります!」

 岡崎はどくどくと真っ赤な血があふれ出る江崎の頭を両手で押さえながら興奮して叫んだ。

「岡崎!落ち着け!江崎はもう死んだ!」

「死んだ・・・?江崎二飛曹は死んでしまったのでありますか・・・さっきまで元気でしゃべっていたのに・・・。江崎二飛曹!江崎二飛曹!目を開けてください!」

 岡崎は血で真っ赤になった江崎の体を抱きかかえながら叫び続けた。

「岡崎!もう江崎の血は止めなくていい。床が滑らないように江崎の体を毛布でくるんでやれ」

「はい・・・」

 岡崎は泣きながら毛布を持ってくると江崎の下に敷いた。

「小隊長・・・」

「なんだ!」

「江崎二飛曹が・・・軍刀を・・・離してくれないのであります・・・」

「なんだと?」

「軍刀を・・・硬く握り締めて・・・手から離れないのであります!」

 岡崎は泣きながら井上に訴えた。

「あいつ、よっぽどうれしかったんだな・・・」

副操縦席の宇佐美が下を向いてつぶやいた。

 井上は大きく息をつくと岡崎に向かって静かに言った。

「そのまま軍刀ごと毛布にくるんでやれ」

「はい!」

「それがすんだら後ろを見てこい!」

「はい!」

 岡崎は泣きながら後方を見に行くとすぐに戻ってきた。

「小隊長!片山二飛曹が胸から血を流して死んでいるであります!」

「なんだと?木村上飛曹は?」

「それが・・・後部銃座は粉々に壊れて・・木村上飛曹はどこにもいないのであります!」

「飛ばされちまったか・・」

 井上が悔しそうにつぶやいた。

 そのとき操縦席の連絡ブザーが鳴った。井上が受話器を取った。

<井上中尉どの!桜花を切り離してください!もう大丈夫です!>

「まだだ。長瀬少尉、ぎりぎりまで運んでやるから心配するな」

 井上はそういいながら受話器を置いた。

 

 その時一式陸攻の真上から一機のグラマンが急降下してきた。

<マサト!一式陸攻の真上から敵機です>

「だめだ間に合わん!」

 

 バリバリバリバリ・・・・

 機銃音とともに井上は右太ももに火箸でつつかれた様な鋭い痛みを感じた。

「くそっ!やられたか!」

 足を見ると2cmくらいの穴が開き血が噴出している。井上はマフラーをはずすと手早く足にくくりつけて出血を止め、ふと左の宇佐美を見た。

「宇佐美!おまえもやられたのか!」

「小・・・隊長・・・腹打たれました・・・。い・・痛いであります・・」

 宇佐美は苦痛に耐えた表情で赤くなった腹を左手で押さえていたが、右手ではしっかりと操縦かんを握っていた。

「足立一飛曹! 無事か!」

 井上は前方にいるはずの足立を呼ぶが返事はない。

「くそっ!足立もやられたか。岡崎!」

 井上が後ろを振り向くとそこには毛布にくるまれた江崎の死体の上で、喉からごぼごぼと血を噴出し痙攣している岡崎がいた。

「岡崎!・・・そうか・・・みんなやられちまったか・・・」

 そのとき連絡ブザーが鳴った。

<井上中尉殿!大丈夫ですか!>

「大丈夫だ。心配するな」

<中尉殿!私を切り離してください!ここからなら大丈夫です!>

「まだ飛べるぜ・・・。見てろ・・空母まで一直線のところまで持っていってやる」

<中尉殿!切り離してください!中尉殿・・・・>

 井上は受話器を落とすと両手でしっかりと操縦かんを握り締めた。右足からは真っ赤な血が滲み出し、ぽたぽたと床にしたり落ちていた。

「右に旋回・・もう少し・・・」

 そのとき左から1機のグラマンが急降下してきた。

 

<マサト。長瀬機の左からまた一機急降下します>

「くそ!数が多すぎる!間に合うか・・・」

 雅人はグラマンをロックオンするとミサイルを発射した。ミサイルが弧を描き命中する直前にグラマンの機銃が火を噴いた。

 バリバリバリバリ・・・

 そしてその直後ミサイルはグラマンを直撃した。

 一式陸攻の風防ガラスは粉々に砕け散っていた。

 井上は右腕と腹に強い痛みを感じた。

「くそ・・これまでか・・・少尉殿・・・あとは頼むぞ・・・」

 そして左手で桜花の分離レバーを引いた。

 

 一式陸攻から分離された桜花は音もなく数10メートル急降下した。長瀬は操縦かんを握り締めると3機のロケットを一気に噴射させた。ロケットを点火した桜花は花火のような音を発しながら一気に敵空母に向かっていった。

井上は傷ついた右手で腹を押さえながら突進する桜花を見つめていた。

「いったいった・・・宇佐美、見ろよ。少尉殿はロケットを一気に点火していったぜ」

「へへ・・・いったよ・・・空母までまっすぐだ」

 宇佐美は朦朧とした意識の中で桜花を見つめていた。

 靖彦は操縦かんを握り締めてまっすぐ前を見つめていた。

「目標敵空母。方向真正面。直線距離25Km・・・。ありがとう井上中尉殿、ありがとうみんな・・・。まっすぐドンぴしゃり。お見事です」

 そのとき靖彦は桜花の右にぴたりと寄り添う黒い影に気がついた。

「雅人・・・」

 雅人はほんのしばらく靖彦をじっと見つめると左手で敬礼をした。長瀬はほんの少し笑みを浮かべて軽く敬礼を返した。そして雅人は急上昇して桜花から離れていった。

「ありがとう、雅人。君のオズを見つけてほしい。そして・・愛子をたのむ」

 

 桜花は空母まであと30秒の位置にきた。空母からは機銃照射が雨のように降り注いでいるが桜花には当たらない。

Imagin all the people…Living life in peace…

 靖彦はいつしかイマジンを口ずさんでいた。

「愛子・・幸せになれ」

 そして桜花は急降下すると空母の甲板のど真ん中に散った。大きな炎に引き続いて黒煙が黙々と昇っていった。

「ばかやろう・・・」

 雅人は燃え盛る空母を見ながらつぶやいた。

 

 井上は苦痛に耐えながら必死で機のバランスを保っていた。

「やった・・・・・・あいつ空母のど真ん中にでっかい穴を開けちまったぜ。これであれは半年使い物にならん・・・見たか?宇佐美」

「へへ・・・やった・・・俺やった・・・かあちゃん・・見てくれ、俺やったよ・・・あんちゃんができなかったことやったぜ・・・ほめてくれ・・・」

 そして宇佐美は操縦席に倒れ掛かるようにして目を閉じた。

「宇佐美!」

「・・・かあちゃん・・・腹いてーよ・・・かあちゃん・・・・・・・・・」

 その言葉を最後に宇佐美は動かなくなった。

「宇佐美・・・いままでありがとう」

 井上は朦朧とした意識の中、震える右手で操縦かんを握り締め、燃え上がる黒煙をぼんやりと見つめていた。

「一式陸攻よ・・・ついに二人だけになっちまったな・・・。お前もこんなにぼろぼろになるまでよくがんばったぞ。いままでありがとうな。でも・・もういいんだぞ。一緒に休もうか・・・」

 井上の一式陸攻はゆっくり旋回して海面に向かって落ちていった。

「洋子・・・チビをたのむ」

一式陸攻はそのまま海面に落ちると大きな爆発音とともに視界から消えた。

 雅人はあふれる涙を吹きもせずにまっすぐ太陽に向かって飛んでいた。

「やっと友達になれたのに・・・やっと分かり合えたのに・・・この世界でたった一人の友人だったのに・・・。なんで死ななきゃいけないんだ!戦争ってなんだー!」

 

第3章(3/3)に続く

2014年9月14日 (日)

「虹の彼方のオズ」第3章(1/3)

第3章:戦闘

 

【一式陸攻】

 昭和20年5月25日。

出撃命令が下った靖彦は桜花を搭載した一式陸攻に乗り込んでいた。同日に出撃したのは桜花を積んだ一式陸攻が合計3機。護衛の零戦が10機である。目標は沖縄近海で偵察機が発見した、空母を含む敵機動艦隊である。

 一式陸攻は両翼にプロペラエンジンを備えた双発の中型航空機である。その開発時には4発エンジンの能力を双発で要求されたため軽量化が徹底され、その結果、防御は極めて貧弱なものとなっていた。銃弾が撃ち込まれれば機体を容易に貫通し、搭乗員を守るすべはなにもない。その代り時速430Kmの最高速度と4000Kmの航続距離を獲得している。攻撃装備として前方と両側方、上方に計4門の7.7mm機銃、後方に20mm機銃を1門装備している。

 搭乗員は正副操縦士、正副偵察、正副電信、整備士の計7名であり、それに桜花操縦士の1名が加わり、8名が搭乗していることになる。

特攻用のロケット爆弾「桜花」は一式陸攻の腹側につりさげられ、目標から30Kmに近づいた時点で切り離し、ロケットエンジンに点火して時速1000Kmの高速で目標に向かう。桜花には通常の5倍の1.2トンの爆弾が搭載され、桜花の直撃を受けた艦船は一発で沈没する運命となる。

発進された高速の桜花を撃ち落とすことは事実上不可能であり、アメリカ軍にとっては一式陸攻から切り離される前に母機ごと撃ち落すことが至上命令となり、アメリカ軍は桜花のことを、皮肉を込めてBAKA BOMB(馬鹿爆弾)と呼んだ。

桜花操縦士はいったん母機から切り離されれば二度と帰還することはできず、その1分後には成功不成功にかかわらず命を落とす運命である。一式陸攻は桜花を切り離してしまえば目的を達成し、帰路に就くことができるわけだが、総重量2.3トンの桜花を抱いた一式陸攻は動きが鈍く、容易に敵戦闘機の餌食となり桜花分離前に撃ち落されることがほとんどであった。したがって桜花作戦には特攻隊員の1名のみならず、一式陸攻搭乗員の7名の命も犠牲となっているのである。

 

 靖彦が搭乗した一式陸攻の右側の操縦席にはひげ面で一見熊を思わせる井上中尉が、左側の操縦席にはやんちゃな風貌の、副操縦士である宇佐美上飛曹がそれぞれ操縦かんを握っていた。

