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2014年9月19日 (金)

「虹の彼方のオズ」第5章(1/2)

第5章:平和

【地球へ】

 雅人はコックピット内で目を覚ました。

「ここは・・・そうだ・・・ドロシーは大気圏に突入して・・・。俺は・・・生きているのか」

 非常灯が点灯し、うす暗いコックピット内では計器類はすべて消灯し一部は破損していた。雅人は手を上に伸ばしてキャノピーのロックを外し、手動で後ろにスライドさせた。

 雅人の目にまぶしい太陽の光が注ぎ込み、波の音が聞こえてきた。雅人が周りを見回すとそこは誰もいない海岸であった。雅人はヘルメットをはずしてスペーススーツを脱いだ。

「海に落ちて流れ着いたようだな・・・俺は生きている。ドロシー、無事か?」

 しかしドロシーの返事はなかった。

 雅人は体を起こして砂浜にゆっくりと飛び降りた。振り返ってドロシーの機体を目にした雅人は息をのんだ。赤いボディーは真黒に焼けこげ、主翼も尾翼も形を成していなかった。機体の前方は大きく破損してそのほとんどが失われ、中がむき出しになっていた。

「よくこれで沈まずに海岸に打ち上げられたものだ・・・」

 雅人は破損した機体の奥にキラッと光る物体を見つけた。手を突っ込んでそれを取り出すとそれは真っ黒に焼け焦げたチップだった。その破片に刻まれていた銀色の文字は・・・

Dorothy・・・」

 雅人はドロシーと書かれたMPUチップを大切そうに両手で握りしめ、胸に押し当てた。

「ドロシー・・・君は・・・こんなにぼろぼろになってまで俺を守ってくれたのか・・・」

 雅人の目からはとめどなく涙が溢れてきた。

「ドロシー・・・ドロシー・・・ありがとう」

 雅人は砂浜に膝をついてドロシーのぼろぼろになった機体を見つめていた。

 

 雅人はドロシーを大切そうに胸のポケットにしまうと周りを見回した。

「ここは・・・日本なのか?待てよ・・・この海岸線は見覚えがある。そうだ。ついさっき愛子ちゃんと別れた海岸だ!ひょっとしてまだ愛子ちゃんが・・・」

 雅人は再び周りを見回した。

「いや、ドロシーが落ちたのは海の上だ。何日もかかってここに漂流してきたのだ。なんと言う偶然だろう?俺はどのくらい気を失っていたのだろうか?」

 雅人は時計を確認したが、大きく破損し、すでに機能を停止していた。

「とにかく人のいるところに出て水を貰おう」

 雅人は海を背にしてゆっくりと歩き始めた。

 砂浜を歩き終わり、道にたどりついた雅人は奇妙なことに気が付いた。道路が舗装してあるのである。

「おかしい・・・昭和25年の日本にこんな舗装道路はないはずだ。ここはどこなんだ?伊豆半島の海岸ではないのか?」

 雅人は道路に沿ってとぼとぼと歩き始めた。周りの樹木の様子は間違いなく日本のように思えるのだが・・・・。

しばらく歩くと前方から車が来るのが見えた。

「助かった。人がいるんだ」

 車に向かって手を振っていた雅人は突然はっと手を止めた。

「なんだ!あの車は!」

 その車の外見は雅人がいた時代、2040年代のデザインなのであった。

「どうしましたか?」

 車は雅人の前で止まると中から60代くらいの紳士が声をかけた。

「この服装は・・・」

 彼が身にまとっているものも昭和25年代のものではない。

「事故でもあったのですか?」

「いや・・・え?・・はい、事故で・・・」

「それは大変でしょう。どうぞ乗ってください。けがはないのですか?」

 紳士は助手席のドアを開けると雅人を手招きした。

「すみません、助かります。あの・・水が飲みたいのですが・・・」

「じゃあこれを・・・」

 紳士は車の中においてあった350mlのペットボトルの水を差し出した。雅人は一気に飲み干してはっとした。

「これも・・・昭和じゃない・・・」

 雅人は隣の紳士の顔を見て問いかけた。

「すみません!今は西暦何年何月ですか?」

「え?西暦・・・2045年3月13日だと思いますが・・・なにか?」

「2045年!」

 雅人が弾道ミサイルの迎撃に向かったのは1950年だ。それから95年の歳月が経過していることにある。

「どうして・・・どうしてこんなことに・・・」

「大丈夫ですか?頭を打ったのでしょうか?病院に行きましょう」

 紳士は心配そうに雅人の顔を覗き込むと車を走らせた。

「ここは・・日本ですか?」

 雅人の質問に紳士は微笑みながら答えた。

「ええ、そうですよ。日本の静岡県、伊豆半島です。あなたのお名前は?」

「菅原・・・雅人・・・」

「菅原さんですか。私は岡田総司といいます。30分くらいで病院がありますから・・・もう少し辛抱してください」

「すみません・・・」

 雅人は混乱した頭で考えた。また自分はタイムスリップしたのだ。しかしいつ?