一式陸攻は機体の最先端部がドーム型のアクリルガラスで覆われており、そこに一番視力のよい偵察の足立一飛曹が敵機の来襲に備えて周囲に目を光らせていた。すなわち操縦席の前下方にもう一人搭乗員がいるわけである。本来ここは地上への爆撃の照準を合わせる目的の場所であるが、今回の目的は桜花の輸送であるので爆撃照準は不要である。その先端には7.7mm機銃が装備されている。

 靖彦は機長の井上中尉の後ろの席で、立てた軍刀を両手で握り、背筋を伸ばしてまっすぐに前を向いて腰かけていた。彼は今から2時間後にはこの世を去る運命にあるが、その表情には困惑は一切なく、澄み切った瞳を輝かせていた。

靖彦の左には大きな机に航空図面を広げた小柄な江崎二飛曹が真剣な表情で進路の確認を行っていた。一式陸攻の風防ガラスは操縦席からこの二人の位置まで伸びており、長瀬と江崎は目視で周囲の様子を確認できる。

 その後ろには電信担当の一番若い岡崎一飛兵が無線で基地との連絡を取り合っていた。その後ろ、機体の真ん中付近では屈強そうな片山二飛曹が計器の確認を行い、側方に装備された7.7mm機銃の点検を行っていた。そして機体の最後尾では木村上飛曹が20mm機銃の点検を行っていた。

 

 副操縦士の宇佐美が右に座る井上機長に向かって言った。

「小隊長。この機だけ軽い桜花を積んでいるせいか、あとの2機が遅れますね」

「1トン近くも違うんだからしょうがないさ。少しゆっくり行くとしよう。何も死に急ぐことはないさ。なあ長瀬少尉殿」

 井上は少し後ろを振り向いて靖彦に声をかけた。

「井上中尉殿。私に対して殿はやめてください」

「まあいいじゃないか。この作戦が終われば大尉殿に昇進するわけだからな。それにしても少尉殿、爆弾の重量を3分の1にすることをよく司令部が納得したな」

「司令部の許可は得ていない」

「きょ・・・許可を得ていないのでありますか?」

 靖彦の声を聞いた宇佐美が思わず後ろを振り返った。すると隣の井上が高らかな笑い声をあげた。

「がっはっはっは・・・。少尉殿らしいな」

「どんなに強力な爆弾でも敵にあたる前に撃ち落されたのでは意味がない」

 靖彦は冷静な声で答えた。

「ちげーねー」

 井上は苦笑しながら操縦かんを握りなおした。宇佐美が言った。

「でもそのおかげで機がずいぶん軽いなー。普通の魚雷を積んでいるのと変わらないくらいだ。これならグラマンが来てもかわせるよ。俺、空母を沈めるのが夢だったから今日は空母に向かって桜花をドカーンと・・・あ・・・」

 宇佐美はしまったという顔で右後ろを向いて靖彦を見つめた。

「も・・・申し訳ありません・・長瀬少尉殿・・・」

「いいんだ。この機に乗っているものの夢は皆同じだ。私が必ず空母を沈めてみせる」

「俺たちがどんなことがあっても少尉殿をぎりぎりの近くまで運んでやるよ」

井上が笑いながら答えると、宇佐美に向かって言った。

「ところで宇佐美上飛曹はなんで飛行機乗りになったんだ?」

「俺、農家の二男で・・・小さいころから出来が悪くていつも兄貴と比較されていました。悪さばっかりしてたから親父もお袋も愛想つかして相手にしてくれず、海軍に入ったらちょっとは見直してもらえると思ったので・・・」

「単純な動機だな」

「だから絶対にでっかいことをやって兄貴や親父やお袋を見返してやりたいのであります。空母を沈めたら絶対にびっくりするだろうなー」

「少尉殿。こいつはこんなこと言ってるが一式陸攻の操縦の腕前は天下一品だ。こいつのおかげで何度敵の戦闘機から逃げてこられたか・・」

 井上は、得意げな顔で微笑む宇佐美を見ながら言った。そして靖彦に聞いた。

「少尉殿の家族は代々軍人だったと聞いているが・・・」

「祖父は日本海海戦の時、士官として旗艦の三笠に乗っていました。父は海軍の戦闘機乗りでしたがミッドウエーの海戦で戦死しました」

 それを聞いた宇佐美は驚愕の声を上げた。

「日本海海戦!少尉殿のおじい様は東郷平八郎大将とご一緒に戦っておられたのですか!丁字戦法でバルチック艦隊を叩きのめした時の・・・」

「まあ・・そんなところだ」

 井上はうなずきながらさらに聞いた。

「お袋さんは?お元気なのか?」

「母は・・・3月10日の東京空襲で他界しました」

「そうか・・・他の身内は?」

「もうすぐ12歳になる妹が一人」

「その妹さんはどこに・・・」

「叔母と・・・信頼できる友人に任せてあります」

「そうか・・・。信頼できる友人か・・・俺の友人はみんな逝っちまった。どういうわけか悪運の強い俺だけいつも助かってきたな」

「井上中尉殿のご家族は?」

「俺か?俺は去年もらったかーちゃんが一人だな」

「お子さんは?」

「チビはまだかーちゃんの腹ん中だ。秋くらいにうまれるはずだ」

「そうですか・・・」

「そいつが生まれるころには平和で明るい日本になっているといんだがな。俺はそいつが幸せになるためならこんな命なんか捨てたってかまわんよ」

「・・・中尉殿、きっと大丈夫です。その子が秋に生まれるころにはきっと平和な世界になっていますよ」

「だといいがな」

 靖彦は、無言で航空図面をにらんでいる左隣の江崎を見つめて言った。

「江崎二飛曹は海軍にはいる前は何をやっていたのか?」

江崎は直立して靖彦のほうに向きなおると緊張した表情で答えた。

「じ・・自分でありますか?自分は天文学とロケット工学を勉学しておりました」

「ほう・・ロケット工学」

「私はいつか月にロケットを飛ばすことが夢なのであります」

「月か・・・」

「人間はいつか月に行くことができるでありましょうか?」

「ああ・・・きっと行けるはずだ。それも近いうちにな」

 靖彦は前を向いて静かに答えた。井上が口を挟んだ。

「江崎二飛曹。月にはうさぎがいると思うか?」

「うさぎでありますか!うさぎはちょっと・・・」

「少尉殿はどう思う?」

 靖彦はふっと笑みを浮かべてゆっくりと答えた。

「岩を掘り起こせば隠れているのではないかと・・・」

「はっはっは。そりゃ月に行くのが楽しみだ。少尉殿、この江崎二飛曹も超一流の航空士だ。空を見ただけで方角がわかっちまう。俺たちが迷子にならずに基地に帰ってこられるのは江崎二飛曹のおかげだ」

「日付や時間と星や月や太陽の位置を確認できればコンパスなどなくても方角や位置は正確に判断できるのであります」

 江崎が得意げに言った。

「それは頼もしい」

「俺たちが必ず少尉殿を敵の機動部隊のまん前まで運んでやるから心配するな」

 靖彦は笑みを浮かべながらうなずいた。

―戦争がなければこの優秀な男たちは日本を発展させる原動力となっただろう。アメリカより早く月にいけたのかもしれない。こんな戦争は始めるべきではなかった。

 

第3章(2/3)に続く

2014年9月13日 (土)

「虹の彼方のオズ」第2章(2/2)

【オズの魔法使い】

雅人と長瀬は地上に降り立ちドロシーの横に座っていた。二人は初夏のさわやかな風を感じながら星空を見上げていた。

「長瀬少尉。私が未来から来た人間だということを信じてもらえただろうか?」

「・・・今経験したことが夢でないのだとしたら信じないわけにはいかない」

「日本が8月15日に無条件降伏をすることも?」

 長瀬はその問いには答えず、しばらく間をおいて聞いた。

「君も軍人なのか?」

「日本空軍第5飛行隊三尉 菅原雅人」

「三尉?」

「この時代の階級では少尉になる」

「では私と同じか。私のことは名前で呼んでくれ。私は第721海軍航空隊 長瀬靖彦少尉だ。靖彦でいい。私も君のことは雅人と呼びたい」

「わかった。靖彦」

 二人はそれぞれの右手を固く握りしめた。

 

「ここから眺める星も宇宙からと同じくらい美しい」

「本当だ。俺の世界ではもう夜空は見られない。地上からこんな星空を見るのは久しぶりだ」

二人は草の上にあおむけになり、じっと夜空を見ていた。ふと靖彦が聞いた。

「君はどうやってこの世界にやってきた?」

「ある調査で宇宙空間を飛んでいた時に磁気嵐に襲われたんだ。気が付いたら東京大空襲の空だった」

「あの日にやってきたのか。君は・・・B29を撃ち落としたのか?」

「いや・・・俺はこの世界の人間じゃない。俺とドロシーがこの世界で動けば歴史が変わってしまう。俺には歴史を変える責任を負う勇気がない。この世界ではただの傍観者だ」

「傍観者か・・・それなのになぜ愛子を助け、私にドロシーと未来を見せた?」

「ほっとけなかったからだ。あんたも愛子ちゃんも・・・・」

「そうか・・・・」

 靖彦は空を見上げて聞いた。

「八月に広島と長崎に新型爆弾が落とされると・・・」

「ああ・・・原子爆弾だよ。核分裂の巨大なエネルギーを一気に爆発させる」

「話には聞いたことがある。ドイツでも開発していたそうだが結局間に合わなかった」

「アメリカはもうすぐ開発に成功する」

「2発で20万人を殺す爆弾か・・・そんなものを落とされたのでは日本は無条件降伏せざるをえないな。その後ソ連も参戦するのか? 来年までの平和条約を結んでいるはずだが・・・」

「ソ連は広島に原子爆弾が落とされた直後に宣戦布告する。そして満州に攻め込み日本軍を追い払い、民間人に略奪の限りを尽くすことになる。満州の日本兵は60万人が捕虜となりシベリアに移送され、数年にわたり強制労働を強いられることになる」

「軍の上層部ではソ連に終戦の仲介を依頼するつもりらしいが・・・笑止だな」

 靖彦は目をつむって皮肉な笑みを浮かべた。そして目を開いて言った。

「終戦後の日本人はアメリカの捕虜になるのか?」

「いや、形式上は日本の主権は維持される。天皇制もだ。しかしアメリカ軍が占領軍として日本に乗り込み物資や経済を支配する。アメリカからの物資の援助はある。しかし治外法権を有する彼らの中には日本ではやりたい放題をする者もいる。今は虐げられている朝鮮人の中にも日本人に対して略奪や暴挙にでるものも多かったようだ。日本は今以上に物資不足に陥り、物価が上昇し、人々は生活に困窮する。日本人の誇りはずたずたに引き裂かれることになる。しかしまじめで勤勉な日本人はどん底から這い上がり10年後には復興をきたし、まれにみる経済成長を遂げ、アメリカに次ぐ経済大国に発展する」

「・・・・」

 雅人は空を見上げながら言った。

「決心は変わったか?」

 しばらくの沈黙の後、靖彦がゆっくりと言った。

「いや・・・変わっていない」

 雅人は飛び起きて靖彦をにらんで叫んだ。

「どうして!日本は負ける!なぜ無駄に命を捨てる!」

「それはさっき答えた。私が軍人だからだ」

 靖彦は雅人の顔を見ずに答えた。

「あと3か月で戦争は終わる!その間この山の中にでも隠れていればいいじゃないか!そうすれば君は誰にも責められることなく愛子ちゃんと暮らせるんだ!」

「誰にも責められることなく・・・」

 靖彦は突然飛び起きると雅人をにらんで言った。

「日本を守るために死んでいった私の同僚や部下は私を責めないのか?先に行くと私に笑顔で言いながら桜花や零戦に乗って散っていった仲間たちが、山の中に逃げ込んだ私を責めないというのか?」

「死んだ者のために死ぬな!生きている者のために生きろ!君が特攻で散っても日本は負ける!結果がわかっているのになぜ無駄に死ぬ!」

 雅人は靖彦の襟首をつかんでまくし立てた。

「無駄ではない!」

 靖彦は雅人の手を払いのけると大きな声をあげて雅人をにらんだ。

「沖縄の米軍機動部隊をこちらにひきつければその間沖縄本島の戦闘は手薄になる。その間に民間人を保護することも体制を立て直すこともできる。それでもいずれ日本は負ける。しかし同じ負けるにしてもできるだけ抵抗し、相手に打撃を与え、できるだけ有利な条件で敗戦することが大切なのだ。無条件降伏ではいけない。日本の主権をできるだけ維持し、戦勝国への負債をできるだけ少なくすることが必要なのだ。それが戦後の日本や愛するものの生活を守ることになる。みんなその目的のために命を捨てているのだ」

 そして靖彦は雅人の目を見て言った。

「雅人・・・一つだけ聞きたい。私の乗った桜花は・・・・敵艦隊に打撃を与えることができるか?」

 無言の二人の間には虫の声と風の音だけが流れていた。

「言いたくなければ言わなくてよいのだ」

「・・・ドロシー・・・」

 雅人は靖彦から目をそらすと下を向き、ドロシーに手で合図した。

<神雷桜花特別攻撃隊は321日を皮切りに合計10回にわたり55機が出撃しています。そのうち成果を上げたのは412日第3回神雷桜花特別攻撃隊の土居三郎中尉が駆逐艦マナート・L・エベールを撃沈した1回のみです>

「私の桜花は?」

<長瀬少尉の乗る桜花を運んだ一式陸攻は桜花を切り離す前に敵のグラマンF6Fに撃ち落されます>

「切り離す前に・・・」

<一式陸攻の爆装の限界は800Kgです。一式陸攻で、1.2トンの爆弾を搭載した総重量2.3トンの桜花を、敵艦隊を直視できる位置まで運搬するという計画がそもそも無理なのです>

「・・・・」

「気が変わったか?靖彦」

 靖彦は何も答えずにドロシーの機体を見上げて言った。

「ドロシーというのは竜巻で飛ばされたオズの魔法使いの少女にちなんだ命名だろうか?」

<私はそう聞いています>

「その名前ゆえに君たちは遠い世界に飛ばされてきた。皮肉なものだ。原作ではドロシーは知能のない案山子と勇気のないライオン、心のないブリキの木こりと一緒になってオズの魔法使いを訪ねていく。さしずめ、正体を失った愛子が案山子、雅人が勇気のないライオン、私がブリキの木こりというところか・・・」

「・・・」

「雅人、君はこの世界で傍観者だと言った。君はこの世界を変えていくつもりはないのだろうか?」

「世界を変える?」

「なぜ君たちの世界の歴史にこだわる?なぜ歴史を変えることを怖がるのだ?君たちの世界は核戦争で地上には人間が住めなくなったと聞いた。自分の力でその運命を変えていこうとは思わないのか?私は君とドロシーの力ならそれができるのではないかと思う」

「俺とドロシーが世界を変える・・・」

「私にはどうすれば君が望んだ世界に変わるかはわからない。運命を受け入れることは大切だが、運命はそれを知った時から運命ではなくなる。自分の力で変えることができるのだ。私の乗った桜花は一式陸攻ごと撃ち落される運命だと知った。しかしそれを知ったからには私は運命に従うつもりはない。私の乗る桜花は搭載する爆弾を三分の一に減量する。そうすれば一式陸攻は動きやすくなり、敵の戦闘機から逃れる可能性が高くなる。そして私は桜花を上空から空母の甲板にぶつけるつもりだ。すでに終戦が近いのならば空母を撃沈する必要も無駄に将兵を殺す必要もない。ほんの三か月空母を使用不能にすれば目的は足りるのだ」

「・・・・」

「ドロシーと案山子とライオンとブリキたちは与えられた運命に従うのではなく、自分の夢をかなえるために様々な困難を乗り越えてエメラルドシティに住む魔法使いのオズに会いに行く。君もオズに会いに行け」

「オズに・・・」

 二人はまた仰向けになって星空を見上げた。西の空に大きな満月が沈みかかっていた。

「人類は月に行けるのか?」

1969年アメリカのアームストロングという宇宙飛行士が初めて月に着陸した」

「あと25年で月まで行けるようになるのか。月の表面はどんなぐあいだろうか?」

「岩ばかりでなにもないよ」

 すると靖彦がちょっと笑みを浮かべながら聞いた。

「うさぎはいたか?」

そして雅人は苦笑して答えた。

「岩を掘り返せばみつかるかもしれないな」

 靖彦は何も答えず小さく微笑んで、ふと雅人を見ながら言った。

「雅人、君の世界の音楽を聞かせてもらえないだろうか?」

「俺の世界の音楽・・・。わかった、ドロシー、イマジンを頼む」

<了解しました>

「俺の時代よりこの時代のほうが近いが・・・1971年。今から26年後に発表される曲だ。君なら歌詞の意味が分かるだろう」

 

Imagin there’s no Heaven

 It’s easy if you try….

 ….

 Imagine all the people

 Living life in peace….

 

 靖彦は目をつむったままじっと聞き入っていた。そして聞き終わった時、ほんのわずかの涙が彼の目じりを濡らした。

「これはなんという人間が作った曲だろうか?」

「ジョンレノン」

「彼も心から平和を望んでいたのだろうな・・・。彼はもう生まれているのか?」

<ジョンレノンは1940109日、ナチスドイツ空襲下のイギリスのリバプールで生まれました>

「ヒトラーはすんでのところで貴重な宝物を破壊するところだった。私の桜花も彼の父親を奪うことはないようだ。愛子も将来きっとこの曲を聴くことができるだろう。ドロシー、もう一度聴かせてほしい・・・」

 そして靖彦は繰り返しイマジンを聴き続けた。

 

 坂崎の家に帰った雅人が目覚めたのはその日の昼頃であった。雅人は枕元の置手紙を手に取った。

 

親愛なる友へ・・

愛子のことをよろしく頼む

“And go to see the Oz !”

        靖彦

 

「オズに会いに行け・・・か」

第3章(1/3) に続く

 

2014年9月12日 (金)

「虹の彼方のオズ」第2章(1/2)

第2章:昭和20年東京

 

【長瀬少尉】

 3月も終わりに近づいた。ぎこちなかった雅人の農作業もどうにか板につき始めていた。大阪や神戸などの大都市は空襲のためほとんどが焼け野原となっていたが、田舎はまだ平穏だった。

愛子の状態には変化がなく、食事や排せつなど日常の生活は自分で行うが、一言も言葉を発することはなく、いつもただじっと縁側から草木を眺めていた。ただ、真っ赤な夕焼けを見た時には恐怖におののいた表情をして部屋にこもりきりになった。

「愛子ちゃん、治らんねー。こんなにちゃんとご飯も食べられるし普通に歩けるし、一見全く普通なんだけど・・・。返事もしないし、いつもぼーっと外を眺めているだけ。ねえ雅ちゃん、愛子ちゃん治るのかね?」

 恭子は食事を終えた愛子の湯呑にお茶を入れながら言った。

「よほど強い衝撃を受けたんだろうなー。多分まだまだ時間がかかるんじゃないかと・・・」

 雅人は無言でお茶をすする愛子を見つめながら言った。

「靖ちゃんが帰ってきてくれたらちょっとはよくなるんだろうけどねー」

「靖ちゃんって、お兄さんの靖彦さんですか?」

「うん。愛子ちゃんはね、靖ちゃんのことが大好きだったし。海軍将校のお兄さんが自慢なんだよ。靖ちゃんが白い将校服を着て帰ってくるといつもべったりくっついて離れなかったよ」

「靖彦さんから何か連絡はないのですか?」

「ないね。もう自宅は焼けちまったから何かあればこっちに連絡があるはずだけど・・・。まあ何も連絡ないってことは元気ってことだよね」

 恭子はちょっと笑顔になって言った。

 

 その2日後、雅人が1日の作業を終えて帰ってくると玄関に男物の白い靴がきちんと揃えてあった。それを見た雅人は慌てて靴を脱ぎ捨てると居間に駆け込んでいった。そこにいたのは・・・

「君が菅原雅人君か」

 居間の真ん中に座っていたのは真っ白な海軍将校服に身を包んだ一人の青年であった。意志の強そうな濃い眉に精悍な顔立ち、そして物事を冷静に見つめ、相手の心の中まで見透かしてしまうような透き通った瞳。わきには白い帽子と軍刀が置かれていた。