 ―寝ている間に95年の年月が過ぎ去った?そんな馬鹿な。俺の体は年を取っていない。きっと大気圏に突入した時だ。あの時プラズマがドロシーの機体を覆い、ドロシーが強い電磁場を発生させた。その時に時間の割れ目ができてまたこの世界に・・・そうだ!

「か・・核戦争は!起こったのですか?」

 雅人は突然体を起こすと岡田と名乗る紳士の顔を見つめて真剣な表情で聞いた。

「核戦争?ああ・・・そんなものはありませんよ」

 岡田は、この人は相当頭を打っているな、と思いながら丁寧に答えた。

「核戦争って私が子供のころのSF小説でよく読みましたね。でも今は核兵器そのものが廃絶されてしまいましたから、もう起りようがありませんね」

「核兵器が廃絶!」

「ええ。ノーベル平和賞を取った長瀬愛子博士のご尽力で地球から核兵器がなくなって、もう55年になります」

「長瀬愛子博士!?ノーベル平和賞!?」

「ええ。あなたも日本人なら長瀬愛子博士の名前はご存知でしょう?」

「長瀬愛子というのは・・・あの・・・1933年東京生まれで東京大空襲で母を亡くして戦争で父と兄を亡くした・・・あの長瀬愛子・・・ですか?」

 岡田は、ほう・・という顔でちらっと雅人を見た。

「よくご存じですね。その長瀬愛子博士ですよ」

―愛子ちゃんが・・核兵器を廃絶させた・・・ドロシーの言ったことは本当だったんだ。この世界は核戦争がない新しい世界なのだ。

「お願いです!長瀬愛子のことをもっと教えてください!」

 岡田は真剣な表情で懇願する雅人にちょっと体を後退させて言った。

「わ・・わかりました。じゃあまず病院に行ってから・・・」

「いえ!私は大丈夫です。長瀬愛子のことを教えてください!」

 雅人の真剣な表情を見て岡田は言った。

「わかりました。でも私が話をするより長瀬愛子記念館にいかれたほうがよいでしょう」

「長瀬愛子記念館!」

「はい。ここからすぐですからご案内しましょう」

 岡田は車を右折させて山道を登って行った。

 

【長瀬愛子記念館】

 約10分後、雅人を乗せた車は森の中にポツンと建っているこじんまりした建物の前に到着した。

「さあ、ここです」

 雅人は車を降りて周りを見回した。周りの木々からは暖かい木漏れ日が差し込み、頭の上からは小鳥のさえずりが聞こえてきた。

「ここからはさっきの海岸がよく見えるでしょう?」

 岡田の指さす方向をみると青い海と白い砂浜が遠くに見えた。

「どうしてこんなところに記念館を・・・」

「さあ・・でもこれは長瀬博士のたっての希望だったのです。あの海岸が見えるところに作ってほしいと・・・。何か彼女の思い出の場所だったのでしょうなー」

 雅人と別れ、ドロシーを託された海岸。そこは何十年の年月が過ぎても愛子にとっては忘れられない場所となっていたのだ。

「愛子ちゃん・・・」

 海岸線を見ながら雅人は思わずつぶやいた。

 二人は記念館の入り口に差し掛かった。

「扉がしまっていますね」

「ええ。今日は休館日ですから」

 岡田はなにごともないかのように笑顔で答えた。

「休館日・・じゃあ・・・」

「今開けますからちょっと待っていてください。実は3日前にちょっとした事件がありましてね」

「え?」

 岡田は戸惑う雅人に背を向けるとポケットから鍵を取り出した。

「あなたは・・・」

「私は長瀬愛子記念館の館長なのですよ。あなたには何か事情がありそうだ。今日は誰も来ませんからゆっくりと見学していってください」

 岡田は扉を開けながら雅人に微笑みかけた。

「さあ、どうぞ、今灯りをつけますから」

 雅人がゆっくりと中に入ると正面には胸像が置かれていた。

「長瀬愛子 1933-2030 享年97歳 東京都生まれ・・・・」

 雅人は愛子の胸像をじっと見上げた。多分かなり高齢になってからの彼女をモデルにして作られたのだろう。顔面にはしわがあり初老の女性として作成されていたが、目元や口元には愛子の面影があった。

「愛子ちゃん・・・」

 雅人は思わず小声でつぶやいた。

 

 長瀬愛子記念館はドーナッツ型の建物であった。入り口の胸像を起点として回廊型に展示されており、中央部は全面がガラス張りで、芝生のある広い中庭を見渡せた。中庭のガラスの反対側の壁に展示物が並べられていた。雅人は左に進むとゆっくりと写真や小物を観察していった。