「長瀬靖彦です」

 長瀬靖彦と名乗った男は正座したまま雅人のほうに向きなおると雅人の顔をじっと見つめて挨拶をした。

「あ・・・す・・菅原雅人です!」

 雅人は慌てて正座すると恐縮してぺこんと頭を下げた。

「愛子がずいぶん世話になったそうで・・・いま叔母から伺いました」

 靖彦はゆっくりとそして冷静な声でそう言うと雅人に向かって頭を下げた。

「いや・・俺はただ連れてきただけで・・・」

 靖彦は恐縮する雅人を観察するようにじっと見つめ、ふと雅人の左腕の時計型端末に目をやった。そしてまた雅人の顔をじっと見つめていた。

「そ・・そうだ!愛子ちゃんは!しゃべれるようになったのか!」

 雅人はあわててあたりを見回して愛子を捜した。しかし恭子は残念そうな顔で首を横に振った。

「だめだったよ。靖ちゃんの顔を見たら元に戻るんじゃないかと思ったんだけどね。相変わらずじっと外を見ているだけ」

「そうか・・・」

 雅人は残念そうにうなじを垂れた。

「愛子は、今は正気を失っているがきっと元に戻るものと確信している。君がここに連れてきてくれなかったら多分愛子は生きてはいなかっただろう」

「せっかく靖ちゃんが来てくれたのに・・・あれほど会いたがっていたのにねー。愛子ちゃんたら・・・」

 恭子が目頭を覆いながらつぶやいた。

「恭子叔母さん。愛子は大丈夫です。きっと元に戻ります。申し訳ありませんがそれまで愛子のことをよろしくお願いします」

 靖彦は恭子のほうに向きなおると深々と頭を下げた。そして雅人のほうを向いて言った。

「私はもう戻らなくてはならないが、愛子のことをよろしく」

「え?もう戻るのですか?」

「実家が空襲にあったので特別に帰してもらっただけなのだ」

 靖彦はそう言いながら帽子と軍刀を手に取るとさっと立ち上がった。靖彦の身長は雅人より少し高く、雅人と同様に筋肉質の引き締まった体をしている。靖彦は玄関に出て靴を履くと無言で頭を下げて素早く玄関を出ていった。

 

 その日の夜、雅人は山に登りドロシーを呼び出した。

「ドロシー、長瀬靖彦という帝国海軍将校のデータがあるか?」

<はい。長瀬靖彦。大正12年1月16日生まれ。現在の年齢は23歳です。現在の階級は帝国海軍少尉>

「家族の情報は?」

<父親は海軍少佐としてミッドウエー海戦で戦死。母親と妹は3月10日の東京大空襲で死亡となっています>

「妹が・・・東京大空襲で死亡・・・」

<歴史ではそうなっています>

「俺は歴史を変えてしまったか・・・」

<はい。ただ、少女一人の命を救っただけでは当面の歴史は大きくは変わりません。しかし長い目で見ると大きく変わっていく可能性はあります>

「そんなこと言っても今更どうにもならんよ。それで・・・長瀬少尉の今後の情報があるか?」

<長瀬靖彦少尉。1945525日 桜花搭乗員として一式陸攻に搭乗。その日に戦死しています>

「桜花!」

 桜花は特攻用の人間ロケットである。

「長瀬少尉は特攻で命を落とす。彼は・・・8月15 日に終戦を迎えることを知っても特攻に志願するだろうか?」

<長瀬少尉に歴史を伝えるということでしょうか?>

「なあドロシー・・・歴史って変えちゃいけないものなのか?この世界が俺たちの知っている歴史と変わってしまうとまずいのか?」

<私にもわかりません。歴史を変えようとすると歴史に修復力が働くという理論もあります>

「歴史の修復力?それは変えられた歴史を元に戻す力のことか?じゃあ俺が助けた愛子ちゃんは・・・」

<解離性障害を引き起こし、歴史とかかわりがないようにされているのかもしれません>

「もし長瀬少尉に歴史を教えたとしたら・・・」

<何らかの別の方法で歴史が長瀬少尉を死に追いやる可能性もありますが、それはあくまでも仮説です。ただ、死ぬはずの人を助けるということは死ななくてもいいはずの人を殺すということにもつながります。歴史を変えたことにより不幸になる人間もでてくるのです>

「俺はどうしたらいいんだ?このまま長瀬少尉が無駄死にして愛子ちゃんが天涯孤独になるのをほっておけって?」

<私にもわかりません>

 

【神雷桜花特別攻撃隊】

 5月初旬、田植えも一通り区切りがついた頃、長瀬靖彦はふたたび叔母の恭子の家にやってきた。

 4人で食事を終えてくつろいでいる時に靖彦が恭子に言った。

「恭子叔母さん、すみませんが雨戸を閉めていただけませんか?」

「え?でも外はいいお天気だよ。月があんなにきれいに見えるし」

「愛子に歌を聞かせたいのです。その歌は・・・他の人に聞かれると困るのです」

「わ・・・わかったよ」

 恭子は縁側の雨戸を閉めに行った。

 靖彦は無表情で前を見ている愛子に向かって言った。

「愛子。今からお前が好きだった歌を歌ってやる。心して聞いてほしい」

 そして靖彦は歌い始めた。

Somewhere over the rainbow way up high.

 There’s a land that I heard off

 Once in a lullaby….

 

部屋の中に靖彦の美しくそして力強いテノールの歌声が響き渡った

Over the rainbowか・・・」

 雅人は靖彦の歌声にじっと聞き入っていた。愛子は相変わらず無表情でまっすぐ前を向いたまま座っていた。

 靖彦が歌い終わると部屋の中は静寂に包まれた。

「これは愛子が好きだった歌です」

「アメリカの歌だね?」

 恭子が聞いた。

「オズの魔法使いというミュージカルの中で主人公が歌う歌です。私はアメリカ文学を研究するつもりだったので戦争の前は半年間アメリカに行っていましたが、その時に覚えました。私が家に帰ると愛子はいつもこの歌を歌ってくれとせがんでいました」

「愛子ちゃんたら・・・そんなに大好きな歌なのに、まるで、そんなこと関係ないって顔で・・・」

 恭子は無表情の愛子を見ながら悲しそうに言った。

「靖ちゃんもう一度歌ってみてよ」

「わかりました」

 それから靖彦はOver the rainbowを2回歌った。

 歌い終わる直前、恭子が愛子の変化に気が付いた。

「ちょっと!愛子ちゃんの口元!」

 愛子がほんの少し唇を動かしていたのだ。

「靖ちゃん!もう一回!もう一回歌ってみて!早く」

 恭子にせかされて靖彦はもう一度歌った。しかし愛子は今度は無表情のままだった。

「やっぱりだめかねー。さっき口元が動いたような気がしたけど」

「いや、俺も見ました。確かに愛子ちゃんの唇が動いていました」

「愛子は何かを感じているのだろう。恭子おばさん。きっと愛子は元に戻ります。それまで愛子のことをよろしくお願いします」

 靖彦は恭子に頭を下げた。

 

 その日の夜中、雅人がふと目を覚ますと庭に人の気配を感じた。雅人はゆっくり体を起こすと庭を見回した。

「長瀬少尉・・・」

「君か・・・」

 靖彦は雅人を見つけるとちょっと振り返り、再び月を見上げていた。

「眠れないのですか?」

「ああ」

 雅人は意を決して靖彦に聞いた。

「少尉は前線に向かう予定はあるのですか?」

 靖彦は振り向かず、月を見たまま答えた。

「私は神雷桜花特別攻撃隊に志願した」

「・・・」

「顔色を変えぬところを見ると君はすでに知っているようだな」

 雅人のほうに振り返った靖彦は皮肉をこめた笑みを浮かべて言った。

 

 桜花は太平洋戦争末期に日本軍が開発した人間ロケット爆弾である。零戦による特攻は一定の効果が得られていたが搭載できる火力には限界があり、また、敵艦に体当たりする前に高射砲で撃ち落とされてしまうことも多かった。

 そこで日本軍は五倍の重量の爆弾を搭載し、ロケットエンジンで音速に近い速度の航空機を完成させ特攻させる作戦を立てたのである。しかしロケットエンジンが機能するのはほんのわずかな時間だけであるため、敵艦の直前まで桜花の機体を、爆撃機である一式陸攻に吊り下げて運搬する必要があった。

 

 雅人は靖彦の前に進みでると顔を見ながら言った。

「あなたはいい。自分の信念にしたがって命を捨てるならそれも自由だ。しかし愛子ちゃんはどうなるんだ?正気を亡くしたまま唯一の身内であるあなたを失ってこれからどうやって生きて行くんだ?」

「愛子も軍人の家族だ。覚悟はできているはずだ」

「勝手なことを言うな!目の前でお母さんをなくして正気をなくしてしまった彼女にさらに追い打ちをかけるというのか?さっきあなたが歌ったover the rainbowを聞いていた時の愛子ちゃんを見たか?口を動かして歌おうとしていた。愛子ちゃんの傷ついた心も少しずつ回復してきているんだ。そこにあなたの戦死の報告が届いたらまた元に戻ってしまうじゃないか!」

 靖彦はまくし立てる雅人をじっと見つめてから言った。

「・・・あの歌のタイトルをover the rainbowと知っている人間はほとんどいない」

 雅人ははっとして靖彦から顔をそむけた。

「君は何者だ?最初から普通の民間人ではないことはわかっていた。何か軍の特殊任務に就いているのだろうと思ったので何も聞かなかったが・・・」

 雅人は自分をじっと見つめる靖彦の視線を感じながら困惑した表情で横を向いていたが、意を決したように靖彦の目を見つめて言った。

「あなたに見せたいものがある。着替えてついてきてほしい」

 

【ドロシーとの出会い】

 二人は真っ暗な夜道を電燈の灯りを頼りに進んでいった。山道に差し掛かった時、靖彦が口を開いた。

「もうここまでくれば誰も聞いているものはいない。君の任務と所属を教えてくれてもよいだろう?」

 雅人はふと立ち止まり、靖彦のほうに向きなおって答えた。

「日本は戦争に負ける」

 靖彦は一瞬立ち止まると、「ふっ」とちいさく息を吐き、軽く笑みを浮かべながら言った。

「そうだな・・・」

「怒らないのか?」

「日本にはもう戦う力がほとんど残っていないことは軍人ならだれもが知っている。口にしないだけだ」

「じゃあなぜ特攻に?」

「私が軍人だからだ。負けるとわかっていても最後まで戦わなくてはならないこともある」

 それを聞いて雅人は再び前を向いて歩きだした。二人が池の隣の山の中腹にある空き地に到着した時、雅人はつぶやき始めた。

「6月25日、連合軍による沖縄占領が完了。7月17日、ポツダムでの連合国による戦後処理会談開始。8月6日、広島に新型の原子爆弾投下。市民の犠牲者14万人以上。8月8日ソ連の宣戦布告。8月9日、長崎に原子爆弾投下。市民の犠牲者7万人以上。8月15日。天皇肉声の玉音放送による戦争終結の宣言。ポツダム宣言の受け入れによる日本の無条件降伏・・・・」

 その時突然、靖彦が軍刀を抜き、声を上げた。

「貴様!何者だ!」

「長瀬少尉、刀を収めてほしい。俺が今述べたのはこれから日本に起こる歴史的事実だ。俺は・・・この時代の人間ではない。100年先の未来からやってきた」

「いい加減なことを言うな!」

 軍刀をかざしながら睨みつける靖彦に対して雅人はゆっくりと言った。

「もちろんこんな話を信じてもらえると思っているわけではない。だからあなたにここに来ていただいた。俺が未来からやってきたという証拠をお見せしよう」

「証拠?」

「ドロシー!出てきてくれ!」

 雅人は腕に装着した端末に向かって叫んだ。その次の瞬間、池の中央で渦が巻き起こり明るい光が盛り上がった。そしてドロシーの機体が池の水をはねのけて長瀬の目の前に現れた。ドロシーは池から水平にゆっくりと移動すると二人の目の前にゆっくりと垂直に着陸した。

 驚愕のあまり大きく目を開いたまま言葉を失っている靖彦に向かって雅人が言った。

「俺と一緒に100年後の未来からやってきたドロシーです」

「こ・・これは・・・戦闘機なのか・・・」

「F205型ステルス戦闘機。俺たちの世界でも最新型だ」

「信じられん・・・」

 雅人はドロシーに向かって言った。

「ドロシー、載せてくれ。長瀬少尉も一緒だ」

<了解しました。マサト>

 コックピットの下から二つの座席が降りてきた。

「さあ、長瀬少尉、御一緒に」

「わたしがこの機に・・・」

 靖彦は戸惑いながら後部の座席に座った。

 二人がコックピットに収容されると計器が次々と点灯した。困惑して周囲を見回す長瀬に向かってドロシーが言った。

<始めまして長瀬少尉。私はドロシーです>

「ど・・・どこにいる?」

「ドロシーはこの機に搭載された電子頭脳だ。人間によって作られた人工知能。いわばロボットです」

<長瀬少尉。シートベルトを装着してください>

「・・・こ・・・これを・・・」

 長瀬はぎこちなくシートベルトを装着した。

「少尉、準備はいいですか?では離陸する」

「ま・・待て!ここには滑走路が・・・・」

「そんなものはいらない」

 雅人は笑みを浮かべて、そう言いながら一気に垂直にドロシーの機体を上昇させた。そして機体を45度起こすと全速で天空に向かっていった。

「すこしGがかかりますよ」

「・・・・」

 座席に押さえつけられるような加速度を感じながら靖彦はひきつった表情で周囲を見回していた。

 上空から見た町は月明かりの中で、ところどころ淡い光が灯っていた。雅人は雲の上に出ると巡航飛行に入った。

 約5分後、雅人は速度を落とし、ゆっくりと降下していった。

「長瀬少尉。あれを・・・」

靖彦の視線の先に見えたものは・・・

「富士山・・・か・・・!」

そこには月明かりに薄く輝く雪を乗せた富士があった。

「まさか!信じられん!離陸してから5分しかたっていない!」

「ドロシーの巡航速度はマッハ3.5。音速の3.5倍だ」

「音速の3.5倍だと!!」

「ドロシーから見ればこの時代の戦闘機は止まっているようなものだ」

 雅人はそう言いながら操縦かんを握りしめた。

「ドロシーの力をお見せしよう」

 雅人はドロシーの機体で宙返り、急速上昇、急速下降、急速停止、旋回、反転などあらゆるアクロバット飛行を行っていった。

「少尉、気分は大丈夫ですか?」

「だ・・大丈夫だ」

「さすがだ。普通の人ならこれだけのアクロバット飛行にはたえられない」

「これだけの速度と旋回性能があればどんな空中戦でも負けることはない」

「少なくともこの時代ではね」

「この機の武器装備を教えていただきたい」

「6連装の空対空ミサイルが2セット。それに20mm機関砲が2門」

「空対空ミサイルとは?」

「対航空機用の小型ロケット弾です。火力は小さいが発射されるとマッハ2.5で飛行し、相手の航空機を追従して確実に命中する」

「確実に・・・」

「いったんロックオンすれば逃れることは不可能だ」

「この機を量産できる技術があれば・・・どんな戦争にも負けないだろう」

「そうだろうね。でもドロシーの性能はこれだけじゃない」

雅人は機首を上げると急上昇を始めた。

「高度1万・・・・1万5千・・・2万・・・」

 長瀬は加速度に耐えながらじっと正面を向いていた。

「高度10万メートル。成層圏の終わり。ここは・・・宇宙の入り口」

 長瀬の視線の先にあったものは・・・

「これが・・・地球か・・・」

 真っ黒な宇宙空間を背景に地平線のまるい輪郭が青白くぼんやりと輝いていた。地球の夜側はほとんどが真っ暗であったが雲の下の稲妻がところどころで光っていた。

「歴史上は人間で宇宙空間から初めて地球を見たのは1961年ソ連のガガーリンという軍人です。あなたはその15年も前に宇宙から地球の姿を見たことになる。あの明るい方向が太陽の光だ」

雅人は光の方向に高速で向かっていった。

真黒な星空の中に太陽の光が出現し、靖彦の目の前には白い雲に覆われた真っ青な地球が現れた。

「美しい・・・地球とはこんなに美しかったのか」

靖彦は思わずつぶやいた。

「この美しい星で多くの人間たちが殺し合いをしている。何と愚かな・・・」

雅人も無言で美しい地球を見つめていた。そして靖彦が聞いた。

「この機の動力はジェット推進だと推測するが、どうして空気のない宇宙空間を移動できる?」

それを聞いた雅人は苦笑して答えた。

「あなたらしい質問だ。目の前に見えているものに対する感動ではなく理屈のほうを先に考えてしまう。理由は簡単。ドロシーに搭載されているエンジンは・・・ジェットエンジンではない」

「というと?」

「ドロシーの推進力は原子力ロケットエンジンだ」

「原子力ロケットエンジン・・・」

「そう。核力を利用した熱でロケット噴射を行い推進力を得る。だから空気がなくても機能する。宇宙空間だけでなく水中でも推進が可能だ」

「100年後には・・・このような航空機が量産されているのか?」

「ドロシーと同じタイプは数十機生産されている」

「私もあと100年遅く生まれればそのような世界を見ることができたのか・・・。100年後の空中戦は私の想像を超えたものだろうな」

雅人はしばらく間をおいて答えた。

100年後は戦闘機同士の空中戦はすでになくなっている。100年後の戦争は・・・ボタン一つで終わってしまう。私の住んでいた世界では世界中に核ミサイルが飛び交い、世界中のほとんどの人間が死に絶え、地上は放射能に包まれてすでに住めるところはなくなってしまった。100年後の生き残った人間は地下に住んでいる」

「・・・今も未来も人間というのはおろかなものなのだな・・・」

靖彦はもう一度青く輝く地球を見つめた。

「宇宙から見る地球は・・・言葉に言い尽くせないほどに美しく神秘的だ。この景色を愛子にも見せてやりたい」

 

第2章(2/2) に続く

 

2014年9月11日 (木)

「虹の彼方のオズ」第1章(2/2)

【東京上空】

 どれだけの時間が経過したのだろうか?

雅人は真っ暗な空間の中で目を覚ました。

「どうしたんだ・・・。ここはどこだ・・・ドロシー!大丈夫か!」

 雅人が叫ぶとコックピットの計器の明かりが順番に点灯していった。

<マサト。機能回復しました>

「ここはどこだ?あの光の渦はどうなった?」

<地上からの高度120Km。地球の周回軌道上にいるようですが正確な位置は・・特定できません>

「位置が特定できない?GPSの故障か?」

<いえ、私の機能の異常ではなく、衛星そのものが感知できないのです>

「なんだって!そんなばかな。すべての衛星が一度に消えるなんてありえない!シールドを開けてくれ」

<了解しました>

 雅人の目の前に明るい満月が見えた。

「あの光の渦は消えている」

<私もプラズマ流や磁気を感知しません>

「いったい何が起こったんだ?司令部との通信回路も切れているぞ」

<司令部の誘導電波を感知できません>

「なに!?」

<私たちは完全に周りから孤立した状態のようです>

「とにかく・・・地上に戻ろう。GPSが機能しないのなら目視で着陸するしかないな。ドロシー、損傷個所を報告してくれ」

<耐熱パネルが数枚破損しています。しかし原子炉は正常に機能しています>

「耐熱パネルが破損?じゃあかなり減速しないと大気圏に再突入はできないな」

 前述したように地球の周回軌道を回っている物体はマッハ20以上の速度で飛行していることになる。そのまま大気圏に突入すれば高熱が発生し、機体は燃え尽きてしまう。そのため耐熱パネルなどで断熱するわけだが、耐熱パネルが破損していればそこから温度が上昇し、機体は燃え尽きてしまう。

スペースシャトルのコロンビア号の帰還時の爆発事故は耐熱パネルの損傷によるものである。耐熱パネルが破損した機体が安全に帰還するためには大気圏に突入する前に十分に減速することが不可欠なのである。

 ドロシーは原子力ロケットエンジンで駆動している。一般的な化学ロケットエンジンに対して燃料が軽量であるため大量の燃料を装備することが可能で、大気圏脱出で大量の燃料を使用しても帰還時にもさらに燃料の確保が可能である。化学燃料を使用している場合は大掛かりな発射装置が必要となり、それでもたいていの場合は大気圏再突入時の減速のための燃料は残すことができず、耐熱パネルなどによる保護が必須となるのである。

「よし、じゃあ大気圏に突入する。日本の位置はなんとなくわかるが・・もう夜中になっているようだ。俺たちは何時間気を失っていたのだろうか・・・。東京は雲で見えないな。ドロシー。逆噴射によるブレーキ制御を頼む」

<了解しました>

 