 展示は東京大空襲の焼け跡を撮影した白黒写真から始まっていた。

≪1945年3月10日 母 泰子 東京大空襲にて死去・・・愛子は兄とともに叔母、坂崎恭子のもとに世話になることになった≫

「兄とともに・・・靖彦も一応恭子おばさんの世話になっているから・・・まあ、そうだな」

≪愛子は空襲のショックで一時記憶をなくしていたという。その後回復したが一部の記憶は終生もどらなかった≫

 その隣には軍服を着た靖彦の写真があった。

≪愛子の兄 靖彦。海軍小尉(戦死後、大尉に昇進)。特攻隊員として人間ロケット桜花に乗り込み、敵空母に壊滅的打撃を与え死亡。享年23歳。愛子はアメリカ文学を研究していた靖彦が歌うover the rainbowを特に好んだという≫

「靖彦・・・・」

 雅人はほんの少し目頭をうるませながら、ガラス越しの靖彦の写真の前に手を置いた。そしてその隣の写真を見てはっとした。それは愛子の17歳の誕生日に雅人と恭子の3人で記念館で撮った写真であった。雅人にとってそれはつい先日撮ったばかりの写真であるが、展示されている写真は一部が破損し、セピア色に変色してかなり年季の入ったものであった。

≪愛子17歳。隣は叔母の坂崎恭子ともう一人の兄、雅人≫

「もう一人の兄・・・俺も愛子ちゃんの兄になってるのか・・・」

 雅人はちょっと苦笑した。

≪雅人は「俺は100年後の未来からやってきた」が口癖だったという。彼は1950年富士山麓で原因不明の爆発事故に巻き込まれて死亡している。享年28歳≫

「・・・口癖じゃねーし・・・それに死んでねーし」

 雅人はちょっと下を向いて不満そうにつぶやいた。その時、隣にいた岡田は雅人の顔をちらっと見た。

 そこからは愛子が電気物理学を専攻し、アメリカに留学したことや若くして多くの論文を発表したことなどがいくつも記載されていた。

≪1965年 愛子32歳 この年を境として愛子の生活が大きく変化する。画期的な発明を多く生み出し、また、核兵器廃絶運動に強く傾倒することとなる。愛子が永遠の友と呼ぶドロシーに出会ったのはこの頃だといわれる。ドロシーの写真はなぜか1枚も残されていない≫

「愛子ちゃんは32歳でドロシーのチップの解析に成功したんだ。1965年・・・真空管からようやくトランジスタに置き換わってきたころだ。この10数年の間どれほど苦労したのだろうか?」

 雅人は胸ポケットのドロシーのMPUチップを右手で握りしめた。

 その次のコーナーでは何点かの絵画が展示されていた。

「これは・・・広島だ・・・」

 それは原爆投下後の広島を描いた絵画であった。人々が全身にやけどを負い、両手から皮膚を垂らして夢遊病者のように歩く姿。

「きっとドロシーのメモリーからの映像を描写したのだろう。何とか核兵器の恐ろしさを世界に伝えようとしたのだ」

 隣にいた岡田が絵画を見ながら言った。

「これを発表した当時は誰も注目しませんでした。あまりにおどろおどろしすぎて猟奇的にさえ見えたのです。物理学者の長瀬愛子はどうしてしまったのかとみんなが心配していたそうです」

「・・・・そうかもしれませんね」

「しかし1970年アメリカの小さな都市であの事故が起こったのです」

「核実験の事故・・・」

「そうです。1万人が原子爆弾の犠牲になりました。それまでの人々は原子爆弾のことをただ『破壊力の大きな爆弾』程度にしか認識していませんでした。原爆が落ちた都市の様子はまさしく愛子先生が発表した絵画の通り地獄絵のようだったのです。世界中が衝撃を受けました。そして世界は愛子先生に注目するようになったのです」

「彼女はほかにも核兵器を根絶する運動を?」

「はい。短編の映画、小説、マスコミへの取材、講演、世界中を飛び回りあらゆる方法で核兵器反対の運動を広げました。そしてその運動はアメリカから始まり、徐々に全世界に拡大していったのです。そして1990年核兵器禁止条約が国連参加国で締結され、全世界から核兵器が根絶されました」

「核兵器が根絶・・・本当にそんなことが・・・」

「はい。その功績が認められ、愛子先生には2003年ノーベル平和賞が授与されました」

 展示にはノーベル平和賞の賞状が展示されていた。そしてその下には愛子の自筆でこんな言葉が記されていた。

≪この栄誉を、私を支えてくれた叔母、二人の兄、そして永遠の友ドロシーにささげる≫

「私が愛子先生のところにお世話になったのもこのころです。私は1980年生まれですが、初めは運転手として雇っていただきました。それから先生の秘書のような仕事をさせていただき、2020年にこの記念館が建てられてからは館長として働かせてもらっているのです」

 雅人は最後の展示の前に立っていた。

≪2030年 長瀬愛子 急性心不全により死去。享年97歳≫

 雅人はその前でじっと立ち止まっていた。その時急に激しい雨音が窓ガラスをたたき始めた。すると岡田が雅人に向かって言った。

「やあ・・・降ってきましたね。これはしばらく出れそうにないですね。菅原さん、そこに掛けて休みませんか?」

第5章(2/2)最終回に続く

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