 無事に減速して安全に大気圏に突入した雅人とドロシーは雲をかいくぐって東京上空に到達した。

「このあたりが東京湾のはずだが・・・地上に灯りがなければ何もわからないな。核戦争前はきれいな光でデコレートされていたのに・・・」

<マサト、3時の方向に明かりが見えます>

「よし、行ってみよう」

雅人は灯りの見える方向に旋回した。

「こ・・・これは・・・なんだ!」

 光に近づいた雅人は眼下に繰り広げられている光景に我を失った。

 そこでは大型の航空機が爆弾を投下し、地上は炎と黒煙で包まれているのだ。

<あの機体は・・・1944年に増産されたアメリカ軍のB29爆撃機です>

「B29!!馬鹿な!なぜ今頃B29が東京を爆撃している!」

<爆撃目標は地形から東京の下町のようです>

「東京の下町は核ミサイルが直撃して何も残っていないはずだ!」

<しかし現在多くの民家が燃焼しているのが確認できます>

「馬鹿げている・・・俺たちはまだ夢を見ているのだろうか」

<無線を傍受しました。やはりアメリカのB29爆撃機です。東京を空襲していることを報告しています>

「東京空襲は1945年だ!100年も昔のできごとだ!」

<受信できるデータを総合して判断すると・・・今は1945310日午前245分です>

「なんだって!」

<私たちは100年前にタイムスリップしてしまったようです>

「タイムスリップ・・・」

<今は太平洋戦争末期、310日の東京大空襲の日のようです。太陽風のプラズマの渦が時間の裂け目を作って我々はそこにはまり込んだのかもしれません>

「なんてことだ・・・GPS衛星や司令部とコンタクトが取れないのはそのためなのか・・・」

 雅人は、はるか下の燃え盛る東京の町を見やった。

 一面の明るい炎の中から黒煙が立ち上がり、黒煙の中に焼夷弾を落とし続けるB29の編隊が見え隠れしている。

「この野郎!どれだけ落とせば気が済むんだ!」

 故郷を爆撃され怒りに震える雅人は右手の操縦かんを握りしめて下方に見えるB29編隊の迎撃に向かおうとした。

<待ってください!マサト!>

「なんだドロシー?なぜ止める!」

<マサトはこの時代の人間ではありません。マサトがアクションを起こせば歴史に狂いが生じます。状況を把握できるまで我々はこの時代では極力傍観者でいるべきです>

「じゃあこのまま東京が火の海になるのを見ていろというのか!」

<それが歴史です。1945310日東京はB29空襲により10万人以上の死者を出すことになります>

 

 この年の1月にマニラ、サイパンの米軍基地に着任した新しい司令官カーチス=ルメイはそれまでの方針を大きく変換した。すなわち軍事拠点のみに対するピンポイント爆撃を中止し、一般市民を対象とした無差別爆撃に切り替えたのである。それまで1万メートルの高度から投下していた爆弾に代わって2000-3000mの高度から投下する焼夷弾が採用された。木造を中心とした日本の家屋に対する効果を期待しての変更である。

 そして1945310日の東京空襲こそがその作戦の第一歩だったのである。

 

「このまま何もせずに見ていろというのか・・・あんなノロい大型の爆撃機などあっという間に全機撃ち落すことができるのに・・・」

<空襲の時間はまもなく終了するはずです。3月10日の東京空襲で飛来したB29344機。すでにほとんどが帰路についており、東京の下町はほとんどが火災のために消失しています>

「日本の高射砲や迎撃機などで撃ち落としたB29は何機だ?」

<記録では9機です>

「たった・・・9機・・・」

<この時期の日本は制空権を完全に奪われ、迎撃用の戦闘機の数も限られているのです>

「資料では知っていたが・・ひどいものだな。こんな状態でもまだ戦争を続けようとしているのか・・」

<戦争が終結するのは今から5か月後です>

「5か月・・・その間に何十万人の人間が意味もなく死んでいったのだろうか?」

 

【焼け跡にて】

 やがて爆撃を終えたB29の編隊は帰路についた。真下には一面炎と煙に包まれた東京の町が残されていた。

「あそこには何万人という焼け焦げになった人たちが・・・そして今現在うめきながら最後を迎えようとしている人たちがいる。俺にはどうすることもできないのか・・・」

 雅人はくやしそうに右手の操縦桿を握り締めた。

「ドロシー、時間の裂け目といったな。元の時代に帰る方法はあるのか?」

<同じ時間の裂け目に飛び込めば戻れる可能性はゼロではありませんが・・・>

「よし、それにかけてみよう。俺たちがここにいる意味はない。太陽風の渦があった場所に戻ってみよう」

<了解しました>

 雅人とドロシーは再び宇宙空間に飛び出した。

 

<この付近が・・・プラズマ濃度が上昇していた空間だと思います>

「何か異常は感じるか?」

<いいえ。通常の宇宙空間です。異常な磁気反応は消失しています>

「じゃあ、俺たちはもう帰れないってことか・・・」

<多分我々は時間の裂け目に飛び込んで、どこかの地点で放り出されたのだと思います>

「すると俺たちはこれから大戦末期のこの世界で暮らしていくしかないってことか。しかも周囲にできるだけ影響を与えずに・・」

<論理的に考察するとそうなります>

 

 雅人とドロシーが再び東京上空に戻ってきたときはすでに午前4時を回っていた。黒煙は相変わらず視野を遮っていたが、炎はほとんど落ち着き、熱気は感じられなくなっていた。

「ドロシー、降りてみよう」

<危険です。この時代の人間とは極力接触しないほうが・・・>

「大丈夫だ。あそこにいるのは死体ばかりだ。俺たちを見つける奴なんていない」

 

 ドロシーは真っ暗な焼け跡に垂直着陸した。曇と黒煙のため星一つ見えない暗黒の空であったが地上にはところどころ焼け残りの炎がちらついている。

 雅人は地上にゆっくりと降り立った。木材の焦げた匂いに交じって肉の焦げたような匂いが鼻につく。

「ひどいな・・・」

 雅人はライトをつけてあたりを見回し、思わず目を背けた。そこには黒こげになった死体が数えきれないほど横たわっていた。あるものは手足を伸ばしたまま、あるものは子供を背負ったまま、そしてあるものは手足の形も失われ、くすんだ煙を上げながら真っ黒に固まっている。彼らはほんの1-2時間前までは普通に生活していた人間なのだ。

 そしてその光景は雅人がどこまで歩いて行っても全く変化がなく延々と続くのであった。

「これが東京大空襲か・・・10万人が焼け死んだという・・・」

 ふと脇に目をやった雅人は焼けていない人影を発見した。小学生くらいの女の子が地上にうつぶせに倒れこんでいる。雅人は駆け寄って抱き起こすとその額に触った。

「生きている!この子はまだ生きているぞ!」

 全身がぬれて冷たくなってはいるが頭部にはぬくもりがあり、しっかりと呼吸もしている。雅人は横にあった防火用水を目にした。

「この中にいて助かったのか。おい!きみ!大丈夫か!」

 雅人は体をゆすって声をかけるが返答はない。

「このままにしておくわけにはいかない」

 雅人は女の子を抱きかかえるとドロシーに向かって走りだした。

「ドロシー!」

 下に降りてきた座席に雅人は女の子を抱きかかえたまま乗り込んだ。

「ドロシー!まだ生きている!体がぬれて冷たくなっている。急速温風乾燥だ!」

 雅人は女の子を後部座席に座らせた。

<了解しました>

 そして後部座席には温風が吹き付けられた。

「服を脱がせるよりこのままのほうが早く温まりそうだ」

<マサト。この子はこの時代の人間です。接触は好ましくありません>

「だからってほっとけるか!ほっとけば死んじまうぞ!」

<それがこの子の運命なのかもしれません>

「運命で死なせてたまるか!助けるんだ!」

<了解しました。マサト、その子の右のポケットに何か入っています>

「なんだ・・・この布は・・・」

 雅人が少女のポケットから白い布を取り出すと・・・

「長瀬愛子・・・愛子ちゃんか・・・叔母、坂崎恭子・・・住所が書いてある。ここに連れて行ってくれということだろうか。ドロシー。とにかくこの近くまで行ってくれ」

 

 雅人はドロシーを小山の中腹にある平坦な土地に止めて愛子を介抱していた。

 数時間後、愛子は意識を取り戻した。

「気が付いたかい?」

 雅人は前の座席から後ろを向いて声をかけた。

「さあ、これを飲むといい」

 雅人がスポーツドリンクを愛子に差し出すと愛子はそれを一気に飲み干した。

「かわいそうに、よっぽどのどが渇いていたんだな。こんなものしかないけど・・・」

 圧縮された固形食糧を手にした愛子は少しずつ食べた。愛子は食べ終わると一言も発せずにじっと前を見つめていた。

「俺は菅原雅人。君は長瀬愛子ちゃんっていうんだね?こんなところでびっくりしたかい?」

 しかし愛子は雅人の言葉には全く無関心のように無言でじっと前を見つめていた。

「どうした?どこかつらいのか?」

 何を話しかけても愛子はじっと前を向いたまま動かない。

 そのときドロシーが言った。

<マサト。この子は解離性障害を発症しているものと思います>

「解離性障害?」

<強い精神的ストレスによって精神が耐え切れなくなり、肉体から解離してしまったのです。食べる寝るなどの普通の行動は行えますが、自発的な言語や動作は困難なのだと思います>

「治るのか?」

<多分空襲の光景や一緒にいた母親の死などによって強い精神的ストレスを受けたものと思います。時間がかかるでしょう>

「よわったな・・・」

<叔母のところに届けるしかないでしょう。ここからはそれほど遠くないはずです>

「そうだな。坂崎恭子っていうおばさんの家まで俺がおぶっていくよ」

<私はしばらくそこにある池の中に身を隠します。必要な時は呼んでください>

 

 雅人は愛子をおぶって山道を下って行った。愛子は一言も言葉を発せずじっと前を向いている。そして30分後、雅人は民家にたどりついた。

「地図によるとここか・・・GPSはないが地図だけでも助かるな」

 雅人は左腕に装着した端末に映し出された小さな地図を眺めながらつぶやいた。

 そこは田舎の農家であった。表札には坂崎と書かれている。

「ごめんください」

 雅人があたりを見回しながら声を出すとしばらくして玄関が開いた。

「はい、どなた?・・・・・愛子ちゃん!」

 50過ぎと思われる、もんぺ姿の女性は雅人の背中の愛子に気が付くと愛子の髪を撫でて頬ずりした。

「愛子ちゃん・・無事だったんだねー・・・。下町一帯が空襲にあったって聞いたから心配していたんだよ」

 恭子は涙を流しながら愛子の髪をなでていた。

「坂崎恭子さんですか?」

「ええ」

 恭子は愛子から離れると雅人に向かって頭を下げた。

「よかった。愛子ちゃんが空襲の焼けあとで倒れていたので・・・。ここの住所が書いてあったので連れてきたのです」

 雅人はポケットから愛子が持っていた布を見せながら言った。

「これは姉さんの字だ・・・。そうだ・・姉さんは?」

 恭子は心配そうなまざしで雅人を見つめた。

「残念ですが多分・・・」

 雅人の表情からすべてを悟った恭子はその場で泣き崩れた。

「姉さん・・・かわいそうに・・・」

 雅人は背中の愛子を下におろした。愛子はじっと恭子を見つめたまま立っていた。

「愛子ちゃん。大変だったね。お母さんだめだったのね」

 愛子は無表情で恭子を見つめていた。

「どうしたの?」

「坂崎さん、実は愛子ちゃんは衝撃で自分を見失っているようなのです」

「え?」

「歩いたり食べたりすることはできるのですが・・・自分から言葉を話したり、返事したりすることができないのです」

「かわいそうに・・・よっぽどつらい目にあったんだね・・・」

 恭子は涙を流しながら愛子を抱きしめたが、愛子はやはり無表情で前をじっと見つめているだけだった。

「もう大丈夫だからね。おばちゃんが面倒見たげるから・・・」

「お願いします。坂崎さん」

 雅人は頭を下げた。

「あんたは?」

「俺は・・菅原雅人といいます」

「あんたも空襲で焼け出されたのかい?」

「え・・まあ・・」

 雅人はちょっと口ごもって答えた。

「ご家族は?」

「いえ・・」

 雅人は首を横に振った。

「そう・・・あんたも・・・じゃあここにいたらいいさ」

「え?」

「行くとこないんだろ?愛子ちゃんを連れてきてくれたんだから悪い人じゃなさそうだし、田んぼや畑はあるからとりあえず食うもんはなんとかなるから。それにちょうど今から忙しいから男手がほしかったんだよ」

「坂崎さんのご家族は?」

「二人の息子はサイパンで戦死。旦那は過労がたたってこの冬に逝っちまったよ」

 恭子は寂しそうに答えた。

「そうですか・・・」

「だからうちもあんたがいてくれると助かるんだ。今からは田植えやなんやらで忙しいんだよ。頼むからしばらくだけでもここにいておくれよ」

 頭を下げる恭子に雅人もうなずいた。

「じゃあ・・・お言葉に甘えて、しばらく御厄介になります」

「よかったよかった。さあ入って入って・・ほら、愛子ちゃんも。雅人さんって言ったっけ、父ちゃんの国民服があるからその変な作業服を着替えたらいいよ」

 こうして雅人は愛子とともに坂崎恭子の家に居候することになった。

 

戦局も押し詰まった昭和20年の3月は日本国民全員が飢えと貧困にあえいでいた。

「ほしがりません勝つまでは」を合言葉に国民全員が贅沢を控え、我慢の生活をしていた。中でも食料品は極端に不足していたが、自給ができる農家は比較的安定した食生活が送れ、周囲から衣類や日用品を持ってきてコメや野菜などとの交換を希望する者が多かった。もちろん人知れず畑の産物をかすめていくものも多く、彼らを威嚇する意味でも男手は貴重であった。

 雅人と愛子は食事と住居はひとまず確保することができ、恭子は雅人という労働力を得たことになる。

第2章(1/2) に続く

 

 

2014年9月10日 (水)

「虹の彼方のオズ」第1章(1/2)

 集団的自衛権、慰安婦問題、終戦記念日など戦争の話題が紙面をにぎわす今日この頃ですが、戦争をテーマにした長編小説を書いてみました。といっても歴史小説ではなく、私の好きなタイムトラベルSFです。

 昭和20年の東京大空襲の日に100年先の未来から最新鋭戦闘機ごとタイムスリップしてしまった男のお話です。彼の名は菅原雅人23歳。彼が太平洋戦争末期の日本の歴史に苦悩し、歴史とのかかわりの中で最後に、与えられた使命に気づくというストーリーになっています。

 AI(Artificial Intelligence)が組み込まれた最新鋭戦闘機はドロシーと命名し、ストーリーの一部は「オズの魔法使い」をモチーフとしました。

 

「虹の彼方のオズ」

 

プロローグ:東京大空襲

 

 昭和20年(1945年)3月10日 午前1時

 

「愛子!起きて!」

 母親の声に11歳の愛子はハッと目をさました。

「愛子!早く!」

 ただならぬ母親の叫び声を聞いた愛子は布団をはねのけて起き上がった。

「母ちゃん、どうしたの?」

「空襲だよ!早く!防空頭巾をかぶって!逃げるんだよ!」

 愛子は枕元の防空頭巾を手に取ると不安な気持ちのまま、すばやく頭にかぶった。

「B29が爆弾を落として東のほうが火の海になっているから、すぐここから逃げるんだよ」

 愛子が窓の向こうを見やると真夜中にもかかわらず明るい光が見え隠れし、人々の叫び声がただならぬ雰囲気を感じさせた。

「こわいよ。母ちゃん」

 愛子はぶるぶる震えながら母親の腕にしがみついた。

「さあ!じきにここにも火が回ってくるよ!出るんだ!」

 そして母親は手に持った布を愛子のポケットに入れながら言った。

「いいかい、ここに愛子の名前といなかの恭子おばさんの住所が書いてある。もしも・・・もしも母ちゃんと離れ離れになったら誰かにこれを見せていなかの恭子おばさんのところに連れていってもらうんだよ。母ちゃんも必ず・・・必ずあとから行くから」

「いや!愛子お母ちゃんと一緒にいる!」

 愛子は母親の右腕にしっかりとしがみついた。

「わかったわかった。母ちゃんはどこにもいかないから・・・。でも、もしも母ちゃんがわからなくなったら必ず恭子おばさんのところに行くんだよ!」

 愛子は無言で小さくうなずいた。

 

 愛子が外に出ると真夜中にもかかわらず東の空は真っ赤に染まっていた。あたりは悲鳴をあげながら逃げ惑う人の群れでごった返し、まるで大きな濁流が流れてくるようだった。

「今日の空襲はいつもと違うから・・・防空壕じゃなくて川のほうに逃げるんだ」

 母親は愛子の手を引っ張ると人の流れに合流して明るい東の空と反対側に走って行った。赤くよどんだ空を見上げると、B29の編隊が手を伸ばせば届きそうな高さで不気味なエンジン音を響かせながら飛んでいた。そしてマッチ箱からこぼれるマッチのように無数の焼夷弾(しょういだん)が落とされていった。

 愛子は母親の右手をしっかりと握り、一生懸命についていった。「今この手を放したら一生母親と会うことができない」そんな恐怖に駆られた思いで母親の手を必死に握っていた。

 周りには愛子と同じ幼い子供の手を引く母親、頭を抱えながら必死に逃げ惑う人々、数珠を両手に抱きながら懸命に走る老婆、誰もかれも何も持たずに赤い空と反対の方向を目指して必死で駆けていた。

「母ちゃん!母ちゃん!怖いよ!怖いよ!」

 愛子は必死で母親の手を握りしめながら走った。とにかく走った。ここで母親と離れたら自分は死ぬのだ。そんな思いを胸に抱いて必死に走った。

「愛子!母ちゃんの手を放すんじゃないよ!しっかり握ってるんだよ!」

 母親は右手の感触を確かめながら一目散に隅田川を目指して走っていた。

 その時ヒューという音に続いて、突然右側でドーンという爆発音が響いた。

 その瞬間、母親と愛子は爆風で左側に飛ばされ、地面にたたき伏せられた。

「愛子!大丈夫か!」

 母親は倒れた愛子の身体を支えあげると顔を見て叫んだ。

「・・・うん・・・」

 さっきまで愛子たちがいた場所には真っ赤な炎が立ち上っていた。そしてその周りでは数名の人々が炎に包まれて転げまわっている。

「熱いよ!熱いよ!」

「お助けー!お助けー!」

 地獄絵図のような光景を目の当たりにした愛子たちは一瞬体をこわばらせたが、すぐに立ち上がると再び一目散に走り始めた。

 体の周りには火の粉が飛び交い、愛子は手で払いながら必死に走った。両手は火傷だらけになっていたが、愛子には熱いと感じている余裕もなかった。

そして再びドーンという大きな音とともに目の前が真っ赤に燃え上がった。進路をふさがれた二人は必死で回りを見回した。そして母親は愛子の手を引いた。

「愛子!この中に入りなさい!」

 母親は道路わきに設置されていた防火用水のふたを開けると愛子を抱き上げて中に入れた。それは愛子一人がやっと入ることができるくらいの小さな防火用水であった。

 3月の水はまだ冷たかったが愛子には冷たいと感じている余裕もなかった。

「いや!母ちゃんと一緒にいる!」

 母親は抱き付こうとする愛子の手を放すと言い聞かせるようにゆっくりといった。

「いいかい、母ちゃんはあの火の向こうの隅田川のほうに走っていくから・・・。いや、お前はいっしょに行けない。火が収まるまでこの中でふたを閉めてじっとしているんだ。母ちゃんは後で必ず迎えに来るから・・・・」

 涙を流しながら愛子に諭すように話しかける母親に愛子は思わず抱きついて叫んだ。

「母ちゃん!」

 母親は涙をぬぐって愛子の手を離すと、背中を向けて火のほうに走り出した。その時、爆発音とともに母親の体に大きな炎が降りかかった。

 母親の体はあっという間に炎に包まれ、悶えながら愛子のほうを向いて叫んでいたが愛子にはその言葉を聞き取ることはできなかった。

「母ちゃん!母ちゃん!」

 愛子は泣きながら、人間の形のまま燃えていく母親を見つめていたが、周囲の熱気に耐えられなくなり防火用水のふたを閉めて水の中に首までつかった。隙間からは明るい炎が水面を照らしていた。

 そしていつしか愛子はそのまま気を失っていった。

 

第1章:メガロポリス=トウキョウ

 

【核戦争後の世界】

100年後・・・

 2045年3月10日午後4時

 

「菅原雅人三尉参りました」

 菅原雅人は司令室に入ると正面に向かって敬礼した。

「ご苦労。緊急の任務だ」

「はっ」

 薄いブルーの飛行服を着込んだ雅人は敬礼から直ると両手を腰の後ろに回した。175cm64Kgとやや細身だが筋肉質の体を直立させた。髪は短めに刈り上げられており、意志の強そうな、それでいて優しさを感じさせる瞳は司令官を直視していた。

「君も知ってのとおり1週間前から太陽の活動が活発化している。我々が住んでいる地下には直接の影響はまだないようだが・・・」

 司令官は体を起こすと前かがみになって続けた。

「ところが3時間前から異常な磁気反応が検出されるようになった。ちょうど太陽から反対側、地上から124Km付近だ。強い磁気のために衛星からの情報はほとんど解析できない。そこで君とドロシーにそこに行ってもらい、直接観測をしてほしいのだ」

「私とドロシーが・・」

「そうだ。ドロシーは現在我が国が保有する唯一の成層圏外飛行が可能な戦闘機だ。この任務を遂行できるのは君とドロシーしかいないのだ」

「はっ!」

 

ちょうど1年前・・・20443月。ハルマゲドンとも呼ぶべき核戦争が地球上に勃発した。

事の起こりは単純であった。小国であるC国が1発の核ミサイルを大国であるA国に発射したことによるのである。

それまでC国の軍事拡張に脅威を感じてきた国連各国は経済封鎖などによる制裁を強めていたが、身動きが取れなくなったC国はついに強硬手段に訴えたわけである。

C国は脅しの目的でA国の過疎地に1発の核ミサイルを撃ち込もうとしたのであるが、運悪く近くの大都市に落下してしまい、数万人が犠牲となった。

それに対するA国の反応はすさまじいものであった。C国全土に数10発の核ミサイルが撃ち込まれ、C国は壊滅的な打撃を受けた。もはや立ち直ることができず自暴自棄となったC国は所有するすべての核ミサイルを全世界に向けて放出した。

その結果全世界からの核の報復という結果を引き起こし、その対象はC国だけではなくその支援を行っていたB国にも飛び火し、B国からはさらに他の国家への核攻撃が行われた。ほんの1週間の間に全世界に数百発以上の核ミサイルが飛び交い、地上はすべて放射能に覆われ、焦土と化してしまった。もはや生物が生存できる場所はどこにもなくなっていたのである。

かろうじて生き残った人々は地下に逃げ場を求めた。そして各国家は地下都市を建設し、それぞれ数万人の人間がそこで生活することになったのである。

東京の地下に建設されたメガロポリス=トウキョウは48千人が居住している。皮肉なことに人類が地下に居住したため核兵器は攻撃兵器としてはすでに無力化している。そして各国の軍隊も壊滅的打撃を受けており、残された航空機などの兵力はごくわずかとなっていたのである。

 

 雅人はF205戦闘機の格納庫に向かっていた。

205戦闘機は21世紀初頭のF35を基本に開発された、最新の双座型ステルス戦闘機である。垂直離着陸が可能で、大気圏内での巡航速度はマッハ3.5を記録する。空気抵抗を避け、さらに敵のレーダー探知から逃れるためにその兵器装備は腹側のウエポンベイに格納されている。通常は6連式の空対空ミサイルが2セット装備されるが場合により空対艦ミサイルや地上攻撃用の装備に変更が可能である。さらに主翼の基部には20mm機関砲が2門装備されている。

205がそれまでの戦闘機と根本的に違うのはジェットエンジンではなく、超小型の原子炉を搭載し、原子力ロケットエンジンにより駆動することである。ジェットエンジンは基本的に空気を取り込むことにより推進力を獲得するため空気の薄い成層圏上層では機能を発揮できないが、原子力ロケットエンジンを搭載したことにより空気のない宇宙空間や水中での活動も可能になったのである。

そしてもうひとつの特徴は、人工知能=AI(Artificial Intelligence)が搭載されたことである。コックピットの後方にはナビゲータ用の座席が準備されているが、搭載されたAIがその機能を果たすため通常は一人のパイロットにより飛行や戦闘が可能である。そればかりかAI自体が機体を操縦することができ、無人での飛行も可能である。

 

【ドロシー】

スペーススーツを着用し、ヘルメットを右手に抱えた雅人は地上へ向かうエレベータを降りると格納庫の扉を開け、前方の黒々と輝く機体をじっと見つめた。

「やあ、ドロシー。新しい任務だ」

<こんにちはマサト>

 F205の機体から格納庫全体に女性の声が響き渡った。

「相変わらずお前は美しいな」

 雅人はドロシーと呼んだF205の機体をじっくりと見回しながら言った。

<ありがとう、マサト。でも本当を言うと私はこの黒い体があまり好きではありません>

 ドロシーがちょっと不満そうな声で言った。

「黒が嫌い?じゃあ何色が好きなんだ?」

<私は鮮やかな赤色が好きです>

「赤・・・そりゃあちょっと目立ちすぎだよ。まあ、塗り替えてもらうのは一生無理だな。でも黒も素敵だぞ。さあ、お前の中に入れてくれ」

<・・・了解しました>

 その次の瞬間F205のコックピットの真下の部分が扉のように開き、座席がエスカレータのように降りてきた。雅人がゆっくりと着座すると座席が上昇し、機体の中に吸い込まれた。

 雅人はコックピットの中でヘルメットを着用すると周囲の機器を確認した。F205の操縦桿はサイドスティック方式である。右側のスティック式の操縦桿を右手で、左側のスロットルを左手で操作する。

「ドロシー。今日のご機嫌はいかが?」

<すこぶる快調です。いつでも発進可能です>

「そりゃあよかった。今日は偵察だけだ。さっと終わらせようぜ」

<了解しました。ゲートオープンします>

 格納庫正面のゲートが徐々に開くとそこは真っ暗な闇のトンネルであった。

<ナビゲーションライト点灯します>

 雅人の目の前にまっすぐな光の帯が点灯した。

「ドロシー、発進します!」

 雅人は右手の操縦桿を握りしめると左手でスロットルを開き、滑走路に滑り出した。ドロシーはほんのわずかな時間で暗黒のトンネルを抜けると、どんよりと曇った空に向かって飛び出して行った。

「上昇角度80度。速度マッハ3.0。原子炉パワー75%」

 

 現在23歳の雅人がドロシーのパイロットになったのは4年前、19歳の時である。2040年頃から各国の資源の奪い合いが過熱していた。それでも局地的な小さな小競り合いが起きる程度で、2044年までは本格的な戦争を行っている国家はほとんどなかった。雅人には実戦経験はほとんどなかったが、毎日のようにスクランブルや偵察の任務をドロシーとともにこなしてきた。

雅人にとってドロシーは誰よりも親しい友人であり、家族同然の間柄なのであった。雅人の両親や兄弟が住む東京に核ミサイルが撃ち込まれた時には、彼はドロシーとともに任務に就いており、被爆を免れた。雅人は他の多くの人々がそうであったように、その日を境に天涯孤独の身となり、ドロシーとはより深いきずなで結ばれていったのである。

 10分後、ドロシーは成層圏を飛び出し、宇宙空間に向かっていた。

<高度104Km。速度、秒速7.9Km。地球周回軌道に入ります。目的地まで約30分です。地球から見てほぼ月の方向です>

「ああ・・今日は満月か・・・。地下に住んでいると月の形なんてどうでもいいから意識したこともないが・・・。地球は・・・」

 雅人は眼下の地球をじっと見つめた。核戦争により緑はほとんど消失し、深く青かった海もどんよりと茶色がかっていた。

「人間があの美しかった地球をこんな風に変えてしまったのか・・・なんて愚かな・・・」

 雅人は楽しかった家族との日々を思い出し、寂しげにつぶやいた。

 

 航空機の速度はマッハで表現されることが多い。マッハは音速を基準とした速度の単位である。音速をマッハ1とし、その何倍の速度かを表現する。音速はほぼ時速1200Km(秒速0.34Km)であるのでマッハ3.0ということは時速3600Km(秒速1.02Km)である。

 ドロシーの巡航速度はマッハ3.5であるが、これは大気圏を飛行するときの速度である。空気がある大気圏では速度を上げすぎると空気の摩擦抵抗により熱や抵抗が発生し、機体の安全性が損なわれるため、ドロシーはマッハ3.5以上で飛行することはできない。しかし空気抵抗がない宇宙空間では加速すればいくらでも速度を上げることができるのである。

 ドロシーは現在秒速7.9Km(時速28400Km)で宇宙空間を飛行している。これはマッハ23に相当する。そしてこの速度は第一宇宙速度と呼ばれ、この速度で宇宙空間を飛んでいる物体は空気抵抗がなければこれ以上加速する必要がなく地球の周回軌道を回ることができ、地球を約90分で1周するのである。

 

 雅人とドロシーは満月の方向であるちょうど地球の裏側、すなわち太陽の反対側に到着した。

<マサト。太陽風によるプラズマ濃度が急激に上昇しています。キャノピー(コックピットを覆う風防ガラス)にシールドが必要です>

 プラズマとは物質が強いエネルギーを受け、原子核と電子に分離した状態である。プラズマは電流が流れやすく、磁気の影響を受けやすい状態となっており、人体にも様々な影響を及ぼす。

「待ってくれドロシー。今回は俺の目での確認がまず第一の任務だ。シールドはぎりぎりまで近づいてからだ」

<了解しました。ただし危険レベルに達した時点でシールドします>

 ドロシーと雅人はゆっくりと月の方向に進んでいった。

「あれはなんだ?まるでオーロラみたいだ」

<強い磁気反応を感じます>

 雅人の目の前に光の渦が現れ、そして徐々に大きくなっていった。

「司令部。こちらドロシー。目的地付近に到達しました。高度122Kmの地点に光の渦が見られます。太陽風によるプラズマが集約して渦状になっているようです」

<了解。慎重に観察を続けてくれ。危険を感じたらすぐ離脱するように>

「了解しました。ドロシー、もう少し近づいてみよう」

<マサト、危険です。プラズマ濃度が急激に上昇しています。シールドします>

 そのときドロシーの機体は急に衝撃を受け、光の渦のほうに急激に吸い寄せられていった。

「ドロシー!どうした!コントロールできない!」

<私も・・ガガガ・・・機体を制御・・・ガガ・・・できません。まっすぐに・・・ガガガ・・・・引き寄せられています>

「原子炉出力100%!全力噴射!機体反転!」

<だめです・・・・マサト。コントロール・・・・不能・・・・です。私の・・・・機能が・・・・停止・・・します>

 ドロシーは回転しながら光の渦に吸い込まれていった。

第1章(2/2) に続く

 

 

« 2014年4月 | トップページ | 2020年8月 »

2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